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終わらない城

十年以上前のことだった。

即位して以降三度、ジェラーは他国の侵略から氷国を守ってきた。ようやく政治的に安定し、娘達も曲がりなりに一人前へと成長し、肩の力を抜き始めた頃だった。



フィリ王家は女系家族だ。王位継承に男女の区別は無いが、歴代の玉座を振り返っても、冠をかぶった男性は片手の指を出ない。ジェラーの夫も数年前に世を去っており、自然、残された娘が次の女王となるべき教育を受けてきた。


責務に余裕が出たジェラーは、泰平なこの期に娘達の勉学と世界観を広げるため、半年間の海外視察に出すことにした。時期女王となる次女のスーリと、実質的な舵取り役に回っている三女のミディルは、こうして長期の外遊に出た。


スーリは真面目で努力家だか、少し抜けている部分が多い、言ってしまえば普通の女の子だ。対照的にミディルは利発で頭の回転が早い、ジェラー譲りの才女だった。一時は凡庸な姉より彼女を推す声が上がった程だが、当の本人は活発でありながら目立つ事が嫌いで、更にお姉ちゃん子だったため、自然縁の下に回り、姉妹は理想的な二人三脚で落ち着いていた。



視察は予定通り終了し、娘達は無事帰国したが、それ以降、どうもスーリの様子がおかしかった。いつもぼんやりとし、人前に立つのを極度に嫌がり、朝礼や会議に顔を出さなくなった。

ミディルに探りを入れても芳しくなく、思春期独特の軽い鬱かと首を傾げていた矢先、ふとスーリの立ち姿を横から見たジェラーは愕然とした。ウエストを絞らないゆったりした服を着ていたが、明らかに体型が変わっていた。


問いただした所、視察先の一つであるトルトギア公国でそういうことになったという。スーリは帰ってからも相手の男と頻繁に手紙のやり取りをし、身籠ったことさえ書き記していた。更にまずいことに、その青年は現トルドキア国王の遠縁に当たる血筋だったのだ。


仕組まれたのか―――そう思わずにはいられなかった。現在トルトギアとは表立って波風こそ立たないが、関係は芳しくなかったからだ。しかし例え故意であれ不可抗力であれ、赤子の誕生を糸口に、トルドキアがフィリに不当な要求を迫るだろう展開は火を見るより明らかだった。


まさか幼少期から帝王学を学ばせてきた自分の娘が、このような軽率な失態を演じるとは。年頃の娘に対する根本的な警戒を怠った自分自身に歯噛みしたが、ジェラー以上にミディルが怒り狂い、それこそジェラーに口を挟む隙さえ与えぬ凄まじい剣幕で姉姫を譴責した。そこには、傍にいながら気づかなかった自責の念も含まれているようだった。


恥知らず、今すぐ堕ろせとミディルは喚いたが、主神と崇めるスーフェンが子供の加護も司っているため、フィリには堕胎罪が存在する。それ以前にもう時期を過ぎてしまっていたし、何よりスーリ自身に中絶の意志が全く無かった。


「私は今の今まで自分のねえさまがここまで愚か者だったなんて思いもしなかったわ!」

人払いをし、親子三人顔を付き合わせた中で、ミディルは気が狂ったように猛然と責め立てた。

「よりにもよって妊娠したことを相手の男に伝えてしまったなんて!トルトギアにどれだけ有利なレールを敷いてやったのよ!」

「私はそんなつもりじゃ…あの人は父親だもの。それに赤子が生まれたからって、あの人が私の国を攻め入ったりしないわ」

「南国の空気に当てられて頭がおかしくなったんじゃないの!?」


煌盟巫国にこそ列席されていないが、トルトギアは熾帝を主神に据えた、赤銅色の髪に赤眼の民が暮らす海沿いの豊かな国で、フィリとも長年に渡り深い交流がある。

しかし、前王が人徳者だったのに対し、数年前戴冠した王が些か不徳者で、冠を被るや否や己の利益を優先する独善的な傾向に走り始めた。隠居した父王や高官達が歯止めをかけてはいるが、国内でも目に余る振るまいが頻発しているのが、関係国にとって悩みの種だった。ジェラーは前王と親交が深く、そうそう悪い顔もできなかったが、実権を握った現王は、フィリに対して鉱物の輸出増加をせっついていた。

フィリの特産として、化石燃料の他に雪狼石(きろうせき)という固有の輝石がある。宝飾品として高値でやり取りされるこの石を大量に要求され、やんわりかわしていた最中での不始末だった。

婚礼前の時期女王が外遊先の男と関係を持ったなどという醜聞は、揚げ足を取りやすい最悪のスキャンダルだった。


何の解決策も無いまま、ずるずると時だけが過ぎ、スーリは無事に臨月を迎えた。が、生まれた赤子の姿に誰もが絶句した。

赤子はフィリ人の特徴である銀髪に、トルトギア人の持つ血のように赤い瞳をしていたのだ。

やがてトルトギアから脅迫状のような書面が届き、ジェラーとミディルは頭を抱えたが、スーリはまだ現実を受け入れなかった。

ふつりと途絶えた青年の便りも、周り中から注がれる蔑み混じりの憐憫も、何も理解できないかのように―――あるいは理解しないようとしているように、ひたすら赤子にかまけていた。

その無責任な態度にとうとうミディルは激昂し、姉姫を激しく罵った。

「まだ分からないの!?向こうの目的は雪狼石で、ねえさまは利用されてたの!相手の男は最初からねえさまのことなんか愛してなかったのよ!今頃さっさと別の女を可愛がっているでしょうよ!」

