トトトツーツーツートトト……
目がさめた。緒里の部屋で、彼女が小さいころに使っていたという毛布を、ツギハギの服か何かのようにして体を覆っている。二階で東側なので、日当たりがいい。カーテンは開いている。
「まぶしい」
「へ?」
「ひかり。……まぶしい。」
「ああーっと……顔洗ってきたら?」
寝ぼけまなこをスッキリさせて来い、という意味らしい。カーテンを閉め切るよりはよほど健康的だろう。従うことにする。
言語野を「切り捨て」たのは、あまり良い決断ではなかったようだ。昨日、何とかしてこの家に転がり込んだが、あの少年ともしばしば意思疎通に齟齬をきたした。
帰るまで、「調整」は不可能。〈片親〉には
「だからあれほど極振りは止めろと言ったのに」
といつもの様に言われそうだが、帰れるかどうかが問題、というのが現状だ。
「きょう、よる」
今夜、と言いたいのに。
「今日の夜がどうしたの?」
「いおりと、かずと。きょうこも、あぶない」
「えーと、私と、お兄ちゃんと、お母さんが?」
頷く。普通の子どもは、「親」というものを二つ(ふたり?)持っているらしいが、もうひとりはどうしたのだろう?
あとで「考えて」みることにする。今は体調が万全ではない。とりあえず、朝食だ。
「あ……あのさ」
味噌汁が熱いのでふーふー吹いて冷ましていたら、緒里がおずおずと訊ねてきた。
「名前、まだ教えてもらってないけど」
「あー……」
その問題があった。
不特定多数が集住する社会では、三人称の設定が不可欠になる。それは二人称としても機能するから、緒里の質問は当然といえる。誰かを呼ぶときに個人を特定できないと、少々不便だ。
<片親>には、「言葉」の実践プログラムの一貫として「自分の命名」コマンドを与えられていたが、プログラム中の膨大な読書と会話の後も、名前は決まらずにいた。興味が無かったせいでもあるだろう。<片親>の祖国であるこの群島に来るまでは、一人称と二人称しか必要なかったのだから。「わたし」と、「あなた」だけ。<孤島>には他にも人がいたが、それぞれ既に名前を持っていた。「名無し」であるというだけで区別はできたので、周りに何人いようが、やはり名前は要らなかった。
そんな訳で、少女の緒里に対する答えは
「わたしのなまえは」
「うん」
「いっぱいあってな」
「懐かしいなそのネタ!」
通じたらしい。読書は役に立つ。この反応を「突っ込み」ということも、本で知った。