Dream.28 禁断の獏 〈1〉
月の出総家別館、地下。硝子、修夜vs七緒、大吾。
「さぁ、あなたの夢の力を見せつけてあげなさい。大吾」
七緒により自身の夢喰の力の制御を解かれ、黒く巨大な恐竜と化した大吾。人としての言葉も持たずにただ獣の咆哮を繰り返す大吾へと、七緒が声高に指示を送る。
「“五月雨”」
七緒の声に合わせ一層大きな咆哮をあげる大吾。その咆哮が天井に響き渡ると、天井に広がった黒い靄の中から激しい黒雨が硝子と修夜のもとへと一気に降り注ぐ。
「夜よ、帳を下ろせ!」
額の月の出の印を輝かせ、二人の上部に黒光の壁を張った修夜が大吾の五月雨を受け止める。だが完全に受け止めることは出来ずに壁を通過した何粒かの雨が、修夜の腕や足を斬り裂いた。
「修夜君!」
血を流す修夜に、硝子が心配の表情で駆け寄る。
「何て力だ。夢喰のレベルじゃない」
「当然です。我々は夢喰の力を呑み込んだ人間。ただの夢喰とは次元が違います」
巨体の大吾の後方から勝ち誇ったように言葉を放つ七緒に、修夜がそっと眉をひそめる。
「次元が違う? 言葉なき獣と化した姿は、紛れもなくただの夢喰だが」
「彼は鯉。滝を登って龍になることが夢だった。今のこの姿は、彼の夢そのものですよ」
「そんなの、絶対違う! こんな姿が大吾君の夢が叶った姿のはずがない!」
大吾の夢を嘲笑うような七緒の言葉に、硝子が思わず声を荒げる。
「あんな優しい子に、何て酷いことっ……!」
「酷い夢と思うのであれば、あなたが目を覚ましてあげてはいかがです?」
硝子とは対照的に落ち着き払った声を向ける七緒。
「まぁ月の力しか持たぬあなたたちに、そんなことが出来るとは思えませんけど。さぁ大吾、五月雨を!」
七緒の言葉に大吾が再び激しく叫び、天井に広がった靄から無数の黒雨を落とす。
「夜よ、帳を下ろせ!」
先程同様壁を張って五月雨を受け止める修夜だが、先程よりも勢いも量も増した五月雨にどんどんと修夜の張った壁が砕かれていく。
「ク!」
一度張った壁を砕き割って、残りの五月雨を吹き飛ばす修夜。そして修夜がすぐに右手を大吾へと伸ばす。
「“月っ……!」
「待って!」
大吾へと黒光を放とうとした修夜の右手を、硝子が両手で力強く掴み止める。
「修夜君の夜力で攻撃したら、大吾君の夢が消えちゃう!」
「けど浅見さん」
必死に訴える硝子に、修夜が険しい表情を向ける。
「今ですよ、大吾。“五月雨”」
再び降り注ぐ五月雨に、硝子から視線を移した修夜が厳しい表情を見せる。
「やっぱりもう攻撃するしかないっ」
覚悟を決めるように、再び大吾へと右手を向ける修夜。
「ダメ!」
「浅見さん!」
大吾を攻撃しようとした修夜の手を掴み止めた硝子は、攻撃そのものを防ぐように自身の身を修夜の前へと出す。そんな二人の上空から、五月雨は容赦なく襲いかかった。
「クソ! ううぅ!」
硝子を庇うように硝子の前に体を倒れ込ませながら、背中に五月雨を受ける修夜。修夜の防御も完全には及ばずに、硝子もまた幾つかの五月雨をその身に受けた。肩や足、そして背中に傷を負って、硝子と修夜がその場に倒れ込む。
「修夜、君」
傷を負った肩を少し庇うように右手で押さえながら、起き上がった硝子が心配するように修夜の方を見る。
「大丈っ」
「僕らは、月の出なんだよ」
声を掛けようとした硝子よりも前に、起き上がった修夜は厳しい表情をまっすぐに硝子へと向けた。
「日の出じゃないんだ。日下部みたいに、彼を悪夢から目覚めさせることなんて、僕らには出来ない」
まるで現実を突きつけるような修夜のその言葉に、硝子が眉をひそめる。
「夢喰と化した彼を止めるには、彼の夢を消すしかっ」
「今ここで大吾君の夢を消したら」
修夜の言葉を遮るように、硝子が上から声を被せる。
「私たちはきっと一生、誰の夢も守れない」
はっきりと言い切る硝子に、修夜の表情がまた険しくなる。
「夢を消すだけの力しか持たないなら、あの神無月って人や七緒さんと同じだよ。月の出でも人の夢を守れるって証明したいから、小夜子さんは他の十二暦家と対立してるんじゃないの?」
どこか責めるような硝子の言葉に、修夜が気難しげな表情で唇を噛み締める。
