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歴史の真ん中 歴史の外


作り物のように小さな繊手が握るのは、卵ほどの大きさをした黄色い半透明の結晶体。

レムが翡翠の瞳を細めると、手にした石が音もなく燃え上がった。


半神である星神姫には、万物を操る力が備わっている。純血の神々と比べてしまえば微々たる能力ではあるが、この位の操作は容易かった。


着火した石を足元に放る。砂糖のような白い雪に満たされた水鏡の広い溝に落ち、ちろちろとまたたきながら、ゆっくり周辺の形を溶かしていく。

ここは鏡の間。通常は女神とのやり取りに使用されるこの部屋は、祭りの際は別の重要な儀式のため用途されるのだ。


レムは手籠に入った同型の石を次々発火させてばら蒔いていき、陰気な闇に閉ざされていた室内は瞬く間に明るく色付いた。

最後の一つを放り、ゆっくりと指先を地面に向ける。


予め決められた演舞を披露しているような、無駄の無い流麗で美しい所作に、傍らで見学していたルルーは諸手で頬を挟みながら感嘆の声をあげた。

「すごーい、きれーい」


雪の上に点在する焔は白から金茶色へと転じ、冷たい石壁に幻想的な陰影を描き出す。

極彩色の影絵に見とれていると、近付いてきたレムが用途を解説してくれた。

「二日間かけてこうして雪を溶かし、この水で緋霊花を育てます」

「どうしてわざわざこんなに手間をかけるの?」

「雪狼石に含有される成分に、水分の凍結を防ぐ作用を持つものがあるからです。普通の水を使用すると、昼夜の気温差で根腐れを起こしてしまいます」

「そうなんだー」

「雪狼石の見本なら書庫にありますが、見に行きますか?」

「行く行く!」


はしゃいで右手を振り上げると、レムが微かに微笑んだ。透明な壁一枚を隔てていたような距離感が薄れ、彼女の中で姪に対する特定の感情が焦点を合わせ初めているようだった。


石造りの暗い通路を、ルルーとレムは手を繋ぎながら書庫へ向かった。

「お祭りの準備期間はあと三日なんだね」

「はい、四日後には国境を解放しますので、賑やかになりますよ」

城下の祭り支度も後半に入り、佳境というより正念場を迎え、当初の緩い空気は鳴りを潜めた。

相変わらず割り込めば相手はしてもらえたが、鬼気迫る形相を浮かべ、何かに追い立てられるように準備に勤しむ人々にちょっかいをかけるのは、流石のルルーも憚られた。


街には同じようにあぶれた子供達がいたが、ルルーはこちらには余り近付かなかった。

最初こそ興味本意で輪に入ろうと試みたものの、どうも子供同士グループ間の結束が強く、部外者に対して寛容とはいえなかった。好奇の視線に晒された後は、見事に爪弾きにされた。

ルルー自身、生まれてこのかた大人ばかりを相手にしてきたため、年上の方が付き合いやすく、単独ならまだしも一団となった子供達に加わるのは慣れていなかった。どうしたって大人受けがいいのに子供にこだわる理由も無いので、以降は殆ど関わらなかった。


となると必然的に行動範囲が狭くなってつまらないなと唸っていた矢先、まるで砂時計をひっくり返したように、会談や接待の目処が立って手が空いたレムが顔を見せてくれたので、これ幸いと彼女について回ることにした。






書庫は地下に設けられていた。

高窓から注ぐ陽射しの中、古い書物が天井近くまで整然と並ぶ。日頃から余り使われていないらしく、積み上げられていた薪は見事に埃を被っていた。レムがおざなりに暖炉を掃いて点火したが、熱気と共に塵の燃える乾いたにおいが漂う。


