Dream.29 許されぬ邂逅 〈3〉
「硝子?」
「……宵」
現れた硝子のいつもとは異なる様子に戸惑う灯子と、その灯子の横でそっと眉をひそめる朝海。朝海にはその場に現れた硝子が本来の硝子ではないことが、すぐに理解出来た。
「どうした、宵。わざわざ俺に、その強大な夜力を届けにでも来てくれたのか?」
硝子の出現に一度は動揺を見せた朔十であったが、すぐに余裕の笑みを浮かべて硝子へと問いかけを向ける。
「いいタイミングだ。さぁ、その夜力をすべて、俺が貰い受けよう」
朔十が硝子の夜力を吸収すべく右手を突き出す。だが、硝子の纏った強大な夜力はまったく揺らぎを見せず、朔十の方へと流れ込む様子を見せなかった。吸い込むことの出来ない夜力に、朔十が表情を曇らせる。
「何故」
朔十が戸惑いの声を漏らす中、大きく翼をはためかせ体の向きを変えた硝子が、まっすぐに朝海のすぐ前の地面へと降り立つ。
「硝子っ」
降下して来た硝子に灯子が呼びかけるが、硝子はまったく反応を示さず、ただまっすぐに朝海を見つめるだけであった。その様子に、灯子が何かを察したように険しい表情を見せる。
ゆっくりと歩を進め、朝海との距離を縮めていく硝子。そんな硝子を阻むように、灯子が朝海の前に身を乗り出した。
「灯子」
「こいつは硝子じゃない。お前に危害を加える気なら、私の敵だ」
驚いた様子で呼びかける朝海に答え、灯子が力強く硝子を睨みつける。だが硝子はそんな灯子の様子などまったく気にせず歩みを進め、灯子をそっと横に押し退けて朝海の前に立った。
「青は?」
小さく膝を折り、座り込んだままの朝海と視線の高さを揃えて、硝子が短く朝海に問う。
「もう、居ない」
少し苦しげな表情で、朝海が硝子に答えを返す。
「……そう」
頷いた硝子が、どこか悲しげに顔を俯ける。
「でも、いつかはきっと逢える」
俯いた硝子へと、朝海が静かに言葉を向けた。その声に反応するように、再びゆっくりと顔を上げる硝子。
「この夜が明ければ、いつかの朝に、きっと」
願うような朝海の言葉に、硝子がそっと目を細める。
「そう」
再び頷いた硝子が、穏やかな笑みを見せる。その笑みは、今までの表情に比べればずっと本来の硝子を感じ取らせる笑みであった。
「じゃあ、この夜を終わらせないと」
「ああ」
硝子の言葉に、しっかりと頷きを返す朝海。朝海の答えを聞いた硝子が、黒く染められてしまった朝海の額の日の出の印へとゆっくりと右手を伸ばす。
「無駄だ。月の出の獏に、日の出の印を復活させることなど出来るはずがないっ」
朝海と硝子の様子を、余裕の笑みで見つめる朔十。
「いつか出逢える、約束の朝に」
「ああ、行こう」
笑顔で頷く朝海を見て、硝子がどこか満足げな笑みを浮かべたその瞬間、硝子が髪留めに使っていた銀色の星形のピンが強く輝き始めた。小さなピンから放たれる白い光りは、徐々に硝子の全身を包み、そしてその光りは朝海へと伝わっていく。
「あれは」
「姉さん」
「修夜」
戸惑いの表情で二人の様子を見つめる小夜子のもとに、修夜が姿を見せる。
「修夜、彼女のあの力は一体」
問いかける小夜子に、そっと首を横に振る修夜。修夜ですら答えを持たぬことを知ると、小夜子は益々戸惑いの色を濃くした。
皆が真剣な表情で見守る中、白い光りに包まれた朝海の額の印が、まるで満ちていく月のように徐々に夜力の暗闇を破り、本来の光りを取り戻していく。
「馬鹿な! 俺の日蝕をっ!?」
破られていく夜力に、再び輝きを放つ朝海の額の印に、朔十が驚きの表情を見せる。
朝海の額の日の出の印が完全に輝きを取り戻すと、朝海は全身に金色の光りを纏いながら、ゆっくりとその場に立ち上がった。
「ありがとう、宵」
朝海から送られた礼に笑顔で答えると、硝子は背中の巨大な翼を掻き消し、瞳の色をもとの黒色に戻したかと思うとすぐにその瞳を伏せて、その場に倒れ込んだ。
「硝子!」
灯子が慌てて、倒れ込んできた硝子を支える。
「“黎明”」
朝海が右手の人差し指を伸ばし、小さな朝力の塊を旭に向かって放つ。旭の額の印に朝海の朝力がまっすぐに当たると、旭の日の出の印もすぐに輝きを取り戻し、旭の朝力が復活した。
