第四章
上海、西洋人居留区のとあるバー。
日が落ち暗くなると同時に、欧米人の労働者たちが続々と飲みに集まってきた。サラリーマンにデパートの売り子、馬丁に庭師、軍隊の兵士。お金持ちの下で働く中・下流階級の白人たち。ホテル・ニューワールドと違い、誰もが気兼ねなく大声で笑い、歌ったり踊ったりはしゃいでいる。そんな喧噪に馴染まない浮かぬ顔した女性が一人、カウンターに陣取っていた。
「マスター、ボトルもう一本」
「十本目ですよ、お客さん。いい加減にしてください」
「文句言われる筋合ないわ。お嬢様がいないんだもん」
周囲の乱痴気騒ぎをよそに、ワインを優雅にグラスに注ぎ、淡々と口に運んでいる。若干、口調がくだけているが、その上品な佇まいだけで容易に人を寄せ付けない、いつもの十六夜咲夜である。
主人のレミリアを見失い、すでに一週間が過ぎていた。
人が集まる場所を歩いて地道に聞き込みを続けたが、未だに行方はつかめていない。指名手配をやり過ごすため髪をむりやり黒く染め、エプロンドレスは脱ぎ捨てた。やけになって酒を飲むのは、実に数十年ぶりのこと。すました見た目と裏腹に、すっかり酔いが回っていた。
「ぐすん。ほんとにお嬢様ったら、一体どこへいったのかしら。こんなことになるんなら船に残っとくんだった。あの忌々しいチャイナ・ビッチめ、次に会ったら切り裂いてやるっ」
主人の前では口にしない下品な言葉まで飛び出す始末。そうかと思うとニコニコ笑顔で辺りの客に話しかける。
「あのね。私のお嬢様は、それは立派な吸血鬼なの。いくら見た目が幼いからって人間なんか目じゃないわ。誰かに襲われたりしたら、そいつは必ず痛い目を見て噂が広まるはずなのよ。どうして誰も知らない訳?」
咲夜は黙って答えを待つが、返事は返ってこなかった。いくらにぎわう酒場とはいえ、初めて入ったばかりの店だ。やけになって騒ぐ女性をなぐさめてくれる相手などいない。咲夜はとうとう涙を浮かべ、近くの店員の胸ぐらをつかむ。
「お嬢様はどこなのよっ。隠してないで、教えなさいっ」
大きな声に驚いて周囲の客が離れていく。ちょうど店に駆け込んできた荷役風の男二人が、咲夜に気付いて近づいてきた。
「おい、見ろよ、この女。べろんべろんに酔ってやがる」
「ずいぶんでっかいトランクだ。きっと暇を言い渡されてお国に帰るところだぜ」
カウンターに突っ伏して休憩していた咲夜は、クビと聞くなり体を起こし、二人をキッと睨み付ける。
「失礼、そちらのお二方。クビと言ったのはどっちかしら? 訂正してもらう必要があるわ」
ガラの悪いチンピラたちは、馬鹿丁寧な言葉づかいにお腹を抱えてゲラゲラ笑い、咲夜の両脇に腰かけた。
「女のくせに生意気じゃねえか」
「レディが出入りする場所じゃねえ。帰ってお部屋の掃除でもしてな」
男の一人が手を出すと、咲夜は相手の腕ごとひねってカウンターにたたきつけた。
「うがっ、たたたっ、離せ、このっ」
「ユニオンジャックに錨の入れ墨。ふん、商船の船乗りね。もっと痛めつけてもいいけど生憎、遊んでる暇はないの。とっとと失せろ。ジョンブルの息子」
そのまま床に放り投げ、足で二、三発蹴り飛ばす。見守っていたバーテンダーが慌てて二人に駆け寄った。
「旦那、怪我はないですかい。あちらさん、人を探してまして、ちょいとばかし荒れ気味なんでさ。ほら、例の空を飛んだって噂になった女の子。うそか本当か知らないが、あれのメイドだと言い張るんで」
船員たちは話を聞くと、顔を合わせて笑い出す。
「ハハ、そんなら話が早い。あんたんとこのご主人様なら今頃、ホテル・ニューワールドだ」
「カジノ再開初日からいきなりどでかい当たりを出して、天幇の連中が騒いでる。噂じゃ、勝った二人組のうち一人は空飛ぶ少女だと」
「お嬢様が賭場にですって!?」
咲夜はイスから飛び上がり、血相を変えて出口へ走る。
