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Dream.02 この愛を受けとめて 〈2〉

 その日、放課後。


「ふぅー、すっかり遅くなっちゃった」


 拳を作った右手で軽く肩を叩きながら、硝子が一階の廊下を歩いている。


「あれ、浅見さん」

「水無月君」


 名を呼ばれ硝子が振り返ると、別校舎へと続く連絡通路から水無月が硝子の方へと向かって来た。


「どうしたの? もうすぐ下校時間なのに」

「お姉ちゃんに薬品整理手伝わされちゃって」

「ああ、保健室の? それは大変だったね。浅見さん、保健委員でもないのに」

「帰宅部だし暇でしょって言われちゃって。断るとお姉ちゃん怖いし」

「へぇ、浅見先生優しそうなのに」

「普段はね。でも怒ると鬼」

「アハハ、わかるな。うちも姉さん居るけどすっごく怖いから」


 硝子が廊下で少し待つような形で水無月と並ぶと、二人が二階のD組の教室を目指して廊下の端の階段へと向かい、また歩き始める。


「水無月君は委員会?」

「うん。今日はちょっと遅くなっちゃった。急いで部活行かないと」

「毎日大変だねぇ」


 硝子が水無月へと感心の笑みを向ける。運動部に所属しながら委員会もこなし、常に爽やかな笑顔で人望もある。水無月が女子に人気であることを改めて納得してしまう硝子であった。


「そういえば転入生君、そろそろ起きてるかな?」

「え、日下部君?」


 聞き返した硝子に、水無月が笑顔で頷く。


「体育の時、顔面にサッカーボール当てちゃってさ。凄く腫れてたし謝ろうと思ったんだけど、ずっと寝ててなかなか」

「ああ、成程」


 体育の一部始終を見ていた硝子が、すぐに納得する。


「毎日家には帰ってるんだろうし、そろそろ起きるんじゃないかな?」

「何か不思議だよね、彼。凄い独特っていうか」

「うん」


 いつも眠っている朝海の姿を思い出し、硝子が穏やかな笑みを零す。


「不思議、だよね」


 硝子のその溢れんばかりの笑顔を見て、少し表情を曇らせる水無月。


「浅見さん、ってさ……」


 水無月が硝子に言葉を向けようとしたその時、硝子と水無月の横を通りかかった男子生徒が突然、廊下に倒れ込む。


『えっ?』


 大きく音を立てて顔面から倒れ込んだその生徒に、思わず足を止める硝子と水無月。


「き、君、大丈夫っ?」


 水無月が慌てて駆け寄り、その生徒へと声を掛ける。だが水無月の呼びかけに生徒が答えることはなかった。水無月がその生徒の体を持ち上げ仰向けにさせると、その生徒は深く目を閉じていた。


「寝てる……?」


 生徒から聞こえてくる規則正しい寝息に、水無月が戸惑いの声を漏らす。


「どういうっ……」

「あっ」


 戸惑う水無月のすぐ傍で周囲を見回していた硝子が、その生徒の他にも昇降口や、すぐ目の前の教室内で次々と倒れ込み眠り込んでしまっている者たちに気付き、眉をひそめる。


「これってもしかして、夢現空間?」


 朝海が転校して来た日と同じ現象が起こっていることを察し、硝子が険しい表情を見せる。


「何か様子が変だね。とりあえず職員室に行って、先生たちに知らせようか」


 立ち上がった水無月を見ると、硝子が途端に戸惑いの表情となる。


「水無月君、眠くないの?」

「へ? うん。昨日は十一時には寝たし、全然眠くないけど?」


 突然の硝子の問いかけに戸惑いながらも、水無月があっさりと答える。目に見える範囲の生徒は全員眠りについているというのに、水無月が眠り出す様子はまったくない。前回、晃由が起きている硝子を疑問に思ったように、硝子も水無月へと疑問を抱く。


