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病み姫の譚


部屋を出て、階段を降りて、曲がり角に差し掛かった時。

またしても、見たくもない光景にぶち当たった。


「………!」


゛彼女達゛が歩いていた。

まるで仲の良い姉妹のように、互いを見つめながら手を繋いで。

遠くて拾いきれない会話は弾んだ音階を作り、足音さえ楽しげに響く。


凹凸のある、焦げ茶と紺の後ろ姿に釘付けとなった刹那、自分が何処に向かおうとしていたのかも忘れる程訳の分からない強い衝動が突き上げてきて、それに弾かれるように身を翻した。



自分は、逃げてばかりだ。

―――他に、身を守る手段を知らないから。






吐き出した白い息は空へと吸い込まれ、雲に転じるようだった。これが己の魂であれば良いのにと、幾度夢想したか知れない。

「はぁ…」

王城の北、最も高い場所に位置する鐘つき塔。

その手摺りに膝を抱えて座りながら、ビアンカは物憂げにため息をついた。

通路と繋ぐ青銅の扉を潜り、梯子を登った所にあるブロンズの鐘は春宵節(しゅんしょうせつ)の後半、外部の人間を受け入れる期間だけ時間の伝達に使用される。元々は敵の侵入や災害を報せるために作られたらしいが、今となってはほとんどお飾りの遺物だった。

ここ数日は掃除のために人が出入りしていたが、ようやく本来ある無人の景観を取り戻した。普段は誰も近付かないこの場所こそが、ビアンカにとって自分の部屋より安らげる空間だった。


ここからは、城下が一望できるのだ。


絵画のような絶景だったが、彼女にしてみれば、城の外も常に絵のようなものだった。

眺めるだけで、決して入ることはできない平面の世界。



『おーい、来たぞ!マモノの子が来たぞ!』



無意識のうちに甦った過去に、鬱血するほど強く唇を噛み締めた。


一人で歩くのさえおぼつかなかった頃、彼女は花を求める蝶のように、同じ背丈の子供を求めてよく城下に赴いた。その頃は護衛に囲まれるのを煩わしく感じていたので、こっそり出ていったのだが、その都度、同じ子供やもっと年上の少年少女に捕まっては嘲笑と罵りを散々浴びせられた。


『本当だ!ヤバン人の子供が来たぞ』

『王女を食い殺した化け物だ!』

『化け物の子供だ!あっち行け化け物!』

『やだぁこっちに押し付けないでよ、気持ち悪ーい』

『目を合わせたら呪われちゃうから!』


げらげらとふざけ合い、笑い転げる子供達を前に、最初は何を言われているのか分からなかった。ただ相手が自分を嘲って喜んでいることは肌で感じられ、訳が分からぬものの当然怒りを覚えた。

しかし、理由の判然としない一方的な差別と扱いに耐え兼ねて食って掛かれば、それを待っていたかのように四方八方から暴力を振るわれ、服も髪もめちゃくちゃにされてしまった。

侍従に伴われ泣きながら帰ってくるビアンカに対し、祖母は痛々しげに貌を歪めるだけで何も言わなかった。それでもジェラーがなんらかの措置を取ってくれていたのだろうことは、言葉ではなく察していたが、環境が改善されなかったのは、この事が既に女王の手にも余るのだという現実だったからだ。


外出を恐れて城に留まっても、行く先々で複雑な視線に晒された。こそこそと憐れみと蔑みの入り交じった湿気った眼差しを注がれ、そのくせ誰かを見上げればたちまち眼を逸らされた。

そうやって内からも外からも小突かれ続ければ、嫌でも自分の立場を意識せざるを得なかった。鏡に映る『違い』を痛感せざるを得なかった。


何故自分だけ瞳の色が違うのかと訴えれば、祖母はつつみ隠さず教えてくれた。変に誤魔化さなかったのはビアンカを尊重してのことだろうが、打ち下ろされた衝撃は目が眩む程だった。


国土を略奪した蛮族の娘。自我を持つ前から母親を殺した怪物。

生まれてきたことが間違いだ、生きていても役に立たない、早く死んでくれればいいのに。要約すれば、周囲の人々の意見はそんなものだろう。


七歳のみぎり、ビアンカが自分から城下に赴いたことは無い。彼女のすべては城に限られていた。

だが、みんな自分が嫌いなんだと隔たりを抱いた心では、何年経っても城の人間に馴染めなかった。同じように祖母にも素直になれなかった。そうした環境が更に彼女の心を荒ませ、今では周囲への憎悪と祖母への怒り、無力な自分を呪うことだけがビアンカを生かしていた。



愛想も社交性も皆無な姫君は、当然適齢を迎えても公式行事や式典に参加させてもらえなかった。

正確に言えば、国民との軋轢が顕在化した頃から出席を拒み続けたため、終いには声がかからなくなったのだ。

先日珍しくお呼びがかかり、異国から―――正確には異界からの来訪者に侮蔑混じりの興味を引かれ謁見を承諾したが、行かなければよかったという腹立ちと後悔しか残らなかった。

