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第十八話 神と人

 小春が絵里奈たちを連れて戻ると、市長はソファから飛び上がった。


「え、お父さん!?」


 絵里奈が気の抜けた素っ頓狂な声を上げ、直後に何か深刻な事態なのでは、と考えたらしく、自分の口を押さえて目線をさ迷わせる。

 市長は、立ち上がったまま動いていいものか迷うように、その場で腕を上げ下げしていた。


「室井健太を名指しでわたしたちに告発したことが室井くんにばれたら、彼と懇意にしている娘――絵里奈ちゃんに何かされるかもしれない。そうね。今の室井くんはもう、悪事と縁遠い街の住人ではないもの」


 小春は市長の姑息さをそう暴いてから、少女たちに空いているソファに座るよう促した。座って、と小春が言ったとたん、市長が絵里奈の腕を引き、三人掛けのソファに隣り合って座る。絵里奈の横に杏が、祐実と佐々良は、それぞれローテーブルの短辺にあるひとり掛けの椅子に腰を下ろした。


「菫、紫苑、みんなにお茶を持ってきてあげて」

「はい、姫さま」


 菫と紫苑は、部屋の隅にいて、気配を抑えていた。そのせいで、小春に答えた声でようやく彼らを認識した絵里奈たちがびくりと震えて、そっくりな神使たちを怯えたように見送る。

 彼女たちにとって、神域の禁を破ったこと、小春が現れたこと、由希斗のことと緊張が重なり、もはや些細なことでも、何もかもが恐ろしく感じるようだった。


「そう怖がらないで。山に入ったからといって、いきなり罰があたるわけではないの」


 小春は市長の正面にある三人掛けのソファには小春がひとりで座り、少女たちに微笑みかける。絵里奈たちは一様に身を縮めた。少女たちには、いつもと同じ笑みを浮かべる小春が、この状況では異常に見えるようだ。緊張を解くどころかますます怯えさせてしまった。


「学校にいても、ここでも、わたしは何も変わらないのよ」

「ねえ、小春」


 少女たちを相手にする小春をよそに、由希斗は先ほどと同じように、小春の後ろに立って身を屈め、背もたれに両肘を乗せた。

 そんな姿勢で小春のほうを見下ろして話すから、由希斗の声が小春のつむじあたりをくすぐる。


「なあに」

「もう教室でも話しかけていい?」

「そういう話ではないのよ、ユキ」


 大真面目な声音で何を言うかと思えば、と、小春の気が抜ける。


「僕にとっては、かなり大事な話なんだけど」


 由希斗は顔を正面に戻したらしく、少し声が遠くなった。小春の正面で、絵里奈がぽかんとしているのが見える。市長は、由希斗と小春のやり取りも何度か見ているので、この程度では気を抜かず、相変わらず青い顔で緊張したままだった。


「その話はあとにしましょう」


 ちょうどよく、菫と紫苑がお茶とクッキーを盆に載せて戻ってくる。彼らは少女たちの前にそれぞれ丁寧に置いて回ったが、誰も手をつけようとはしなかった。黄泉つ竈食(よもつへぐい)でも思い浮かべているのだろうか。そのあたりのスーパーやコンビニで手に入る、ありふれたお菓子であることは、パッケージからわかるのだけれど。

 小春が目配せをすると、菫と紫苑は、ろうそくの火のようにふっと姿を消した。


「小春。あとで、ちゃんと話をしようね」

「わかったから。とにかく、今はこっち」


 由希斗をあしらいつつ、小春が改めて絵里奈に目をやると、絵里奈はひきつった半笑いをうかべた。


「……仲、いいんだね、剣崎くんと……」


 とりあえず、というふうに絵里奈が言う。


「そうね。彼は、巫女のわたしが仕えるご主人さま。つまり、彼がこの街の神さまなの」


 小春は、なるべく親しみやすく、怖がられないよう言い表したつもりだ。絵里奈をはじめ、少女たちの視線がちらりと由希斗へ向かう。そしてすぐに小春へと戻ってきた。

 直視するのが、どうにも畏れ多いらしい。

 クラスメイトなのに、と考えて、そういえば教室でも、由希斗を遠巻きにする子たちは、似たように距離を取っているのを思い出す。


 小春がちらりと由希斗を見上げると、彼は絵里奈たちの態度など物ともしておらず、小春の視線に気づいてにこりと笑った。どういう顔をすればいいかわからなかった小春は、曖昧に微笑み返してまた前を向く。

 絵里奈や杏、祐実は、これから何が起こるのかまったくわからないというふうに、困惑をあらわに小春と由希斗の様子を見ていた。佐々良も少し居心地が悪そうに、太ももの上に揃えた両手の指で制服のスカートを軽く引っかいている。