「どうして……」

<ドウシテっ……!?>

「えっ!?」


 硝子の声に重なるように聞こえてくる硝子と同じ言葉。そして言葉と同時に、硝子たちの居た廊下の壁が勢いよく砕き割れる。砕かれた壁の破片を避けるように、後方へと下がる硝子。


「な、何っ……」

<ドウシテ、私ダケヲ見テクレナイノ……!?>

「あっ……!」


 砕かれた壁の向こうから、校舎内へとその巨大な頭だけを覗かせた黒い獣。


「さ、さい?」


 廊下へと突き出された頭部の鼻の上に鋭く光る金色の角、短めの耳に赤い瞳、真っ黒な体。頭の大きさだけで軽く二メートルは超えているが、鼻上の角とその下の巨大な口を見ると、その獣は犀に酷似していた。


「これは夢喰ゆめばみ? でも誰のっ」


 答えを知るために、硝子が犀の額部分へと視線を上げる。額に埋め込まれた水晶体の中には、赤い眼鏡を掛けた小柄な少女が眠っていた。


「あの人は確かえっと、東田さん? そうそう、A組の東田由香里さんだ。ん、由香里?」


 ようやく水晶体の中にいる少女の名を思い出した硝子が、自分の発したその名に聞き覚えを感じさらに考えを巡らせる。


――――A組の由香里、先週水無月君に振られてから、ずっと学校休んでるんだって――――


「あっ」


 思い当ったその名に、硝子が思わず声を発する。


<ドウシテ、私ダケニ笑イカケテクレナイノっ……?>


 犀から発せられる言葉に、眉をひそめる硝子。


「それで水無月君は起きてるんだ。それがあの人の夢だから」


 納得のいく考えに辿り着き、硝子が確かめるように深く頷く。


「狙いが水無月君だっていうなら……、とりあえず水無月君、ここから逃げっ……!」

「ああ、なんて素敵な犀さんなんだ!」

「ええっ!?」


 その場から逃げようと水無月の方を振り向いた硝子であったが、水無月は巨大かつ不気味な犀を相手に何故か目を輝かせ、迎え入れるように大きく両手を広げていた。


「その突き刺さったら一発で死にそうな鋭い角、骨ごと一気に噛み砕かれてしまいそうな巨大な口、何もかもが僕の持っていないものだ!」

「当たり前だよ! 相手、犀だよ!?」

「ああ、何て素敵な犀さんなんだ! 僕にはもう君しか見えないよ、サイ子さん!」

「何か名前まで付けてるしっ!」


 明らかに硝子の知る水無月とは様子の異なる水無月に、硝子が困惑の表情となる。

 その間にも犀がさらに前へと体を押し出し、巨体の詰まっている壁にもヒビを入れ、校舎内へと突入を試み始める。その犀の動きに、焦りの表情を見せる硝子。


「このままじゃ! 水無月君、早く逃げっ……!」

「触らないでくれるかな?」


 水無月へと伸ばされた硝子の手が、水無月により強く振り払われる。


「水無月、君?」

「僕はサイ子さん以外の女の子に、興味なんてないんだ」


 戸惑う硝子へと、水無月は今までに見せたことのない冷やかな表情を見せた。誰にでも爽やかな笑顔を絶やさない水無月とは、まるで別人のような冷たい視線だ。


「女子として犀に負けた……」

<私ダケヲ見テ! 私ダケニ笑イカケテ!>

「あっ」


 二人の間を割って入るように聞こえてくる犀の独占欲に満ちた声に、硝子が険しい表情となる。


「サイ子さん!」


 笑顔を浮かべた水無月が、今にも壁を突き破って入って来そうな犀へと両手を伸ばす。


「こんな風に心を手に入れて、それが一体、何になるっていうの?」


 犀を見上げ問うように言葉を落とした硝子が、何かを覚悟するように強く唇を噛み締める。


「水無月君、こっち……!」

「ちょっ、僕には触るなと言って……!」


 有無を言わさずに水無月の手を引き、硝子がその場から勢いよく駆け出していく。先程と同じように硝子の手を振り払おうとした水無月であったが、硝子が水無月の手首を握り締めるその力があまりに強く、水無月は振り払えないまま仕方なく硝子に続いた。

