第四話 杉原
彼女の到着する列車を待って、駅に車を着けた。今回は週末すべてをこちらで過ごす予定で、少しずつ届いている彼女の荷物を一緒に片づけることになるだろう。親父も喜んでいるし、何よりも自分が心待ちにしている。多分死んだお袋も、家に女が入ることで安心してくれるんじゃないかな。リフォームした家は二世帯仕様だけど、あんまり意味はなかったな。そう希望したお袋が、新しいキッチンを使うことはなかった。
梓に会っていたら、お袋は彼女を気に入ったろうか?男社会で生き抜いてきた仕事のスキルは、お袋には魅力じゃなかったろう。けれど彼女の控えめな外観は気に入ったはずだ。そうだろ、お袋。都会で働くお嬢さんなのに派手派手しいところがないわね、なんて言ったと思う。
まあ、彼女の実家はこっちだしね。まさか高校の同窓生と、今になってから結婚するとは思わなかった。卒業十年目の同窓会は、それなりの成果があったわけだ。
「もう二、三年で戻ってくる。継いでくれとは言われなかったけど、私はそのつもりだったし」
同窓会の席で、梓はそう言った。高校生のころにはただのクラスメイトだったし、その後も連絡なんて取っていなかった。女の子は半分くらい結婚していて、残りのうちの半分は都会に出ているくらいの年齢だ。都会からはそんなに遠くはなくとも交通の便の少ないここは、結構なド田舎だ。観光地としての賑わいは少しだけ遠くて、けれど人間の生活はある。梓の家は設備工事が専門らしく、時々町で『立花設備』のバンを見かけた。
「継ぐったって、現場監督とかするわけ?」
「それは職人さんに任せる。そっちだって一緒でしょ、工務店の息子さん」
そんな会話で一気に親しくなって、梓が帰省すると会うようになった。
「来年か再来年には、実家に帰ろうかなって。そうしたら杉原工務店に営業かけようかな。一般住宅の配管から電気配線までセットで」
「会社まとめちゃえば、金払わなくても済むよな。経費の節約で、結婚しちゃおうか」
「いい考えね、それ。よし、結婚しちゃおう」
冗談みたいなやりとりが本当になったのは、俺も梓もそんな年齢であることが、大きかったのかも知れない。お袋は数年前に他界していて、親父と二人の生活には張りがなかった。結婚しない気はさらさらなかったが、いかんせん出会いは少なくて、気がつけば三十になろうとしていた。
恋人としての梓は可愛い女で、再会したときに感じた都会風は一緒に行動していると少しずつ剥がれてくる。一人の生活が長いせいか、料理も掃除もごくごく一般的にはこなすことができるし、近所付き合いも卒がなさそうだ。何も問題なんてない、穏やかな生活のはじまる予感がする。
都会の第一線で働いていた人間が、今頃になって田舎の跡継ぎで戻って来たいものだろうか?自分ならきっと戻って来なかったと思う。演歌じゃないけど、都会生活に疲れた女が癒しを求めて故郷へ、なんてね。
いや、そんな女じゃないな。常識的で柔軟性のある女だと思う。俺にとって過分はあるが、不足はない。格別な美人ではないが感じの良い容姿で、育ちも普通で。
ただね、時々思うことはある。生まれ育った土地で、土地の女と結婚して、死ぬまで土着して生きるのかと。家の仕事を受け継ぎ、波風の立たぬ人生を送ることは、本当に幸福であるのかと。
彼女が駅の改札を抜け、俺を見つけて笑顔で手を振る。うん、きっと幸福なんだろう。可もなく不可もなく生きていくことを、人は幸福と呼ぶのだろう。少なくとも彼女は、妥協の産物じゃない。結婚してもいい、結婚したいと思ったからこそ結婚するのだ。
「晩ご飯何?おなかすいた!」
笑顔で車に乗り込む彼女を、やはり笑顔で迎える。
「カレー。親父が作った」
「またカレー?あんたたち親子って、週に何回カレー食べてるの?」
「一回作ると三日食べ続けだ。明日は梓が作ってくれるんだろ?」
笑いながら帰途につく。