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第二十話 言えない想いと柔い檻

 話を終えた少女たちを、小春は神域の出口まで見送った。由希斗は夕飯の当番を理由に家に置いてきた。

 本来ならば少女たちの記憶を消すところだが、室井健太が再び彼女たちに近づかないとは言えず、彼女たちに記憶がなければ、同じことを繰り返しかねない。そのために、秘密を口外しないよう言い聞かせ、そのままで帰すことにしたのだ。

 すべてが解決したときに、学校の関係者や、高校生としてかかわった街の人々ごと術をかけて、小春や由希斗のことを忘れてもらう。

 そんな小春たちの思惑など知る由もないはずなのに、神域の結界を抜ける直前、佐々良は一度足を止め、小春を振り向いて言った。


「ねえ。ここは本当に、いい街と言えるのかしら」


 彼女は、小春を試すように目を細めて見下ろしてくる。


「どういうこと?」

「悪い感情を持たないように人を操っているのと同じじゃない? それは良いことなの?」


 小春は、佐々良をまっすぐに見上げて目を合わせた。外の世界を知る彼女だからこそ、街のありように疑問を持つのかもしれない。

 でも、この街に生きる人々、そして小春にとっては、外との比較は意味がないものだ。


「もしかしたら、よくないことなのかもしれない。でもわたしは、それでもこの街が好きよ。仕組まれた幸福だとしても、幸せであるのは間違いないわ」

「でも、憎しみや妬みが、ときには人の力になるものよ。小春ちゃんは、それを知らないの?」

「さっちゃーん!」

「はぁい」

「小春ちゃんが人を憎めば、どれほどの力か、よくわかるんじゃないかしら」


 佐々良は面白がるような軽い調子で言って、小春が何かを言う前に、祐実に呼ばれて行ってしまった。


「憎しみや、妬み……」


 佐々良の言うことが、理解できないわけではない。小春自身の経験ではなくとも、物語や何かで外の世界のことを見聞きし、負の感情も人間には必要であって、それが力になることも知っている。だが、その結果としてもたらされるのは、悲しいものが多いことも、小春は外の世界の歴史を学んだときに感じていた。


 人にとって、何が最適なのか。


 そんなことは、小春にはわからない。だが、たとえこの街のありようが、本当の幸せと違うものなのだとしても、小春が街を守りたい思いは揺らがなかった。


「……ユキがくれる幸福……。それを本物だと思うわたしの想いが、きっと、本物にするのよ……」


 誰にともなく、そっと呟く。

 今の幸せが壊れるくらいなら、たとえ偽物と呼ばれようとも、このままがいい。小春のほしいものは、ほかの誰かが『本物』と呼ぶ幸福じゃない。

 ここは平和で豊かな、世界でいちばん幸福な街だ。

 少なくとも小春にとっては、それが真実だった。





 小春が家に帰ると、ダイニングテーブルの上には、市長が手みやげに持ってきた素麺が茹でられ、山を作っていた。山の横では、菫と紫苑が素麺流しの装置を組み立てている。何年か前、由希斗が街のホームセンターで衝動買いしたものだ。


「おかえり、小春」

「姫さまおかえりなさいませ!」

「ただいま」


 家の中は、すっかり日常の空気だった。けれど、それは「このパーツは?」「そっち」「これ何?」「パイプの繋ぎだよ」などと賑やかな菫と紫苑のおかげで、由希斗はカウンターの向こうで手を止め、ほんの数秒だが、小春をじっと見つめてもの言いたげな目を向けた。

 小春は弱く微笑み返す。

 市長や絵里奈たちとの会話で由希斗を不安にさせることはなかったはずなのに、彼はときどき、小春の不安定な心情を見透かしたかのように桃色の瞳を曇らせる。霊力で繋がっていても、互いの心を読む力はないのに、なぜ伝わってしまうのだろう、と、いつも不思議に思う。