 水無月を連れた硝子がまっすぐに目指す先は、二階へと続く階段だ。


「たぶんまだ、帰ってないはず……!」


 階段の途中や廊下で倒れ込んでいる生徒を気にかける余裕すらなく、必死に足を急がせる硝子。二階へと駆け上がった二人は、そのまま廊下を突き進み、二年D組の教室へと飛び込んでいく。


「教室っ?」

「居た……!」


 教室を見回す水無月の手を離し、硝子が窓際の一番後ろの席で未だに眠っている朝海の姿を見つけ、そちらへと必死に駆けていく。


「転入生?」


 朝海の方へと駆けていく硝子の背を見つめ、首を傾げる水無月。


「日下部君、日下部君! 起きて!」


 朝海の背を両手で揺らし、硝子が必死に呼びかける。


「起きて、夢喰が出たの! 起きて、日下部君!」


 廊下にまで響き渡るほどの大声で朝海へと呼びかける硝子だが、朝海は瞼すら動かさない。


「日下部君っ……!」


 硝子の必死の呼びかけに混ざって聞こえてくる、何かが破壊されていく音。


<ドウシテ、私ダケヲ見テクレナイノっ……!?>

「あっ!」


 聞こえてくる声に、硝子の表情が青白く変わる。


「僕を追いかけて来てくれたんだね、サイ子さん!」

「ダメ、水無月君!」


 犀を求めて教室内から廊下へと出て行く水無月を止めようと声を張り上げる硝子。だがその声に今の水無月が止まるはずもなく、水無月は廊下へと飛び出てしまう。

 二階まで上がって来た犀が二階の天井を崩しながら廊下を突き進み、いよいよ水無月の待つ場所へとやって来る。突進していく犀と笑顔で両手を広げる水無月に、一層焦りの表情を見せる硝子。


「起きて、起きて!」


 再び朝海の方を振り向き、硝子が喉が潰れそうなほどに大きく声を張り上げる。


「起きてっ……」


 犀が水無月へと迫る中、硝子が右手で強く朝海の手を握り締める。


「お願いっ……!」


 強く閉じた硝子の瞳から涙が零れ落ちた、その時。


「えっ……?」


 右手を強く握り返す温かい手の感触に、硝子が戸惑いながらも再び目を開いた。

 瞳を開いた硝子が、そのまま目を見開く。


「起きた」


 すっかり隈のなくなった鼻に巨大湿布を貼ったままの朝海が目覚め、力強く硝子の手を握り返していた。


<私ダケヲ見テ……!>

「ああ、僕はずっと君だけを見続けるよ! サイ子さん!」


 水無月へと迫る犀の姿を鋭い瞳で捉えた朝海が、すぐさま硝子の手を離し、机から飛び上がるようにして廊下へと出て行く。

 水無月の前に立った朝海が射るように犀を見上げると、朝海の額に日の出の印が浮かび上がった。

 印と共に朝海の全身から強い金色の光が発せられ、その光が巻き起こす風により朝海の鼻の上に貼られていた湿布が吹っ飛んでいく。腫れていた鼻はずっと冷やしていたからか、それなりに腫れはひいていた。

