第9話:狼煙
「……狼煙、か。こんな世界で狼煙を上げるなんて、よっぽどの馬鹿か、よっぽど切羽詰まってるか、あるいは……」
シホさんが、西の空に立ち上る細い煙を見つめながら、意味ありげに言葉を濁した。
「あるいは?」
私が聞き返すと、シホさんはニヤリと笑う。
「あたしたちみたいな“お宝”を誘き出すための、罠、ってこともあり得るねぇ」
ひぃぃ! やっぱりこの世界、性善説とか通用しないのね!
《現状、あの狼煙の意図を正確に判断する材料はない。だが、無視できない情報であることも確かだ。他の生存者がいるなら、接触して情報を交換するメリットは大きい》
スラぽんはいつも通り冷静だ。
「でも、もし罠だったら……」
《そのための偵察だ。危険を冒してでも、情報を得る価値はあると私は判断する》
結局、私たちは偵察隊を出すことにした。メンバーは、もちろん戦闘経験豊富なシホさんと、索敵・分析のスペシャリスト(スライムだけど)のスラぽん。そして……。
「マイコちゃんも、一緒に行こうか」
シホさんが、意外なことを言った。
「え!? 私もですか!? 足手まといになるだけじゃ……」
「何言ってんだい。あんたのその魔導書と、不思議な力は、いざという時に役に立つかもしれないだろ? それに、いつまでもあたしやスラぽんに頼ってばかりじゃ、この先生きのこれないよ」
うっ……正論だけど、グサッとくる……!
《シホさんの言う通りだ、マイコ。君も実践経験を積む必要がある。私が全力でサポートするから、心配いらない》
スラぽんまで……!
こうなったら、腹を括るしかない!
「わ、わかりました! 行きます、行かせてください!」
拠点(まだ名無し)の守りは、私が昨日張った『守りの結界』と、スラぽんが仕掛けた簡易な警報装置(旧文明のガラクタを再利用!)に任せることにして、私たちは軽装で狼煙の方向へと出発した。
食料と水は最低限。いざとなったら、シホさんが現地調達してくれるはず!(他力本願)
森を抜け、岩場を越え、ひたすら狼煙を目指す。
道中、シホさんは獣の足跡や、植物の生え方から、周囲の状況を的確に読み取っていく。マジでサバイバルのプロだ。
スラぽんも、時折《前方、小規模な崖。足元注意》とか、《この付近、有毒な胞子を飛ばすキノコが群生している。風下に回れ》とか、的確なナビゲートをしてくれる。
「それにしても、狼煙って、結構煙を出すのにも技術がいるんだよねぇ」
シホさんが、ふとそんなことを言った。
「そうなンですか?」
「ああ。湿った薪をうまく使わないと、すぐに消えちまうか、逆に火事になっちまう。あの狼煙を見る限り、上げてるヤツは、なかなか手慣れてるね」
手慣れてる……。それが味方なら心強いけど、敵だったら厄介極まりないってことよね……。
数時間後、私たちはついに狼煙が上がっていると思われる場所の近くまでたどり着いた。
それは、小高い丘の上だった。周囲は比較的開けていて、見通しは良い。
私たちは身を隠せる岩陰から、慎重に丘の上を窺った。
そこには―――数人の人影があった。
テントのようなものを張り、中央では確かに狼煙が上がっている。武装は……しているように見える。革鎧に、剣や弓を持っている者もいる。全部で五、六人くらいだろうか。
《……敵意は感じられない。少なくとも、こちらを待ち伏せしているような雰囲気ではないな》
スラぽんが小声で報告する。
「どうする、シホさん? 声、かけてみます?」
「そうだねぇ……。まずは、あたし一人で様子を見てくるよ。マイコちゃんとスラぽんは、ここで待機。万が一のことがあったら、すぐに拠点に逃げるんだ。いいね?」
「え、でも……!」
「大丈夫だって! あたしは、こういうの慣れてるからさ」
シホさんはそう言って、悪戯っぽく笑うと、音もなく岩陰から出て、ゆっくりと丘の上へと近づいていった。
私とスラぽんは、固唾を飲んでその様子を見守る。
シホさんが丘の上の集団に声をかけると、彼らは一斉にこちらを警戒した。一瞬、緊張が走る。
でも、シホさんが何かを話すと、彼らの警戒は少しずつ解けていったように見えた。
しばらくして、シホさんが手招きしているのが見えた。
「……行っても、大丈夫そう?」
《うん、今のところは、だが油断は禁物だ》
私とスラぽんも、おそるおそる岩陰から出て、丘の上へと向かった。
近づいてみると、狼煙を上げていたのは、私やシホさんと同じような、この終末世界を生き抜いている生存者たちのグループだった。リーダーらしき壮年の男性、若い男女が数人、そして……小さな子供も一人いる。みんな、服は汚れて痩せてはいるけど、その目にはまだ光があった。
「おお、こっちがマイコちゃんと、喋るスライムのスラぽんかい! いやぁ、シホさんから話は聞いたけど、本当に珍しいねぇ!」
リーダーらしき男性――ガストンさんと名乗った――は、意外なほど気さくな笑顔で私たちを迎えてくれた。
どうやら彼らは、別の場所にあった集落が魔物に襲われて壊滅し、新たな安住の地を求めて放浪している途中だったらしい。狼煙は、他の生存者へのSOSと、情報交換を求めて上げたものだそうだ。
「まさか、こんなに早く反応があるとは思わなかったよ。しかも、こんなに若いお嬢さんと、不思議なスライムさんだなんてね!」
ガストンさんは豪快に笑う。
他のメンバーも、私たちに興味津々といった感じだ。特に、小さな女の子――リリちゃんと名乗った――は、ぷるぷる浮いているスラぽんに目を輝かせている。
《……ふむ、どうやら本当にただの生存者グループのようだな。少なくとも、今のところは敵意や悪意は感じられない》
スラぽんも、ひとまずは安心したようだ。
私たちは、お互いの情報を交換した。彼らは食料が底をつきかけていて、安全な水場もなかなか見つからずに困っていたらしい。
逆に、私たちは人数が少ない分、常に人手不足で、情報も限られていた。
「もしよかったら……私たちの拠点、来てみませんか?」
私は、思わずそう提案していた。
シホさんも、少し驚いた顔をしたが、すぐににっこり笑って頷いてくれた。
「そうだねぇ。お互い、助け合えることがあるかもしれないしね!」
ガストンさんたちは、私たちの提案に顔を見合わせ、そして、リーダーのガストンさんが深々と頭を下げた。
「……ありがたい。本当に、ありがたい申し出だ。ぜひ、お願いしたい」
こうして、私たちは思いがけず、新たな仲間(候補?)を得ることになった。
もちろん、すぐに全面的に信頼できるわけじゃない。でも、この荒廃した世界で、こうして他の人間と出会えたことは、素直に嬉しかった。
狼煙が繋いだ、新たな出会い。
それが、私たちにとって吉と出るか、凶と出るか……それはまだ、誰にも分からない。
でも、何かが大きく動き出そうとしている予感だけは、確かにあった。