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Dream.08 守れなかった夢 〈1〉

 赤槻高校、放課後。


「ふわぁ~あ」


 大きな欠伸をしながら、他の生徒たちと共に正門に向かって歩いているのは朝海であった。今日もほぼ一日中眠っていたというのに、目の下にはまだ深く隈が刻まれており、本人も相当に眠そうである。


「今日はいつにも増して眠たそうだね、日下部君」


 そんな朝海の横に並んで歩きながら、その眠たげな表情を覗き込む硝子。


「まだ朝力が回復し切ってないからかな。いくら眠っても眠いんだ」


 また大きな欠伸をしながら、朝海が硝子の問いに答える。


「朝力が? でもこの間はお姉ちゃんが」

「曜子先生の獏に体内の夜力は完全に除去してもらったけど、失った朝力が戻るには時間がかかるから」

「そっか」


 朝海の言葉に頷きながら、硝子が心配そうな表情を朝海へと向ける。朝力を失うということは、硝子が思っている以上に朝海の体に負担をかけるのかも知れない。


――――消すな、自分の夢だけは――――


 それを知っていながら危険も顧みずに八雲を助けた朝海の姿を思い出し、硝子がどこか考え込むような表情を見せる。


「あの、日下部君」

「ん……?」

「あ、朝海クゥーン!」


 硝子が問いかけようとしたその声は、大きく朝海の呼ぶ少女の声に掻き消された。下校途中の生徒が皆振り返るほどの大声が聞こえてきた方を朝海と硝子が振り向くと、そこには真っ赤なランドセルを背負った茜の姿があった。茜は満面の笑みで朝海に大きく手を振っている。


「茜……?」

「あぁー!」


 朝海が怪訝そうに眉をひそめる中、茜が遠慮なく正門を抜けて高校の敷地内へと入って来る。ずんずんと歩を進めて茜が立ったのは朝海ではなく、朝海のすぐ横の硝子の前であった。


「何で、カップルっぽく朝海クンと並んで帰って来てるの!? ズルい!」

「ご、ごめんなさい」


 一方的に責められた硝子が、とりあえず謝る。


「トモさんにこの前借りた傘返すついでに、一緒に帰ろうとしてただけなんだけど」

「何にしたってずるいわよ! 私だって朝海クンと制服下校したいのに!」

「六歳差じゃ無理だ。諦めろ」


 硝子へとまだ文句を放つ茜に、朝海が冷たく言葉を発する。


「バカ晃は?」

「クラスの人とカラオケ行くって言ってたよ」

「役立たずねっ。何、二人っきりにしてるのよ」


 小学生に散々な言われようをしている晃由に、硝子が同情するように乾いた笑みを零す。


「で、茜がどうしてこんな所に?」

「ああ、そうそう。朝海クンに会いたいって言うから連れて来たの」


 思い出したように頷いて、茜が再び正門の外へと出て行く。朝海と硝子も茜を追うようにして正門を出ると、そこには見覚えのある少女が立っていた。


「八雲さんっ」

「こ、こんにちは」


 茜と同じように高校の前では不釣り合いの赤いランドセルを背負って正門のすぐ傍に立っていたのは、八雲であった。驚きの表情で名を呼んだ硝子に、八雲が少し緊張したような笑顔を向ける。


「どうしてここに……って、あっ」


 八雲が背負っているランドセルを改めて見て、硝子が何かに気付いたように声を発する。


「八雲さん、学校行けるようになったの?」

「うん! いっぱいお願いしたら、お父さんもお母さんもいいって言ってくれたの」

「そっかぁ」


 嬉しそうな笑顔を見せる八雲に、硝子も安心したように微笑む。


「良かったねぇ」

「うん。茜ちゃんも友達になってくれて、他にもたくさん友達が出来て、毎日すっごく楽しい!」

「別に友達になってくれって言われたから、仕方なくだけどね」


 八雲の言葉に素気なく付け足しながら、茜が照れ隠しのようにそっぽを向く。


「これも全部、お兄ちゃんたちのお陰」


 一層笑顔を大きくした八雲が、背の高い朝海を目一杯見上げる。


「お兄ちゃんが守ってくれたから、お兄ちゃんが夢を消すなって言ってくれたから私、自分で自分の夢を叶えられた! 本当にありがとう」


 先日泣いていた姿など嘘のように晴れやかな笑みを浮かべる八雲を見て、朝海が穏やかな笑みを零す。


「どう、いたしまして」


 朝海の言葉を聞くと、八雲はまた嬉しそうに笑顔を見せた。


「お姉ちゃんもありがとう」


 今度は硝子へと礼を向けた八雲が、硝子のすぐ傍まで寄っていく。


「もう一人の刀のお姉ちゃんにも、“ありがとう”って伝えて」


 茜には聞こえないように小声で呟いた八雲に、八雲が硝子と灯子が別人であることを理解していることを知り、硝子は一瞬戸惑った表情となるがすぐに笑みを浮かべ、その言葉に頷きを返した。


