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燃える満月



(…どうしよう、父様に怒られる)

乱入する直前まで、ルルーの胸を隅々まで占めていた心配事は、その一点に尽きた。





鐘つき塔でビアンカの背中を蹴り飛ばした時点で、多少のリスクは覚悟していた。今後どう転がるとしても、自分がスーフェンの国で勝手な振る舞いをすることに変わりはないだろう、と。

ルルーに関しては大抵甘く済ませてしまうジルでも、他者の権利や領域を独断で侵犯した時は、いかなる理由の元であれ厳しかった。ジルは死魂のみならず、真理と秩序を守る神でもあるため、身内であろうと例外を認めないのは当然で、その暗黙の了解はルルーも重々承知していた。

父の叱責を浴びることは、生爪を剥がれるより辛い。誰を敵に回そうと大して恐ろしくはないが、父の険しい貌に見下ろされるのだけは御免被る。ルルーの倫理観と行動原理はそこに基づいて形成されていた。

ジルさえ居てくれれば、ルルーに怖いものは無かった。逆にジルから失望の眼差しを向けられるのは、考えただけで腹の底が冷えて膝が笑う最悪の禁忌、できれば一生避けて通りたい。

それ故顛末(てんまつ)を見届けるためにビアンカの後を追い、離れた樹上に腰を据えてからも、まだ優柔不断にうだうだ煩悶していたのだ。


しかし、広場で繰り広げられ始めた『有り様』を眼にした途端、そんな自己保身的な憂鬱は、それこそあっという間に彼方へと消し飛んだ。



ガキ共の度を越した罵倒と暴力。

止めにも入らず薄ら笑いを浮かべている大人達の姿。

その暴虐は、到底容認も無視も黙殺もできない、致命的なレベルに達していた。



ルルーの双眼が、レムの燃やした雪狼石の相様を呈するのに、さして時間はかからなかった。








大気が唸り、大地が波打つ。

驚きと怯えの叫びに混じり、巻き上がった突風に露天の幌が突き上げられて枠組みが軋んだ。道端に積んであった荷は盛大に傾いで不安定なオブジェと化す。吠えるような風圧が平衡感覚を奪った。

よろめき膝をつく人々の間に、これまでとは違った驚愕が突き抜ける。


春祭りの期間は、束の間の眠りに入ったように完全に風が止むのが常だ。数百年の歴史の上で破られたことの無い、カミガミとの契約の印だった。



それが、破られた。



何より彼等を凪ぎ払った風は、異国の少女の足下(そっか)で巻き起こった。

二つに揺った濃紺の髪が、少女の逆巻く心境を代弁するように、胸の前でせわしなく跳ねている。

漠然とした不安が結晶化した。決定的だった。




誰もが確信した。

―――人ならぬ者の逆鱗に触れた、と。




その危惧を裏付けるように、遠くで狼の鳴き声がいくつも響き渡る。

まるで『彼女』に呼応するように。







雪玉をぶつけた時も、頭を掴んだ時も、ルルーは充分手加減していた。

それは人世に紛れる際に厳命された事だった。

『ルルー、お前は特に注意が必要だぞ』

はじめて人世に出ることが決まった時、ガウディに神妙な口調でそう忠告され、首を傾げた。

『私になんの注意がいるの?』

『お前の身の回りには俺達しかいなかっただろ?だからお前にゃ力加減てものが分かってない』


全力投球でも、突っ掛かる相手は等しく受け流した、もとい、受け流せるだけの力があったが、人間相手ではそうはいかないのだと、教師のような口振りで言い渡された。

『形が似てるからつい勘違いしがちだが、人間の肉体は俺達と違って脆弱だ。充分気を付けてやらないと、腕だの足だの頭だの、ちょっと引っ張っただけですぐ引っこ抜けるからな』



