Dream.02 この愛を受けとめて 〈3〉
廊下の壁を突き破って外へ出た犀が、そのまま落下して人気のない裏庭へと落ちていく。朝海も光に包まれ体を浮かせながら、ゆっくりと裏庭の地面へと降り立った。
<ドウシテ、私ダケヲ見テクレナイノ……!?>
態勢を整えて再び突進してくる犀を、朝海が右手を伸ばしてあっさりと受け止める。
「ここなら誰も居ないし、晃が来るまで我慢比べといこうか」
右手から光を発しながら、朝海が落ち着いた声を放つ。
<ドウシテ、私ダケニ笑イカケテクレナイノっ……!?>
耳に入る獣の声をした由香里の言葉に、朝海がそっと眉をひそめる。
「もう少し、広い心を持った方がいいんじゃないか?」
落ち着き払った声で、犀へと語りかけるように言葉を向ける朝海。
「でないと想いが通じ合ったって、なかなか上手くいかないと思うぞ」
<ドウシテっ……、ドウシテェェ……!?>
「えっ?」
前方に光の壁を張り犀の動きを止めていた朝海であったが、犀が一段と響く声をあげた途端に、犀の角に触れていた部分の光に穴があき、驚きの表情を見せる。穴から光の中へと犀の角が侵入すると、角から噴き上げた黒い煙が、朝海を包む金色の光りの中へと混ざり込んでいく。
「あらら、痛いとこ突いちゃったかな」
自分の言葉を思い返しながら、朝海が左手で軽く頭を掻く。
「とにかくもっと朝力を……、ん?」
光を手元に集めようとした朝海だが、まったく光が集まって来ないことに戸惑い、上空を見上げる。
すでに空は夕暮れの茜空からも進み、徐々に日が落ち、暗い空が広がり始めていた。
「これじゃあ朝力を補給出来ない」
暗くなっていく空を見上げ、朝海が少し表情をしかめる。
「日暮れまでには来いよ、晃」
額から汗を流しながら、朝海は再び目の前の犀へと視線を送った。
「日下部君……!」
朝海と犀が衝突を続けている裏庭へと姿を見せる硝子。
二階から一階へと降りた硝子は裏口を使うのではなく、犀が校舎内に侵入してくる時に壁にあけた大穴から、直接裏庭へと出て来たのであった。
「日下部くっ……!」
「サイ子さん!」
「ええっ!?」
朝海の方へと駆けて行こうとした硝子が、自分のすぐ後方から聞こえてくる声に驚きながら振り返る。硝子の後を追うようにしてこちらに駆けてくるのは水無月であった。
「水無月君、もう起きちゃったの!?」
「サイ子さぁ~ん!」
「待って待って待って!」
慌ててその場で足を止めた硝子が、笑顔で犀の元へと飛び込んで行こうとする水無月を両手で必死に食い止める。
「水無月君、ダメだってば!」
<私ノ水無月君ニ、馴レ馴レシク触ラナイデっ……!>
水無月を止めている硝子へと、朝海とぶつかり合いを続けていた犀が声をあげながら角を振り上げ、その角の先から黒い光線のようなものを放つ。
「えっ?」
「クっ……!」
硝子が大きく目を見開く中、朝海が険しい表情でその場を飛び出して行く。
金色の光に包まれながら高速で移動した朝海が、犀の放った黒い光線よりも先に硝子の前に辿り着く。
「日下部くっ」
「“黎明”!」
硝子が視線を送る中、前方へと右手を出した朝海が、開いた掌から全身から集約させた金色の光の塊を放ち、犀の放った黒色の光線とぶつかり合わせる。
二つの光はしばらくの間拮抗すると、互いに弾け飛ぶようにして相殺した。
「なんでここに居る? 教室で待っていろと言ったはずだが?」
わずかに振り返った朝海が、硝子へと責めるような視線を送る。向けられるその視線に、険しい表情を見せる硝子。
「待ってろ待ってろって、そうやってあなたはいつもっ……! あ、れ?」
言葉を止めた硝子が、戸惑いの表情を見せる。
「いつ、も?」
自分自身が発した言葉に、首を傾げる硝子。
