036
自ら足止めを買って出たルーカスを置いて、ヒュドラ討伐チームの面々は振り返らず逃げた。途中で周囲の魔物を撃退していたチームとも合流し、逃げ切った。
あのままでは確実にヒュドラに追いつかれ、蹂躙されていただろう。それを回避したのは間違いなくルーカスの功績だった。
「あれで二つ名が『臆病者』とは、この町の誰もが臆病者になってしまうな」
「ルーカスさんは、すごいんです……やると言ったことは、やるんです……」
「ああ。【人形使い】を救出するためにも、早く【飛行】持ちと合流しなければ」
森を抜け、未だ戦場となっている外壁前へ到着する。
そこでようやく【飛行】持ちと合流。ルーカスへの救出を依頼した。
「【人形使い】がしんがりを務めてくれた。あいつは、ヒュドラ討伐に必要な男だ」
「ルーカスさんを、ルーカスさんを早く救出に行かなきゃっ……! お願いします、助けてください、何でもしますから!」
「ああ、必ず、連れ帰ってみせる」
ローラの懇願を受け、空へ飛ぶ【飛行】持ちの冒険者。
彼はヒュドラ相手にルーカスが生き残っているとは思えなかった。キーモンスター。チームを組んで、それでも倒せなかった強敵。それをたった一人で足止めだ。生きている方がどうかしている。
だから、彼は「助けてみせる」とは言わなかった。それは、死体でも連れ帰ってくると言う意味であった。
だがしかし、空に飛びあがってすぐその気持ちを改める。
大型のモンスターが、ヒュドラが暴れている音がしたのだ。それはつまり、ルーカスがまだ抵抗を続けているということを示していた。
「バカな……! いや、だが、生きているのなら!」
全力で空を飛び、ヒュドラの姿を確認する。うっかり目を見ないよう、目下の森に目線を移した。
音を頼りに空を進み、ルーカス本人を探す。【人形使い】であれば、ヒュドラの近くで身を隠して人形を動かしているはずだ。
「ひゃっはぁその長い首を固結びにしてやるぜ!」
人の声が聞こえた。ルーカスの声だ。だがその声の方向を見ると、ヒュドラが居たので慌てて目線を下げる。
とりあえず声が聞こえたということは無事なのだろう。
(あれ? ちょっとまて。一瞬だったが【人形使い】、ヒュドラの上に乗ってなかったか?)
目をごしごしとこすり、意を決してヒュドラの方を見る。
するとそこには、なんということか。ヒュドラをぶん殴る【人形使い】の姿があった。
「……は?」
再びヒュドラを目に入れないように視線を下げる。見間違いではないか。ヒュドラは、それも『石化の視線』を使うヒュドラ・バジリスクはもはや災害以外の何物でもない。
なのに、なぜ要救助者がその災害を殴っているのか。
自分は幻覚を見たのではないか? ああ、そうに違いない。もし彼が生きていてくれるならという希望が見せた幻覚だったのだろう。一瞬のことだし、色々と見間違えたに違いない。
もう一度、覚悟を決めて見る。
「シュナイダー、GO!」
「ギュギャァアアアアア……!」
猫のぬいぐるみがヒュドラの目を潰していた。
なんなのこれ。と、一瞬固まってしまったが、はっとして目を伏せる。
危ない危ない。どうやらヒュドラは幻覚も使うようだ。これは帰ったら伝えなければならない新情報だ。うん。
さて、今度こそ要救助者を探そう。要救助者はどこかなー。
「はぁっはっはっは! こりゃいい見世物だ! 観客がいないからおひねり貰えないのが残念だなぁ!」
とても愉快そうな元気な声が聞こえる。ヒュドラめ、幻聴まで使ってくるか。何と恐ろしい。
と、ごきんごきんばきばきと木を薙ぎ払う音が聞こえた。どうやら戦場を移動しているらしい。
(要救助者を助けるチャンス……かな?)
