Dream.12 再生の朝 〈3〉
朝海の助けを借り、刀から形を変えた燈が見せた本来の姿は、美しく輝く翼を持った巨大な金色の天馬であった。鬣も尾も、しなやかな体躯もすべてが金色だ。その美しく堂々とした姿に、敵である水無月までもが目を見張る。
「天馬……、宵と同じ有翼の獏」
「目醒めた。良かった。う、うぅ」
驚きの表情を見せる水無月とは対照的に、ホッとした笑みを浮かべながらも少し苦しげに膝をつく朝海。ただでさえ夜力を浴びて傷だらけだったというのに灯子に朝力を送ったことで、限界を超えてしまったのだろう。
「燈」
灯子の呼びかけに素直に応じるように、灯子のもとまで降下した燈が前足を差し出して灯子の足場を作る。
「それがお前の本当の姿か」
知的な瞳でそっと頷き、灯子に応える燈。燈が前足を振り上げ灯子を広い背の上へと乗せると、燈は首を背の方へと向け、合図を待つように灯子に視線を投げかけた。
燈のその視線にしっかり答えるように、灯子が力強く頷く。
「一気に夜を斬り裂くぞ、燈!」
眩い金光を放ちながら、燈と共に夜力の塊へと突っ込んでいく灯子。再び塊と正面からぶつかり合うが、今度は止められることなく燈は一気に夜力を内部まで貫いた。
「何!?」
水無月が驚きの表情を見せる中、貫かれた夜力が外部からどんどんと散っては消えていく。
「僕の、宵の夜力がっ」
信じられないといった表情で水無月が呟きを落としている間にも、灯子と燈は夜力のさらに内部へと躊躇うことなく突き進んでいく。塊の半分以上が散り、右方の翼が折れるようにして消えていく中、灯子は向かっていく先に、眠る硝子の姿を見つけた。
「燈」
灯子の声に燈がすぐに体を止める。止まった燈の背から降りた灯子は、燈が空中に作った金光の道を歩くようにして硝子のもとへと向かった。
「硝子、硝子!」
灯子が大きく肩を揺らし呼びかけるが、硝子は深く瞳を閉じたまままったく動かない。
「起きろ! 起きろ、硝子! 硝子!」
何度も何度も声を張り上げて呼びかける灯子。だが硝子に反応はない。その間に左方の翼も折れ消え、硝子を包んでいた夜力の塊はもうほとんどが失われていた。
「何でだ! 夜力はもう消えかけなのに、何で起きないんだよ! 硝子!」
「無駄だ!」
下方から響く水無月の声に灯子が視線を落とす。
「見ろ、この一面夜に染まったままの世界を!」
水無月が周囲を示すように大きく右手を広げる。確かに夜力の塊は失われたが、夜に染まった世界に変化はなく、相変わらず月だけが唯一の光りとして君臨していた。
「宵は完全に夜に堕ちたんだ! 今更お前の呼びかけくらいで目覚めたりはしない!」
「そんなっ」
水無月の言葉に険しい表情となる灯子。
「そんなのダメだ。起きろ、起きろよ! 硝子!」
まるで願うように、まるで縋りつくように、灯子がもう一度硝子へと呼びかける。
「硝子ぉぉぉっ……!」
灯子の悲痛な叫びを膝をついた状態のまま、静かに聞く朝海。
「ハァ、ハァ」