「姐さん、一杯おごってくれよ」「情報料さ、安いもんだろ」
船乗りたちが懲りもせず冷やかし文句を浴びせていると、手の中に冷たい感触がある。
「あっ、こいつぁ。金貨じゃねえか」
「本物……見るのは初めてだ」
再び出口に視線を戻すと、咲夜の姿はすでになかった。外に飛び出て姿を探す。行き交う人が多すぎて、見つけ出すのは不可能だった。
「ドアが開く音、聞こえたか?」
「いや、ぴくりとも動いちゃいねえ。それよりあれだ、この金貨。一体いつから握ってた?」
二人はごくりとつばを飲み、膝をついて手を組んだ。
「天にまします我らの神よ、願わくば御名をあがめさせたまえ。かのメイドに主のご加護のあらんことを」
常連客たちが二人に気付き、「気が狂った」と笑い出す。金貨は確かに本物で百年も前の代物だったが、鑑定できる人間が場末の酒場にいるはずもない。男たちは必死になって逐一、経緯を説明するが、返ってくるのは失笑ばかり。ペテン師呼ばわりされるのだった。
――少女、賭博遊戯中。
そんな噂が街に広がり咲夜も耳に入れたころ、新世界大酒店、英名ホテル・ニューワールドでは改装を終えたラウンジで、再開を祝うお披露目パーティーが開かれていた。開門直後の夕暮れ時から建物の中に収まりきらず、外の庭まであふれ出た大勢の紳士淑女たち。
「正会員でない方は、本日はご遠慮願いますっ」
一般人まで押し寄せる前代未聞の盛況ぶりに、従業員がてんてこ舞いで右へ左へ駆け回る。
警備の混乱の隙を突き、得体のしれぬ中国人がすっと列に割り込んできた。隙を突くとは聞こえがいいが、朱色に金糸の刺繍が入った目にも鮮やかなチャイナドレスは明らかに周囲から浮いている。すぐかたわらには幼い少女。どうやらこちらは西洋人だが、大人ばかりの会場で人目を引かない訳がない。期間限定でコンビを組んだ、我らが秋霜とレミリアである。
列が正門前まで進むと、秋霜を知るドアマンが二人に気付いて近づいてきた。
「あっ、秋霜さん、なんで今頃。みんなであれだけ探したのに。って、ちょっ、駄目ですっ、通せません」
秋霜は言葉で答える代わりに正拳突きを喰らわせて、相手を素早く気絶させる。庭の植え込みに寝かせると、まるで何事もなかったように笑顔でレミリアの手を取った。
「さ、ここからが本番です。まずはカジノで一勝負して相手に借金を負わせましょう。そしたらやつらは力づくで私たちを殺しにくる。暴れる口実が得られます」
「科学ってのは、いつ見られるの?」
「カジノでたっぷり味わえますよ。なにしろ私じゃ手に負えなくて、正直お手上げだったんです」
従業員への暴行をそばで見ていた西洋人が、大きな声で騒ぎ出す。
「ちょっと、なんなの、あの中国人」
「写真の女だっ、指名手配犯っ」
秋霜たちは知らんぷりして真正面から建物に入る。堂々とした立ち振る舞いに、行く手をあける人の群れ。蝶ネクタイにベストを着込んだ中国人の青年が、二人の前に立ちふさがった。
「これはこれは、レミリア嬢。ようこそ、ホテル・ニューワールドへ。今日はどちらへお出かけですか」
秋霜の手を振り払い、レミリアが前に進み出る。
「あなたがここの係の人間? ルーレットってどこかしら? いっぱい練習してきたの」
青年は笑顔で頷くと、レミリアに手をさしのべる。
「ルーレットの目は気まぐれですが、自由気ままな旅の成否を占うのには良いでしょう。どうぞこちらへ、案内します」
洒落た答えに気を良くし、鼻歌交じりで進むレミリア。コンシェルジュの青年は、途中で秋霜に体を寄せて、なにやら小声で耳打ちする。
「秋霜小姐、ご苦労様です。後は私に任せてください。子供は牢に監禁し、すぐ大哥へ報告します」
秋霜が天幇の人間と知った上での物言いだった。言葉遣いから察するに、秋霜が天幇にいたころは下で働いていたらしい。
「あんた、わざと言ってるの? 私、とっくにお払い箱で、天幇とはなんの関係もないから」