まるで何度も待って来たかのように、まるでずっと前から朝海を知るように、あまりにも自然に自分の口から溢れ出て来た言葉。そんな自分自身に戸惑い、硝子が困惑の表情となる。
そんな硝子の様子を見て、朝海が少し考え込むように俯く。
<水無月君ハ、私ダケ見テイレバイイノっ……>
響く犀の声に、不可思議な空気に包まれていた朝海と硝子が同時に振り向く。
<私ダケニ笑イカケテクレレバイイノ……!>
「だからもっと広い心を……」
「そんなのおかしいよ!」
呆れ果てた表情で言葉を向けようとした朝海の声を遮り、硝子が犀へと強く声を張り上げる。
「水無月君は誰にでも笑いかけるよ! 私にもあなたにも、近寄りにくいすっごい変わり者の転入生にだって平等に!」
「それは俺のことか……?」
硝子の言葉に引っ掛かりを覚え、朝海が小さく呟きを落とす。
「それが水無月君のいいところでしょう!? あなただってそういう水無月君だから好きになったんじゃないのっ!?」
目の前の巨大な犀ではなく額に眠る由香里へと、硝子が必死に訴えかける。
「なのに“私だけに笑いかけて”なんて、そんなの勝手だよ! そんなの今の水無月君を否定してるだけだよ!」
<私ハ、私ハっ……>
続く硝子の主張に、少し迷うように言葉を落とす犀。
<私ダケヲ、私ダケヲォォっ……!>
その迷いを振り切るように一層声を張り上げた犀が再び、朝海たちへと突進してくる。
「あっ」
「思考を完全に夢喰に渡したな」
向かってくる犀に乗り出していた身を引いた硝子の横で、冷静に分析をした朝海がまた全身から金光を放って犀の巨体を受け止めた。
「俺が相手をしているから、今のうちに君はその彼を連れてどこかへっ……ん?」
硝子と水無月の方を振り返り指示を出そうとしていた朝海が、何かを感じたのかすぐに前を向き直す。
犀の巨体を受け止める、全身から放つ金光が徐々に弱くなり始めていた。
「黎明で使い過ぎたか。朝力がっ」
眉をひそめた朝海が空を見上げる。
「日が、沈むっ……」
見上げた空は夕暮れの茜空から、日の光りのない暗闇へと移り変わり出していた。
暗くなっていく空に、朝海の放つ光はどんどん弱まっていく。
<私ダケヲォォっ……!>
「う、うあああっ!」
「日下部君!?」
朝海を包む光が弱まったその時、犀が今までで一番激しい声を上げ、強く振り切った角で朝海を横へと押し退ける。吹き飛ばされる朝海に、思わず身を乗り出す硝子。
朝海は裏庭の木々の間に倒れ込み、苦しげな表情を見せた。
厄介な敵は朝海だけと認識したのか、犀は鋭い角のその矛先を水無月に触れる硝子ではなく、倒れたままの朝海へと向けた。
犀の狙いに気付き、硝子が険しい表情を見せる。
「このままじゃっ」
眉間に皺を寄せたまま、目線だけを動かして周囲を見回す硝子。何かを探すようにあちこちに動かされていた硝子の視線が、近くの地面に落ちているビニール傘を見つけたところで止まる。
犀が二階の壁を突き破り落下してきた時に、教室の外の傘立ても一緒に落ち、そこにあった傘が裏庭に転がったのだろう。
「あれならっ……」
傘を見つめ、硝子が鋭く声を漏らす。
「クっ……!」
向かって来る犀に対し、苦しげな表情で起き上がり朝海が態勢を立て直す朝海であったが、金光で表される朝力は弱まったまま回復する様子はない。
<水無月君、水無月君ハ私ダケニっ……!>
迫り来る犀を見つめながら、朝海が額から汗を流す。
そんな中、素早くその場を飛び出した硝子が、地面に落ちている傘へと手を伸ばす。右手でしっかりとビニール傘の持ち手部分を掴んだ硝子が、傘を持った瞬間にその瞳を、獲物を射るような鋭いものへと変える。
「行くぞ」
朝海へと突進する犀が巻き起こす風により舞い上がったスカートのすぐ下で、右太腿に日の出の印が浮かび上がると、その印に素早く傘を当て、傘を金色の刀へと変化させる。