苦しげに息を乱したまま、朝海がゆっくりとした動作で右手を空へと掲げる。速くない動きで顔を上げた朝海の額には、日の出の印が明々と輝いていた。
「悪しき夜に呑まれし夢よ」
朝海が放ち始めた朝力に気付き、灯子と水無月が同時に朝海の方を振り返る。
「朝海?」
「今再び、朝の光の中に目醒めよ」
戸惑うように灯子が見つめる中、いつもと同じ言葉を放ちながら掲げた右手に朝力を集約させていく朝海。
「“御破夜宇”」
朝海が集約させた朝力の光りを一気に夜空に向かって放つ。だが放たれた朝の光りは、深く巨大な夜の中に一瞬にして見えなくなってしまった。
「あっ……」
消えていく朝の光りに、灯子が絶望の表情を見せる。
「無駄だ」
灯子とは対照的に、満ち足りた笑みを見せる水無月。
「何をやってももう二度と、宵に朝など訪れはしない!」
「硝子……」
水無月の確信に満ちた言葉が響き渡る中、朝海はまるで祈るように硝子の名を呟いた。
――――硝子……
「えっ?」
真っ暗な世界をどこへともなく歩いていた硝子が、かすかに耳に届いたその声にふと足を止めて振り返る。
「今誰か……、ううん。そんなわけないよね」
そっと首を横に振った硝子が、月明かりすらもない真っ暗な空を見上げる。
「こんな夜だけの世界に、誰かなんて居るわけない」
光りのない空を見上げ、硝子が少し悲しげに目を細める。
「私なんていらないんだから、私なんて永遠にこの夜に一人きりで……」
――――俺は夜寝る時より、朝起きた時の方が、百万倍楽しくなるけどね――――
「あ……」
思い出される言葉に、硝子が思わずハッと目を見開く。
「日下部、君……」
――――お前には、他人に触れられてほしくないことが一個もないとでもいうのか!?――――
――――私は夢なんか見ない。私が見ているのは、未来だけよ!――――
――――このまま、夜なんて明けてしまえばいいのに――――
「灯子、麗華ちゃん、お姉ちゃん……」
一つ、また一つと言葉が思い出されるたび、真っ暗だった世界に淡い光りが差し込んでいく。それは薄く小さな光りではあったが、今まで一切明かりの無かったその世界を一変させるには十分な光りだった。
「皆、皆っ……、私、私はいらなくないかな? 私、私はもう一度、朝を求めてもいいのかな……?」
差し込んだ光りが優しく硝子を照らし出すと、硝子は瞳にいっぱい涙を浮かべた。
「私はっ」
――――大丈夫。大丈夫だよ、宵――――
どんどんと強く硝子の世界を照らし出していくその明るい光りの中に、硝子は誰かの優しい笑顔を見る。
――――君にもきっと、朝は来るから――――
「うん。うん、“青”」
笑顔と共に思い出されるその言葉に、硝子が瞳からポロポロと涙を零しながら何度も何度も頷く。
「知ってた。ずっと前から知ってたよ、青」
もうどこにも暗闇などないほどに広がっていく温かな光りを見つめながら、硝子が何とも嬉しそうな笑みを見せる。
「だってあの日、あなたが私に教えてくれたから」
満面の笑みを見せた硝子は、その光りを受け入れるように大きく両手を広げた。
――――パァァァン!
