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ツァラトゥストラの火  作者: MOJO
4/7

※※※※

「気がつきましたか」

「……今のは」

「どうでした?ただのホログラフやCGなんかと違い、リアルじゃなかったですか?」

「ええ、とても。あの、これはいったい……」

「彼が見ている仮想現実の世界です」

「先ほどCGではないと言いましたが」

「そうですね。コンピュータでプログラムされたものではないのですよ。今まで貴女は彼の脳の中にいたわけですわ」

「脳の……?」

「ええ、あそこに板状のものがあるでしょう」

 そういって木戸原が台座を指差した。大きな黒いカードが台座の一面に差し込まれている。そういえば前に説明を受けたかも知れない。

「あのメモリカードの一つに、今見てこられた世界があるわけです。もっとも、あの中にあるのは、あくまでもデータだけで、世界を作っているのは専ら彼の仕事ですがね」

「それは、どういうことでしょう?」

「つまりですね、私らが用意したデータをもとに、彼が自らあの世界を創造しているんですわ。

 あそこにあるものは草木の一本でさえ、彼が作り出したもので、生物がどういった生態系を成しているか、それすらも彼次第なんです。私らはほんの少し創造のヒントを与えているにすぎません。今、一条さんが見てきた世界は、彼が造り上げた十九世紀中ごろのヨーロッパの風景です。建物なんかのデータは与えていますが、中で起こる出来事や人物なんかは全て彼の創造物ですよ。どうです、なかなか刺激的だったんではないですかな?」

「十九世紀のヨーロッパ……」

 木戸原は誇らしげにヤニで黄ばんだ歯を見せ笑った。

 十九世紀のヨーロッパ……私が見てきたのは、本当に十九世紀のヨーロッパだったろうか?

 たった今いたばかりのあの世界が、すでにぼんやりとした記憶でしかなくなっている。まるで夢でも見ていたように。

 ただその一コマ一コマは、明晰夢のように色鮮やかで鬼気迫るものだった。

 私が私ではない何者かになって、獲物を求め荒野を駆け巡る……そんな物語を見ていたように思うのだけれど。


「助手の方にもお願いしたのですが」

 私はヘッドセットを受け取りに来た太った女に渡し、椅子から腰を上げて木戸原に向かって言った。

 立ち上がった時に少しめまいを感じた。

 まだ"自分"の感覚を取り戻せていないような、そんな錯覚に陥る。

 木戸原が一瞬、助手の男性を見てから、私の方に向き直った。

「あの、私、彼とお話をさせていただくことは可能でしょうか」

「彼というと?」

 木戸原が台座を指差す。

 私は頷いた。

「ええ、もちろんです。ですが、まあ、少し待って頂きたい。調整が必要でね」

「調整、ですか?」

「ええ、まあ大したことじゃない。彼をこちらの世界に呼び戻すための時間があるのでね」

 木戸原は目配せで助手に指示を出す。

「彼はまだ向こうの世界にいますから、コンピュータを通して、こちらに戻ってくるようにサインを送るんです」

「なるほど」

 準備の出来る間、木戸原は私に説明をしてくれた。

「彼は今、向こうの世界で、向こうの世界の住人の一人となり、過ごしています。向こうにいる間はこちらの世界のこと忘れていますが、でもそれは、あくまでも表面的なものでね。深い深層下では、そうではない。そこにアクセスして、仮想空間から戻ってくるようにサインを送るわけですな」

「その、サインというのは、どのようなものですか」

「ああ。まあ、彼自身がこちらの世界を強く意識するものなら何でも良かったのですが」

「龍ですよ」

 作業が終わったのか助手の男が声を上げた。

 私は声の方へと顔を向ける。

 視界の端に木戸原が助手を横目で睨みつけているのが見えた。

 会話に割って入られたのが気に食わなかったのか、それとも答えを出す機会を奪われたのが気に食わなかったのか、或いはその両方かもしれない。

「ドラゴンかな、西洋風の。彼、なかなかいい趣味してますよね。ファンタジーとか好きだったんでしょう」

「ドラゴン……」

 私にはあまり馴染みはないが、男の子が好きそうな題材ではある。

「でも、サインなんですよね? ドラゴンなんて、どうやってサインとして使うんですか」

 私は助手から木戸原へと顔を向ける。

 話を振られて気を良くしたのか、木戸原は私の質問に目を細めて答えた。

「サインの出し方は色々です。流石に龍をそのまま出すのじゃ、世界観が崩壊しますので、そこは考えなけりゃいけません。例えば何かの紋章として使うとか、絵画や像などでもかまいません。そうして彼の身近にサインを出現させて、こちらの世界への道標とするわけです」

