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第八話 命の実感

 隣町市を地図で見たとき、街の真ん中にあるのは、市内を走る電車の全路線が乗り入れる中央駅である。この街最大の駅は丑三つ時から夜明け前のわずか数時間を除き、どんな時間帯でも人を吸い込み、また吐き出し続ける。必然的に、駅を囲むように繁華街が広がっていた。

 市内各地から通学する高校生たちにとっても、中央駅ならどの子も帰りに困らないので、放課後の寄り道にも、休日の遊び場にも、一番人気のエリアだ。


 まもなく梅雨を迎えようとする時季だが、この日は飛び越えて夏が来たかと思うほどに晴れ渡って暑かった。

 小春は、朝登校するなり中央駅前に新しいクレープ屋ができたからと祐実に誘われ、放課後、五人で足を伸ばした。


「そういえば小春ちゃんって、剣崎くんと家が近いんだね」

「え?」


 注文を終え、ガラス越しに生地の焼き上がりを眺めていたはずの杏が、出し抜けに小春を振り向いた。突然すぎて、小春は素のまま目を丸くする。


「山村さんが言ってたんだよ。剣崎くんが降りた駅に、小春ちゃんもいたって」

「そうね、最寄り駅は同じね」


 小春は何食わぬ顔で答えたが、絵里奈が眉をひそめた。


「それって、山村さん、剣崎くんの後をつけたってこと?」


 杏は少し嫌そうに「そう」とうなずく。


「うわぁ……。剣崎くんも、そんなふうに家を知られたらさすがに嫌だろうね」

「それがさ、駅から出たあと、なぜか見失っちゃって、家はわからないんだって。でも、神社前駅ってそんなに複雑じゃないし、建物も多くないでしょ? なら小春ちゃんなら知ってるんじゃないって、山村さんがわたしに訊いてきたの」

「え、なんで杏に?」

「知らない。小春ちゃんには話しかけづらかったんじゃない?」


 杏はつっけんどんに言い、それから、気遣うように小春を見た。


「わたし、知らないって答えたから、もしかしたら、小春ちゃんに何か言ってくるかも」

「わかったわ。教えてくれて、ありがとう」


 少女たちから小春に、心配そうな視線が集まる。安心してほしくて、小春はおっとりうなずいてみせた。


 入学から二ヶ月が経ち、新入生の初々しさも消え、生徒たちの距離感が定まってきたころだ。

 その間、一切相手にされていなくても、山村さんが由希斗にしつこいのは、クラスメイトに知れ渡っている。さすがに、みないい顔はしない。

 だが当の由希斗は、まったくもってけろっとしていた。学校では相変わらずもの静かで、家でも特に変わった様子は見られない。羽虫相手でももう少し鬱陶しそうにするだろうと思うほどである。


 そして、クラスで周知の事実と化していることが、もうひとつ。


「剣崎くんは、小春ちゃんしか見てないのにね」


 受け取ったばかりのクレープの包み紙を食べやすいよう破りながら、祐実は少し咎めるように、小春を視線でつつく。


「小春ちゃんのほうは、相変わらず放置続行なの?」

「でも、彼に何かを言われたわけではないし……」


 小春は眉を下げて微笑んだ。


「あんなにわかりやすく小春ちゃんのことが好きみたいなのに、何にもしないのも、意外な感じね」


 祐実に次いで出来上がったクレープを受け取ってきた佐々良が、輪に戻るなり言う。

 この手の話題に、佐々良が自分から乗ってくるのは珍しい。

 教室では浮き世離れして見えるほど泰然としている由希斗だから、控えめだったり、内気さを感じさせる様子は、あまりに気になってしまうのかもしれない。


「山村さんを気にしているんじゃない? ……小春ちゃんに、何かするかも、って」


 絵里奈は少し声を潜めていた。下種の勘繰りと言えるはずの推測だが、少女たちの誰にも絵里奈を咎める気は起きず、さもありなんと目を見交わす。


「でも、意味はあるのかなあ? だって、みんな知ってるのに」


 微妙な空気になりかけたところで、あっけらかんと祐実が言い、またも、少女たちは揃って小春を見た。小春は半笑いを返すしかなかった。

 こうなってしまうと、もはや由希斗をたしなめても意味がない。今さら彼が態度を変えたら、何があったのかと、いっそう同級生たちの気をひいてしまうのがオチである。


 由希斗もクラスの雰囲気には気づいていて、家ではときどき小春に申し訳なさそうな顔を見せる。そういうときに小春を見つめる彼の桃色の瞳には、ごめんね、でもどうか許して、という気持ちがなみなみと浮かび、その桃色があふれてくるんじゃないかと思うほどだ。