「朝力が」
「よっしゃ!」
纏う朝力を確認する旭の横で、嬉しそうに拳を握り締める晃由。
「目醒めろ、青」
朝海が今度は前方の地面へと小さな朝力の塊を落とすと、零れ落ちていた夜力をすべて払いのけ、再び金色の海が辺り一面に広がっていく。そして広がった海の中から、その巨体を覗かせたのは鮫鯨の青であった。
「あれが朝海の獏」
気を失った硝子を支えたまま、灯子が真剣な表情で青を見つめる。
「ああ、感じるぜ。輝。すっげぇ力だ」
自分の中の輝と会話をするように言葉を発した晃由は、どこか苦い笑みを零す。
「獏と神子の力を同時に使うなんて……、朝海、貴方は一体どこまで」
その晃由の横では、旭が額の印を輝かせながら圧倒されたように言葉を落としていた。
「見せてやろう、青。これが本当の君の力だ」
再び現れた青の尾ひれを撫でながら、額に日の出の印を強く輝かせた朝海がまっすぐ射るように朔十に視線を送る。
「どこまでも目障りな光りだ」
光りを取り戻した朝海を見つめ、煩わしげに表情をしかめる朔十。
「丁度いい。お前のその夢から、夢喰に変えてやろう! “御夜棲魅”!」
先程硝子の出現により途切れてしまった言葉を最後まで言い切って、朔十が月の出の印を輝かせ、強い夜力の光りを朝海へと放つ。青と共にまだ身構えることすらしていなかった朝海は、真正面からその夜力を体いっぱいに浴びた。
「朝海……!」
後方から思わず身を乗り出す灯子。だが朝海はその場に立ったまま、浴びせられる強い夜力にも一切顔色を変えなかった。
「“御夜棲魅”は、俺には効かない」
朝海が全身から強い朝力を発し、朔十が向けた夜力を一瞬にして吹き飛ばす。
「俺の夢はもう、とっくに使い切ってしまったから」
「何だと?」
朝海の言葉の意味が理解出来ず、朔十が困惑するように眉をひそめる。
「だから後はもう、巡り合うその日を待つだけだ」
「何を意味のわからないことを!」
理解することを放棄した朔十が、朝海の声など吹き飛ばすように大きく言葉を発する。
「夢喰にならないなら消えろ! その目障りな光り諸共!」
朔十が右手を振り上げると、夢屑が朝海へと両腕を突き出す。
「“月光”!」
夢屑の両腕から放たれる巨大な夜力の塊。
「青」
朝海が飛び上がり、海から顔を出した青の頭部へと乗り込む。朝海が乗り込んだことを確認すると、青は大きく尾ひれを振り上げ、海を蹴り上げるようにして上空へと跳び上がった。迫り来る夜力の塊を見つめながら、朝海が青の頭へと右手を乗せる。青はそれを合図に、大きく口を開いた。
「“黎明”!」
青の口から放たれた強い朝力の塊が、まるで光線のように空中を駆け抜け、朔十の向けた夜力をあっという間に掻き消す。
「何!?」
夜力を掻き消した朝海と青の黎明は、そのまま夢屑の巨体の胸を貫いた。胸を貫かれた勢いでバランスを崩した夢屑の肩の上から、朔十が振り落とされる。もと居た屋根の上へと何とか着地すると、朔十はすぐに険しい表情を見せた。
「何て力だ。あんな、あんな朝力が存在するのかっ」
一度海の中へと戻っていく青の頭部から地面へと降り立つ朝海を見つめ、どこか信じられないといった様子で声を震わせる朔十。
胸を貫かれた夢屑は、あいた穴からどんどんと崩壊を始めていた。その夢屑の様子を見つめ、朔十がすぐさま眉をひそめる。
「もっと、もっと夜力が必要だ。もっと!」
夜力を集めるべく、高々と右手を掲げる朔十。その場には気を失った硝子や師走、利九、そしてまだ強い夜力を宿した修夜や小夜子も居るというのに、朔十のもとへ夜力はまったく流れ込んで来なかった。
「何故、何故だ!? 何故集まらない!?」
戸惑うというよりもどこか怒った様子で、朔十が声を荒げる。ずっと余裕の笑みを浮かべていた今までの朔十とは異なり、相当に追い込まれた様子であった。
「もう、あなたのもとに夜力は集まりません」
朔十の疑問に答える声を発したのは小夜子であった。
「何だと?」
小夜子の答えに、すぐさま眉をひそめる朔十。
「適当なことを」
「見てみたらいい。あなたの額の月の出の印を」
「印?」