「うん」

「あ、後あの金髪のお兄ちゃんにも」

「バカ晃にはいいわよ、お礼なんて」


 顔の前で何度も手を振る茜に、硝子が思わず吹き出す。


「あれ? そのぬいぐるみ」


 硝子が八雲のランドセルにぶら下げられた小さな熊のぬいぐるみに気付く。同じ茶色の熊のぬいぐるみだが、夢喰を生んだぬいぐるみの耳ほどの大きさしかない。


「あ、これね。イベさん!」


 硝子にぬいぐるみを見せるように体の向きを変えながら、八雲が笑顔で名前を告げる。


「イベさん?」

「うん。二代目アベさんだからイベさんっ」

「変なネーミング」


 八雲の横で茜が思わず呆れた表情を見せる。


「お父さんがアベさんの代わりに買ってくれたの」

「また夢喰に夢を喰われないようにしないとな」

「大丈夫だよ」


 朝海の言葉に八雲がすぐさま答える。


「私もう、誰かに自分の夢を押し付けたりしないから」


 小学生とは思えない大人びた表情で言い放つ八雲に、朝海は少し驚いた表情を見せたがすぐに笑みを見せ、八雲の言葉を認めるようにそっと頷いた。


「じゃあ、そろそろ行こっか」

「うん」


 茜の言葉に八雲が大きく頷く。


「朝海クン、私今から八雲の家に遊びに行って来るから、トモさんにそう伝えといて」

「ああ、わかった」

「遅くなるかも知れないから、その時は朝海クン迎えに来てくれる?」

「五時までには帰れよ」

「初めっから迎えに来る気なし!? もう朝海クンのバカ!」


 朝海の釣れない態度に頬を膨らませたのも束の間、茜は楽しそうに八雲と会話しながら八雲の家の方向へと駆け出していった。茜の背を見送った朝海が、疲れたように肩を落とす。


「眠い時は、あいつの声が一番きつい」


 頭痛でもするかのように軽く頭を押さえる朝海。そんな朝海を見て、硝子が少し困ったような笑みを零す。


「でも本当に良かった。八雲さんの夢が消えなくて」


 そう言って、心から安心したように胸を撫で下ろす硝子。灯子が一歩間違えば、熊のぬいぐるみの夢と共に八雲の夢まで消してしまうところだったため、今日の嬉しそうな八雲の姿に硝子もホッとした部分は大きかったのだろう。


「日下部君のお陰だね」


 硝子の言葉に笑みを零しながらも何か考え込むような表情を見せる朝海に、硝子がそっと表情を曇らせる。


「八雲さんの夢を守っても、日下部君の償いは終わらないんだね」


 正門前からゆっくりと歩を進めながら、硝子がポツリと言葉を落とす。朝海は硝子に続くように歩き出しながら、その言葉に少し表情を曇らせた。


「珍しいね。君がそういう、俺に踏み込むようなことを言うなんて」


 明るく騒ぎながら下校していく生徒たちの中、対照的なほど静かに声を落としながら朝海と硝子が並んで歩く。


「俺に踏み込んで困るのは君だろう? 俺が君に踏み込んだ時に答えなきゃいけなくなる」

「うん、そうだね」


 一本道を下りきったところで駅に向かう多くの生徒たちとは逆の道を進み、朝海の家のある方角へと曲がっていく二人。曲がった途端に午後の住宅街の静けさが二人を包む。


「踏み込まれたら困るのに、たぶん答えることなんて出来ないのに、でもそれでも知りたいって思ってる」


 ゆっくりと振り向き、朝海へと笑顔を見せる硝子。


「日下部君のことを知りたいって思ってるよ。どうしようもなく」


 困ったような笑みを見せる硝子のそのまっすぐな言葉に、朝海が地面を見下ろしたまま、戸惑うように瞳を揺れ動かす。


「あの……」

「ごめん」


 少しの間を置いて呟かれた朝海の言葉を遮るように、硝子が短く謝る。


「困らせちゃったね」

「別に、困っていないよ」


 すぐに否定する朝海に、硝子が少し首を傾げる。


「俺は、君が聞かれて嫌だと思うことに二度と踏み込むつもりはないし、俺のことで君に知って欲しくないと思うことは一つも……」


 そう言いかけたところで朝海がふと言葉を止める。


「いや、一つはあるか。押入れのシャンデリアちゃんコレクションとかもあるし、えっと二つ? いや、三つ……」

「もういいよ」


 深く考え込み始める朝海を止める、少し引きつった笑みを見せた硝子。


「でも君がどうしてもと言うんなら、特別にシャンデリアちゃんコレクションを見せても」

「だからもういいってば。って、わあぁ!」

「きゃあ!」


 朝海の方を見ていた硝子が角から出て来た人物に気付かずに、その人物とそのまま勢いよくぶつかった。どちらも倒れるということはなかったが、硝子がぶつかった人物が持っていた荷物が思い切り地面に散らばる。