強く地面を蹴り上げ高々と舞い上がると飛び上がった勢いで空を翔け、軽い身のこなしで朝海の前へと着地する。
「何?」
突然目の前に降り立つ人影に、戸惑いの表情を見せる朝海。
「君は、灯子?」
「斬り裂け」
戸惑う朝海のことなど気にも留めずに、朝海へと向かって来ていた犀の方を振り返った灯子が、犀の巨体に少しも怯えることなく素早く右手の刀を振るう。
「“燈”!」
目では追えないほどの動きで振るわれた灯子の刀は、犀の鋭い角を一瞬の乱れもないきれいな切り口で斬り落とした。
自慢の角を失った犀が、目を瞑りながら痛々しい叫び声をあげる。
「“灯子”に替わったのか」
その動きを見て、灯子に入れ替わったことを確認する朝海。視線を動かした朝海が、灯子が右手に握る刀を見る。
「この前のバットといい、棒状の物を持ったら入れ替わるのか? だがさっきは確かに自分から……」
灯子を観察しながら、朝海が推察するように呟く。
「サイ子さぁ~ん!」
角を斬られまだ苦しんでいる犀を心配するように声をあげる水無月。
「酷いじゃないか、浅見さん! いくら女子としてサイ子さんの方が魅力的だからって、サイ子さんの美しい角を斬り落とすだなんてっ……!」
「うるさい。邪魔だ」
「ううぅ!」
灯子へと文句を言いながら歩み寄って来た水無月に、灯子が遠慮なく肘打ちを食らわせると水無月は気を失ったのか、その場所に力なく倒れ込んだ。灯子が雑に水無月の首元を掴み、水無月の体を軽々と持ち上げると、そのまま校舎の方へと放り投げる。
「容赦ないな……」
灯子の水無月への乱暴な振る舞いに、思わず顔を引きつる朝海。その動作を見るだけでも確実に、灯子と硝子は別の人間であった。
<ドウ、シテっ……、ドウシテ……>
「どうしてどうしてって、お前もうるさいんだよ。さっきからっ」
放り投げた水無月を気に掛けることもなく、すぐに犀へと視線を戻した灯子が冷たく言葉を吐き捨てる。
「何が“私だけを見て”だ。自力で振り向かせる努力もせずに、夢喰なんかの力を借りて、愚かな女」
犀の額で眠る由香里の姿を見上げ、灯子が煩わしげに言い放つ。
「こんな傍迷惑な夢、私がすべて終わらせてやるっ」
「あっ、やめろ!」
犀へと再び刀を構えようとした灯子の腕を朝海が掴み止める。
「またお前か」
朝海の方へと視線を流し、灯子が睨みつけるように朝海を見る。
「何故止める?」
「君が夢喰を斬ったら、夢媒者の夢が消えてしまう」
「だったら何だ?」
はっきりと主張する朝海に、灯子がまた煩わしげに問いかけを向ける。
「どうせ、この女の想いはあの水無月とかいう奴には届かないんだろう? 私が斬って消したところで、何の問題もない」
「そうだったとしても」
朝海の鋭い瞳がまっすぐに灯子を捉える。
「君に、それを消す権利はない」
はっきりと告げられる朝海の言葉に不快そうに表情を歪めながらも、灯子が黙り込む。
<ドウ、シテ、ドウシテっ……>
朝海と灯子が言葉を交わしている間に角を斬られた痛みが収まったのか、犀が再び言葉を発する。戦いの態勢を整えていく犀を見つめ、灯子が軽く舌を打つ。
「だったら、どうする? この前のように夢喰だけを喰らうお前の獏は居ないのだろう? そしてお前は夢喰を倒せない。今ここで私がこいつを仕留めなければ、このまま夢喰は暴れ続け学校に死人が出るぞ」
「それはっ……」
「だぁ~い丈夫!」
上空から明るく響き渡る声に、朝海と灯子が同時に上を向く。
「俺ならここに、居っからさ!」
「晃っ」
巨大な金狼の背に乗り、上空からまっすぐに犀の背へと降下して来るのは晃由であった。現れた晃由の姿に、朝海が珍しく笑顔を見せる。
