表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アクリルの傷痕

作者: 初桜沙莉

 その人物を最初に見た感想は、「礼儀正しい好青年」だった。

 これまでに面会したどの被疑者──世間でいうところの「犯罪者」──よりも、礼儀正しく、丁寧だった。

 中肉中背で、どこかほっそりとした肩幅。ひげは丁寧に剃ってあって、端正な顔立ちと相まって、清潔感を漂わせている。


 「この度、貴方の裁判の弁護を担当することになりました西田(にしだ)です。よろしくお願いします」

 「入江謙悟(いりえ・けんご)です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 入江謙悟。

 それがこの好青年のような見た目をした人物の名前だった。


 「早速ですが、いくつか確認させていただきますね」

 「はい」


 しっかりとした、礼儀正しい返事。これまでに面会してきた被疑者たちの中では、マシな部類に入る。


 「あなたは、2017年10月31日、下校中だった女子児童──永澄香織(ながずみ・かおり)さんを尾行し、彼女が自宅のあるマンションのエントランスに入ったところで、背後に駆け寄り、持っていた縄で首を絞めて殺害した。これに間違いは、ありませんか?」

 「はい」

 「警察の取り調べでは、以前からこの付近を徘徊していた、とのことですね。調書には、犯行現場の下見ではないかと推定されていますが、これに、間違いはありませんか?」

 「はい」

 「被害者──永澄香織さんと面識はありましたか?」

 「ありません」


 全て即答。

 淡々と回答しているが、その実ただの見境なしの通り魔的犯行の肯定。仕事柄慣れているが、こうもあっさりと肯定されると、どこか浮世離れしているような感覚に陥りそうになる。


 質問を続ける。


 「つまり、最初から永澄香織さんを殺そうとしていたわけではない?」

 「はい。私は、正直にいうと、あの付近にいる女子小学生であれば、誰でも良かったです。たまたま、あの子を見つけて、『これにしよう』と」

 「どうして、女子小学生を殺そうとしたのですか?」


 入江は右手で頭を一度掻いた。


 「別に、性欲が昂ったとか、そんなヤバい理由ではないんですよ。ただ、女子小学生を見ると、自然と目が向くんですよね。赤いランドセルも、ひらひらしたフレアがついたお洒落なスカートも、僕が掴めば折れてしまいそうな、細い腕も────なんだか、とても手折りたくなるんです」



 「手折りたく、なる?」


 西田は思わず反芻する。

 てっきり、食べたい、とか、犯したい、とかそういう言葉が出てくるかと思ったのだった。手折りたい……入江の言うように性欲目的ではない……のだろうか。


 「はい。あの頃の私は、学生で、帰宅部だったんです。だから、登校と下校の時間が重なってて。二回、僕は彼女たちを見れたわけです。だからなのかな────朝、起きる前に、微睡みの中で、僕は彼女たちを、顔は見えなかったけれど、あの時みたいに、後ろから襲って、ある日は首を絞めて、ある日は百均の果物ナイフで刺して、ある日は、その子の上着で首を絞めて、、、とにかく、何日も、何回も、夢と現の狭間で、彼女たちを傷つけた。とても小さくて、か細い抵抗が、とても愛おしかった。とても可愛らしかった。でも、一番はやっぱり、あの日だったかな」

 「あー……」


 思わず口から声が漏れる。

 どうやら、ナナメの方向に拗らせたようだ。

 最後は言わない方が一般的に心証悪くならないのになぁ……と西田は思ったが敢えて口にはしなかった。


 「我慢できなくなった、ということですかね?」

 「それは違いますね。というより、いつかはやるだろうって感じでした。今日はしなかったけども、でも、明日は?そんな感じで、毎日、考えていました。なんというか、例えが不謹慎で申し訳ないんですけど、今日のお昼ごはん何にしようかな、って思って、でも、所持金は少ない。そんな時に、ふとしたきっかけでマミバを見かけて、あぁ、今日はあそこでバーガー食べよう。って決める風な」