 互いの心がわかるなら、どれほど楽だろうか。

 そんなふうに思うときもあるけれど、小春は、由希斗の心を知るのは怖かった。


 制服を着替えてくる、と告げて由希斗から視線を外し、二階へ上がる。小春の私室はごく普通の洋室だ。ライトブラウンのフローリングで、クリーム色の壁紙は由希斗が張り変えた。クローゼットと洋服箪笥、机とシングルベッド。姿見には、何百年も変わらない自分が映る。自分の全身を自分の目で眺めるのは、ここ数十年ほどのまだ新しい習慣だ。大きな鏡が簡単に手に入るようになったのが、それくらいだからである。

 制服を脱いでハンガーにかけ、ゆったりした綿のワンピースを着る。以前の普段着は着物だったが、いつからか洋服になった。洗濯機に放り込んで洗える楽さが決め手である。


 ダイニングに戻ったら、夕食の準備は整っていた。

 素麺を流そうとしたのが誰の発案かわからなかったが、由希斗は楽しそうに麺を投下するわりに、自身では流れているところからは掬おうとせず、受け口に落ちたものをのんびり引き上げていた。


「姫さま、こちらをどうぞ」

「あっ、紫苑、ぼくがお渡ししようと思っていたのに!」


 小春はといえば、菫と紫苑からわんこそばのごとく貢がれている。流れる麺を掬いたいとは思っていないものの、次々に差し出されると、いくらひと口ぶんずつとはいえ忙しい。


「小春、おいしい?」

「ええ」


 誇らしげな由希斗に、あなたは麺を茹でただけでしょう、とは言わない。まして麺を手土産にした市長を話題に出そうものなら、由希斗の機嫌を損ねること間違いなしなので、小春はただうなずいた。


 由希斗が市長を嫌っているわけでは、もちろんない。彼に嫌われた人間がこの街に住み続けるのは難しいから、彼の嫌う人物が市長になることはない。

 ただ、自分の好悪の感情が少なからず影響することを知っている由希斗は、市長をはじめ、街の人間たちと積極的な交流はせず、彼らについて考えるのも避けているのだった。

 佐々良は、人を操っているのと同じと言ったけれども、そんなことは由希斗も承知のうえで、できるだけそうならないようにつとめている。

 これ以上、彼に何を望めば、良い街になるというのだろう。

 佐々良の言うことを思い返すほど、欲望に限りがないことを思い知らされる。

 それは、佐々良や街の住人に対してよりも、小春自身に刺さるのだ。


 数百年も由希斗とともにいて、彼のそばで、幸せに暮らしている。それでなお心から満ち足りているといえないなんて、自分はどれほど愚かなのだろう。

 小春を見て苦しそうにする由希斗を救いたい。それは純粋なばかりの願いでは決してなく、小春が苦しいからだ。

 始まりの舞姫に嫉妬して、もっと愛されたいと願う自分の心を見て見ぬ振りをしても、ふとしたきっかけで思い知らされる。

 欲深さも、見て見ぬふりをする狡さも、醜くて嫌いだ。


「小春?」


 はっと我に返ると、由希斗が心配そうに眉を寄せて、小春をうかがっていた。なんでもないふりをしても、由希斗に通じないことは、もうわかっている。


「ファントムペインのことを、考えていて……」

「彼?」


 由希斗は桃色の瞳に冷たい陰りを滲ませた。小春は室井と言うのを避けたのに、意味はなかったようだ。


「どう、決着をつけたらいいのかしら」

「室井健太に力はないでしょう。あの龍だろうね」


 龍をどうするかは、由希斗は言わなかった。食事中に聞きたい話ではなさそうである。


「人に化けるみたいね。それとも、龍に化けているのかしら。体が大きくて、力はありそうだったものね」

「小春が見たいなら、僕も龍に化けてみせるよ」

「その力をコントロールするのは、いったい誰かしら」


 小春がつい頬をほころばせると、由希斗も表情をゆるめた。


「ユキだけで化けようとしたら、小さな蛇になるかしら。それとも、大きすぎて空を覆うか、もしくは鳳凰になってしまったりして」

「小春って、僕を何だと思っているの」

「わたしの、大事な神さま」


 ちょっと拗ねてみせる由希斗を、笑って宥める。けれど、由希斗は微笑みながらも、どこか切ないような目をしていた。

 そう気づいても、由希斗の本心を知るのを怖がる小春では、彼の気持ちを訊けなかった。





 夕食のあと、片づけをしてくれた菫と紫苑を風呂に行かせ、リビングに由希斗とふたりきりになった。


「小春」


 ソファでくつろぎながらテレビを見るか、本でも読むのだろうと思っていた由希斗は小春を手招き、みずからも立ち上がった。正面から向かい合い、彼は小春の手をそっと握って、じっと小春を見下ろす。