「先ほど私だけが戻ってこれたのは、どうしてでしょうか」

「ああ、それは一条さんにはリミットをかけていたので」

 再び助手が白い歯を見せながら答えた。

 この男性は私に気があるのかもしれない。そう感じもしたが、今の私の頭の中は"彼"のことで一杯だった。

「向こうの世界の、彼の視点を借りて、予め決めた時間に戻ってくるようセットしておいたのですよ」

「その、先ほどおっしゃった、サインのようなものは、見えなかったように思うのですが」

「サインが必要なのはリミットを決めずにダイブした時だけです。あ、ダイブってわかります?」

「ええ、なんとなく」

「今の一条さんのように、短い時間であればリミットを決めてダイブしても問題はありません。ですが、彼のように長い間ダイブしている場合、急にこっちへ戻してしまうと、向こうの世界との記憶の混濁を起こしてしまうので、さっき説明したサインを出現させる方法をとって、徐々にこちらの世界へと呼び戻すようにしているんです」

「一度、この彼にリミットをかけずに長い時間ダイブさせてみたことがあるのですが、あの時は大変でした」

 木戸原がそういって助手の肩に手を置いた。

 助手の男は顔を赤らめ、頭を掻いた。

「お恥ずかしい話なんですが、しばらく幼児返りをしてしまって……」

「たいそう裕福な家庭の子供になっていたそうで、丸々二日間、我儘し放題だったなあ」

「あら、三日じゃなかった?言うこと聞かないし、泣き叫んで大変だったわよ」

 太った女が茶々を入れた。

「あん時はホント大変だったわ。アタシのことメイドか何かと勘違いして。汚いパンツの洗濯までさせられてさー」

 助手の男はばつが悪そうに顔をしかめた。

「ところで、あの、彼と話しすることは」

「ああ、そうでした。もう大丈夫ですよ」

 助手の二人が先ほどの椅子を片付けていくのを横目に、木戸原の案内で私は台座の前へと向かった。

 彼の前へと立つと自然、頭上のカメラがゆっくりと私の方へとレンズを向けた。

 彼が私へと注意しているのかわかる。私はまず何と言おうかと悩んだ。

 会うのは今日で二度目。

 正直、初めて彼を目の当たりにした時は人として見ることが出来なかった。

 顔の表情ではなく、脳に刻まれた皺を見ながら「初めまして」と声をかけるのは、どことなく滑稽な気がしてしまったからだ。

 それは今も変わりがないのだが、さてどうしようか。

「そういえば、彼に名前はあるんですか」

 私はふと思い、聞いてみた。

「ええ、もちろん。私たちは彼のことをエマノンと呼んでいます」

「エマノン?」

「私が付けたんですよ。エマノン」

 助手の男が言った。

「名無しのままじゃ、不便だと思いまして」

「ずいぶん洋風の名前ですけど、彼は日本人じゃないんですか?」

「ああ、エマノンてのは逆さ言葉です。NO NAMEの逆さ読みですよ」

 ノー、ネーム……EMANONか。

「事故前の記憶がないもんで、とうぜん名前もね。でも、この名前。彼も気にいってくれてるようですよ。まぁ、読んでいた小説のタイトルから拝借したんですけど、なかなか洒落てるかなって」

「なるほど」

 私は改めて彼へと向かい直り、声をかける。

「こんにちは、エマノンさん」


 少しためらうようなわずかな時間の後、エマノンは「僕にさん付けは必要ありません」と言った。

 彼の声はどこかで聞いたことのあるような、そんな気がした。

 私がそれを指摘すると、助手の男性が、有名な声優の声を拝借していると自慢げに教えてくれた。

 その声優の名を聞いたが、私には聞き覚えのない名前だった。

「本人の声を使うことも、もちろん出来たんですがね。いかんせん彼の声を録音したものが見つからなかったもので」

 骨格や年齢などから声帯を模写し、本人に近い声を作り出すことも出来るそうだが、そうした技術は専門外であるのと、本来の目的を逸脱するためにこのような形をとったと釈明をする助手の言葉を背中で聞きながら、私は小さく頷いた。

