ペシミスティックなヒーロー像
「昔、ゲームを作るソフトでふざけて敵に『逃げる、隠れる、自爆する』のみしかコマンドを設定しなかったことがあってな」
ある日、社会人になったばかりの兄がそんなことを言い出した。
そういえばそんなこともあったね。そう思いながら私は今読んでいる本に視線を落とす。
「見事に一瞬で自殺する敵が出来たんだ。今思うと残酷だった」
「昔のことでしょ」
RPGの主人公はたくさんの敵を瞬殺しながらラスボスまで向かうのに、何をいまさら敵に同情しているんだか。
私はため息をつく。兄の独白はしばらく続きそうだった。
「その敵は臆病だから逃げたり隠れたり自爆したりしてたのかな」
私は兄のセンシティブな独白に付き合わない。
「そいつはもしかしたら戦えるほど体が強くなかったんじゃないだろうか」
スライムだって戦ってる世界で何を言ってるんだ。
「逃げも隠れもしなかったら自爆しか選択肢がなかったとしたらあいつどうやったら生きていけたんだ」
知らない。
「なあ」
兄に答えを要求されるように呼ばれて、私は少しだけ顔を上げる。
「他人ごとだと思ってるだろ」
「あんたが戯れに命を吹き込んだRPGのモンスターのことを憂いてる間に私は3ページ読めたんだけど」
「俺さ、あの敵は今の俺なんじゃないかなって思う」
私はやっと本題に入った兄の感傷的な言葉に口をつぐむ。
「中学生の頃、俺はそいつのことを馬鹿だな。俺ならもうちょっと賢く戦えるのにって、自分で追い詰めといて笑ってた」
「感傷的になるのもいいけどさ、」
色々事情があって、戦えないこともあるだろう。
武器になるスキルや学力、体力が足りないと感じることも。兄がそういう準備を怠ったとは言わないが、それでも風向きが強いこのご時世だ。
「魔王が悪い、モンスターには心なんてないって思ったほうがずっと楽なんだよ。世の中が悪い、政治家が悪いって言っといたほうがずっと楽なの。そう言って自分の出来ることをやらない奴は馬鹿だって言う人たちは、他人のせいにすることでその人たちがとってるバランスがわかってないんだ。わからないで馬鹿にするな。『逃げる、隠れる、自爆する』モンスターに同情してもいいし馬鹿にしてもいい。あいつは俺だって思うのも自由ですよー。だけど、それで身動きとれなくなってるのは誰だろうね?」
私は皮肉をたっぷりこめてもう一度言った。
「魔王が悪いって言ってるモブたちと、敵に同情して先に進めなくなった主人公と何が違うっていうの?」
今度は兄が何も答えなかった。
私は兄を攻撃することに優越感を感じながらさらにもう一撃加えた。
「人生は進み続けるしかないんだよ。戦えなくても、逃げても隠れてもいいけれど結局ゲームオーバーがくるまでずっと何かが襲ってくるんだから」
「由香」
調子に乗って早口で言う私に、兄はもう一度言った。
「賢く考えても、馬鹿な行動するのが俺で、お前だ。他の奴らもきっとそう。賢いと思うなよ、自分のことをさ」
私は社会人の兄の苦労なんてわかりたくもなかった。
自分がそうだからって私までそうなるって言わないでほしかった。
私が馬鹿なのか賢いのか、兄のものさしで決めてほしくないと思った。
私の愚かさも賢さも、青春や若さなんて言葉でばっさり切り捨ててほしくなかった。
心底ふざけるなと思った。
「ふてくされてればいい。私は逃げて隠れて自爆するだけのモンスターになったって生き延びてやる。あんたが自爆するしかない環境でも生きてやる」
あかんべをしてやるも、兄の表情はイラつきもせずに諦めたものに変わっていた。
社会人と学生は理解しあえない。
それは大人の理解してほしいってわがままだ。
私は理解しない。
私は世の中が悪いと言い続ける。
誰が私たちのヒーロー像を壊した? あんたたちだ。
大人たちの葛藤と迷いが私たちのヒーローを殺した。
私は大人になるまで一切そんなもの知りたくないの。
ほっといて。