 だから小春は、そこまでたくさんの感情はいらないのに、と、軽い調子で「大丈夫よ」と言ってしまう。


 何年かに一回、高校生をやるたびに同じことを繰り返している、


「ねえ、小春ちゃんは、もしちゃんと告白されたら、付き合ってもいいって思ってるの?」


 絵里奈は、興味半分、遠慮半分のトーンで訊いてきた。小春が鬱陶しく思うなら、この話はもうしない、そういうラインを見極めようとする態度だった。


「そうねぇ……」


 小春は、そんなことが起きないと知っている。だから小春と由希斗の関係は、この先もずっとこのまま、変わらない。


『僕の、お嫁さん』


 嬉しそうにそう口にして、まなざしでも「そうでしょう?」と確かめてくる由希斗の可愛い桃色の瞳を思い起こすと、小春の胸は疼くように痛む。


 彼はいつまで、嘘をつき続けるつもりだろうか。

 小春が、彼にとっての『お嫁さん』ではないことを、誰よりわかっているのが由希斗のはずだ。


「わたしは、付き合ってもいいなんて、えらそうに言える立場にはないわ」

「じゃあ、剣崎くんのこと、いいなー、とかは? 思ってない?」


 クラスメイトたちには、なんとなく、由希斗を応援しようという空気が生まれている。尋ねてきた祐実をはじめ、ほかの少女たちからも、そうであってほしいと期待の目を向けられ、小春は心からの微笑みを浮かべた。


「……ふふ。それは、ひみつ」


 由希斗がこの街の人々に愛されていると知るとき、小春の胸は温かくなる。

 小春が由希斗の幸せを祈ろうとしても、彼が神さまだから、願いの届け先を見失う。小春にはそれがいつでも気がかりで、街の人たちが彼を思いやってくれるのがわかると、そのぶんだけ安心するのだ。


「えーッ」


 不満を表したはずの祐実の声は、明るく街に響いた。


「いいなあ、アタシも恋したいよー!」

「祐実ちゃんと恋って似合うわね。でも、泣かされそう」


 恋愛自体が他人事のような口ぶりでからかう佐々良に、祐実がかじったクレープを素早く飲み込み、唇を突き出してみせる。


「ちょっと、さっちゃん!」

「失恋も醍醐味じゃない? って、ごめん、絵里奈」


 杏は笑って祐実に言ったが、すぐにはっと失恋経験者の絵里奈を振り向いた。


「ううん、あたしもそう思うよ。あたし、振られたときに一番、恋してたんだなー、って、しみじみ思ったもん」

「あっ、そういうのもいいなー!」


 絵里奈の失恋さえうらやましがる祐実に、杏が肩を寄せてからかう。


「じゃ、祐実ちゃんが泣いたら、私なぐさめてあげるね」

「杏ちゃんまで!」


 ひどい、と言う祐実は、くしゃくしゃの笑顔だった。そこに、ほかの少女たちの笑い声が重なる。


 楽しそうな友人たちのやり取りを黙って眺めながら、小春はそっと胸に手を当てた。

 絵里奈が失恋で恋を強く感じたように、苦しみは幻ではないから、自分が今ここに生きていることを実感する。喜びも幻ではないと思える。


(ユキの守る街――ここで生まれる苦楽を、幻と呼ぶなんて……)


『ファントムペイン』の教義は、小春に怒りを通り越した悲しみを抱かせた。


「でもね、あたしこの間、そうやって苦しいことを良いことみたいに考えるのはまやかしに逃げているだけだって、健太くん……室井先輩に言われちゃった」


 絵里奈がこぼしたことに、何か不穏なものを感じて、小春は顔を上げる。


「え、室井先輩、帰ってきてるの? てか、その人がそれ言うの?」


 杏は呆れた顔をしたが、絵里奈は照れ笑いをうかべていた。


「でも、ちょっとそうかも、って思った。失恋したときはすっごくしんどかったのに。思い出とか、経験ってことにして、ほんとは良くない出来事を、いいことだったって思おうとしたのかも」