「そういえば、ルルーは緋霊花の造形は知っていますか?」

「ううん、知らない」

「では、先にそちらの話をしましょうか」


書庫には六人掛けの机が三つ据えられており、ルルーが暖炉に近い机に着席すると、レムが何処からか小さなシャーレと小瓶を持ってきた。

目の前に置かれたので小首を傾げる。

「何するの?」

「緋霊花を発芽させてみます」

「はつが?はつがって芽が出ることだよね?そんな簡単にできるもんなの?」

「緋霊花は生育がとても早いんです」

レムはおもむろに胸ポケットから豆粒大の黒い種を取り出すと、脱脂綿を敷いたシャーレに乗せ、ビンの蓋を外した。ルルーが軽く身を乗り出す。

「その水、さっき雪狼石で溶かしてたヤツ?」

「そうです。少し取り分けてきました。これを使います」

言葉通りに実行したが、どうも雪解け水は粗熱が取れていなかったらしく、ビンから注がれる透明な液体は白い蒸気を登らせながら種を包み込んだ。

その光景を凝視したルルーがぽつりと呟く。

「…レム、湯気が出てるよ」

「問題ありません」

ほんとかよと大いに危ぶんだが、真顔で請け負われたためそれ以上突っ込めない。

「暫く置いておきましょう」

「はーい」

「そしてこれが緋霊花の絵です」

古めかしい厚閉じの本を開いて差し出す。羊皮紙は黄ばんで年月を感じさせたが、描かれた図柄は生き生きとした生彩を放っていた。


拳大の球状をした鮮紅色の花。

ほぼ実物大だというその絵は、フィリにおいて唯一の、芳香を持たぬという特異な生花だ。原型の隣には部分別の絵が表記され、更に詳しく説明されていた。

ルルーのハシバミの瞳が文字をなぞる。まずは順番通り植物学的な解説から入った。


緋霊花の花芯は紫色で蓮の実状の凹凸があるが、先端が僅かにほの見えるだけでほとんどは隠れてしまっている。その芯を包み隠しているのが飴細工のように繊細な真紅の花弁だ。一枚一枚は翳せば背景が透けて見える程薄く、それが何重にも重なり合い、花芯を巻き込んで球状を作る。細い茎と葉の色素は限りなく淡いため、一見すると雪の上に赤い石玉が転がっているようだ。ルルーの嫌いな花独特の生々しい質感が欠如しているのは、むしろ好ましい特徴だ。

二日かけて葉と蕾が育ち、五日かけて満開となる。更に三日が過ぎると、紅蓮の花々は生まれてきた世界を間違えたと悟ったように、一斉に花弁を散らすのだ。その光景には植物の儚さというより、何処か殉教者にも似た静謐な潔さが漂う。祭りのためだけに花を咲かせ、春と共に散っていくのだ。


短い春を体現し、投影するこの花は春宵節の要である。鏡の間の雪が溶けたら家々に配られ、各々で保管していた前年の種を専用の鉢で栽培する。家の周りや通りは勿論、最後の日に水神が訪れる町の広場と王城は特に沢山飾られる風習だ。白い大地に点在する真紅の花々の饗宴は圧巻で、閉鎖された極地にも関わらず、フィリの春祭りが『死ぬまでに行きたい観光名所』と絶賛される所以である。


まじまじとシャーレと書物を見比べているルルーを残し、レムがまた何処かへ姿を消した。どうやら奥まった箇所が物置になっているらしい。やがて、木枠にガラスを嵌め込んだ標本ケースを手に戻ってきた。

「それから、こちらが雪狼石の色別見本です」

差し出された四角い箱を、ルルーは興味津々覗き込む。深緑の布地の上に、とりどりの色を宿した透明な結晶が、金のラベルと共に並んでいた。

「青いのと緑のと白いのと黄色のと…これ全部同じ石なの?」

「ええ、雪狼石は色彩変異が激しい鉱石なので、採掘地域の土壌によっても微妙に色が異なります」

確かによくよく見れば同じ緑や青でも少しずつ濃淡に差異があり、美しいグラデーションを奏でている。面白そうに観察しているルルーを見つめ、レムは少し首を捻った。

「…でもルルー。この辺りのことって来る前に習わなかった?」

「習ったよ。ていうか、無理矢理歴史書読まされた」

むすっと答える。彼女にとって書物に記された文章とは、即ち死んだ言葉の羅列であり、魅力も色彩も無く、汲み取るべき内容は絶無だった(以前ガウディに「暴論も極めれば哲学になる」と感心された独創的持論)