コンシェルジュは「まあまあ」と秋霜をなだめ、続けて訳を話し出す。
「確かに小姐は今回の仕事で約束の期限を守れなかった。あなたがヘマをするなんて、私の知る限り初めてです。だが、この子を連れてきたのは失態を補って余りある、はっきり言ってお手柄だ。遅刻の責任は不問にせよと大哥の指示も出てまして。私の人物台帳では、あなたは今も天幇の若手幹部、筆頭です」
秋霜は激しく首を振り、「分かってないね」とため息をつく。
「手のひら返して襲いかかるのがいつもの天幇のやり方じゃない。痛い目見るのはごめんだわ。第一、あの子は自分の意思でここに遊びに来ただけで、天幇なんて眼中にない。うまく利用しようだなんて皮算用はやめなさい。私だって手に負えないし、あとは高飛びするだよ」
「ここから一歩先に進めば、もう後戻りできません。いいんですか。本当に」
「ええ、元からそのつもり。さっさと案内してちょうだい」
コンシェルジュは匙を投げ、先頭に立って歩き出す。
カジノホールの建物は、千人以上の人間が入る吹き抜けの空間になっていた。光をキラキラ反射するクリスタル製の電灯がペルシャ織りの絨毯を照らし、ごった返す客の熱気がむんむん肌に伝わってくる。バカラ、サイコロ、ブラックジャック……ずらりと並ぶゲームテーブル。中でも一番人気なのが、中央にあるルーレットだった。赤か黒かを予想する倍率の低い賭け方から、一つきりの数字を当てる難易度の高い賭け方までバリエーションがたくさんある。初心者もプロも楽しめる間口の広さが魅力だった。何より大きな当たりを出せば、ホール中の大観衆から一度に熱い注目を浴び、誰もが上海社交界の主人公になることができる。
レミリアと秋霜のお目当ても、もちろん中央のルーレット。
コンシェルジュの青年は、二人を台にほど近いVIP席に案内する。奇襲攻撃を警戒していた秋霜にすれば拍子抜けだが、どうやらカジノで合法的に二人を負かしたいらしい。巨額の負債を負わせれば、現金を返済させる代わりにレミリアの力を利用できると計算しているらしかった。
背筋をひときわピンと伸ばした中国人のディーラーが、二人にベット(賭け)を促してくる。秋霜がレミリアにささやいた。
「ルールはこの前、話した通り。まずは私を見ていてください」
「はぁ? やるのはあたしでしょ」
血相を変えて怒るレミリア。
「人間のくせに指図するなんて百万年早いムグググゥ」
秋霜はレミリアの頭を抱き寄せ、むりやり胸に押しつけた。ジタバタするのも構わずに「赤に十枚」と宣言する。
お尋ね者の登場に、西洋人の先客たちは一瞬、眉をひそめたものの、すぐ平静を装って思い思いにチップを賭ける。男性客が咳払いして、秋霜たちの側にいるコンシェルジュを呼びつけた。
「おい、ちょっと。そこの君。何だね、その薄汚い女。いつからただの中国人が遊べるようになったんだ」
コンシェルジュは駆け寄って詳しい事情を説明する。
「これはこれは、ジェームズ卿。ご挨拶もせず失礼しました。彼女はうちの従業員です。あちらにお見えのスカーレット嬢の付き添いでして。フランスから遊学中で、なにぶん不慣れなものですから。特別に人を付けております」
嘘八百を並べ立て、どうにかその場を丸く収める。誰もがほっとした次の瞬間、秋霜がすくと立ち上がり、男性客を指さした。
「ちょっと、そこの外人さん。つまみ出されるべきなのは、私じゃなくてあんたの方よ。一体全体、いつになったらここから出てってくれるのかしら。阿片で銀を搾り取り、中国人の心を蝕む。百害あって一利なし。搾取されてきた分を今日、このカジノで返してもらうわ」
勇猛果敢、というよりも挑発に近い宣戦布告。紳士は顔を紅潮させて、目の前のテーブルをドンッと叩く。
「ぐぬぅ、この洗濯屋。たかが小娘の分際で私に恥をかかせやがって。黒だ、黒に十枚賭けろ」