「修夜君、謝ってくれたよね? 私の夢を夜に呑みこんだこと。その気持ちを持てたなら、絶対に失うべきじゃない。大吾君の夢を消したら、絶対にそれを失ってしまう」
修夜をまっすぐに見つめ、硝子がさらに言葉を続ける。
「私は修夜君に、それを失って欲しくないの。お願い」
硝子の言葉を受けた修夜が、少し考え込むように俯いた後、再びゆっくりと顔を上げる。
「わかった。彼の夢は消さない」
頷く修夜に硝子が嬉しそうな笑顔を見せる。
「出来るかどうかわからないけど、月の出の神子として、やれるだけのことをやってみるよ」
「うん!」
頼もしい修夜の言葉に、硝子が笑顔で頷く。
「いつまでゴチャゴチャ話しているんです? それとも、おしゃべりしながら死にたいのですか? ねぇ大吾」
うんざりと肩を落とした七緒が、再度大吾に五月雨を向けさせる。
「またか」
降り注ぐ三度目の黒雨に表情をしかめながら、修夜が身構える。
「夜よ、とばっ」
「“夜蝶”」
だが修夜が黒光の壁を張るよりも早く、大吾の五月雨を防いでみせたのは硝子であった。硝子が右手から放った無数の小さな黒い蝶が、五月雨の粒を一つ残らず弾き飛ばしていく。硝子の肩に刻まれた月の出の獏の証、月の出の黒紋が強く輝いていた。
「浅見さん」
「ここは私が何とかするから、修夜君は大吾君のことをお願い」
振り返って穏やかな笑顔を見せる硝子に、修夜はすぐに不安げな表情を作る。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
問いかける修夜に、硝子が困ったように笑う。
「信じて、あなたの獏を」
「……わかった」
願うような硝子の言葉に、少しの間を置いた後、修夜はしっかりと頷いた。その場から数歩下がった修夜はそっと瞳を閉じ、意識を集中させていく。その集中を示すように、どんどんと輝きを増していく額の月の出の印。修夜の姿を見てしっかりと頷いた硝子は、再び大吾と七緒の方を振り向いた。
「ほんの少しでいいの」
まっすぐに大吾の巨体を見上げた硝子が、自分にしか聞こえない小さな声を落とす。
「ほんの少し、あの子の夢を守れるだけの力を貸して。“宵”!」
強く名を呼んだ硝子が、左肩に刻まれた月の出の紋に右手を触れたその瞬間、硝子の全身から強い黒光が放たれる。放たれた光りが硝子の背中へと集約していくと、その光りが勢いよく左右に開いた。開いた光りは、まるで硝子が背負う翼のように形を変える。
「あれが、あれが“宵”の力」
硝子が背負った巨大な黒の翼を見つめ、瞳を輝かせる七緒。
「何て強い夜力。いえ、ただの夜力よりももっと、ずっと神々しい」
まるで酔いしれるように、七緒が両手を胸の前で組む。
「水無月さえ消せば、あの未知なる力が私のものに。さぁ大吾、とっとと水無月を消し去るのよ!」
自分の目的を改めて確かめた七緒は、すぐに前方の大吾へと声を張り上げた。
「“五月雨”!」
大吾が咆哮をあげて五月雨を降らせるが、降り注ぐ黒雨が目前に迫っても硝子は焦りの色一つ見せなかった。
「宵」
硝子がそっと名を呼び、背中の翼を一度はためかせる。そのたった一度のはためきで、すべての五月雨は弾き返され、大吾の遥か後方に立っていた七緒へと向かっていった。
「なっ!?」
やって来る五月雨に、七緒が一気に焦りの表情となる。
「よ、“避けられますように”!」
焦りながらも短冊に文字を綴った七緒がすぐにその短冊を自身の額へと当てると、七緒はその場から消えた。五月雨は七緒の居なくなった場所を通り過ぎ、壁に当たって壁を粉々に砕き割る。壁の崩れ落ちる音が響く中、居なくなった七緒が再びその場に姿を見せる。
「何て力なのですか。月の出の神子よりも圧倒的な強さを感じます」
翼を背負った硝子を見つめ、七緒が額に汗を滲ませる。
「修夜君の邪魔はさせない。月の出の獏の名に懸けて」
自信を持って胸を張る硝子に、七緒が少し表情を歪める。
「何とかしなさい、大吾! 体当たりしてでも、水無月を消し去るのですよ!」
七緒の強い指示に、ずっとその場に立って咆哮を繰り返すだけだった大吾が大きなその足を踏み出す。巨体の移動に地下の部屋全体が揺れ動く。どんどんと硝子と距離を縮めた大吾は、七緒の言葉通り体当たりしようと巨体を前のめりに傾かせる。