そぉーっと、そぉーっと顔を上げる。するとそこには、ヒュドラのしっぽを掴んで振り回し、森の木々とオーガを薙ぎ払う要救助者の姿が!
うん、なんだこれ。彼は諦めた。いや、救出を諦めたのではない。常識を諦めたのだ。とにかくあれは、要救助者……要……要るかな? 救助。なんかこのままほっといても大丈夫そうな気がする。むしろ、ヒュドラを倒してしまいそうな――
あ、頭を重ねた。え、何? うわ、ごちゅって。ごちゅって潰した。何アレ。え、あ、周りのモンスターの気配が退いてく。え、嘘。本当に倒したの?
驚きを隠せない【飛行】持ちの冒険者。どんなミラクルがあれば要救助者が逆転勝利してしまうのだろう。あ、倒れた。
「……はっ、た、助けねば……?」
疑問符を浮かべつつもヒュドラ近くまで飛んでいく。頭は全て潰れているので、もう視線を気にする必要はなさそうだ。
そして、ばったりと大の字に倒れるルーカスの隣に着陸した。
「おぉ……よぉ、【飛行】持ちか。助けに来てくれたのか、遅かったな。見ての通り、パーティーはお開きだぜ」
「あ、ああ。えーっと。その。これは一体?」
「なんだろうな。俺にも良くわかんないんだが……勝っちまったっぽいな?」
勝っちまったっぽいな? と言われて反応に困る【飛行】持ち。
「一体何をどうしたらヒュドラに勝っちまうんだよ、【人形使い】。しかもヒュドラを殴り飛ばしてなかったかお前」
「いやぁ、まぁ、それはさておき……ちょっと解毒ポーションとか持ってない? 無いなら俺のウェストポーチの中に入ってるから取り出してくれねぇかな。最後潰すのでうっかり返り血浴びちまって」
「お、おう。持ってるぞ。少し待て」
そして、荷物の中から解毒ポーションを取り出し、蓋を開けてルーカスの口に突っ込んだ。
ごっごっご、とポーションを飲むルーカス。
「ぷはぁ、苦ぇ……だが少し回復したわ」
「それはよかった。……で、その、ええーっと、とりあえずお前を抱えて飛べばいいのか?」
「あー、それと狼煙あげておいた方がよさそうだよな……ちょっと疲れて体動かせないから、頼めるか?」
「あ、ああ。まぁ普通のポーションも飲ませてやるからしっかり休め」
「恩に着るわ」
いやまぁ、ヒュドラを倒したってことは英雄なのだからむしろこっちが恩に着るところなのだが。と思いつつ、荷物の中から、色つきの煙を出すアイテムを取り出して使う。
まさか使うとは思わなかった『対象の排除を確認』を意味する緑色の狼煙。
それがモクモクと空に昇って行った。
「あー、しかしこんなに体動かしたの初めてだわ……これ絶対明日筋肉痛だろ……いや、1日遅れて明後日かもしれん……」
「……筋肉痛で済むのか?」
「そうだな、結構無茶したから肉離れしてるかもしれないな。いやその、体が麻痺してて感覚が良くわからなくてな」
くっくっく、と笑うルーカスに、何て答えていいのかわからない。
「えーと、背骨いってるんじゃないかそれ?」
「それは大丈夫だ。『石化の視線』の効果で麻痺してるだけだから……これ、麻痺が解けた途端に激痛に見舞われるとかないよね? あ、やっべちょっと怖くなってきた」
それからすぐに他の【飛行】持ちがやってきて、ヒュドラの死骸が確認された。
スタンピードのモンスターはすでにどこかへ散って行った。押し寄せていたモンスターが居なくなり、きっと今頃町は大騒ぎだろう。良い意味で。
【飛行】持ちの彼は「疲れた」と言って泥のように眠るルーカスを背負い、町へ帰還する。その指に繋がっていた大小の猫のぬいぐるみ2体も一緒に。
そうして、ルーカスは英雄となった。
尚、あまりにもぐったり寝ているものだから死体と勘違いされたりもしたが、それは別のお話。