場の雰囲気がこれ以上悪くなるのを避けようと、ディーラーが急いで盤を回す。すかさず玉を投げ入れた。カタカタ乾いた音をたて、勢いよく回るルーレット。盤に書かれた番号が読み取れるほどゆっくりになり、玉がコトリとポケットに落ちた。
「赤、赤の十四です」
ディーラーの告げた番号に、ギャラリーから「おおっ……」とどよめきが起きる。紳士のチップが回収されて、勝った秋霜の手元には倍のチップが返ってくる。
「ふふ、カモにされているのにも気付かず。初心者ってかわいそう」
秋霜の容赦ない一言に、紳士はボーイを呼びつけて何やら指示を出している。ボーイは奥の控室から白いチップを持ってきた。一枚が庶民の稼ぎ一年分にも相当する高価なVIP専用チップ。ディーラーがその場の全員によく見えるようかざしてみせた。
「ただいまレートの変更についてご提案がありました。今後、お賭けになる際は最低でも白のチップ一枚からにしたいとのこと。みなさま、ご異議ありませんか」
特に反対の声も挙がらず、レート変更が承認される。
「私たちは構わんが、中国人のお嬢さんにはそんな大金、払えるのかな? 私は三十三番で勝負だ。うむ、三十枚賭けてくれ」
紳士が満面の笑みを浮かべて白のチップを積み上げた。黙って見ていた秋霜は、巾着袋をふところから出し、ドスンと台の上に置く。
「持ち合わせならこっちもあるわ。白のチップ三十枚、サシウマ勝負でいきましょう」
ディーラーが袋の口をほどくと、銀貨がじゃらじゃらこぼれてきた。見守っていたギャラリーたちから「おおっ」と驚きの声が上がる。
「どうした? なんで騒いでんだ?」
「中国人の小娘が、もの凄い額を賭けたんだ」
「しかも相手はジェームズ卿。こりゃあ久々の大勝負だぜ」
騒ぎを聞いたよその客までルーレット台に集まってくる。秋霜と紳士、どちらが勝つか賭ける者まで出る始末。ホール中のすべての視線が二人の勝負にくぎ付けになる。
秋霜はチップを受け取ると、ルーレット台のマスに書かれた数字をいくつか見て回り、盤を回すよう促した。ボールが目にもとまらぬ速さで周り、ベットが締め切られる直前。
「十六番に賭けてちょうだい。白のチップ三十枚」
秋霜が賭けたポケットは、紳士が賭けた番号の隣り。玉がどちらに落ちるかは、ほんのわずかな差でしかない。ホール中の人間が固唾をのんで見守る中、玉は緩やかに速度を落とし、秋霜の賭けたポケットに落ちた。
どっと建物にこだまする声。
一目賭けは三十六倍。勝った秋霜の手元にはチップがうず高く積み上がる。負けた紳士は頭を抱え、ボーイのえり首を引き寄せた。
「貴様、一体どういうつもりだ。勝たせる約束だっただろう」
「お言葉ですが、ジェームズ卿。合図はちゃんと送ってます。しくじるはずがありません」
紳士が中央に目をやると、視線の合ったディーラーも自分じゃないと首を振る。
「あら、今度は仲間割れ? なにか仕掛けでもあるのかしらね」
秋霜がわざと聞こえるように大きな声で挑発する。一度に財産をなくした紳士はもはや言い返す余裕すら無く、負けた分を取り戻そうと必死になって盤上をにらむ。高配当が期待できる数字にばかりチップを賭けるが、勝利の女神は最後まで紳士に微笑むことはなかった。
一方、勝った秋霜は赤か黒か二択しかないリスクの低い賭けに徹して手堅くチップを稼いでいく。とうとう、見かねたディーラーが一時中断を宣言し、緊張感の解けたホールに元の喧噪が戻ってくる。黙って見ていたレミリアが秋霜のもとに駆け寄って、すぐさま尻を蹴り飛ばす。
「聞いていたのと話が違うっ。私がいる意味あるのかしら」
「イタッ。痛いっ、ちょっと待って。今のはほんの前座です。ここから先が難しくって、私じゃ手も足も出ないんです」
「そもそも、全然楽勝じゃない。二人で練習した時は勝ったり負けたりしてたのに」
秋霜は「でしょ?」と満面の笑みで勝利の秘密を打ち明ける。