小夜子に促された朔十が、懐から小さな鏡を取り出して自身の額を映し出す。それは日蝕の際に朝海に額の印が黒く染まる様子を見せた時に使った鏡だった。
鏡を覗き込んだ朔十が驚いた様子で大きく目を見開く。先程まではっきりと額に刻まれていたはずの額の月の出の印が徐々に薄くなり始めていた。消えていく印と共に、朔十が纏う夜力も弱まり始めている。
「これはっ」
「力を使い過ぎたのです。あなたの夢は、間もなく潰える」
小夜子が伝える事実に、朔十の表情が一層険しく変わる。
「そんな、そんなはずがない! 潰えるはずがない! 一族の、神無月の長年の夢が俺を月の出の神子にした! この夢が、俺のこの夢が一番強いはずなんだ! だから消えるはずはっ!」
「“黎明”」
朔十が必死に言葉を繋いでいたその時、朝海が青と共に放った新たな朝力により、巨大夢屑が完全に砕け散った。夜力の欠片となって掻き消えていく目の前の夢屑に、朔十が大きく目を見開く。
その光景は消えるはずがないと主張しようとした朔十の言葉を、放つ前に一瞬にして砕いてしまった。
「グっ……」
放つ前に砕かれた言葉に、それ以上は何も声が出ず、朔十が思わず黙り込む。
「人の夢を弄んだ報いだ」
朔十へ向けて、突き刺すように鋭く言葉を発する朝海。その言葉を聞いた師走が、倒れ込んだままの三奈へと一瞬視線を送る。
「君の夢は今ここで、俺が終わらせる」
「……フフ、フハハハ!」
布告のような朝海の言葉を受け取った朔十が、どこか狂ったように突然笑い声をあげる。
「終わらせる? そうだな。お前たち日の出はそうやって、人の夢を終わらせてばかりだ」
笑顔を見せながら、鋭く睨みつけるような視線を朝海へと向ける朔十。
「人がどんなに理想的で穏やかな夢を見ても、けたたましい朝は、残酷な日の光りはそれを覚まさせる」
朔十の言葉を、朔十をまっすぐに見つめながら聞く朝海。
「朝が来るせいで、人は自由に夢を見られない! 過酷な現実に向かわざるを得ない! 辛い朝を迎えるよりも、明けない夜の中で永遠に夢を見続ける方がずっと幸せだ! お前はそうは思わないのか!? 日の出!」
向けられる問いかけに、朝海が間を置くようにそっと肩を落とす。
「確かに、そうかも知れない。明けない夜の中で見続ける夢の方が、ずっと穏やかで、ずっと幸福感があるのかも知れない」
「そうだ! だから俺はっ!」
「でもそんな夢は、ただの虚像だ」
朔十の大きな声を、朝海が力強く遮る。
「そんな偽りの夢、どんなに長い時間見続けたって、人は幸せになんかなれない。絶対に」
はっきりと言い切った朝海が、言葉にさらに力を込める。
「時には辛い現実が待つ朝を、やがて明けてしまう寂しい夜を、何日も何日も越えて、生きて、そうやって辿り着くのが本当の夢だ」
修夜や灯子が真剣な表情で、朝海の言葉に耳を傾ける。
「君の創ろうとするその世界には、君以外の誰の夢も存在しない。だから俺は、君の夢を終わらせる」
向けられる朝海の言葉を最後まで聞き入れると、朔十はきつく唇を噛み締めた。
「クソっ……、クソぉぉぉぉ!」
消えかけの月の出の印を目一杯輝かせ、朔十が全身から残った夜力のすべてを放つ。朝海は日の出の印を輝かせながら、そっと右手を振り上げた。
海の中から勢いよく跳び上がった青が、朔十に向けて大きく口を開く。
「悪しき夜に呑まれし夢よ、今再び朝の光りの中に目醒めよ」
青の口の中で、強い金色の光りがどんどんと集約されていく。朔十の夜力が青に迫る中、朝海が勢いよく右手を振り下ろした。
「“御破夜宇”」
朝海の声に乗り、青の口から放たれる強大な朝力の塊。朝力は迫り来ていた朔十の夜力をあっさりと呑み込んで、すでに月の出の印を失った朔十へと向かっていく。神子の力を、夢をなくした朔十には最早どうすることも出来なかった。
「う、うあああああ!」
朝力の金色の光りに撃たれ、激しい叫び声をあげる朔十。体にわずかに残っていた夜力もすべて掻き消されると、朔十はそのまま屋根の上から転がり落ち、地面へと倒れ込んだ。
そして気を失ったのか、深く瞳を閉じたまま、起き上がることはなかった。




