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ツァラトゥストラの火  作者: MOJO
7/7

※※※※※※※

 九月。

 今年は冷夏だったとはいえ、残暑は厳しく、虫たちの声も心なしか元気がないように思えた。

 梅雨が短かったのに、東京の夏は相変わらず湿気でジメジメとした纏わり付くような暑さだ。

 冷房の効いた屋内を出ると、直ぐに汗が噴き出してくる。

 私は今、一件目の取材を終えて、御茶ノ水から新宿へと向かおうとしていた。

 一月ほど前から部署が変わり、私は旅行雑誌に記事を書いていた。

 それというのも、勤めていた編集部で火災が起こり、ビルが全焼してしまったのだ。そのため社屋を移ることになったのだけれど、もともと科学誌は発行部数も少なく、雑誌の売り上げだけで言えば赤字だったところに、火災の原因がデスクの焼身自殺だということから、科学誌自体が廃刊となってしまったからだ。

 火災が起きた時、私はたまたま外に出ていたので現場に居合わせなかったのだけど、後に編集室にいた同僚から話を聞くと、PCの前に座っていた沢田の体が突然、炎上したのだそうだ。

 警察はそれを自殺と判断したそうだが、こうした事例が今年だけで数十件にも及び起きてるとのことだった。

「一番死にそうにない奴だったのに、自殺なんて信じらんないねー」

 事故を知ったカズミの第一声がそれだったのだが、私は曖昧に頷くことしかできなかった。

 そのカズミも今は大手出版社に移り、三人の漫画家の担当となって、日々慌しく過ごしているようだ。

 ここ最近、カズミとは週に一度も会えていない。

 担当している漫画家さんの作品の資料集めにあちこち取材に出ることも多いそうで、やりがいとストレスは比例すると、仕事の愚痴をメールして来たりしていた。


「一条さん」

 電車を乗り継ぎ、新宿の駅を下りたところで、誰かに名前を呼ばれ足を止めた。

「また会いましたね、一条さん」

 声の主を探して振り向いた私の目の前には、四十手前のちょっとだらしないの服装の男性がいた。

「ああ、やはり分かりませんか」

 困惑する私に、その男性はそう言って歯を見せて笑った。

 黄ばみの目立つ歯を見せられ、少し気分が悪くなる。

「すみません、どちらかでお会いしましたでしょうか」

「ええ、以前に何度か。でも、この体では初めましてになるのかな、やっぱり」

 ……思い返してもやはり記憶にない。

 でも、このやり取りにデジャヴを感じていた。

「ずいぶん久しぶりですね。でも、本当言うと、いつでも会うことは出来たんです。なにせ、僕と貴女とは繋がっていますから」

 そう言う男性の眼の輝きにどこか共通するものを覚えていた。いつか会った、あの時の男性と同じ光。

 火事で亡くなった森村老人の家に訪れた時に会った人と同じように感じる。

 確証は無い。ただ、そう感じるというだけなのだけど、でもそれはあながち間違いではないとも思えた。

「どこかで腰を落ち着けて話せませんか。ここで立ち話もなんですから」

 今は仕事の途中だし、何しろ見知らぬ男性の誘いでもあったけど、少し考えて、私はその申し出を受けることにする。

「まだ仕事があるので、あまり時間は取れませんけど」

「ええ、結構です」

 私たちは近くにあった喫茶店へと足を向けた。

 通りにテーブルを並べたオープンカフェとレトロな感じの喫茶店。何となくだが後者を選ぶ。

 あまり他人に聞かれていい話になるとは思えなかったから。


 席について、私たちはそれぞれにコーヒーを頼み、どちらからともなく口を開くのを待った。

「何から話せばいいかな」

 男性は届いたコーヒーに一口、口をつけて言った。

なるべく奥の席を選んだのは正解だったかもしれない。近くにいると男性の体からはしばらくお風呂に入っていないような、汗と埃と体臭の混ざった、すえた臭いがしていた。

 注文を取りに来ていた店員は眉根を寄せた位で済んだけど、もしも隣の席に他の客がいたらそれだけでは済まなかったかも知れない。

 昼時もすっかり過ぎていて店内は客もまばらだったので、流石に追い出されることはなかった。

「そうね。先ず、貴方のお名前を伺っても?」

「名前は無いんです」

「え?」

「ああ、この体の本当の持ち主にはありますよ。木村良国さんと言うそうです。三十七歳。独身ですが、無職。あまりお勧めは出来ませんね」

 男性は他人事のように笑った。

「僕に名前はありませんが、強いて言うならエマノン……僕はあの研究所で、そう呼ばれていました」

「エマノン……やっぱり、あなただったのね」

 EMANON

 No_Name

 忘れるわけがない。

「貴女も知っての通り、僕は交通事故に遭い、それまでの人生に一旦幕を閉じました。あ、とはいっても、そう聞かされていただけだったので、本当のところはよく知らないのですが」

「記憶が無いのでしたっけ」

「ええ、事故に遭う以前のものは、そうですね」

「それで、どうしてその、自由になれたのですか。その、体の人は?」

「ふふ。質問が絶えませんね。何でも答えしますよ。時間の許す限り」

 エマノンはそう言って、窓の外に目を向けた。

「貴女と最後に会った後、僕は彼らの実験を手伝わされました。またいつもと同じ事の繰り返しかと思っていたのですが、あの時は違いました。あの時、僕の全てが無くなったんです」