「実を言うとあの男、従業員と一緒になって反則行為をしてたんです。ルーレット盤の裏側に、もう一つ別の盤があって、表と裏の盤の数字がぴったり重なり合うんです。男は、自分が出したい数字を秘密のサインでディーラーに送る。ディーラーは袖に隠した磁石を裏側の盤のマス目に入れる。玉には鉄が仕込んであって、引き寄せられる仕組みです。昨晩こっそり忍び込み、表と裏のルーレット盤を一マス分だけずらしました。論より証拠、まぁ見てください」
盤を抱えて左右に振ると磁石がポトリと落ちてきた。一部始終を見ていた客から、ああっと驚きの声が上がる。
「ちょっと、何これ。イカサマじゃない」
「今までずっと騙してたのか」
従業員が一列に並び、怒った群衆を食い止める。グラスや酒瓶が投げ込まれ、女性客が悲鳴を上げてルーレットから離れていく。
「あなたが言ってた科学の力って、もしかして今の茶番のこと? 遊びに付き合う時間はないわ」
レミリアも客と一緒になって、ホールの出口へ歩き出す。秋霜がわざと明るい声で小さな背中に呼びかけた。
「あ、レミリアさん。来ましたよ。噂をすればなんとやら。やっと本丸のお出ましです」
暴れる客が手を止めて、思わずレミリアも振り返る。ルーレット台のすぐ向こう、スタッフルームの出入り口から一人の老人が現れた。床に落ちた磁石に気付き、愉快そうに笑い出す。
「フォッ、フォッ、ずいぶん派手にやったの」
「ルールなら、ちゃんと守ってるわ」
秋霜はルーレット台に腰掛け、肩をすくめて言葉を返す。
「ふむ、確かに違いない。だが、お前さんの勝ち方は、ちっとばかしやりすぎじゃ。これまでのことは水に流そう。つべこべ言わず戻ってこい」
秋霜は自分の顔が描かれた指名手配の張り紙を大哥に向かって突き出した。
「昨日もおとといもその前も天幇の刺客に襲われて。ふん捕まえて話を聞いたら、私はクビになったんだって」
大哥は険しい表情で、じっと秋霜を見詰めている。
「仮に私が戻っても、ほとぼとりが冷めた頃には殺されちゃうに決まってる。それが天幇のやり方だもの。おめおめやられるくらいなら、さっさとここから出ていくわ」
チップの山を差し出して換金しろと迫る秋霜。大哥は首を横に振り、周りの部下に合図する。
「それなら、ひとつ試してみるかね? 儂はそれでもかまわんが」
武器を持った男たちが一歩、前へ進み出る。互いに相手を牽制し、にらみ合って動けない。
「もうっ、どっちもゴチャゴチャうるさい」
突然、レミリアが口を開いた。あっけにとられる二人に向かって「私も早くルーレットっ」と大きな声で騒ぎ出す。
「あの、レミリアさん落ち着いて。後でちゃんと遊べますから」
なだめる秋霜の言うことも聞かず、近くのボーイを呼びつけた。
「このいす、背が低すぎて盤の数字が見えないわ。他のやつを持ってきて」
有無を言わさぬ視線に気圧され、ボーイが慌てて取りに行く。子供用と思しきイスに「よっこらしょ」とよじ登り、満足そうに頷くレミリア。
「うん、これならいくらかマシね。お金は倍にしてあげるから、秋霜はそこから見てなさい」
大哥が部下に下がれと命じ、一歩前へ進み出た。しばしレミリアと視線をかわす。
「見た目はただの子供じゃが、振る舞い方は暴君のそれ。おまけに長年経験を積んだ老人のような貫禄もある。空を飛んだ噂話も、あながち嘘ではあるまいて。わしが直接、相手しよう」
話しかけられたレミリアは、動物園のオリに入った小動物でも見るように大哥をひとしきり観察し、フンと小さく鼻を鳴らす。
「あなたがここで一番偉いの? 年寄りなのに? 変わってる」
退屈そうに顔をしかめて、ぷいっとそっぽ向いてしまう。大哥は髭に手をあてて困ったのうと苦笑いした。