飛ぶように少し後ろに下がった硝子は、背中の翼を前方に向けて、倒れ込んできた大吾の巨体を両翼で受け止めた。細く長いだけの翼は力強くは見えないが、容易く巨体を止めきっている。
「少し痛いけど、我慢してね。大吾君」
鋭い牙を剥き出しにした獣を相手に、硝子が優しく声を掛ける。
「“黒杭”」
両翼から一枚ずつ羽根が落ちると、その羽根が先の尖った杭のように形を変えて大吾の両足の甲に突き刺さり、大吾の巨体の動きを止める。
「大吾の動きを止めたところで、夢喰化した大吾を元に戻すことが出来ない以上、あなたにはもうどうすることも」
「見えないの?」
硝子が七緒の言葉を遮るように問いかける。
「この、光りが」
硝子が言葉と同時に背中の翼を畳むと、硝子の後方に立った修夜の頭上に明々と輝く銀色の光りが七緒の視界に入って来た。細く長い曲線を描いたその銀光は、まるで三日月のようだ。
ゆっくりと瞳を開いた修夜が、両手を頭上の三日月へと掲げる。
「満ちゆけ、我が月」
修夜の言葉に反応するように、額の月の出の印が一層輝きを放つ。
「三日月、上弦、幾望」
修夜が声を落とすごとに頭上の三日月はどんどんと膨らんで満ちていき、半月となり、半月を超えて完全な円へと近付いていく。
「望」
完全な円形になると同時に、銀色の月はさらなる輝きを放つ。
「眩しいっ」
月が放つあまりにも強い光りに、思わず目を細める七緒。
「何なのですか。あれではまるで、太陽っ」
七緒が険しい表情を見せる中、修夜は月へと掲げていた両手をまっすぐに大吾に向けた。
「夢喰いし夜の闇よ、満ち足りた月の光りの下に眠れ」
勇ましく迷いのない修夜の声が響き渡る。
「“御夜棲魅”!」
「グアアアア!」
修夜の声に月が一瞬強く輝きを放った次の瞬間、大吾が七緒の指示もないままに激しく咆哮をあげる。大吾の巨体から溢れ出た黒い光りが、まるで吸い込まれるように満ちた月の中へと消えていく。
「な、何!?」
叫び声をあげる大吾に、戸惑いの表情を見せる七緒。大吾から溢れ出る黒い光りを吸収するごとに月が今度は欠けていったが、それと同時に大吾の巨体も徐々に小さくなり、月が完全に黒一色に染まる頃には大吾は元の子供の姿へと戻っていた。
「大吾君!」
元の姿に戻って倒れ込む大吾を、硝子が両腕でしっかりと受け止める。
「硝子、お姉ちゃん……?」
硝子の腕の中で横たわった大吾がゆっくりと瞳を開き、あまりはっきりしない意識の中でしっかりと硝子の名を呼ぶ。
「ボク……」
「大丈夫」
どこか不安げな表情を見せる大吾に、硝子は満面の優しい笑みを向けた。
「もう大丈夫だから、今度は優しい夢を見て。おやすみなさい、大吾君」
「うん。おやすみ、なさい……」
硝子に促され、安心の笑みを零すと大吾はゆっくりと瞳を閉じた。眠る大吾を抱え上げた硝子が部屋の端へと移動し、床の上に丁寧に大吾の体を横たわらせる。
「まさか、本当に大吾の夢喰化を解くなんて」
「戻れ、新月」
七緒が驚きの表情で見つめる中、修夜が黒一色に染まった頭上の月を掻き消す。
「まさか、夜が夢を救うなんて……」
「夜は夢を支配するために存在するわけじゃない。人々の夢を優しく包み込むために存在する」
修夜の発する言葉に、七緒が戸惑うように眉をひそめる。
「姉の言葉だ」
「優しく包み込む? 今まで散々人の夢を利用してきたあなたには程遠い言葉ですね」
「ああ。だから僕はもう、姉のような月の出の神子にはなれない」
七緒の挑発めいた嫌味を、あっさりと受け止めて頷く修夜。
「だからこれから僕は、僕の力のすべてを持って人々の夢に報いていく。月の出の神子として」
「修夜君」
堂々と言い切る修夜に、硝子が嬉しそうな笑顔を見せる。
「夢の大切さを知らないお前に、月の出の神子の称号は渡さない。絶対に」
「フフフっ」
修夜の布告のようなその言葉を聞くと、七緒はどこか楽しげに笑みを浮かべた。
「いいですよ。渡してなんて頂かなくても」
懐から新しい短冊を取り出した七緒が、鋭い視線を修夜へと向ける。
「無理やり、奪い取りますから!」
短冊の上で筆を走らせる七緒に、硝子と修夜は真剣な表情で身構えた。