「……どういう事ですか?」

「僕をこの世に繋ぎ止める唯一のものと言っていいでしょうか、それすら失ってしまいました。空っぽになったんです。僕という存在がね」

 エマノンは嗤った。

 話がよく見えない。

 私をからかおうとしているのか。

 でも、それにしては冗談を言ってるようにも思えなかった。

「暴力、凶暴性。人というのは太古からこれらを内に秘めていました。そして火。それを手に入れてから知性が芽生えました。力と火。それらをコントロールする知恵があれば、大きく進化することが出来るんです。たとえ肉体が無くてもね」

「あなたは何をーー」

「お忘れですか?以前にも話したことがあったはずです。世界を作ろうと思っているって。ほら、こんな風に」

 エマノンは指を弾いた。

 店の外、通りの向こうで悲鳴が上がる。


「何をしたの!?」

「創造するには、先ず今ある世界を壊さなくちゃ」

 エマノンは笑った。

 私は身が強張るのを感じていた。

「人はインターネットを通じて僕と繋がっている。そうじゃない人も何れ繋がるでしょう。それだけの時間を使いましたしね」

「私たちをどうするつもりなの?」

「幾らかは残します。僕を許容できる人間は何人か。でも殆どは退出してもらうつもりです。今の、この世界から」

 悲鳴は収まったが、外の通りには人集りが出来ていた。ここからではもう、様子を伺うことは出来ない。

 私はどうしたらいいのだろう。

 直ぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちと、目の前にいるエマノンへの好奇心とがせめぎ合っていた。

「……一条さん」

 エマノンは首を左右に振った。

 この会話が終わるまで、私を逃がしてはくれないようだ。

 私は気持ちを落ち着かせるためにカップを持ち上げて口を付ける。

 頼んでいたコーヒーは、すっかり冷めてぬるくなっていた。

 ここにきて、どういうわけか私は彼との繋がりを感じていた。

 自分の中の異質な存在。混然一体となった何か。

注意しないと聞き取れないほどの僅かなノイズ。

 今、彼との距離が近くなったことによって、それがより鮮明になったように思える。

 急に両耳の後ろに痛みを覚えた。気圧の変化で圧迫されているかのように、トクトクと脈打つ心臓の鼓動を、耐え難い痛みと共に感じ、私はたまらず手で耳を押さえた。

 彼が、存在()る。


「私の中に、一体、どうやって」

「テレビゲームなど、されたことはありますか」

「……ええ」

「それなら、セーブデータと言った方が分かりやすいかな。以前、貴女の中に僕のデータを入れて置いたのです」

「そんなことが……」

「その時点の僕と、今のこの僕とでは多少のズレが生じています。同じ自分でも、状況が変われば選択肢も変わります。当然、選ぶ答えも」

 パラドックス。

 もしもの世界。

 でも、自分自身が同時に存在しうるなら、“もしも”は可能性ではなく、プロセスでしかない。

 より良い結果だけを残せるならば、後は選択肢の数さえ増やせばいいことになる。

「あなたは、何が望みなの? いったい何をしようと……」

「先ほども同じ質問をされましたね。僕の答えは変わりません。世界を創ろうとしているだけです」

「……なぜ、私なの?」

「有りの侭の僕を受け止めてくれたからです。他の人間はコントロールしようとした。まるで道具のように」


「さあ、もう行ってください。僕は次の準備をしなくちゃ」

 そう言うとエマノンは椅子から立ち上がった。

「さあ」

 私に外に出るようにと促す。

 どうしていいかわからぬままに、私は彼の指示に従い、腰を上げ席を離れる。

「見ていて下さい。直ぐに世界は変わります。貴女が何処にいても、僕はすぐ傍にいます。僕たちは繋がっている」

 両手を広げたエマノンの身体から炎が立ち上がり、瞬く間に全身を包み、燃え上がった。

 店内で悲鳴が上がる。

 携帯で撮影する者、警察を呼ぶ者、出口に殺到する者たちで店内は騒然となった。

 混乱する店の中で私は独り途方に暮れていた。全身の力が抜けてしまい、人波に押されるまま、店の入り口近くまできて物陰にへたり込んだ。


 その後、私は警察から事情聴取を受け、有りの侭を話した。

 その事情聴取で、エマノンと交わした話の内容以外の全てを。

 どうせわかってもらえないだろうし、エマノンとの関係を説明すると長くなる。それに、それを話したところで余計に疑われるだけだと思ったから。

 長丁場を覚悟していたけど、思っていたほどではなく、逆に拍子抜けしてしまった。理由を尋ねると、ここ最近、同様の事件が多発してるとのことで、警察や消防も頭を悩ませているとのことだった。

 事情聴取を受けた帰り、警察署を出たところで小雨が降ってきた。

 いつも持ち歩いている折り畳みの傘を取り出そうと鞄を抱えた時、左手にいつかの紋様が赤く浮き出ているのに気がつく。

 確か、リヒテンベルク図形と言っていた。雷に打たれた時に出来る痣だっけ。

 まるで炎が燃え上がるようにも、コンピューターの回路のようにも見える。

『僕たちは繋がっている』

 それって、私も彼の気分次第で燃やされてしまうってこと?

 そう考えた途端、恐怖で体の力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。


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