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Dream.06 体育祭で自己主張 〈1〉

 短い春はあっという間に過ぎ去り、五月。

 赤槻高校は春の陸上体育祭を来週に控えていた。ちなみに赤槻高校は夏には水上体育祭、秋には球技大会があるという、何故かスポーツイベントの盛んな高校なのである。

 学年別に競技種目は異なり、各クラスでの対抗戦が行われ、優勝クラスには食堂の無料利用券が賞品として与えられるため、生徒も教師も比較的真剣に取り組んでいた。


「結構遅くなっちゃったね、委員会」

「もう来週が本番だからね」


 水無月と共にクラスを代表して体育祭の実行委員に選ばれた硝子は、放課後行われた実行委員会に参加していた。段取りについての相談を重ね、気が付けばもう間もなく下校時間である。

 疲れた様子の硝子とは違い、水無月は相変わらずの爽やかな笑顔を見せている。

 他薦の硝子とは違い、水無月は他の委員会の活動や部活もあるというのに実行委員に自ら手を挙げてなった物好きだ。何故そんなに頑張るのかと問いかけた硝子に、水無月は単純に好きだからとそう答えた。どうやら、面倒なことは引き受けてしまう性分のようだ。


「そういえば浅見さんは競技、何に出るの?」

「大玉転がし」

「そんな競技あったっけ?」

「一応ね」


 戸惑いの表情を見せる水無月に、硝子が少し困ったような笑みを零す。


「何か意外だな。浅見さん足速いし、得点の高い混合たすきリレーとかに出れば良かったのに」

「リレーは人気競技だから。女子の種目は皆の希望聞いて決めたし」

「それで、浅見さんが余りものの大玉転がし?」


 すぐに頷くことが出来ず、硝子が困った笑みのまま頭を掻く。


「そういえば一年の時もそうやって種目譲ってあげてたよね、浅見さん」

「私は別に、リレーでも大玉転がしでも何でもいいから」


 水無月に答えながら少し自嘲するような笑みを浮かべる硝子。


「そっか。まぁ、それが浅見さんのいいところだよね」

「え?」


 水無月の言葉に硝子がふと廊下で足を止め、聞き返す。


「いいところ?」

「うん」


 同じように足を止め、硝子の方を振り向いた水無月が頷く。


「自分の希望より他人の希望を優先する。つまりは優しいんだよ」


 水無月の言葉が自分の中でしっくり来ずに、硝子が思わず首を捻る。


「それは違うよ」


 すぐさま否定する硝子に、水無月が戸惑いの視線を向ける。


「私は優しいわけじゃない」


 立ち止まっていた硝子が再び歩を進め、戸惑う水無月の横を通り過ぎて自分たちの教室の前扉を開ける。


「本当に、希望がないだけだから」


 そう言って教室の中へと入っていく硝子の背をどこか厳しい表情で見送り、水無月も続いて教室へと入っていく。


「あ」


 さすがにもう誰も居ないかと思った教室の窓際の一番後ろの席には、相変わらず机に突っ伏し眠っている朝海の姿があった。


「まだ寝てる」

「相変わらずよく寝るねぇ、転校生君は」


 呆れた表情を見せる硝子の横で、水無月が感心するように言う。


「日下部君、そろそろ起きないと校舎閉まっちゃうよ?」


 荷物を取りに自分の席へと戻るついでに、隣で眠る朝海へと声をかける硝子。


「んん~」


 硝子の声に多少の反応を示したのか、朝海が言葉にならない声を漏らす。


「そういえば水無月君は競技、何に出るの?」

「ん? 男女混合たすきリレー」

「あ、やっぱり」


 机にかけてあった鞄を肩に掛けながら、硝子が納得するように頷く。


「二年の花形競技だもんね。やっぱり水無月君がアンカー?」

「ううん、僕は第一走者。アンカーは彼」

「ええっ!?」


 水無月が指差した方向で眠っている朝海を振り向き、硝子が驚きの声をあげる。


「な、なんでまた日下部君をアンカーになんて……」

「種目決める話し合いの時も彼ずっと寝てたから、皆が面白がって押し付けちゃって。後、混合リレーのアンカーなら登場は最後の最後だし、その頃には起きてるだろうって話になって」

「ああ、それは確かに」


 丁寧に説明をする水無月に、大きく頷きを零す硝子。


「でも大丈夫かなぁ?」


 眠ったままの朝海を見つめ、硝子が不安げな表情を見せる。


「浅見さんて、本当に転校生君のことが好きだよね」

「へ? いや、あの、その、そんなことは全然っ」

「“昔から”」

「えっ?」


 水無月が付け加えたその言葉が引っ掛かり、硝子が必死に否定しようと並べていた言葉を止める。


「じゃあ僕、部活に行くから。また明日ね」

「あ、うん」


 硝子が言葉の意味を聞き返す間もなく、鞄を持った水無月はすぐに教室を後にした。残った硝子が困惑の表情で、ゆっくりと朝海の方を振り向く。


「昔、から?」


 硝子が朝海に対して抱いている、出会って一ヶ月程だというのに、ずっと昔から知っていたような感覚。その感覚がどこから来るものなのか、硝子はまだ答えに辿り着けずにいた。