「絵里奈ちゃんに、室井くんについて、教えてもらいたいことがあるの」


 小春はそう率直に切り出した。絵里奈が不安そうな目で小春を見返す。


「健太くんが、どうかしたの?」

「彼がどうかしているのを、絵里奈ちゃんは、もうわかっているんじゃないかしら」


 小春が切り返すと、絵里奈は返事をしようと口を開いたものの、何も言わないまま力無くうなだれてしまった。心当たりがあるのだろう。彼女の父親である市長は、心配そうに娘を見、小春と由希斗をうかがって、うかつなことを言えないというふうに黙って絵里奈を見守っている。


「この街の、神さまの伝説は本当のことなの。ここにいる彼が、始まりの舞姫と出会って彼女を気に入り、この土地を見守ってくれるようになったから、街は豊かで、幸運にも恵まれているのよ」

「彼女……? 小春ちゃんが、始まりの舞姫じゃないの?」

「わたしは違う。そのひとのことは、あなたたちもよく知る神話と、ユキ……彼に聞いた話でしか知らないわ」


 絵里奈は、不思議そうな顔で由希斗と小春へ交互に視線を行き来させた。絵里奈が落ち着くのを待ちながら、彼女が不思議そうにするのを、小春こそ少し不思議に思った。


 始まりの舞姫は、由希斗にとって一番特別な存在だ。

 昔、小春が彼女について尋ねたとき、春の野で舞う姿に惹かれて出会い、仲を深めて、楽しい時間をともに過ごしたと、由希斗は幸せそうに語った。それを訊いたころの小春は、その舞姫がすでに由希斗のそばにいないことを、気遣えないくらいに子どもだった。


『ねえ、その舞姫さまは、どうして神さまと一緒にいないの?』


 思い返すだけで血の気が引きそうになる問いかけである。けれど由希斗(神さま)は、ふんわり笑って幼い小春に額を近づけ、指先でくすぐるように小春の頬を撫でた。


『彼女は人間だったからね』


 その答えに納得できたのは、小春が『神嫁』になる前だったからだ。由希斗の力があれば、人間ひとりくらいそばに留め置くことができるとは、まだ知らなかった。

 わたしは彼女の代わり。

 由希斗がいる場所で言葉にはできないけれど、その思いを頭から消せないまま、小春は絵里奈を見返した。


「……じゃあ、小春ちゃんが健太くんの同級生だったのは、なに?」

「わたしは……」

「小春は人間だけど、僕のそばにいてくれているんだ。だから歳を取らない。学校に通うのは、街に何か問題が起こって、調べたいことがあるとき」


 由希斗が急に口を開いたので、絵里奈たちは面食らったようだった。絵里奈は由希斗を見て豆鉄砲を食らった鳩のような顔つきになり、由希斗に見られてはっと視線をそらす。


「街の人々のことは、彼らに交わらないとわからない。小春はそう言うんだよ」


 由希斗の声音は、いつも小春と話すときよりも硬質で、よそよそしかった。一方、小春を見下ろす眼差しはいつも通り柔らかい。

 由希斗は小春とそれ以外とを明確に区別し、雰囲気を変える。だから小春は、自分も特別な何かなのだと、勘違いしそうになってしまう。


 特別、ではあるのだ。

 小春が望む想いとは、違うものだというだけで。


「小春ちゃんが歳を取らないことを、健太くんは、……その、剣崎くんに囚われているって、言ったのかな」


 おずおずと絵里奈が尋ねる。小春はちらりと由希斗を見上げた。彼は絵里奈ではなく小春を見ていて、その視線は、小春に答えてほしそうに見えた。


「わたしを生かしているのは確かにユキの力だけれど、『囚われている』と表すのは正しくないわ。それは室井くんがそう思いたいだけね」


 由希斗がほっとしたように眼差しを和らげる。


「ねえ、絵里奈ちゃん。室井くんは、わたしがユキに囚われているとか、神さまが幻想で、悪いものだとか、そういうことを言ったのね?」


 絵里奈の体に、ぎゅっと力が入るのがわかった。小春が視線をそらさずにいると、しばらくして、彼女は脱力とともにこくんとうなずく。


「……うん。みんな悪いものにだまされているって。幻想だから、この街を神さまの支配から救わないといけないって。神さまは、神なんかじゃない、って」

「幻想はどちらかしら。室井くんこそ、この街の神さまが悪いものだという『幻想』にとらわれているような気がするわ」


 小春が言うのに、絵里奈がか細く答えた。


「あたしには、どっちが正しいのか、わからなくて……」

「でも、神さまを信じたいと思ったから、わたしの質問に、正直に答えてくれたのでしょう。室井くんを信じていたら、嘘をついたと思うわ」

「……そうかも」


 絵里奈は力なく笑った。そうして、彼女は由希斗ではなく、小春を見て、問いかけた。


「神さまは、ちょっと怖いって思ってきたけど、悪いものって思いたくない。あたし、間違ってない?」

「正しいわ。少なくとも、わたしにとっては。この街の神さま……ユキは、悪いものなんかじゃない。幻想でもない。この街は――わたしたちやあなたたちは、確かに幸せだわ」


 小春にとって、それは、誰が何と言おうと揺るぎない真実だった。


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