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第十五話 小春の気持ち

 放課後、職員室に向かう小春の足取りは、いつもよりゆっくりだった。

 職員室への呼び出しは嘘であって、途中のどこかで、絵里奈が声をかけてくるだろう。帰りのホームルームが終わったあと、小春は、帰宅したり、部活に向かったりする生徒たちがほとんどいなくなるのを待ってから、教室を出た。校舎に人が少ない時間のほうが、小春にとっても都合が良いからだ。


 隣町高校は幕府時代の私塾から数えて百年を越える歴史を持つが、校舎は豊かな市の財政をもとにたびたび改築されている。今の建物は数年前に改築工事が終わったばかりで、まだ新しさがあった。


「菅原さん」


 てっきり、声をかけてくるのは絵里奈だろうとしか思っていなかった小春は、別の生徒に呼び止められて少し驚いた。


「山村さん?」


 職員室は校舎本館の一階にある。自分たちの教室があるのも同じく本館の三階だから、小春はわざと少し遠回りをし、美術室や音楽室、理科実験室などがある別館へ、三階で渡り廊下を使って移動していた。絵里奈なら小春の後をつけてくると思ったからだった。

 用事がなければ足を運ばない別館で小春を呼び止めたということは、山村もまた小春を追ってきたわけだ。

 小春が教室を出た時点で、山村はまだ残っていた由希斗の机に寄りかかり、彼に話しかけていた。そのとき、小春は一瞬だけ由希斗と目が合い、彼の心配そうな視線を受け取っている。


「どうしたの? わたしに用事かしら」

「菅原さんって、剣崎くんとどういう仲なの?」


 小春の問いかけに被せるように、山村は早口に言った。彼女は、髪を緩く巻いてセットしているが、校則違反は犯さず黒髪のままで、制服にもきちんとアイロンをかけて皺がない。小春を見据える表情も嫌な含みはなく生真面目で、少し由希斗への執心が過ぎるように見えるほかは、この街の住人らしく素行の良い少女なのだ。


「どういう……。クラスメイトよ」


 小春は少し迷って、ひとまず嘘ではない答えを口にし、山村の様子をうかがう。

 由希斗は高校生に紛れ込むたび女子生徒に、ときどきは男子生徒にも好意を寄せられるが、そこは彼の霊力のはたらきか、あるいは単に由希斗が欠片も興味を返さないから飽きられるのか、大きな問題になったことはない。小春は山村もそのうち落ち着くだろうと思っていたけれど、今回はその前に、由希斗と揃って欠席するという、耳目を集める出来事を起こしてしまった。


「本当? 嘘じゃない? 菅原さんは、本当に剣崎くんと関係がなくて、剣崎くんのこと、何とも思ってないの?」

「……」


 そうよ、と嘘をつくのは、簡単だったはずだ。今までも、そういう嘘で誤魔化したことは何度でもある。

 それなのに、小春は声を詰まらせてしまった。

 真剣で、熱心に由希斗を想う山村の表情を前にして、小春に、ほんの少しの対抗心が芽生えたのだ。小春が自分の気持ちに気づいたのは、「やっぱり、何かあるんだ」という、山村の呟きを聞いてからだった。


「ずるいよ、菅原さん。何でもないふりをして、裏では実は、なんて」

「……そうね」


 小春は、ふっと息をついた。

 由希斗への想いを嘘で汚すよりも、今この瞬間だけ、素直になることを選んだ。

 山村の記憶は、あとで消してしまえばいい。どうせ、これから会うはずの絵里奈にも、同じように術をかけることになるのだ。


「山村さんは、どうしてわたしの彼への気持ちに気づいたの?」

「菅原さんの気持ちに気がついたわけじゃないけど、剣崎くんにあんなに大事そうな目で見られてて、何もないなんて寂しいじゃん」


 由希斗に好意を寄せているはずの山村がそう言うから、小春は意表を突かれて、思わず彼女をまじまじと見た。


「……わたしが彼を何とも思っていないほうが、あなたには都合がよかったのではないかしら」

「そうなんだけどさ……」


 山村は、ふてくされた子どものように唇をへの字に曲げ、視線を斜めに落とす。


「剣崎くんが、私を好きになってくれたら嬉しいよ。でも、好きな人には、幸せでいてほしいじゃん。違う?」

「それは……わかるけれど……」

「私は剣崎くんが好き。剣崎くんに振り向いてもらいたい。ホントにそう思ってるよ。だけど同じくらい、剣崎くんの想いが報われたらなあ、っても思う。変かもしれないけど」

「……山村さんって、素敵なひとね」


 それは小春の、心からの言葉だった。


「でもそれって、苦しくはないの?」


 山村は、はあっと大きなため息をついて、その勢いを使うように言った。


「正直しんどい。けど、しんどいぶん、私ってホント剣崎くんが好きなんだって思う。好きな人の幸せを願うなんて、その人のこと、ホントの本当に好きじゃん」


 山村の言葉に、小春は胸をきゅっとつかまれたような感じがした。彼女がなんだかとても愛おしくなる。想う気持ちはきっと小春と同じなのだろう。

 それでも、由希斗については譲れない、と思ってしまい、小春は、自分の情動に意表を突かれた。由希斗が幸せになれる誰かが、彼のそばに居てほしい。そう思ってきたのに、小春の願いは、それだけではなかったのだ。

