Dream.09 迫り来る夜 〈3〉
輝に乗り込みすぐに赤槻高校へと戻った朝海たちは、二分も経たないうちに曜子の居る保健室へと辿り着いた。そこで晃由は曜子から、いくら人気がないとはいっても輝を連れて学校に入ってはいけないと注意され、すぐに輝を消し去った。曜子は保健室の寝台に硝子を寝かせると、診察を行った。
「うーん。特に外傷も見当たらないし、大丈夫だと思うわ」
硝子の眠る寝台を覆うカーテンを閉め、椅子に腰かけている朝海と晃由の方を振り返って曜子がおっとりとした笑顔を見せる。
「でも急に倒れたんだぜぇ?」
「夢喰が無事に倒されて、気が抜けちゃったんじゃないかしら。狙われてる子を連れて、逃げ回ってたんでしょう?」
不安げに問いかける晃由に曜子がまた笑顔を向ける。
「それもそうか。まぁ怪我がないなら良かったよ。なぁ、朝海」
晃由が振り向くと、朝海は何やら気難しげな表情で考え込んでいた。
「朝海?」
「え? あ、ああ。そうだな」
もう一度呼びかけた晃由に、鈍い返答をする朝海。
「そういえば日下部君、あれから体の調子はどう?」
ふと話題を変えるように朝海に問いかける曜子。あれからというのは、朝海が曜子の獏による治療を受けた八雲の夢喰により傷を負った時のことを言っているのだろう。
「朝力が戻るまで一週間くらいは眠たかったけど、今はもう大丈夫です」
「そう。なら良かった」
朝海の言葉に曜子が安心の笑顔を見せる。
「硝ちゃんは私が連れて帰るから、あなたたちはもう帰りなさい。もうすぐ下校時間だし、夢喰を倒して疲れたでしょう?」
「確かに満腹だし疲れたなぁ。んじゃまぁ硝子ちゃんは曜子先生に任せて帰るとするか、朝海」
「ああ」
言葉を交わして朝海と晃由がそれぞれ椅子から立ち上がる。扉を開けて保健室を出て行く二人を、扉に歩み寄って見送る曜子。
「じゃあ、気を付けて帰ってね」
「はぁーい」
笑顔の曜子につられるように緩い笑みを浮かべて、晃由が保健室に背を向け廊下を進んでいく。朝海も晃由に続き廊下を進むと、人気のない廊下に保健室の扉が閉まる音が響いた。その音に足を止めた朝海が、ゆっくりと保健室の方を振り返る。
――――朝の光の中で、あなたを待っていられなくて……――――
申し訳なさそうに落とされた硝子の言葉を思い出し、朝海が少し眉をひそめる。
「なら君は今、どこに居るっていうんだ……?」
朝海の問いかけに、答える者は居なかった。
――――私なんて、居なくなればいい。
「硝子は行きたい! 絶対今日行くの!」
中学生の硝子はまるで幼い子供のように頬を膨らませ、固い意志を滲ませて強く言葉を放った。
「だって、二ヶ月も前から約束してたじゃない! 絶対今日行くって」
「仕方ないでしょう? 灯子が風邪引いちゃったんだから。熱のある灯子を一人、置いてなんていけないじゃない」
硝子によく顔立ちの似た硝子の母は、我が侭を言う硝子に少し呆れたような表情を見せていた。
「私なら一人で大丈夫だよ。母さん」
そこへリビングの入口から硝子とまったく同じ容姿をした、だがどこか苦しげな様子の灯子が姿を見せる。顔はのぼせたように赤く、額に汗もかいており相当にしんどそうだ。
「三十八度も熱があるのに何が大丈夫なの。あなたは大人しく部屋で休んでなさい」
「でも硝子が行きたいって」
「いつも硝子硝子って、あなたはもっと自分を優先させることを覚えなきゃねぇ」
困ったように肩を落としながら、母親が灯子の体を支えるようにしてリビングから出て行く。
「どうしたんだ、硝子」
部屋に残された硝子に、リビングのソファーに腰掛けている、いかにも優しそうな笑顔を見せた父親が気遣うように声を掛ける。
「いつもはそんな我が侭言わないのに」
「今日は、今日だけは絶対行かなきゃダメなの! 絶対に!」
「硝子」
必死に声を張り上げる硝子に、余程珍しいことだったのか驚きの表情を見せる父親。
「いい加減にしなさい、硝子」
そこへ灯子を部屋まで連れて行き終えた母親が、リビングへと戻ってくる。
「灯子の風邪が治ったら、また行けばいいだけの話じゃない」
「今日じゃなきゃ意味ないの!」
「はぁ。何を訳のわからないことを」
まったく譲ろうとしない硝子に、母親が困ったように頭を抱える。
「いいんじゃない? 三人で行って来たら?」
「お姉ちゃん!」
リビングに姿を見せたのは、穏やかな父親とよく似たおっとりとした笑顔を見せた曜子であった。
「灯子は私が看てるから。養護教諭が付いてれば、お母さんも安心でしょ?」