 どうしたの、という問いを発する声さえ控えたくなる、静かなまなざしだった。

 小春と繋いでいないほうの由希斗の右手が、遠慮がちに小春の左腕に触れ、そこから撫でるように肩のほうへ辿ってゆく。そうしても小春が逃げないのを確かめるようにしてから、由希斗は、ゆっくりと繋いだ手を引き、反対の手を小春の背に回して、そろりと小春をその腕に抱いた。

 由希斗の仕草は、小春が少しでも拒む気配を見せたら、すぐにでも解放されるだろうと感じるほど、儚い雰囲気をともなっている。

 だから小春は、彼に気取られないよう、緊張を自分の内側に必死に押し込めなければならなかった。


「小春……」


 小さく、何かに耐えるようにかすれた声で、由希斗が小春の名を呟く。

 数百年一緒にいて、彼がこんなふうに触れてきたことなんて、今までに一度もない。


「今度こそ守るよ」


 祈りのような響き。ほんの少しだけ小春を抱く腕に力を込めて、由希斗は浅い息をついた。

 小春はどうしたらいいのかわからなかった。抱き返してみたかったが、小春が身じろげば、由希斗は退いてしまうような気がした。


 数百年前、凶暴な野良神に抉られた傷の痛みなど、もう忘れてしまった。そもそも、痛みを感じる前に何もかもが麻痺したのか、小春が憶えているのは、倒れ伏す一族の者の屍や赤黒い血の色くらいだ。

 それに、自分を呼び覚ました由希斗の声と、涙で潤んで美しくきらめいていた桃色の瞳。

 あの日のことならば、小春は真っ先に由希斗の様子を思い出す。


「僕が、小春を守るよ……」


 小春を抱く由希斗の体は、硬くこわばっていた。

 もう何百年も前なのに、あの日を、由希斗は忘れることができないでいるのだ。


「わたし、怖くないわ」


 だから大丈夫、と続けようとしたのに、小春がそう言ったとたん、由希斗の腕の力が強くなった。


「……」


 由希斗が何かを言ったような気配がしたけれど、ほとんど声にならないまま空気に溶けたそれを、小春が聞き取ることはできなかった。言いたいことがあるのに、言えない由希斗のためらいを感じた。

 それはたぶん、小春が知るのを怖いと思っているものだ。

 互いに打ち明けられないものを抱えている。

 それでも小春は、由希斗が大切に触れてくれるのが嬉しかった。けれど、由希斗の本心を知らないままで、この場所に居続けてもいいのかどうかが、小春にはわからなかった。

 守ると言って抱きしめて、小春にそばにいてほしいなら、そう言えばいい。なのに言わないのは、つまるところ、始まりの舞姫ではない小春では、彼の心を満たせないからなのか。


(ここに居たいのに……でも、ここに居るのは苦しい)


 小春は静かに目を閉じて、由希斗の体の温度や硬さを感じる。このままだと、ずっと胸の奥底に仕舞って言わずにいたことをこぼしてしまいそうで、やんわり身じろぎをし、由希斗の腕を解いた。

 あらがわず小春を放した由希斗は、やはりもの言いたげな、もどかしそうな顔をしていた。


「……お茶を、淹れるわ。紅茶と緑茶、どちらがいい? それとも、ハーブティかしら」

「……。紅茶がいいな」


 うなずいて踵を返し、キッチンへ向かう。由希斗の視線から逃れられて、ほっと肩の力が抜けた。

 由希斗のために。由希斗の望むように。

 小春はいつもそれを考えているのに、今みたいなとき、彼の言葉を尋ねてあげることが、どうしてもできないのだった。


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