「一気に喰らうぜぇ~、輝!」
晃由の呼びかけに金狼、輝が鋭く牙を伸ばし、見るからに硬そうな犀の背の皮膚へとその牙を突き立てた。
<ギャアアアア!>
輝が牙を立てたその場所から金色の光りが噴き上げると、犀の巨体がどんどんと黒い煙と化していく。大きく口を開いた輝は犀の巨体から変化したその黒い煙を、わずかな塊も残さずにきれいに吸い込み、喰らい切った。
「完食!」
輝の背から降りた晃由が、輝の大きな耳を撫でながら満足げな笑みを浮かべる。
「さぁとっとと夢媒者を起こしたまえ、朝海クン」
「遅れて来たくせに偉そうに言うな」
「これでも倍速で歌って来たんだぜぇ~? せっかくの十八番だったのにっ」
言葉を交わしながら晃由の横を通り過ぎ、朝海が犀の巨体が煙となって輝に喰らわれ、後に残った由香里の眠る水晶体へと歩を進めていく。
「悪しき夜に呑まれし夢よ。今再び、朝の光の中に目覚めよ」
水晶体に一度触れ額の印を輝かせた朝海が、左右の手を上下に広げ針状の光を生み出す。両手をゆっくりと動かし、時を進めるように光の針を回していく朝海。
「“御破夜宇”」
光の針が朝海の手元から水晶体へと進み衝突すると、水晶体は大きくヒビ割れ、中から出て来た由香里がゆっくりと地面に横たわった。
水晶体の破壊と共に、犀と朝海が突き破ってきた壁の大穴が消え、完全に修復される。夢喰が消え失せ夢現空間がなくなったことにより恐らく、破壊された廊下や教室の一部もすべて元に戻っただろう。
「んっ……」
地面に仰向けに寝転がったまま、由香里が眼鏡の奥でそっと瞳を開く。
「私……」
「これだけ暴れ回ったんだ、もう気は晴れただろ。とっとと振り切って、次の恋に進めばいい」
すぐ傍でしゃがみ込んだ朝海が、寝転がったままの由香里へと声を掛ける。
「男なら山程余っている。俺も含めてな」
「俺も俺も~! ガンガン余ってんよぉ~」
朝海の後方から明るく顔を出す晃由。そんな二人を由香里がじっと見つめる。
「どっちも、タイプじゃない」
『あ、そう』
「フフっ……」
落ち込んだ様子で肩を落とした朝海と晃由の姿に小さく笑みを零すと、由香里は再びゆっくりとその瞳を閉じた。
「一瞬で振られたなぁ。もういっそ清々しいぜ」
「俺はそこそこショックだ……」
「馬鹿がっ」
「あ、灯子ちゃん」
冷たく言葉を吐き捨てている灯子に気付き、晃由がすぐに硝子ではなく灯子と認識する。
「サンキューなぁ、灯子ちゃん。俺が居ない間、朝海のフォローしてくれたんだろぉ?」
気安く声を掛ける晃由に、忌々しげな視線を送る灯子。
「ハっ!」
思い切りしかめた表情で一つ声を吐くと、灯子は右手に持っていた刀から手を離した。
「あ、あれ?」
その瞬間、灯子のしかめっ面は消え去り、不思議そうに首を傾げた硝子となった。
地面に落ちた刀はすぐにビニール傘へと戻るが、傘のビニールの部分は溶け落ち、骨も何本か折れてしまっていた。
「すっげぇしかめっ面だったなぁ、灯子ちゃん。マジ惚れそう」
「変わった趣味だな」
しみじみと言葉を落とす晃由に、朝海が冷たく言い放つ。夢喰は居なくなったというのに鋭い瞳を見せたままの朝海が、灯子から入れ替わった硝子へと視線を送る。
「私……あっ、水無月君!」
少し考え込むように立ち尽くしていた硝子が、思い当たった様子で校舎側の地面に倒れ込んでいる水無月へと駆け寄っていく。
水無月は灯子の肘打ちにより気を失い、すっかりのびてしまっていた。
「大丈夫かなぁ~?」
水無月をまじまじと見つめ、不安げな声を漏らす硝子。
「鳩尾にモロに入ってたからな、エルボー」
「うん。灯子って基本、家族以外には容赦ないからって、あっ」
後方から聞こえてきた声に思わず答えてしまった硝子が、すぐにハッとした表情となって振り返る。硝子が振り返った先には、額の印を消した朝海が立っていた。