「こりゃまた、ずいぶんと嫌われたもんじゃ。しかし、どんな博打でもふたを開けてみるまでは勝負の行方は予測できん。試す価値くらいあるじゃろう。さっきと同じサシウマでどうかな? 相手の予想が当たったときは、胴元の支払いを肩代わりする。先にタネ銭が切れたら負けじゃ」
「そんなことはいいからさ、早く回して遊びましょう」
人差し指をくるくる回し、無邪気な笑顔を浮かべるレミリア。
「でなきゃあんたの首が飛ぶ。血のパーティーは嫌いでしょう?」
ククク、と不敵に笑ってる。大哥もフォ、フォと笑みを浮かべ、一歩も譲る気配がない。
二人が火花を散らす間にルーレット盤が置き換わり、ビンや灰皿も片付けられた。さっきと別のディーラーが二人にゲームの開始を告げる。
「わたし赤っ。赤がいいっ」
レミリアがすぐに声を挙げ、チップをつまんで差し出した。大哥はレミリアと正反対、黒の数字に一枚賭ける。結果は赤の三十番。レミリアの高らかな歓声が響く。
「キャハハッ、言った通りでしょ。これはほんのあいさつ代わり。地獄を見るのはこれからよ」
ボールはその後も言葉通り、レミリアの賭けたマス目に落ちる。彼女が赤と言えば赤、彼女が黒と言えば黒。手品のような芸当を固唾を飲んで見守るギャラリー。五回、十回と重ねるうちに大哥のチップはみるみる減って、とうとう「待った」の声が飛ぶ。
「いやはや、ここまで百発百中。これでは勝負にならんわい」
レミリアは台に肘をつき、両手を組んでクスクス笑う。
「ルーレット盤とお話ししてね、お友達になったのよ」
ねー、と盤に話しかけ、「次も赤が出るんだって」と隣の秋霜に指示を出す。
「次の賭けが当たったら大哥のチップが底をつく。私たちの勝利です」
特に興奮するでもなく、事実を淡々と伝える秋霜。追い詰められた大哥は、それでも余裕しゃくしゃくで「慌てなさんな」と呼びかける。
「やられっぱなしじゃつまらんからの。おい、あれを持ってこい」
大哥が部下に指示すると、乳母車ほどの台車に載った鉄の機械が運ばれてきた。バネや歯車がむき出しで、小型ボイラーが付いている。
「秋霜は見たことあるはずじゃ。カジノでこいつを使うのは、お前との勝負以来じゃからのう」
大哥が機械のつまみを回すと白い蒸気が噴き出した。
「プシュッ」「カシャ、カシャ」「チ、チ、チ、チ、チ」
歯車同士のかみ合う音が規則正しくリズムを刻み、ペースが徐々に速くなる。秋霜が注意を促した。
「蒸気の力で歯車を回す算盤器って機械です。現代科学の粋を集めた叡智の結晶なんだとか。出る確率が高いマス目をあっという間に計算し、前に勝負した時はほんとに百発百中でした」
大哥がいくつもボタンを押して、最後にレバーをガシャッと下げる。
「パタパタパタパタ」「チン、チン、チン」
色と数字の書かれたカードが音を立てて回転し、演算終了のベルが鳴る。大哥は表示板を見て、最後に一枚残ったチップを黒の二十六番に賭けた。レミリアは再び赤にベット。盤を囲むギャラリーたちは、大哥の敗北をこの目で見ようと固唾を飲んで見守っている。ルーレット盤が動き出し、解き放たれた白いボールがみなの視線を釘付けにする。玉はいつまでも回転し、このまま永遠に続くのか、と誰もが心配し始めたころ大哥の賭けたマス目に落ちた。
「ジーザス」「奇跡だ、信じられん」
ギャラリーたちから歓声が起きる。
「うむ、寸分も狂いなし。科学というのは便利なもんじゃ」
大哥は再び機械を操作し、次に出る目を計算させる。レミリアは玉に顔を近づけ、何やらひそひそささやきはじめた。
「今の失敗は許してあげる。今度は黒に落ちるのよ。後でご褒美あげるから、黙って言うこと聞きなさい」
秋霜は顔をしかめながらも、言われた通りにチップを賭けた。盤が回り始めると、レミリアは身を乗り出して子供のように声援を送る。
「ほら、ガンバレ。黒だっ、黒っ」
玉は不規則にフラつきながら、黒のマス目に転がっていく。
「よしっ」
レミリアが叫んだ瞬間、玉はポンっと高く跳ね、隣の赤のマス目に落ちた。よりによってまたしても、大哥が賭けた番号だ。