「でもなんで水無月君がそのこと……」

「めん……、さ……」


 硝子が考えを巡らせていたその時、朝海が小さく落とした声に気付き硝子がまた振り向く。


「ごめん……、なさい……」


 今度ははっきりと聞こえてくる悲しげな謝罪の言葉に、硝子が眉をひそめる。


「“償い”」


 先日朝海が発した言葉を思い出し、硝子は静かに表情を曇らせた。




※※※




 そして、体育祭当日。


「あぁー本日はこのような晴天に恵まれ、この学校の生徒の日頃の行いがいかに素晴らしいものかが証明されたと言ってもいいでしょう」


 体操着に着替えた生徒が整列したグランドでは、誰も興味を示していないが無駄に長い校長の話が繰り広げられていた。白いジャージに身を包んだ五十代半ばくらいの白髪の校長が、グランドの檀上で使い古されて来た言葉ばかりを並べる。

 そんな中、生徒たちの列の中央付近で、D組用の緑色のハチマキをした麗華が、大きな欠伸を漏らす。


「ったく、とっとと終わんないかしら」

「まだ二分だし、時間は一応十分取ってあるから」


 同じように緑色のハチマキをした硝子が、麗華のすぐ後ろから少し困ったような笑みを零す。硝子の腕には実行委員の腕章が付けられていた。


「だいたい体育祭に校長の挨拶っている? 私、小学校の時からずっと思ってたのよね」

「まぁいるんじゃないかな? 校長先生の威厳を示すためにも一応」


 徐々に集中力が切れ、硝子と麗華のように雑談する者や、やたらと体を動かす者なども出始める中、校長の話は続き、やがて予定の十分が過ぎた。


「あぁー、というわけで今回は諸君のやる気をさらに向上させるべく、食堂のタダ券以外に特別に副賞を用意した」

「副賞?」


 今までまったく興味を持っていなかった校長の話だが、その副賞という言葉に一斉に食いつく全校生徒。ようやく生徒たちの視線が集まり、校長が満足げな表情で口を開く。


「ズバリ、都内の公立高校にしか配られていない、天井シャンデリアちゃんの携帯電話を使いながら自転車乗車は禁止のポスターだ!」


 校長が得意げに皆へと見せたのは、自転車に乗ったシャンデリアが携帯を持った右手と左手を胸の前で交差させ、大きくバツ印を作っているポスターだった。


「この限定三枚のポスターを各学年、それぞれ優勝したクラスの一番活躍した生徒に贈ろう」

「バッカみたい。あんなくだらない副賞に食いつく奴なんて居るはず……」

「よっしゃあ! 全力で勝ちに行くぜぇ、A組!」

「居たわ」


 A組の赤いハチマキを巻いて同じクラスの皆へと大声で呼びかけている晃由の声に振り返り、麗華が呆れ果てた表情で肩を落とす。


「ったく、どこに居てもどいつもこいつもシャンデリア、シャンデリアって。あ、でもこれでクマ野郎もやる気になるんじゃないっ?」


 急に期待に満ちた笑顔となり、麗華がクラスの列の後方を見る。背の高い朝海は一番後ろ付近にいるかと思ったが、後ろどころかクラスの列の中に朝海の姿は見当たらない。


「あれ? クマ野郎は?」

「日下部君ならまだ教室で寝てたよ」

「はぁ~?」


 硝子の答えを聞いた麗華が大きく声を放つ。


「ダメね。クマ野郎がリレーのアンカーなんて、戦う前から負けてるわ。この勝負」

「そんなのまだわからないよ。リレーの頃に起きてもらうためにも、今は寝てる方がいいかもだし」

「ダメダメ。アンカーがクマ野郎な上に、折角足の速い誰かさんはリレーに立候補せずに大玉転がすらしいし」


 引っ掛かる言い方をする麗華に、硝子が思わず顔をしかめる。


「そりゃあリレーよりは地味だけど、別に大玉転がしだって立派な競技で」

「私が文句つけてるのは大玉転がしじゃないわよ。本当は走りたいくせに、“別にいいよ”って何でも譲っちゃう誰かさん」


 麗華が鋭く視線を送り、硝子がその視線から逃れるように俯く中、ようやく校長の話が終わり、開会式が終わって、皆それぞれの場所へと移動を始める。


「準備行こうか、浅見さん」

「あ、うん」


 同じく実行委員の腕章を付けた水無月が、列の後方から硝子の元へとやって来る。


「これから実行委員の仕事?」

「うん、色々と競技の準備とかあって」

「じゃあ先、教室戻ってるわ。頑張って」

「うん」