つまり眼を通しただけで記憶には一切残留していなかったため、実物を前に語られる説明は新鮮な驚きに満ちていたのだ。


「これも全部燃えるの?」

「いいえ、可燃性があるのは黄淡色の石だけです」

「へえぇー」

「これは結晶中に含まれる炭素とアルカリ化合物の作用で、炎に触れることで発火を伴い、さらに蓄積した油分によって持続的な燃焼を可能とし…」

「ねっ、ねえねえ!これは?」

何やら許容範囲外の小難しい話になってきたので、ルルーは急いで手元の図鑑をめくり、話題を反らした。

「雪狼石に赤は無いって本当?」

「はい、赤色系だけは存在しません」

特に気分を害した様子も無く淡々と応じ、レムがシャーレを退かして別の一冊を広げる。長年吸い込まれた埃の匂いが鼻をついた。

「雪狼石の図鑑です。濃淡を抜きにすれば、青、緑、黄、無色の四つに分類されます」

「どうして赤は無いの?」

「緋霊花があるためだと伝えられています」

「なるほどー、類似品にご注意くださいって事ね」

「…逆だと思いますよ」


緋霊花(ひれいか)は、正しくは緋霊弔花(ちょうか)という。

その昔、妻の遺体に手向ける花も無いことを嘆いた一人の男が、束の間でもいいから雪の上に花を咲かせてくれと水神に懇願したところ、その真摯な嘆きを聞き届けた彼女が同胞である熾帝(してい)の元を訪ね、フィリのために花を分けてもらったのだという。


授与に関しての話は半ば伝説化されているので、真偽のパーセンテージについては予測不能だ。次いで石の色に関しても時系列に狂いが生じてくるが、緋霊花の特殊な栽培方や、この花がフィリにとって神聖かつ重要な代物であることは充分表明されている。


「ねえねえレム、ここに書いてある緋霊花の異称の《炎樹(えんじゅ)の欠片》って、ひょっとして火炎樹から来てる?そうでしょ?」

「ええ」

その下に記載されてますよ、という言葉を、レムはすんでの所で飲み下した。己の着想に得意気なルルーに水を差すのも可哀想だったからだ。


「緋霊花は、ヴァトス様から贈られた花ですから」

恭しい口調でレムが言い添える。



―――熾帝ヴァトス。火炎と天地の理を司る六皇神の中枢で、寡黙なジルとは対極の位置に座す豪快で派手好きな男神だ。

激情家で苛烈な性格のため、人間からも神族からも恐れられる一方、ルルーを見ると「よぅお姫さま、元気にしてたか?」などと言いながら笑って抱き上げてくれる、気さくで面倒見の良い一面もあった。


火炎樹(かえんじゅ)はヴァトスの神殿に植えられた、熾帝のための特別な樹だ。ルルーも幾度か眼にしているが、その名の通り燃え盛る炎のような――赤や橙や金色の――極彩色の葉を繁らせ、一度見たら忘れられない強烈な存在感を放っている。

「あの樹の欠片なんだー、へー」

「あくまで伝承ですから、信憑性には欠けますけどね」

熱の無いレムの言葉を頭の隅に留めながら、それなら今度会った時に聞いてみようかな、と、両手で頬杖をつきながら検討していたルルーは、ふと思い付いて訊ねた。

「ねえねえ、レムはビアンカのこと好き?」

「わかりませんね」

出し抜けな問いにも関わらず、レムは即答した。

ルルーがこてんと首を傾ける。


「わかんない?」

「好悪の感情を持つ程、話をしたことが無いので」

「じゃあ、これから好きになることはある?」

「それは…ああ、ルルー、緋霊花が芽を出していますよ」

レムが視線をシャーレに落とす。あからさまにはぐらかされたが、ここで執拗に追及しても仕方がないので、ルルーも大人しく彼女の目線をなぞった。


円形の器の中、白い綿を褥に、緋霊花の種が発芽していた。


芽は種殻を帽子にして、子蛇のように鎌首をもたげている。産毛に包まれた白っぽい茎は見るからに脆弱で、少しの力で容易く崩れてしまいそうだった。

ルルーは微かに目を細める。緋霊花の弱々しい様相は、生まれてきたことに戸惑っているように、酷く不安定で頼りなかった。




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