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第二十二話 代償

 室井健太は、学校の屋上で小春たちを待っていた。


 夏至が過ぎ、例年より遅れ気味の梅雨を待つ夕暮れの空はすっきりと晴れて、まだ浅いオレンジ色をしている。その空の下で、由希斗の白銀の髪が、夕陽をあびて淡い金色を帯びる。


「小春ちゃん!」


 由希斗が屋上への扉を開き、互いの姿が見えてすぐ、絵里奈が半泣きの声を上げた。小春は優しく微笑み返す。


「ひとまずは、無事でよかったわ」


 絵里奈の腕を、見知らぬ男が掴んでいた。ほかに拘束されている様子はないものの、絵里奈は動けないようだ。その男と絵里奈の一歩前に立ち、室井が小春たちに対峙した。

 それなりに広い屋上の端同士に立つ小春たちと室井とのあいだには、駆け寄ってもすぐには近づけないほどの距離があった。


「それで、君たちの要求は何?」


 由希斗の桃色の瞳は鋭く細められ、夕陽の加減で血のように朱く見える。市長だったら腰を抜かすところかもしれないが、室井健太は、少し怯んだ様子を見せても退きはしなかった。


「菅原を解放しろ」

「それは、僕と小春のあいだのことだよ。君に言われてどうこうするものじゃない」

「菅原、お前はこいつを憎んでいるんだろう?」


 由希斗にあしらわれた室井が、小春に目を向けて言った。由希斗が小春を見下ろし、伏し目がちになった瞳に暗い影が落ちる。小春は呆れて言い返した。


「素敵な誤解ね」


 室井との会話を思い返してみても、いったい何がどうして小春が由希斗を憎んでいることになるのか、小春には全く身に覚えがない。


「お前、言っただろ。お前を救うために、殺してほしいって」


 確かにそう言いはしたが、半分以上は室井への意地悪で、残りが由希斗の苦しみを和らげたい思いである。そこに憎しみなどひとかけらもなかった。


「それでわたしがユキを憎んでいると思うのは、あなたがそう思いたいからだわ」


 周囲の霊力がいくらか荒れて、小春は由希斗を見上げた。彼は室井を見据えながら、重く暗い気配をまとっていた。

 由希斗を気にしながら、小春は室井へ言う。


「もし、わたしがユキを憎んでいるなら、ユキを殺してと言ったでしょう」

「でも、死にたいと思うくらい、お前は不幸なんだろ?」

「不幸になるより、偽物でも幸福を感じていたい、と言ったはずだわ」

「偽物の幸福で、いいわけがないだろ!」


 室井が叫ぶのに、小春の隣で、由希斗が鋭く息をのんだ。彼は苦しそうに顔をゆがめ、視線を落とす。

 小春は、手のひらに小さな痛みと、そこからほんのかすかに霊力が流れ出すのを感じ、由希斗の手へと視線をやった。握りしめられた指で、爪が手のひらに刺さっている。


「ユキ!」


 小春がそっと彼の手に触れると、由希斗ははっと指をほどいた。


「ごめん、小春……」

「謝ることはないわ。でも、あまり握りしめたら痛いでしょう」


 小さな傷は、治癒の術を使うまでもなく霊力の巡りでもう治りかけている。その痕を指先で撫でてやりながら、小春は室井に言い返した。


「偽物なんかじゃないわ」

「偽物って言うんだよ、そういうの」

「あなたに何がわかるの。たとえ仕組まれた幸福だとしても、わたしや、街の人たちは、本当に幸せを感じているわ。その心を、あなたに偽物と呼ばれるすじあいはない」


 小春に撫でられるにまかせていた由希斗の手が、そろりと小春の指を握りこむ。


「そいつの幻想に捕らわれているんだ、お前」

「ユキの幻想で、幸せでいられるなら、わたしはかまわないの」


 小春は、少しだけ勇気を出して、由希斗の手を握り返した。

 数百年も一緒にいたのに、互いの手を触れ合わせることさえ、術を使うときを除いては、ほとんどしなかった。いつだったか、由希斗が触れてこないことに気づいて以降、小春も、彼に触れてしまうのを避けていた。

 だから、手を握り合わせることにさえ、胸が高鳴る。それが緊張か、ときめきか、どちらなのかを小春は判別できなかった。

 こんなときに、ときめきを感じている場合ではないだろうとは思うけれど、数百年も想い続ける相手に触れて、うわついた気持ちにならないとも言えない。


「幻想か本物か、誰にわかるというの?」

「オレにはわかっている」

「わかっているつもりになっているだけだよ」


 由希斗が言った。


「僕と小春のことが、なぜ君にわかるの」

「部外者から見たほうが、わかるときってあるだろ。だいたい、菅原を縛り付けているお前には、自覚があるんじゃないのか」

「僕は、小春を縛り付けているわけじゃない。……互いの意思のもとに交わした契約だよ」


 そう言う由希斗は、室井に対しては強気に見えたが、小春と繋いだ手からは力が抜けかけていて、彼の怯んだ気持ちを感じさせた。由希斗の手は、小春より大きくて、重い。小春は、彼の手が自分の手のひらから抜け落ちてしまわないよう、繋いだ手に力を込めた。


 由希斗が契約と言う、そのもとになった意思――『生きたい』と願ったこと――を、小春は憶えていない。それでも、彼が言うなら嘘ではないはずだった。

 契約は、嘘で成り立つほど甘くない。

 まして、由希斗はその契約のために、小春を『神嫁』にしている。契約に縛られるのは小春だけではなく、むしろ、小春を生かすために由希斗が引き受けた代償のほうが大きいのだ。