 朝海が発したその光が、突進してきた犀の巨体を受けとめる。


「ううぅ……!」


 朝海が発した光のあまりの眩しさに、目を伏せる水無月。


「犀相手でも、女相手に安請け合いはしない方がいいと思うぞ」

「えっ?」


 振り返った朝海に忠告のように言葉を向けられ、水無月が目を丸くする。


「夢媒者は……」


 再び前を向いた朝海がゆっくりと視線を上げ、犀の額の水晶体の中に眠る由香里の姿を捉える。


<ドウシテ、私ダケヲ見テクレナイノ……?>

「先週水無月君に告白した女の子なの。断られてからずっと学校休んでたみたいで」

「成程ね」


 犀の発した言葉と硝子からの説明を聞き、朝海が納得した様子で頷く。


「サイ子さん、サイ子さぁ~ん!」

「ハイハイ」


 犀の元へと自ら行こうとする水無月を、朝海が背中で押し止める。


「俺の隣の席の人」

「え、私?」


 明らかに向けられている視線に、硝子が戸惑うように自分を指差す。


「彼、押さえといて。犀に飛び込んで行かないように」

「あ、う、うん」


 朝海の指示に素直に頷き、硝子が教室から廊下へと出て水無月の腕を両手で掴む。


「名前くらい呼んでくれたって……あ、自己紹介してないか。にしたって隣の席の人はちょっとなぁ」


 あれこれと不満げに言葉を交わしながら、水無月を連れて教室の中へと入っていく硝子。

 硝子の背を見送り、朝海が少し困ったように頭を掻く。


<ドウシテっ……!?>

「ハイハイ。あー、とりあえず晃を」


 右手で犀を受けとめながら、朝海が左手だけでポケットから器用に黒い携帯電話を取り出し、操作して電話を掛ける。


<おう、朝海! 起きたか?>


 朝海が耳に当てた電話の向こうから、暢気な晃由の声が聞こえてくる。


「夢喰が出た。二年D組の教室だ。すぐに来い」

<ええぇ~、マジ!?>


 晃由の驚きの声が電話口から漏れて、硝子の耳にも入る。


<歓迎会してくれるっつーから今、クラスの連中とカラオケ来ちゃってんだよねぇー。しかも次、俺の十八番だし。とりあえずそれ歌ってから行くわぁー。それまで頑張って。じゃっ>

「…………」


 一方的な言葉の後にすぐに切られる電話。通話の途切れた無機質な音を耳に入れながら、朝海が思考停止でもしているかのようにしばらくの間、固まる。


「すぐ来るそうだ」

「えっ、絶対そんなこと言ってなかったよね!?」


 さらっと言葉を吐いて、携帯をもとのポケットへと戻す朝海に、硝子が教室の中から思わず突っ込みを入れる。


「仲河君、学校に居ないの? でもじゃあどうやって夢喰をっ」

「大丈夫だ」


 不安げに問いかける硝子の言葉を、朝海が勢いよく遮る。


「何も問題はない。君たちはここで待っていてくれ」


 朝海が告げたその言葉に、硝子が表情を曇らせる。


「でもっ!」

「外へ出ようか、夢喰」


 言い返そうとした硝子の言葉を許さぬように、朝海があっさりと硝子に背を向ける。朝海が右手を振り払うと、犀はその巨体を大きく崩し、転がるようにして教室の扉と廊下の向こうの壁を突き破り、外へと落下していった。

 光を纏った朝海が宙に浮くようにして、犀の後を追っていく。


「サイ子さぁ~ん!」


 朝海に飛ばされていってしまった犀へと手を伸ばす水無月の横で、不安げな表情を見せる硝子。


――――どうか僕を、待っていて――――


「“待っていて”って、そればっかり……」


 夢で何度も見たその言葉を思い出し、その言葉を先程の朝海の姿と重ねて、硝子が苦しげに声を落とす。


「もう、待ちくたびれたよっ」


 顔を上げた硝子が意を決した表情を見せる。


「水無月君、ごめん!」

「へ? ぐおぅ!」


 近くの机の上に置いてあった鞄を勢いよく振り切り、水無月の顔面に直撃させる硝子。水無月が気を失い倒れたことを確認すると、硝子はすぐに朝海を追って教室を出た。




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