挙げ句何よりも礼節を重んじる祖母の前で、自分への情を試すような真似をしたが、結果はあれだ。


『これ以上傍若無人な真似をするなら容赦はしない―――』


平手打ちを食らい、陥ったパニックを抜けた後、彼女の胸に広がったのは、とうとう見放されたという苦い実感と諦めだった。


抱えた膝に顎を埋める。

別に、確執は今に始まったことではない。これまで漠然と浮遊していたものが表面化しただけで、亀裂はむしろ遅すぎた位だ。何も変わらない。そう思うのに、胸の内は掻き乱されて、一時も平静になれなかった。





「―――ひなたぼっこ中?」

「……っっ!!?」





突然背後から、それも信じられないほど近くから声がして、ビアンカは飛び上がる程驚いた。

いや、実際飛び上がった。

「うっ、わわ…!」

不意討ちで完全に重心を失い、真下の雪が視界一面に広がった。ひやりとした刹那、右半身に突っ張るような感覚が走る。

「大丈夫?」

虚空を掻いた右腕を掴まれ、内側に引き戻された。安堵の裏から怒りと嫌悪が飛び出し、手首を握る五指を思い切り振り払った。

「触らないで!」

「ってか、お礼が先じゃないの?」

文句を言いながらも特に気分を害した様子は無く、ルルーが親しげに相好を崩す。体勢を立て直し、間合いを取って彼女の正面に立ったビアンカは歯軋りした。

いくら物思いに耽っていたからといって、木組みのはしご段が軋む音どころか、立て付けの悪い扉の耳障りな開閉音まで聞き逃すなど有り得ない。

この少女は突然現れたのだ。亡霊のように。


死神め、と、内心で毒づきながら威嚇的に身構えたビアンカだったが、当の死神はそんな態度には頓着なく話し掛けてきた。


「ねえ、なんでお祭りに行かないの?」

あどけない仕草で首を横に倒す。何気ない一挙一動がビアンカのささくれた神経を逆撫でし、殺意に近い感情が胸中で膨れ上がる。



思えば、この娘には悪印象しか抱いていない。



初対面での言動もさることながら、ビアンカは相手にしてみれば不当と呼べる程の、一方的な憎しみを燻らせていた。

目の前の呑気面は知る由も無いだろうが、ビアンカはルルーが凱旋したその時、遠来の客を盗み見ようと通路で待ち構えて、ルルーがジェラーに抱き付いた所を目にしてから、見たくもない場面ばかりに直面していた。


本当は大好きなのに、顔を合わせれば溝ばかり深まる祖母に対し、自分もやったことがない大胆な甘え方をしたのも。

いつまでたっても打ち解けられない臣下達と、親しげに笑い交わしていたのも。

話をしてみたいのに、近寄ることもできないレムと、他愛ないおしゃべりをしながら書庫へと歩いていく姿も。

まるで誰かに謀られたように、視界に焼き付けられてしまった。


それこそ何年もの間、近くに在りながら望んでいるのに求められないもの全てを、この少女はものの数日でいとも容易く手に入れてしまったのだ。たたらを踏んでいるビアンカをからかうように飛び越えて、自分がなりたかった、居たかった場所にすっぽり収まり笑っていた。

許し難い振る舞いだったが、こんな腹立ちは嫉妬混じりの逆恨みだと、聡い彼女は理解していた。そして苛立ちの原因を正しく理解していたからこそ、尚更腹立ち混じりの羨望と悔しさは煽られた。

奥歯を噛み締め、目をそらす。

「…そんなの、アンタには関係ないでしょ」

「んじゃ、一緒に行かない?」

突然の誘いに、一瞬憤懣が霧散した。呆気に取られて見返すと、ルルーが両手を固め、期待を込めた表情で捲し立ててきた。

「あのねー今日ね、トナカイレースの会場作るんだって。トナカイ触らせてくれるかもしれないよ、一緒に行こうよ!」

無邪気な笑顔に毒気を抜かれた。あからさまな親愛の情だったが、一切悪気が無いのが肌を通して伝わるだけに、なお始末が悪いと思った。



この自分が、祭りになど、行けるわけが無いのに。



驚きに消失した憤りが、瞬く間に本来の形を取り戻し、まなじりが吊り上がった。

「…行くわけないでしょ」

「なんで?暇なんでしょ、一緒に行こうよ」

「うるさい!余計なお世話だ!」

「余計じゃないよ」

「一体自分は何様のつもり!?死神なんかと肩並べて歩けると思ってるの!?自分が周りに及ぼす影響分かってるの!」

些細な会話でさえ穿った捉え方をして傷付いてしまう。そんな自分を守るために言葉の刃を振るうのは利己的で身勝手だと充分承知していた。そして知っていたからこそ、小さな少女は身に付けた唯一の処世を改善する術を持たなかった。

今度も同じように、勢いに任せて他人を傷付ける台詞を猛然とぶつけた。

「昨日はおばあ様に邪魔されて言えなかったから今言ってやるわ、みんな私を蛮族の血を引く汚らわしい姫だって蔑むけど、本当に汚らわしいのはアンタの方じゃない!狂王の娘!死神!何よ!そんな禍々しい色の髪をして!災いにまみれた生まれの異端の姫はアンタじゃない!」

「そうだよ」

眉一つ動かさず、落ちた言葉はけれど、一瞬で周囲を包む空気を異質な冷気に変貌させた。



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