「よい経験も悪い経験も、その積み重ねが今のあなたを作っているの。振り返って糧になったと感じるのは、自然なことよ」


 絵里奈たちが、呆気に取られたように小春を見た。彼女たちの困惑がわかっても、小春は言葉を止められなかった。


「まやかしなんかじゃないわ」


 きょとんとして、うまく理解できないでいるらしい絵里奈の見開かれた目を、貫くように見つめる。小春は、絵里奈を通して、彼女にそんなことを思わせた人、さらにその人と同じ考えを持つ誰かの影まで、見据えようとする自分に気づいていた。


「苦しかったときの気持ちも、それをいい経験だったと思える今の気持ちも、どちらも、大事なものだから」

「う、……うん……」


 気圧された様子で絵里奈がうなずく。無理矢理うなずかせてしまったと思って、少しもの寂しくなる。


 言うんじゃなかったとは思わないし、言わずに済んだとも思えない。けれど、小春と絵里奈たちのあいだで気持ちが離れているのを、今の言葉で埋めることはできないのだ。

 でも、由希斗を強く思いすぎている小春がおかしいのであって、純粋なだけの絵里奈たちは何も悪くない。おまけに、絵里奈に他人のぶんまで小春の気持ちをぶつけてしまったのは、小春の過ちだった。


「……ごめんなさい」

「え、全然、いいよ」


 戸惑いを残した顔のまま、絵里奈が小刻みに首を横に振る。彼女には、小春が謝った本当の理由はわからないだろう。

 由希斗よりは普通の人間でいるつもりだけれど、小春もまた、ここにいる少女たちとは違う。


(ユキは、どうしてわたしを生かしたのかしら)


 少し意識を向けるだけで、体を巡る由希斗の霊力を感じる。それはこの街に満ちるものよりずっと強く、小春のためだけに特別に分け与えられている。

 彼とともにいるようになって、ゆうに数百年は経つ。


『……小春』


 死ぬつもりで目を閉じて、それなのに、なぜか目が醒めた。そのとき、小春を腕に抱いて見下ろす由希斗の顔を見たせいで、小春は彼に尋ねる機会を失ってしまった。


「私は、小春ちゃんの考えのほうが好きだわ」


 少女たちは佐々良を見、佐々良は小春に視線を向けて、にこりと笑う。

 一度瞬きをして過去の情景を消し去り、小春は佐々良に「ありがとう」と返した。


「お世辞だと思ってる? 本当よ。私、小春ちゃんのそういう、歪まない綺麗なところ、好き」

「綺麗、って……」


 思いも寄らなかったことを言われ、小春はとっさに応えられなかった。目を丸くする小春を、背の高い佐々良は上から覗くように上体を傾けて見下ろした。


「魂が澄んでいるのよ。なかなかいないわ、小春ちゃんほど綺麗な子」

「……」


 本当に、佐々良は、いったい何者なのだろうか。

 訝られるのを承知で、小春は佐々良をじっと見返した。探るような小春の視線を、佐々良はわかっているかのように、動じず受け止めている。


 由希斗の霊力を預かっていても、もとがただの人間である小春は、相手の隠したものを見破る目を持っていない。いくつかの術の心得はあるけれど、昼日中、ほかの子たちもいる今ここで、ややこしい事態を引き起こす気概はなかった。


「変わったことを、言うのね」


 ぽかんとしている絵里奈たちにも軽く視線をやり、「ねえ?」と声をかけて巻き込む。彼女たちは、突然目が覚めたかのように、かくかくと首を振った。


「う、うん」

「さっ、さっちゃんって、オカルトか何か、好きなんだっけ」


 祐実が声をひっくり返しながら、普通の会話に戻そうとする。佐々良は小春から体を退き、ふっと笑って、肩をすくめた。


「まあ、オカルトと言えば、そういう類のものかしらね」


 秘密をにおわせる口調は、佐々良にはよく似合っていた。ちらと小春を流し見た彼女の視線に、そうではないのだ、という意味合いが含まれているのを、小春は確かに読み取った。

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