「うう~」
レミリアは機嫌を損ねて、秋霜が呼んでも返事もしない。ボールに向かって説教し、猫なで声でなだめすかすが、何度やっても結果は同じ。見かねた秋霜が大哥に、イチかバチかで抗議した。
「あんた、イカサマしてるでしょ。毎回、数字ばかりに賭けて一度も外さないなんて」
大哥は証拠がないのを見透かし、フォッ、フォッと笑って煙に巻く。
「お前もよく知っとるように、一つの目が出る確率は理論的にはどれも同じじゃ。だが現実の世界では、盤の軸がわずかに傾き、玉が転がる軌道には目には見えない凸凹がある。小さな誤差が積み重なって、出る目に偏りが生じるんじゃ。こいつは蒸気で歯車を動かし、過去の膨大な記録からその偏りを弾き出す。十桁同士のかけ算だって一分足らずで答えが出る。どんな力があるか知らんが、その子じゃ太刀打ちできんだろう」
追いつめられた秋霜はレミリアの肩を激しく揺する。
「なりふり構っていられません。何か手はないんですか。こっちも数字を予言するとか、相手の機械をおかしくするとか」
「玉がどこに落ちるかなんて、そんなのただの運じゃない」
秋霜は「はい?」と聞き返し、へなへなその場に膝をつく。
「ちょっと待った。待ってください。さっきまでは赤と言ったら、ちゃんと赤が出てたじゃない。あれはどういうことなのよ」
つかまれて出来たドレスのしわを両手で丹念に直してから、レミリアは秋霜の質問に答える。
「あれは運が良かっただけ。ただの偶然、たまたまよ。未来を書き換えられるだなんて、一言も言った覚えはないわ。さて、次はどっちかな♪」
レミリアの答えにあ然とし、その場に座り込む秋霜。すぐにハッと我に返って台の上のチップをつかむ。
「残念ですけどレミリアさん、チップは残り一枚です。もう、次なんてありませんから、最後は私がベットします」
レミリアの目がキラリと光り、一瞬、目にも止まらぬ速さで秋霜の手からチップを奪う。そのまま脇をすり抜けて赤のマス目にベットした。チップは一度、台に置いたら、ルールで二度と取り戻せない。「待った」と叫ぶ秋霜を尻目にルーレット盤が回り出し、玉は無情にも黒に落ちた。
「なんで勝手に賭けたのよ。これで計画は台無しだ」
頭を抱えて怒鳴る秋霜。さすがのレミリアも圧倒されて、ばつが悪そうに下を向く。
「何よ、そんなに怒んなくても。赤に来るってピンと来たから赤に賭けただけじゃない」
口ゲンカする二人を見ていたギャラリーたちが笑い出す。
「どうやら勝負は付いたようじゃな」
大哥が近くの部下たちに、「捕まえろ」と指示を出す。男たちに囲まれて体を寄せ合う秋霜とレミリア。絶体絶命のピンチの最中、秋霜が「ん?」と声を出す。
「この感触は何ですか?」
レミリアの服の裏側に、薄くて固い物体が糸できつく縫いつけてある。秋霜は嫌がるレミリアを押さえ、布地を破いてまさぐった。キラリと光る金貨が一枚。相当古い骨董品だが、無一文の二人にとっては起死回生の価値がある。
「きっと咲夜が縫いつけたんだ。あの娘、心配性なのよ」
過保護だわ、と憤慨しながら、なけなしの一枚を秋霜に渡す。
「赤の一番に賭けてみて」
「それって見込みはあるんでしょうね」
秋霜は疑り深そうに一番を選んだ根拠をただす。レミリアは「さあ」とはぐらかし、それから取って付けたようにさばさばとした口調で話す。
「私は赤が大好きだし、どんなときでも一番じゃなきゃ我慢できない性格なのよ……これくらいでどうかしら」
秋霜は一瞬、考えてから「信じられない」と首を振る。
「子供の遊びに付き合ってらんない。やっぱり、私が一人で決める」
レミリアは冷ややかに肩をすくめ、どちらか選ぶよう迫る。
「したいようにすればいい。あなたの自由、好きになさい」