その挙げ句が―――これだ。

まさか自害するとは思っていなかったのだろう。放心から立ち返った妹姫のパニックは凄まじく、鎮静剤を打たれる程の錯乱状態に陥った。

ジェラーでさえ度重なる変事に心を削られた。年若い娘がどれ程傷付いたかは想像もつかない。


忘れ形見となった赤子は、当然王城で育てられることとなったが、ミディルは異物を王家に認めることを激しく拒絶した。父親が異邦人であるため本籍を定める必要があったが、彼女が猛反対したため手続きに移れなかった。

そうこうするうち、トルトギアから具体的な『口止め料』の催促が送り付けられ、八方塞がりとなったジェラーはとうとう要求を飲まざるをえなくなった。

但し条件を出した。混血児は正式にフィリの民として認めるので、今後この件に関してはいかなる要求も飲まないと、互いの主神に誓いを立てさせた。相手は多少渋る素振りをしたが、要求した量の更に倍近く上乗せされたので、反故にされてみすみすチャンスを失うよりはと考え直したらしく、直ぐ様合意した。


結局、フィリは時期女王を失った上、何ら国益に繋がらない不本意かつ屈辱的な提案を飲まされた。


案の定というべきか、スーフェンはこの一連の出来事に眉を潜め、和解のために簒奪された莫大な鉱石の採掘跡は、暗渠と化したままだった。

生活に影響は無いとはいえ、失った国土は余りに大きく、変化を好まぬ民の心に昏い影を落とした。


そして、やり場の無い負の感情は捌け口を探す。

国境を越えた目に見えない敵ではなく、間近で手頃な生け贄を求める。

赦し難い敵国の民と同じ瞳を持ちながら、王家の血を引く赤子。

第二王女の死の引き金となった、見るのも忌まわしい混血児。


ビアンカは、生まれてきた瞬間から、自身とは全く関係の無い侮蔑と憎悪の集中打を受ける運命を背負ってしまった。


―――民は他国の蹂躙を忘れていない。皮切りとなった赤子の誕生を忘れていない。決して受け入れられない宿命を背負った、今となっては私の、ただ一人の血族―――

「…ねえ、ジェラー」

不意に名を呼ばれた。

ルルーが窓枠に背を預けたまま、何もない中空に視線を泳がせて、幾分温度の低い声で探るように問い掛けてくる。

「もしかして、今度のお祭りに私を招いたのって…」

「それは違います」

間髪入れず強い調子で否定する。他者の弁を遮って自らの意見を挟むなど、公正な彼女には余り無い行為だった。

こちらを向いたルルーの視線から逃げるように目を伏せた。

「…他意はございません」


その囁きには迷いがあった。自分でも言い訳じみていると感じ、紫暗の瞳が惑うように揺れる。


似たような境遇に立たされていたルルーに引き合わせ、何かしらの陽性な影響を期待した訳では決して無い。

しかし、いくら理性的な部分がそう断言しても、感情的な側面から見れば、確固として胸を張る自信は、残念ながら無かった。

「そっか、まぁ、別にどっちでもいいんだけど」

重箱の隅をつつかれたら反論の余地は無かったが、ルルーはあっさり関心を消した。

それほど重要度は高くなかったらしい。

「他の煌盟巫国の王様に比べて、ジェラーの在位は長いなと思ってたけど、簡単な理由だったんだ」

「そうですね」

スーリ亡き後、ジェラーはミディルに王位を譲り、摂政として背後に回ったが、末娘は翌年猛威を振るった流行り病に倒れ、あっさり帰らぬ人となった。

詮無く、再びジェラーが冠をかぶることで、王座については一応の決着がついたが、フィリの行く末は漠然とした暗雲に包まれた。

跡継ぎの娘を次々失った女王の手元に残された唯一の後継者は、紅の瞳の赤子だけ。


『いやよ!私は絶対に嫌!こんな蛮族の血を王家に認めるなんて絶対に許さない!こんな気持ち悪い赤ん坊を身内にするというなら死んだ方がマシよ!私の眼の届かないところでやって!』


最後の最後まで、ミディルはビアンカを蛇蝎の如く嫌い抜いた。

そして彼女亡き後も、彼女の徹底した拒絶だけが独立して生き残り、周囲を感化していった。


物心つく前から大人達の憎しみを全身に浴びて育った孫娘に、一体何がしてやれただろう。

どう守るにしても限度がある。

誰にも会わせず外にも出さず、飼い殺しにするべきだったのか。事実、今のビアンカはそんな状態にあるのだから、最初から閉じ込めていた方が、自他共に傷付かずに済んだのだろうか。

あれほどはっきりした外見的な差異があっては、外交の場に立たせることもできない。


「ジェラー、ジェラーはビアンカ好き?」

唐突に訊ねられ、我に返った。いつの間にか近付いてきたルルーが、肘掛けに手を付きながら小首を傾げている。

「…一言では言い切れませんね」

身内の情はある。だが扱いかねて疎んじた時があったのも本当だ。

敏感なビアンカは気づいているだろう。だからこそ、開いた距離を縮めることができなかった。

自嘲じみたジェラーの答えに、ルルーはしかつめらしく頷いた。


―――混沌か。

自分に対する、レムのように。

一筋縄ではいかないのか。


「ルルー、どうかあの娘のことは気に留めないで下さい。誰の言葉も悪く受け取って、ああいう攻撃的な態度しか取れなくなっているんです」

「だいじょーぶ、さっきも言ったでしょ?気にしないよ」

なんのこだわりも見せず、濃紺髪の少女が屈託なく笑った。つられてジェラーも微笑する。

そして思った。

そういえば、最後にビアンカの笑顔を――嘲笑以外の笑顔を――見たのは一体、いつだったか、と。



それすら思い出せない自分には、最早、ため息をつく資格すら残っていない気がした。




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