 「なるほど……」


 昼ごはんを決めるような感覚。

 それで殺されるのは永澄香織には堪ったものではないだろう。

 しかし、被疑者たち……彼らにはありがちなことだった。他人の命や身体をモノのように捉えるのは。心理としてはあるのだろうが倫理としてはアウト。

 破綻している。


 「質問を変えますが、永澄香織さんを殺害したことに後悔や反省はありますか?」


 そこで入江は不思議そうな顔で西田の顔を窺う。


 「……反省文を書かされたと思うんですが、お読みになっていませんか?」

 「いえ……私はあくまであなたの言葉を聞きたいので」


 反省文。

 拘置所で書かされる代物だが、西田は正直こんなものは紙屑だと思っている。当てにならない。

 なぜなら、それは整理された言葉、外向けの綺麗な宣伝に他ならないのだから。

 「弁護士としての」西田としては、別に、反省してようがいまいが、そんなことは至極どうでもいい事なのだ。

 大事なのは、事実の確認と、被疑者の反省の度合い。情状酌量の余地があるか否かを見たいだけなのだから。

 それに加え、「一般人としての」西田は、被疑者の口から語られる本音を耳にしたかった。

 これは、職業がそうさせたというよりも、昔から持つ疑念だった。

 朝のニュースで、ブルーシートを被せられた被疑者と、その下に表示される無機質なテロップ。

 そこには「事実」」が居て、「人間」が居なかった。世間でいうところの犯罪者────彼ら彼女らが何を考えているのか、子どもの頃から、疑問に思っていたのだ。


 入江は少しの間、頭を下げ、沈黙した。

 言葉を選んでいるようだった。

 そして、頭をゆっくり上げると、おもむろに口を開く。


 「……遺族の方々は、怒っているでしょうね。あの子だって、死にたいとは思っていなかった筈だ」

 「そりゃそうでしょう」

 「でも、僕はあの日のことを後悔しない。反省もしない。するべきでは、ない」

 「……?」

 「分からない、ですかね。ですよね。これは僕の持論なんですけど、世の中でほら、犯罪者って皆んな後から『後悔してる』とか言うじゃないですか。僕も犯罪者ですけども……。ただ、それ、間違ってると思うんですよね。『後悔している』のなら、『殺さなければいい』これだけじゃないですか。その程度の手のひらで、彼ら彼女らを殺すのは、彼ら彼女らが浮かばれない……」

 「それは確かに……」

 「人は殺されるなら、殺されるべき何かがいると思うんです。動機とかじゃなくて、もっとこう、、、そうですね、僕が言うなら、、、」


 そこで入江は言葉に詰まる。西田には決して言語化も理解も出来ないであろう「何か」が、入江の中から溢れ出そうとしている。


 「ぼくのために……しんだ……」

 「えっ?」


 「……僕のために、死んだ。そうだ。それだ……、僕の為に死んだ。彼女は、僕に殺された。僕が殺した。僕が僕の為に僕に彼女は殺された。であるなら、僕は彼女の死を、『後悔』という形で『否定』してはいけない……それでは、彼女が何のために死んだのか分からなくなる」


 それは、彼の中で、彼自身もまだ整理できていない、感情と、独特の倫理観。入江の口から矢継ぎ早に紡がれるそれは、だんだんと輪郭を捉えていく。机が、床が、アクリルの窓を挟んで、微かに震えだす。


 「僕は、、、彼女の悲鳴を知っている。彼女の温もりを知っている。彼女のか細い抵抗を知っている。僕は彼女のたなびく髪を覚えている。僕は彼女の冷たくなっていく身体を知っている。僕は、、、彼女の魂を心に刻んだ」


 その揺れは、次第に肥大していく。


 「だから、僕は彼女の死を否定してはいけないし、死刑を望んじゃいけない。永遠の牢獄の中で、彼女を────永澄香織さんを心の最奥に刻み続けなきゃいけない。その断末魔を、聞き続けるべきなんだ」


 ばたばたばたばたばた……!