「す、すみません!」


 慌ててしゃがみ込み、地面に散らばった荷物を拾い上げる硝子。落ちた紙袋に入っていたのは大量のパンフレットや小冊子であった。


「こっちこそ、ごめんなさい」


 硝子とぶつかった黒いパンツスーツ姿の女性が、硝子と同じようにしゃがみ込んで落ちたものを拾っていく。まだ二十代半ばくらいの若い女性で、すっきりとしたショートカットにハツラツと明るそうな見た目であった。


「って、あれ?」


 その女性が硝子を手伝おうとしゃがみ込んだ朝海の方を見て、眉をひそめる。


「その目の下の隈、もしかして日下部!?」

「えっ?」


 名を呼ばれた朝海が戸惑うように顔を上げる。


「晴香、先生……?」


 女性の顔を見た朝海が驚きの表情となる。


「やっぱ日下部だ!」


 皆で拾った荷物を再び紙袋へと収めながら、晴香が明るい笑顔を見せる。硝子が戸惑いの表情を見せる中、とりあえず三人がしゃがみ込んでいる状態から立ち上がる。


「たった三年で、よくここまで大きくなったわねぇ。さすが成長期。そのくっきりとした隈がなきゃわかんなかったわっ」


 立ち上がった朝海を見上げるようにしながら、晴香がどこか嬉しそうに言う。


「この時間で隈があるってことは、今日の授業は起きてたわけ?」

「全然……」

「全然じゃないわよっ」


 思い切り首を横に振る朝海に晴香が呆れた表情を見せる。


「けど、日下部の家って確か郊外じゃなかったっけ?」

「叔父さん家に引っ越したんだ。すぐそこの喫茶店。高校もすぐそこ」

「へぇ~」

「日下部君、知ってる人?」


 会話の邪魔にならないように少し遠慮がちに、硝子が朝海へと問いかける。


「あ、勝手にベラベラとごめんなさい。何、日下部の彼女?」

「えっと……」

「いえ、まったく違います。ただのクラスメイトです」


 晴香からの問いに答えを選ぼうとした朝海であったが、選ぶ間もなくはっきりと答えた硝子に朝海が肩透かしを食らう。


「アハハ、まったくだって」

「え?」


 可笑しそうに笑みを零す晴香を見て、自分の発言に何の疑問も持っていない硝子が不思議そうに首を傾げる。


「私、林晴香。日下部が中学の時、教育実習で日下部のクラスを受け持ってたの」

「へぇ。あ、だから“先生”」


 先程朝海が呼んだ名に納得がいったように硝子が頷く。


「“先生”って言われるのなんて何か照れ臭いけどね。今となってはただの営業ウーマンだし」

「営業?」

「そう、プリンター売ってるんだ。ほらっ」


 聞き返した朝海に頷きながら、晴香が先程地面に散らばった大量のパンフレットの一枚を取り出し二人へと見せる。


「そうだ。日下部、三次元プリンター買わない?」

「買わないよ」

「だよねぇ。ちなみに彼女は?」

「買わないです」

「だよねぇ」


 笑みを見せながらも少し困ったように頭を掻く晴香。


「これがなっかなか売れなくってさぁ。って、高校生に愚痴っても仕方ないか」


 パンフレットを紙袋に入れると、晴香が浮かべた笑顔を引き締まったものへと変える。


「仕事の途中だから、私もう行くわ。この辺り担当だから、また会ったらよろしく」


 軽く手を振り上げると晴香は高いヒールの音を響かせながら、その場を歩き去っていった。晴香が角を曲がってその姿が見えなくなるまで、朝海と硝子が背を見送る。


「明るい人だねぇ。いかにも生徒に人気出そうな感じ」


 晴香の背を見送った硝子が晴香につられるように笑顔を見せる。


「でもプリンター売ってるってことは、教育実習してたのに先生にはならなかったんだね。晴香さん」


 硝子が振り向くと、朝海はどこか苦しげな表情で俯いていた。朝海の表情に気付き、硝子が眉をひそめる。


「日下部君?」

「ならなかったんじゃない。俺が消したんだ」


 呼びかけた硝子に、朝海が低い声を返す。


「“先生になりたい”っていう、先生の夢を」


 朝海のその言葉を耳に入れると、硝子は険しい表情を作った。



――――ごめんなさい、先生……――――




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