その教えを忠実に守り、加減をして『力』を振るったが、それは彼女の誠意や義務感や自制心による制御ではなかった。


…否、その『手加減』できている状況こそが、ルルーが激怒の極地に立っている何よりの証だった。



ルルーは自他共に認める直情径行だ。自分の感性に徹底的に素直で心を偽れない。喜びも哀しみも怒りも全力全身で顕にする。

だが、通常の怒りの臨界点を突破した時だけ、別の貌が現れる。

昂る感情によって逆に理性が活性化され、普段より何倍も冷静に、残酷な真似ができるようになる。


ルルーは、正にその状態だった。

一見すれば落ち着いた、その実心の奥底は異様な興奮状態に陥っている、そんな激怒の中、ルルーは相手の心臓を止めるような底冷えする眼差しで、微動だにしない人垣を睨み付ける。

死神の眼光を真っ向から浴びて、まともに動ける者はそうはいない。事実全員が腰砕けの状態だ。言及も仲裁も程遠い。


無言で大人達の勢いを叩き潰し、介入を断絶すると、ルルーはおもむろに背を向けた。

重々しい足取りの先には、子供達が点在していた。

蹲ったそれぞれが、押し殺したようにしゃくりあげている。逃走の気力を削がれた全員が、子供らしい狡猾さで親達の介入を待っているのだが、頼りの大人達は全く動かず、代わりに涙の元凶たる存在が、首切り人のように凄絶な無表情で歩み寄ってきた。

ルルーの一番近くに居たのは、ビアンカの髪を抜いてしまえと先導した少女だった。

正面に立ち、垂れている頭を鷲掴みにして上を向かせた。

少女の喉からひきつった悲鳴が漏れる。


「ひっ、何す―――」

「うるさい」


怯えに血走った瞳が目障りだと言わんばかりに、前置き無しで問答無用の平手打ちを食らわせた。

平手打ち、などという生易しい表現の枠に収めてよいものか躊躇われる凄まじさだった。


ガツン!と、胸に痛い重い音が鼓膜を抉り、少女の体は横凪ぎに倒れた。軽い頭蓋が再び地面と激突する。他の涙声が少女の絶叫じみた泣き声に塗り潰されるが、ルルーは己がもたらした結果にはなんの興味も示さず、輪郭が崩れる程真っ赤に腫れた頬を押さえて泣き喚く少女の前に屈み込み、感情の無い貌でその姿を眺めた。



少女は小さな掌で、顔を押さえて号泣している。

本当に小さな掌だ、自分と大して変わらない。


―――けれど。


その小さな掌でさえ、拳にして振り下ろせばどれだけのものを壊せるのか、彼等は知らない。

誰も教えない。

それは、悲劇ではないかと思う。


ルルーは金の双眸を細めた。

(…お前達が、持たない力は使わない)




お前達が、持ちえる力がどれだけ他者を傷付けられるのかを、身を持って教えてやろう。




立ち上がり、次の子供の元へ向かう。

そして、意気地なく啜り泣いている子供達の髪を掴み、同じように片端から横っ面をひっぱたいていった。弱々しい嗚咽の輪が、瞬く間に阿鼻叫喚の渦と化した。


屠殺場に木霊する断末魔のような叫喚を尻目に、一連の作業を終えたルルーが最後に到達したのは、大将の所だった。

軽く眼を回しているのか、倒れたままの少年へ近付くと、ビアンカが抉ったこめかみを蹴り上げる。

「起きろ」

呻く隙も与えず小山のような腹の脇に爪先を突き刺した。

「っ痛てえっ!」

「オマエの方が力も強いし図体でかいんだから、ビアンカはもっと痛かった」

「ざけんなよチビ!生意気言ってんじゃ―――」

少年が敵意も露に跳ね起きようとした矢先、鼻っ柱に防寒靴の踵が埋まった。

暴れながら叫ぶ声を無視して何度も何度も顔面を踏みつけると、最初は喚いて悪態をついていた口から、いくらもたたぬうちに懇願するような言葉と啜り泣きが垂れ流され始めたが、呵責の動作が止まることはなかった。

とうとう少年の喉から嗚咽さえ出なくなると、ルルーはようやく顔から靴を退けて傍らにしゃがみこんだ。膝に両肘を当てて頬杖をつきながら、起伏の無い単調な声で囁く。



「オマエ、ビアンカの目が赤いから気持ち悪いって言ってたね?