「いくつか質問をしたいのですが」

 私はエマノンにそう話しかけた。

 沈黙を肯定と受け取った私は、この時のためにと用意していた質問をぶつけた。

「先ずは素直に、今の気持ちをお聞かせ願いたいのですが」

「今の気持ち」

「はい。例えばですが、今の境遇に満足しているか、とか」

 室内に僅かな緊張が走ったように感じたが、私はそれに気付かぬふりをした。

 私の質問に対するエマノンの答えは意外だった。

 彼は今の境遇に満足していると言った。

「体の自由がきかないことや、その……今の状況に不満はないんですか?」

「不満はありません。むしろ心地良いくらいです」

「そうなんですか」

「今あなたと話しているこの状況は、夢を見ているようなんです。僕のレンズに映る、この部屋での出来事。全てが」

「夢、ですか」

「僕はいろんな世界を旅することが出来ます。その世界の中で起こること全てが現実なんです。僕にとっては」

 こちらが夢で、向こうが現実か。

 脳以外のすべてが借り物の彼からすれば、(レンズ)に映るものすら、作り物の世界に感じるのかも知れない。

 健常な肉体を備えた私たちにとってデータに過ぎないものも、彼からすればよりリアルな現実世界なのだろう。それはなんだか羨ましい気もした。

 この体と世間のしがらみは、切っても切れない縁のようにも思っていたから。

 エマノンの答えを聞いて室内の空気も少し落ち着いてきたように感じた。

 私は質問の趣旨を変えてみることにする。

「色々な世界を旅することが出来ようですが、今までどのような世界を旅してこられましたか」

「……中世のフランス、イタリア、あとはドイツ。ヨーロッパが多かったように思います」

 私は上着のポケットからペンとメモ用紙を取り出して彼の言葉をメモに取った。

「ヨーロッパに何か思い入れがあるのでしょうか。それとも、先生方の趣味ですか?」

 後半の質問は隣にいる木戸原を見て言った。

「いえいえ、すべて彼の好みですよ。我々はデータを用意するだけでしてね。選択するのは彼自身です」

 木戸原が答える。

「我々が用意するメモリーカードの一つ一つには、世界を構築する為の、いわば素材のようなものが詰まってましてね。彼はそこから必要なものを引き出して、自分の世界を作っているわけです」

「自分の世界……」

 エマノンが呟いた。

 カメラが私と木戸原を交互に捉えている。

 彼にとっても初耳だったのだろうか。

「ということは、向こうの世界で彼は神にもなれる、ということでしょうか」

 だとしたら、あの世界で体験したジャングルや岩山で繰り広げられた死闘は、なんだったのだろうか。

 何か彼の鬱屈とした感情、或いは生、もしくは死への渇望のようなものとなって表れているのかも知れない。

「ええ。可能性としてはそうですがね。それを彼が望めば、ですが。何か、彼自身が障害となるものを作り出しているようなんですわ。物事は思い通りにはいかんということを身をもって体験した結果かもしれませんな。今の、この状況も含めて」

「なるほど」

 私は正面にあるガラスケースの中のエマノンを見つめた。

 剥き出しの脳。

 本来グロテスクな筈のそのそれは、今の私には、そういったものとは違う、個性ある人としての側面を感じていた。

 私は質問を続ける。


「こうなる前の、以前の記憶を取り戻したいとは思いますか」

「いえ、そうは思いません」

 エマノンは悩むことなく答えた。

「それはなぜ?」

「……以前は、それについて少し考えたことがあります。ですが、このような状況になる以前の記憶がもし戻ったなら、僕は正気ではなくなってしまうのではないでしょうか。それに、記憶を取り戻したところで、この状況に変わりはありませんから」