秋霜はこれまでレミリアが見せた不思議の数々を思い出す。マッチの炎も集団催眠も自分自身で確かめた、紛う事なき真実だった。だが、今、カジノのゲームでは無力な姿をさらけ出すただの幼い子供でしかない。どちらが本当のレミリアなのか。
(終始一貫してるのは、この飄々とした図々しさ。憎らしいほどの存在感。過剰なまでの自信こそ、この子の本質を現している。常に一人で好きに考え、好きなように行動する。自分で意識しようがしまいが、この子は常に何者からも脅かされない存在なんだ。だから、きっと何をしたって、ぜったい悪いようにはならない。)
(もし、赤の一番が出なくて私が死ぬことになったって、彼女にとっては遊びでしかない。それでも彼女は生き残るはず。だって、それがルールだもの。彼女の運に巻き込まれれば、あるいは光が見えるかもしれない。)
秋霜はレミリアにチップを渡して、「忘れていたわ」と微笑んだ。
「私はあなたと出会ったときに、あなたにベットしてたのね。それでダメならお手上げだもの。ディーラー、赤の一番に賭けて」
「赤の一番でよろしいですね」
ディーラーからの念押しに、黙って大きく頷く秋霜。大哥が珍しく口を挟む。
「どうした、お前らしくもない。使えなければ見切りをつける。あれほど冷酷無比で鳴らしたうちの若手筆頭も、一度落ち目になってしまえばこうもままならないものか」
残念そうにため息をつき、自分のチップをディーラーに渡す。賭けたポケットは黒の三十三。秋霜たちがベットした赤の一番の隣りだった。
「これはさっきジェームズ卿が恥をかかされたお返しじゃ。隣り合った二つの数字。どちらが勝者にふさわしいのか、太上老君に裁いてもらおう。さあ、盤を回すんじゃ」
ディーラーが腕に力を込めてルーレット盤を押し出した。空気が重たく感じられ、玉が盤を転がる音がやけに大きく耳につく。分水嶺まであと少し。秋霜とレミリアの運命は同じ軌道を描くのか。
突然、ホールの灯りが消えた。
「キャアッ」と女性の悲鳴があがり、人がばたばた倒れる音。暗闇は数十秒間続き、ようやく石油のランプが灯る。安堵した客のざわめきに混じり、「ああっ」と大きな声が飛ぶ。
「赤……赤の一番だ」
ディーラーが震える指先で玉の入ったマス目を指した。大哥も台に手をついて盤の中をのぞき込む。
「……そんな馬鹿な。あり得ない。物理法則に従えばこんなことは起きないはずじゃ」
周りの人間に怒鳴り散らして両手で盤をひっくり返す。台の中をのぞいた部下が、慌てて大哥に報告する。
「銅線の束が焼き切れています。それで停電したのでは」
「くそっ。技師たちは何をしとる。よりによってこんなときに」
大哥は「もういい」と部下に手を振り、レミリアと秋霜を凝視する。
「これが奇跡というやつか。ふん、なるほど。大したもんじゃ。しかし、所詮カジノなぞ金持ちの遊び、道楽に過ぎん。最後に物を言うのは力じゃ」
カジノホールの正面ドアから西洋式の制服を着た傭兵部隊が入ってきた。何十丁ものライフルがレミリアたちに狙いをつける。
「どれだけ負けても関係ない。死んでしまえばすべて終わりじゃ」
「タン、タタン、タン」
耳をつんざく轟音とともに銃口が一斉に火を噴いた。秋霜はレミリアの体に飛びつきルーレット台の陰に隠れる。
「ほら、言ったとおりでしょ。やっぱり赤の一番だった」
レミリアは秋霜の腕の中で満面の笑みを浮かべてる。
「こんなときに悠長な……勝って先手を打つはずが、これじゃ最悪の展開よ。ひとまずどこかに隠れなきゃ」
秋霜は台を蹴破って穴の中をのぞき込む。さきほどボーイが話した通り、途中でちぎれた銅線が地下の奥まで伸びていた。コイルを束ねた電気磁石。あとの仕組みはさっきと同じ。蒸気を噴き出す巨大な機械はただの小道具に過ぎなかった。
「やっぱりイカサマしてたのね。だけどおかげで助かるわ。この電線をたどっていけば、一気に底まで行けるはず」
レミリアを穴に突き落とし、続けて自分も飛び降りた。