「日下部、君……」
「やっぱり認識しているんだな。灯子、もう一つの人格のことを」
気まずそうな表情を見せる硝子に、朝海が鋭い視線を送る。
「夢喰が俺に迫った時、君は自ら傘を取りに行った。それはそうすれば入れ替われると、入れ替われば俺を助けられると、そう知っていたからだろう?」
まるで問い詰めるように、朝海が言葉を続ける。
「刀の代替えとなる棒状の物を持てば入れ替われるのか? 傘で入れ替わるんなら雨の日はどうしているんだ? 登下校の時だけ灯子の状態でいるのか?」
どんどんと顔を俯けていく硝子に、遠慮することなく次々と問いかけを浴びせる朝海。
「それにシャーペンや歯ブラシを持った時はどうっ……」
「あぁ……、あっ……」
「ん?」
まだまだ湧いてくる疑問のすべてを硝子へと投げかけようとしていた朝海が、深く俯いた硝子がまるで何かに怯えるように大きく肩を震わせ、その震えた肩を自身の手で抱こうとしている様子に気付き、首を傾げる。
「どうした?」
「ううぅ!」
苦しげに身を屈めた硝子が朝海から逃げるようにその場を飛び出し、近くの地面に落ちていた近くの木から折れて落ちたと思われる長い枝を右手に取る。
枝を手にした硝子は怒りの形相の灯子へと変わり、灯子は太腿の印に枝を当てそれを刀へと変えると、変わったばかりの刀を勢いよく朝海へと振り下ろした。
「あっ……!」
振り下ろされる刀に、朝海が焦りの表情を見せる。
「待った!」
二人の間に割って入った晃由が、朝海へと振り下ろされようとしていた灯子の刀を掲げた右腕で受け止める。
受け止めた晃由の右腕には日の出の印が浮かび上がり、ほのかな金色の光が晃由の腕を包み込んでいた。晃由が灯子の刀を受け止められたのは、この光の影響だろう。
「今のは朝海も無神経だったと思うけど、でもそれにしたってマジで斬りかかんのはダメでしょ? 灯子ちゃん」
刀を受け止めた状態のまま、晃由が灯子へと笑顔を向ける。
「朝海は日の出の神子だよ? 俺たち日の出の獏にとっては主君だ。主君を傷つけることはっ」
「だったら主君は獏を傷つけてもいいっていうのか!?」
晃由の腕を振り払うように刀を横へと動かして、そのまま刀を下ろした灯子が朝海へと睨みつけるような視線を送る。
「何が神子だ、何が主君だ。偉そうにしやがって、何様のつもりだ!」
「俺は別に、何様も気取るつもりは」
「人の心にズカズカ踏み込みやがって! お前には、他人に触れられてほしくないことが一個もないとでもいうのか!?」
灯子のその言葉に、朝海がすぐさま厳しい表情となって黙り込む。
「二度と私たちに踏み込むな。今度また硝子を傷つけてみろ。私が真っ二つに斬り裂いてやる!」
怒りに満ちた言葉を吐き捨てると、灯子は刀を持ったまま朝海に背を向け、足早にその場を歩き去っていった。
遠ざかっていく灯子の背を、朝海は見えなくなるまで見送る。
「かぁーいいねぇ、あの凶暴な啖呵。痺れるわっ」
何やら嬉しそうな笑みを零しながらも、先程受け止めた灯子の刀が余程強烈だったのか、本当に痺れている右腕を何度も振る晃由。
「何だぁ、いつの間にか日が暮れてんぞ!」
「ヤっベ、バイトの時間過ぎてる!」
「んあ?」
校舎内から次々と聞こえてくる騒がしい声に気付き、晃由が振っていた右手を下ろす。
「夢現空間が消えて皆が起き出したな。俺たちも完全に日が沈む前にとっとと帰ろうぜ、朝海」
晃由が呼びかけるが、朝海はその場に立ち尽くしたまま反応を見せない。
「朝海?」
「俺は」
晃由が顔を覗き込むと、朝海がゆっくりと口を開く。
「俺は、彼女を傷つけたのか……」
初めて知ったように言葉を落とす朝海を見て、晃由は力なく肩を落とした。