「何っ……!?」
硝子の夢元世界の真っ暗な夜空に突如大きくヒビが入り、水無月が大きく目を見開いた。ヒビ割れたのは朝海が朝力を放った付近の夜空で、ヒビの入ったその場所から眩い朝の光りが硝子の夢元世界全体へと明々と差し込んで来る。
「まさかっ、そんな……!」
声を震わせながら慌てて夜空の月を見上げる水無月。差し込む強い光りに追いやられるように、月はその輝きを徐々に失っていっていた。
「そんなっ、宵の世界は夜で、夜だけで、朝なんて朝なんて二度と来ないはずなのにっ……!」
水無月の言葉とは裏腹に、夜空のヒビはどんどんと空全体に広がっていき、差し込む光りもどんどんと強くなっていく。
「硝子」
戸惑いの表情で差し込む光りを見つめていた灯子が、ふと硝子の方を振り返る。硝子はまだ深く瞳を閉じたままだがその表情は穏やかで、体も淡い金光に包まれ始めていた。
「ダメだ。ダメだよ、宵! 君は僕とここに、永遠の夜にっ……!」
水無月が必死に手を伸ばすその先で、強い日の光りに負け、完全に消え去る月の光り。
「う、うわああああ!」
月の光りが消えると同時に水無月の体が黒光に包まれると、次の瞬間、黒光は水無月と共にその場から姿を消した。
「硝子が夜を追い出したのか?」
「もうすぐ夜明けだ。夢元世界が閉じる。その前に脱出するぞ、灯子」
後方から響く朝海の声にすぐさま振り返る灯子。
「硝子は?」
「ここは硝子の夢元世界だ。脱出するのは俺たちだけでいい」
朝海の言葉を理解した灯子が少し名残惜しそうに眠ったままの硝子の方を見ながら、燈の背に乗り、膝をついたままの朝海のもとへと翔け抜けていく。
「晃由は?」
「大丈夫、晃ならもう外だ。君は傷だらけでもう一歩も動けない俺を連れて、脱出してくれ」
「傷だらけじゃなくても獏の力借りねぇとお前は外出れねぇだろうが」
言い訳がましく言葉を並べる朝海に呆れた表情を見せながらも、灯子が燈に指示を送り、燈の背の上に朝海を乗せる。二人を乗せた燈が大きく翼を広げ、光りの差し込む空のヒビへと飛び出していく。
「このまま突っ込むぞ!」
「ああ、頼む」
二人を乗せた天馬は、硝子の夜へと目一杯差し込む日の光りの中へと飛び込んでいった。
「ん、んんっ……」
灯子がゆっくりと目を開くと、そこは先程までいた暗く広い夢元世界ではなく、狭い病院の一室であた。カーテンを閉じていなかった窓の向こうから、目一杯に太陽の光りが差し込んで来る。
「朝、か」
まだ光りに慣れない目を細めながら、ゆっくりとその場に立ち上がる灯子。
「あ、硝子はっ……!?」
思い出したように硝子の名を呼び、灯子が慌てて窓から寝台の方へと視線を向ける。
「あっ」
振り返った瞬間に、灯子が大きく目を見開く。
穏やかに微笑んだ曜子と晃由が立つそのすぐ横、寝台の上で起き上がったその人物は、灯子と同じ顔立ちで、灯子にそっと微笑みかける。
「硝、子?」
向けられる微笑みに、まだ現実のものとして受け入れられていない様子で灯子が声を震わせる。
「灯子」
「硝子っ……!」
呼ばれる名に弾かれるように、灯子が硝子のもとへと飛び出していく。
「硝子、硝子、硝子っ……!」
きつく硝子の体を抱き締めて、瞳を閉じた灯子が止まらない涙を流す。
「ごめん。ごめんね、灯子」
灯子と同じように涙を流しながら、硝子が灯子へと謝罪の言葉を向ける。
「ごめんねっ……」
宥めるように灯子の頭を撫で、何度も灯子に謝りながらも、硝子はその表情に笑みを浮かべていた。
「ん~」
そこに、灯子に少し遅れるようにして朝海がゆっくりと床から起き上がる。まるでただ眠っていたかのように寝惚けた表情だ。
「おはようさん。無事目的達成だな」
「ああ」
晃由の言葉に答えながら、抱き合う硝子と灯子二人の姿を確認し、安心したような笑みを見せる朝海。少し重たそうに体を立ち上がらせた朝海がゆっくりと寝台へと歩み寄っていくと、それに気付いたように硝子は朝海へと視線を向けた。
「日下部君」
「おはよう」
朝海の向けたその一言に、硝子が大きく目を開く。
「おはよう、硝子」
向けられる朝海の笑顔に、再び込み上げた涙をいっぱいに溜めながら硝子が思い切り笑顔を零す。
「おはよう、日下部君」
硝子の長い夜は明け、二人はようやく本当の“おはよう”を互いに向けたのであった。