「それは、そうかも知れませんね。では、こちらと向こうの世界、どちらがより魅力的に思いますか。その理由も聞かせてください」

 この質問にエマノンは少し時間を要した。

 私はペンを止めて彼の返事を待った。

「それはやっぱり、向こうの世界でしょうか。何より賑やかですし。こっちは、そうですね……この部屋の景色も少し見飽きたかな」

 声優の声を拝借したという彼の声は、私の質問にそう淡々と答えた。

 その抑揚のない言葉の中に、不思議と笑いが含まれているように感じて、私は思わず頬が緩んだ。

「では、もし自由になる体があるとしたら、何かしたいことはありますか?」

「それは、こっちの世界でということですか」

「ええ。まあ、そうですね」

「世界を作りたいと思います」

「世界を……?」

「あくまでも希望ですが」

「何か、ニュアンス的に怖い感じがしますね」

「怖がらせてしまったのなら、すみません」

「いえ」

「さあ、もういいでしょう」

 木戸原が私たちの会話に割って入った。

 もう少しエマノンと話をしたかったが、どうやら私に与えられた時間は使い切ってしまったらしい。

「実験続きで彼も疲れていましてね。そろそろ休ませてあげて下さい」

「分かりました」

 私は背を押されるようにして研究室を後にした。




「ああ、それと、一条さん」

 一階の守衛室に預けていた私物を受け取り、出口へと向かう私を木戸原が呼び止めた。

「彼の、最後の言葉は記事にしないでください」

「彼? エマノンのですか」

「ええ。世界を作るとか何とか」

 木戸原は口角を歪めた。

「誤解を招きかねませんから。あくまでも彼に舞台を用意するのは我々科学者です。子供が与えられたオモチャを組み立てて何を作ろうとも、その所有権は私ら親にある。まあ、そういうことです」

 木戸原の言葉は随分と傲慢に思えた。

 彼に与えている。それはそうかもしれない。しかし同時に奪ってもいる。私はそう感じていた。

 私は研究所を後にし、帰りの電車に揺られながら、長かった今日一日の出来事について反芻していた。



  ・


「帰られたのですね」

「ああ、一条さんかい?」

「はい」

「見せられるところはだいたい見せたし、記事の内容について連絡なんかはあるかも知れないけど、ここにはもう来ないかもね」

「来て欲しいように聞こえます」

「そりゃあ、だって」

 助手は手にコーヒーカップを持ったまま、大げさに両手を広げて肩を落とした。

「ここには他に女らしい女はいないからなぁ」

 その時、研究室の扉が開いて太った女が入ってきた。

 イライラとした様子で部屋の中央まで来ると、手にした荷物を作業台の上に置いた。

「何だい、それ」

 助手が慌てた様子で後ずさり、そのはずみで手に持ったカップからコーヒーが溢れて床を茶色く汚した。

「新しい資料よ」

 床に溢したコーヒーのシミを助手が靴の裏で払うのを見て太った女はフンと鼻を鳴らした。

「なんだこれ。戦車に戦闘機って……最新の兵器ばかりあるけど」

「よくわかんないけど、次の実験に使うらしいわよ」

「何でこんなに紙束にして持って来たんだ? 添付ファイルで送ればいいのに」

「データの移送は禁止なんだって。機密データみたいだから。ファイルのコピーも禁止らしいから、写真に撮ってきたんだって。用が終わったら、焼却処分しろってさ。それよりさっきの椅子出すの手伝って」

「あー、PCのモニターを直に撮ったのか。だからこんなに画像が荒いんだな」

「ほら、ちょっと椅子!」

「ああ、ごめんごめん」

 太った女に急き立てられ、助手は壁際に戻してあった椅子を部屋の中央まで運んだ。

 作業が終わると、太った女は自分のコーヒーを注ぎにコーヒーメーカーの方へと歩いていった。

 助手が再び太った女の持ってきた資料を手に取る。

「あれ? もしかして、この資料って、俺がここのPCに打ち込むのか?」

「あんたしかいないじゃない」

 太った女がコーヒーカップを片手に、どこからか取り出したドーナツにかじりつきながら言った。

「所長……じゃなかった、教授がさー、そんなことやるわけないしね。アタシはやだもん。せっかくの新しいネイルが剥がれちゃうでしょ?」

 太った女の言葉を聞いて助手が苦笑する。

 頭上のカメラが二人のやり取りを静かに見守っていた。



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