マシンガントーク対策
良夫(偽)は会社からの帰宅前,必ず貧乏ゆすりをする.
それも無意識に行っているようだ.
良夫(偽)は最愛の妻の元に帰る.
彼女の笑顔を見るだけで,疲れが吹き飛ぶようになる程,良夫(偽)は
彼女が大好きだ.
良夫(偽)には帰宅後,日課にしている重要な務めがある.
それは,彼女の話を聞くことである.
なんだ,そんなことか.
そう思うのなら,変わって欲しいと良夫(偽)は思うだろう.
何せ軽く1時間くらい,彼女の話は尽きることがない.
良夫(偽)は必ず,彼女の話に相槌を打たねばならない.
それも,適時・的確・正確性が求められている.
適当に返事しようものなら,彼女はゲキ怒である.
ならば,彼女の話に良夫(偽)は参加しているのだろうか.
それは,否である.
例えば,こんな感じである.
「それでね,山田さんがね――なのよ」
「山田さんって,誰?」
「そんなのはいいのよ,それでね――」
良夫(偽)は彼女の話を聞かねばならない.
山田さんが何処のどいつであろうが,話の内容がさっぱり分からないとしても,
適時・的確・正確に『うん』『そう』『なるほど』『うんうん』等の
相槌を打ち込まなければならない.
良夫(偽)は真剣である.
大好きな彼女のため話を聞くことなど,造作も無いことである.
退屈で寝落ちしそうになり,彼女の逆鱗に触れようとも,
ひたすら彼女に許しをこうのである.
それを格好悪いとか,彼女の言い成りとは思ってはいない.
何故なら,良夫(偽)はそんな些細な事では計れない,器の大きい男であった.
良夫(偽)は仕事中,一心不乱に”マシンガントーク応答アプリ”を作成している.
良夫(偽)にとってそれは最重要任務であった.
これが完成しさえすれば,あの地獄のような……彼女の機嫌がより高まるだろう.
そんな期待と思惑で良夫(偽)はアプリを完成させたのである.
今夜の良夫(偽)は一味違う.余裕の笑みさえ受けべているではないか.
アプリを仕込んだスマホを胸ポケットに隠し,彼女の話に聞き入る.
アプリは設計通りに動作し,適時・的確・正確かつ自動的に相槌を打つ.
彼女の話は終わることなく,上機嫌になった.
しかし,バグがあったようだ.
彼女が何も話していないにも関わらず,相槌を打ち込んでしまった.
二人の間に暫し沈黙の時が流れ,良夫(偽)は生きた心地がしなかった.
その後,彼女は何事も無かったように口を開き…
次の日,良夫(偽)は上半身裸で彼女の話を聞いていた.
隠し事はしない,それが二人の約束である.厳守である.
ズボンまで脱ぐように指示されたが,それだけは死守したようだ.
良夫(偽)は会社でボーとしていた.それは戦意喪失したのではなく,
単に風邪を引いた為のようだ.
帰宅する時には,症状は悪化の一途であった.
辛うじて帰還した良夫(偽)は,速攻でベットに倒れた.
大好きな彼女は,良夫(偽)に優しい.
良夫(偽)を看病し,心配の嵐を巻き起こす程,優しかった.
良夫(偽)は,一時の安らぎを,幸福を感じていたらしい.
今夜は話を聞かなくて済む.そう思っただけで熱が下がりそうだ.
彼女は優しく良夫(偽)に声をかけ続けた.
その優しさに満ちた声の響きに良夫(偽)は感動の涙さえ浮かべるのであった.
ああ,なんて僕は幸せなのだろう.こんなことなら病気になるのも悪くはない.
良夫(偽)は看病してくれる彼女に感謝の言葉を告げた.
「いいのよ,心配しないで.後は私に任せて.それでね――」
彼女の話は,続いた.