 小春のせいで、縛られているのは由希斗のほうだ。


 重苦しい気持ちで、小春は空いているほうの手を胸に当てた。

 鼓動の代わりに、小春を生かす霊力が、ゆったりと脈打つようなリズムを伝えてくる。小春は、何事かあるたびに、つい心臓が跳ねたり、脈が速くなったりするように感じてしまうが、本当は、すべて由希斗にわけ与えられた霊力の巡りだ。それは心のうごきに合わせてリズムを変え、ときには乱れる。

 心臓が時を止めても、小春の心が、小春といういのちの存在を知らせている。


「わたしは、ユキから解放されることを望んでいない。そう言えば、室井くんは手を引いてくれるの?」

「納得できるかよ」

「あなたに納得してもらう、必要がないのよ」

「なら、望み通り殺してやればどうだ?」


 由希斗が弾かれたように顔を上げ、室井の後ろにいる男を睨んだ。半歩前に出て、小春を背に庇う。


「健太やその娘の考えは、おれにはどうだっていい。何であれ、その娘を呪縛から解き放つことがお前との契約の対価だ」

「契約……」


 由希斗が低く呟き、男と室井の繋がりを確かめるように目を眇めて彼らを見比べた。小春にも、由希斗の感じる彼らの霊力が見える。小春と由希斗ほど強くないものだが、確かに、彼らは霊力で繋がっていた。


「おれは、お前の願いを聞き届ける。おれは娘を殺し、お前はおれをこの街の『神』にする」

「なっ、待て!」


 室井が慌てて叫んでも、男は聞く耳を持たない様子だった。小春を殺すことが室井への対価とは、どう考えても曲解だが、室井の願いが『小春を由希斗から解放すること』ならば、曲がっていてもそう解くことはできる。

 神への『お願い』――神との契約を軽々しくおこなってはならないのは、そのためだ。

 言葉も想いも、ゆがめて捉えることはいくらでもできる。

 想いをゆがめられてもかまわないくらい、信頼できる相手としか、交わすべきでないものだと小春は思う。


「小春を殺しても、この街の神さまにはなれないよ。決して殺させないけれど。君は、僕には敵わない」


 由希斗の声音は、冴えた刃のような冷たさを含んでいた。


「娘を殺せば、お前の力を誰が抑え込む? お前が街を破壊したなら、信仰も失うだろう」

「僕は信仰を必要とはしない。僕が存在しているのは、どういうわけかこの世界が僕という存在に力を巡らせているからで、何かに依らないと存在できないわけじゃない」


 小春は、由希斗の感情の乱れに合わせて荒くなってゆく霊力の巡りを、彼の背後で制御していた。それでもときおり手綱を握りそこね、強風となって吹きつける。

 由希斗は怒ると冷たくなるタイプだ。けれど小春には、彼の霊力によって、内に秘める激情を感じ取れる。


「君も、本当はそうでしょう? でも信仰されていた快さを忘れられなくて、()に成り代ろうとしている、醜い神の成れの果て」


 由希斗の侮蔑の視線を受けて、野良神と化した男は屈辱に歯を剥いた。


「『神』なんて、人の生み出した幻想だよ。君の言うことはある意味で正しい。僕も、君も、幻想に過ぎない」


 由希斗は淡々と言い、ふと笑った。それは明らかに、由希斗を『幻想』と呼びながらこの街で信仰を欲する男への挑発で、場の緊張が高まってゆく。


「僕が小春を縛りつけているというのも、小春の幸せも、ぜんぶ『幻想』なのかもしれない。だったらあとは小春がどれを選ぶかで、そして君は選ばれなかった」


 野良神とともに、室井にも、由希斗は冷めた目を向ける。

 小春は少し驚いていた。いかに由希斗が普段穏やかでも、怒ることがないわけではない。けれど、こんなに敵意をあらわにするところは、初めて見た。


(ユキの言うとおり、わたしはいつもユキを選んできた……それがユキのためにもなると思っていたから……)


 ――それは、本当にそうだったのだろうか。


 小春はつい、状況から目を離して、自分のもの思いに意識を取られた。その一瞬の隙を突いて、野良神が龍体に変化する。


「まどろっこしく話をしたって、決着はつかんだろうなあ!」

「……!」


 野良神が狙ったのは、由希斗ではなく、その背後にいた小春だった。はっとして顔を上げても、霊力を纏わせた鋭い爪が迫り来るのに、対応が間に合わない。


「小春!」


 貫かれる、と思って、思わずきつく目を瞑った。

 ところが、体を突き抜けるような痛みや衝撃は、膜一枚を隔てたような鈍さでしか訪れなかった。その意味を瞬時に察して、目を開ける。


「ユキ……!」


 龍の爪を、由希斗がその身で受け止めていた。由希斗の霊力が荒れ狂うほどに乱れ、力任せに龍の体を弾き飛ばす。崩れ落ちる体を、膝をついて堪えた由希斗に寄り添い、小春も屈みこむ。彼の傷に手を当てた。

 由希斗の胸のほぼ真ん中に、酷い刺し傷がある。人間とは異なる由希斗の体は、血を流す代わりに、彼の体を構成する霊力を失っていった。


「わたしの代わりに、あなたが傷ついたら、意味がないのに……!」


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