 硝子と軽く手を振り合うと、麗華は他の女子生徒と共に一旦教室へと戻っていく。その背を見送りながら、考え込むような険しい表情を見せる硝子。


「浅見さん、どうかした?」

「え? あ、ううん。ごめん、行こっか」


 すぐに首を横に振った硝子が、水無月と共に実行委員の集まっている白テントの下へと歩いて行く。


「どうする? 先生呼ぶ?」

「先生より警察じゃない?」

「どうしたの?」

「あ、水無月先輩」


 テントの下で、困った様子であれこれと言葉を交わしていた一年の実行委員たちへと、水無月がすぐに声を掛ける。


「それが正門の前に不審者が来てて」

「不審者?」

「はい。忘れていった弁当を届けに来たって言ってるんですけど、それがもう全然保護者に見えないんですよ」


 大きくしかめた表情で一年の実行委員が言葉を続ける。


「だってスキンヘッドのオッサンが花柄エプロン着てるんですよ? 怪し過ぎますよね」

「あっ」


 すぐに思い当った硝子が思わず声を漏らす。


「浅見さん?」

「その人、保護者で間違いないから先生も警察も呼ばなくて大丈夫。私、お弁当受け取って来るね」


 すぐに正門へと駆け出していく硝子の背を見つめ、水無月や他の実行委員たちは皆、戸惑った様子で首を傾げた。





「トモさん!」

「お、ガラスちゃ~ん」


 硝子が思い当った通り、正門の前にやって来ていたのは朝海の叔父のトモであった。確かに妙に迫力のある長身のスキンヘッド男が、愛らしい花柄エプロンを着ているその姿は不審者にしか見えない。


「良かったぁ~。朝海に弁当持ってきたっていうのに、さっきの子たち全然取り合ってくれなくてさぁ。あ、ガラスちゃん、制服も良かったけど体操着姿もすっごくカワイイねぇ」

「アハハ」


 乾いた笑みを零しながら硝子が通用口から正門の外へと出る。


「これ弁当、朝海に渡しといてくれる? あいつが珍しくリレーのアンカーなんぞをやるっつうから思いっきり速く走れそうなおかずにしといたんだよ!」

「出来れば、速く走る以前に目の覚めそうなおかずが良かったんですけど……」


 トモから大きな弁当箱を受け取りながら、硝子が今度は苦い笑みを見せる。


「んじゃあ俺はこれで。弁当よろしくねぇ~」

「あ、あの!」


 去ろうとしたトモを、硝子が思わず呼び止める。


「あのっ」

「うん」


 言葉を選ぶように躊躇う硝子を振り返り、トモは優しく促すように穏やかに頷いた。


「トモさん、言いましたよね? 獏は異質な形をした獣だって」

「うん、言ったね」

「じゃあトウも、私の中の獏も、仲河君の輝みたいに本当は獣の姿ってことですか?」


 硝子が真剣な表情でトモへと問いかける。


「獏を本来の姿にすることが出来れば、もっと強い力を得ることが出来ますか?」


 硝子のまっすぐな視線を受けとめたトモが、何か思うところでもあるように少し表情を曇らせる。


「強い力を得られたとして、それで、その力でガラスちゃんは何をするの?」


 問いかけを返したトモに、硝子は一層厳しい表情を見せる。


「終わらせます。この夜を」


 はっきりとした口調で硝子が言い放つ。


「……そう」


 硝子の言葉の真意を問うこともなく、トモはまるで何もかもわかっているかのように頷いた。


「なら、止めといた方がいいね」

「え?」


 あっさりと言い切るその言葉に、硝子が目を丸くする。


「止めといた方がいいよ。自分の為に得る力なんて、ロクなものにならないからね」

「でも私はっ……!」

「君がもしウチのバカな甥っ子みたいに、誰かの為にその力を使いたくなったら、その時はまたウチの店においで。相談くらいには乗ってあげるよ」


 それ以上硝子の訴えを聞こうとはせず、トモは笑顔で手を振り上げるとすぐに硝子に背を向け、その場を歩き去っていった。弁当を抱えたまま、正門の前で一人残った硝子が険しい表情を作る。


「誰かの為になんて、そんなこと出来るわけない」


 どこか弱々しく声を落とし、硝子が深く頭を抱える。


「そんなことが出来るなら、この夜はとっくに明けてるものっ……」


 苦しげな声が、誰も居ないその場に響いた。





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