道理も理屈もなんにもないし、理由にもなってないと思うけど、わたしから言わせればオマエらの方がよっぽど気持ち悪いよ。

何?どいつもこいつも判で捺したみたいに同じ髪、同じ眼、卑屈な面まで全部一緒。言っとくけど、オマエのその姿形だって、ヨソの国では立派に珍獣だよ」



息も絶え絶えな少年の顎を、骨が軋む程の指圧で掴んだ。

砕けた鼻や口の端から血を流し、痛みと混乱と怯えでまばたきすら忘れた紫の瞳を無理矢理自分の視線と合わせると、わざとゆったりした口調で続ける。


「オマエがそういう真似をするなら、その思い上がりを打ち砕くために、ヨソのお国に棄ててきてあげる。大丈夫、そう悪いことにはならないよ。なんてったって珍しいもん、白髪の子供なんて。

きっと下にも置かない扱いを受けるね。勿論檻の中でだけど」


口先だけの脅しではないと理解するのは、一連の出来事に対面していれば容易かった。

大の男でさえ竦み上がらせる、常軌を逸した威圧感と迫力を醸したルルーの脅迫に、ただの子供にすぎない少年が耐えられる筈もなく、小さな瞳孔に死を意識した驚愕と恐怖が登った。

それを見留めた満月が、緩やかな三日月に変わる。



「子供だから、都合が悪くなったら泣いて大人に解決してもらおうなんて、調子いい事考えるなよ?

いくら子供だって、越えちゃいけない境界はあるんだよ。赤ん坊じゃあるまいし、ある程度社会性があるんだったら、やったことと言ったことの責任は取って然るべきだろう?」

「…ごっ、ごめんな…さ…!」

「誰に、何を謝ってるんだ、オマエは」



それすら分かっていないのかと、再び満月に戻った両の眼が、侮蔑と嫌悪で奥行きと深みを増す。

「例えビアンカがこの国を蹂躙した他国の血を受け継いでいようとも、それはあの子自身の宿命と問題だ。政治の道理も国家の交わりも知らず、その時に生きてすらいなかったガキが、カラッポ頭で口出ししていい事じゃ無いんだよ」

眼球を抉り貫くように見据えたまま、所々に抑揚をつけて言い渡す。

ごめんなさいごめんなさいと、喘ぐような息で情けなく連呼する様を値踏みするように暫く見つめ、ルルーはパン屑を払うような仕草で手を離した。

少年の瞳に恐怖を通り越した濁りを見留め、激怒の後ろから自重に肩を掴まれたのだ。

恫喝(どうかつ)はこのくらいでやめておかないと、人間はすぐ壊れて使い物にならなくなる。


「今日は止めに入らなかった大人がいないのが悪いね、だからこれで見逃してあげる」

但し、と、金属のように冷たい声が、先刻まで小さな暴徒のように振る舞っていた子供達の未発達な精神に容赦なく突き立てられた。



「また身の程知らずな真似をしたらどうなるか分かる?今度はこの低度じゃ済まさない。

喉を潰して目玉をくり貫いて、歯を砕いて手足の関節を外したら、全員ケモノの餌だ。

オマエ達が無自覚に行ったことは、本来ならそれでも償えない重罪だと肝に銘じるように」



傲然と警告し、そうして半歩身を引けば、ルルーの矛先は当然次へ向かう。

それこそ、情けも容赦も無用の相手の方へと。



雷光を閉じ込めたような瞳をぐるりと動かし、捉えた先には何人かの若者が固まっていた。




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