「でもあなた、仕事じゃ」
「大丈夫。今夏休みだし、妹が風邪でって言えば休みくらい貰えるよ」
心配するように問いかけた母親に、曜子が安心させるように言葉を向ける。
「普段大人しい硝ちゃんがこんなに必死にお願いすることなんて、もう二度とないかもだし。行って来なよ。ね?」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
嬉しそうな笑顔を見せた硝子が、曜子へと思い切り抱きつく。
「じゃあ準備するとしようか」
「仕方ないわねぇ。早めに帰るようにするから、それまで灯子をお願いね。曜子」
「任せて」
母親の言葉に、曜子はしっかりと頷いた。
そして硝子は家に曜子と灯子を残し、父と母と共に車に乗って出掛けた。
「でもどうしてそんなに星ヶ浜に行きたいの?」
運転席の父親に飲み物を渡しながら、助手席に乗った母親が後部座席に乗る硝子へと問いかける。硝子は窓から外の景色を見つめ、徐々に近付いてくる海に目を輝かせていた。
「約束したの。あの場所でもう一度逢おうって」
「もう一度? あなた、行ったことないでしょう?」
「うん。でも約束したの」
母親の問いかけに答えながら、硝子が満面の笑みを見せる。
「ずっとずっと昔に」
「よくわからない子ねぇ」
硝子の言葉の意味がさっぱりわからずに、首を傾げながら母親が再び前方を見る。前を向き直した母親の視界に飛び込んできたのは、反対の車線から大きくはみ出し、こちらへと向かって来るトラックであった。
「あなた……!」
「うわあああ!」
「えっ?」
父と母の声に、景色を見ていた硝子が前を向く。
「あっ……!」
次の瞬間、硝子たちの乗った車はトラックと衝突した――――
一切の光のない真っ暗な空間の中、硝子は過去の夢からゆっくりと目を覚ました。目の前に広がる暗闇は、目を覚ましたことすら不確かにさせる。
「私、なんて……」
暗闇の中に横たわったまま、硝子が目尻から静かに涙を流す。
「居なくなれば、いい……」
「悲しい夢だね、ショウ」
すぐ傍から聞こえてくる声に、硝子が少し首を傾ける。低く落ち着いた、暗闇によく似合う男性の声。声は聞こえても、光のないこの空間の中ではどこに誰が居るのかまったくわからない。
「誰……?」
「僕は修夜。修夜だよ」
「修、夜……?」
聞き覚えのない名を、硝子が戸惑うように繰り返す。
「そう。また悲しい夢を見てしまったんだね、ショウ」
はっきりとは見えないが、冷たい手が横たわったままの硝子の髪を撫でた。
「僕がせっかく眠らせてあげたのに、君がまた朝の光りを求めたりするから、また夢を見ることになったんだよ」
「私が、光りを……?」
修夜と名乗った男の言葉を繰り返しながら、硝子が困惑の表情を見せる。
――――どうか僕を、待っていて――――
「そう。私は朝の光りに、あの人に、出逢うために……」
「可哀想なショウ」
硝子の言葉を遮るように、修夜の声が響く。
「もう十分苦しんだのに、またこんなに悲しんで」
硝子を案じることばかり言う修夜のその声が、硝子には心のこもっていないどこか冷たいものに感じた。
「僕が君を悲しみから解放してあげるよ」
まだ涙の溢れ出る硝子の瞳の上に修夜の手のひらが覆いかぶさると、突然の強い眠気が硝子を襲った。
「さぁおいで、ショウ。僕と君の永遠の夜に」
眠気に誘われるように、硝子はゆっくりと開いた瞳を閉じていく。
「“御夜棲魅”……」
修夜にいざなわれ、硝子は夜の中へと落ちていった。
―――ダメだ、硝子。行くな、行くな!
「行くなっ……!」
保健室の寝台の上に横たわっていた硝子が大きく目を見開き声を目一杯張り上げて、勢いよく寝台から起き上がる。
「ハァ、ハァ、ハァっ」
起き上がった硝子が胸に手を当て、荒れた呼吸を整える。
「どうしたのぉ? 急に大きな声出して」
その時寝台を包んでいたカーテンの右側が開き、診察スペースの方から曜子が顔を出した。
「良かった、目が覚めたのねぇ。硝ちゃん、どこか痛いところはない?」
強く胸を押さえたまま硝子は微動だにせず、曜子の問いかけにも答えようとしない。
「痛いところがないなら、そろそろ七時になっちゃうから早く支度して帰っ、あら?」
ふと言葉を止め、硝子の方を見た曜子が目を何度も瞬かせる。
「あなたは……」
「硝子が」
胸の前で手を握り締め、険しい表情を見せる。
「硝子が、居ない」
灯子が発したその言葉を聞き、曜子もまた険しい表情となった。