 「……死刑か否かを決めるのは君じゃない。裁判官と、裁判員たちだ」


 入江の貧乏ゆすりが、止んだ。

 彼の口から語られる奇特な倫理観。犯罪観。

 西田は結局、平凡な事実を横から挟んで止める事しか出来なかった。


 「すみません。つい語ってしまいました……」


 彼は肩を僅かに落とす。喋りすぎたことを恥じているようだった。彼の中から溢れ出していた「何か」は、それまでの奔流がまるで嘘かのように引っ込んだ。


 「とりあえず、今日の面談はここまでにしておくよ。これから何度かお邪魔するけど、良いかな?」


 「はい。よろしくお願いします」


 西田は書類と筆記用具をバッグにしまい、席を立つ。

 監視役の刑務官に一礼して、面会室を後にする。


 ギィ……ッ、バタン。


 建て付けの悪い扉を閉めた後、西田は壁にもたれかかる。


 今まで西田は数々の刑事裁判を弁護士として担当してきた。傷害、傷害致死、強制わいせつ、強姦、そして──殺人。


 その中には理解できる動機もあった。

 理解できない動機もあった。


 太々しく反省しない被疑者が居た。

 後悔で怯える被疑者が居た。


 様々な被疑者を見てきた。

 様々な被疑者を弁護してきた。


 しかしこれは何だ。

 入江謙悟。事件当時20歳。

 事件前日──2017年10月30日まで、未成年の大学生だった、少年。

 礼儀正しい、「事件」さえ起こさなければ、普通の好青年。

 しかし────その礼儀正しさに混じる、どこかねじ曲がった倫理観。それはもはや一種の宗教のような倫理観だった。


 西田は、基本的に事件関連のニュースを見ない。新聞も読まない。SNSも、ネットも、事件関連の話題は避けている。

 それは、自分がもし担当する場合に、余計な先入観を差し込まない為の西田なりの流儀だった。


 西田の中で、子どもの頃の記憶が呼び起こされる。

 「普通に見えたのに」「とてもそんなことする人には見えなかった」「とても優しい人でした」事件の度に、容疑者の親族や、友人や、クラスメイトが、口にする言葉。

 彼らは「知らなかった」だけだと、弁護士になってから西田は学んだ。彼ら彼女らが容疑者と呼んだソイツの「別の側面」を。


 その西田でさえ、入江謙悟のねじ曲がった倫理観は、なかなか咀嚼することが出来なかった。


────永澄香織を心の最奥に刻み続けなければいけない────


 入江謙悟は、今日も夢に見たのだろうか?

 永澄香織を、あの日の出来事を、思い出して、そして「刻んだ」のだろうか……?


 窓を見上げると、白い雲に混じって、西の方から黒雲が迫っているのが見えた。これから夕立が降るのかもしれない。そう思った時、西田は傘を持ってくるのを忘れたことに気付いた。


 さてどうしようか、と思った時、ふと、指に小さな熱い感触を覚える。


 いつ切ったのだろうか……?

 小指から──血が滲んでいた。

 赤から朱へ、そして、錆色へ。


(了)


この物語はフィクションです。作中に同一の名称があったとしても、実在する人物、地名、団体等とは一切関係ありません。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 犯罪を起こした者の心理。それは、普段見るニュ-スでは知る事も感じる事も出来ない深い闇が存在する。またそういう人物を弁護する立場の人間の葛藤までもが描写されていて現実に置き換えては想像もでき…
[一言] 入江という青年の、どこかで歪み、歪みに固執した結果、精神的な成長をピタリと止めてしまったという感じが、「描かれるべき本物の犯罪者」っぽくてとてもいいです。
[良い点] 殺人犯の思考に、不気味な怖さを感じました。 犯人の語る言葉になるほどと納得しつつも、弁護士も自分も、それを容認しきれない人間であることに安堵しました。 犯人の語り様と弁護士の解釈の仕方に現…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