 そんな小春の内心などつゆ知らず、山村は続ける。


「だから、もし菅原さんが、剣崎くんを何とも思ってないって言うなら、酷いって言うつもりだった。あんな目で見られてるのに、何ともないって、残酷すぎる」

「……わたしの場合は、彼を想っているからいいけれど、誰かにどれほど想われたからといって、必ずしも、その相手を想うとも限らないのではないかしら」

「そうだけど、それならそれで、きっぱり振るのがマナーだよ」

「告白、されていないのに?」


 小春が少しだけ意地悪な気持ちになってそう言うと、山村は、思い当たるふしがある、というふうに気まずそうに目を逸らした。


「……あー、と……、それは……。うん……剣崎くんも、よくないよね……」


 言いづらそうにする山村に、小春は、つい、小さな笑いをこぼしてしまった。くすくす笑いながら「そうよね」と言えば、山村も頬を緩める。


「告白って勇気がいるから、剣崎くんは、ちょっと意気地なしかな、とは思う」

「ふふ……でもね、わたしとユキは、そういうのじゃないのよ。何かと騒がれるから他人のふりをしているけれど、本当のところ、仲のいいお友だちみたいなものなの」


 種明かしをすれば、山村はきょとんと鳩が豆鉄砲を食らったかのように目をまん丸にした。それから、なぜかキッとまなじりをつり上げ、小春に詰め寄ってくる。


「それはない」

「え?」

「剣崎くんの目、そういうのじゃないよ。菅原さん、ちゃんと確かめたほうがいいと思う」

「そういうの、って……」

「お友だちじゃないよ」


 言い切る山村は、小春に由希斗との関係を問いただしたときよりなおいっそう真剣な顔をしていた。小春が気圧されて答えに惑っていたところへ、ふいに、絵里奈が現れた。


「そうだよね、小春ちゃん。ただのお友だちじゃないよね」

「えっ、田町さん?」


 突然、会話に割って入ってきた絵里奈に、山村が驚いている。そして、絵里奈の深刻そうな顔を見て、少し後ずさった。


「えっと、じゃあ、私の用事は終わったから、もう行くね」

「あ……ねえ、山村さん。もしもわたしが剣崎くんと何の関係もないって答えていたら、あなたはどうしていたの?」


 立ち去りたい気配の山村を呼び止め、尋ねる。山村は絵里奈を見、視線を少しさ迷わせたあと、小春へややぎこちない悪戯い笑みをみせた。


「神さまにお願いしたかも。あの性悪女から、剣崎くんを私のほうに振り向かせてください、って。それじゃあ」


 なかなか大胆なことを言う。

 山村にとってもしらふで言うには気恥ずかしかったのか、ひと仕事終えた顔つきで、くるりときびすを返して行ってしまった。


 あとに残された絵里奈が、小春の正面に回る。


「ねえ、この街の神さまって、何?」

「えっ?」

「お願いは気軽にしちゃいけなくて、山に立ち入ったら恐ろしいことが起こって、昔は生贄を捧げて、それって、本当にいい神さまなの?」

「急に、何があったの?」


 絵里奈は、縋るような顔を小春に向けていた。信じるものが揺らいで、不安になっているのがわかった。

 小春は自分の気持ちを落ち着け、ゆったりと絵里奈に向かい合う。


「健太くんが、この街の神さまは本当は邪悪で、街の人に幻想を見せて幸せだと思い込ませてるって言うんだ」

「まさか、そんなことないわよ。絵里奈ちゃんだって、今の幸せが、嘘だなんて思わないでしょう?」

「でも小春ちゃんは、その神さまの被害者なんだよね?」

「えっ?」


 何を言われたのか、全く理解できなかった。

 被害者。

 その単語を頭の中で反芻し、意味に気づいて、ぐっと胸が悪くなる。


「違うわ、被害者だなんて」

「健太くんが、小春ちゃんは何年も見た目が変わってないって。昔は健太くんの同級生だったって。小春ちゃんがずっと高校生なのは、神さまのせいなんでしょ?」

「『せい』というものではないのよ」

「でも、健太くんが」

「当人のわたしが違うと言っているのに、室井くんの言うことが、何だというの」


 自分の声が、意図したより何倍も冷たく響いたことに驚いて、小春ははっと息をのんだ。絵里奈は呆然としている。


「ごめんなさい。わたし……」


 自分について言われたのだったら、平気だった。けれど由希斗のことになると、落ち着いて対応しようと思っていても、小春はすぐに冷静さをなくしてしまう。


「剣崎くんが、神さまなの?」

「え?」


 絵里奈の口調は、ガラスのように無機質だった。中途半端に唇だけ笑みにつり上げ、目じりは不安で頼りなく下がり、絵里奈からは、敵意ではなく戸惑いを感じる。

 小春はそれを、絵里奈の人の好さだと思った。

 脅威の少ないこの街で、怖いのはほとんど神さまだけだ。街の人々は、他人に対する警戒心を育てる必要がない。


「健太くんが、剣崎くんも同級生だったって言ってた。健太くんは小春ちゃんが好きだったけど、小春ちゃんに近づこうとしたら、剣崎くんが邪魔をしたって」

「邪魔……というほどのことは、何もしなかったと、思うけれど……」


 当時、由希斗は家では室井について不満そうにしていたものの、学校ではかかわってこなかった。例によって、その態度から小春を気にしているのはクラスメイトにばれていたけれど、彼自身が室井と諍いを起こしたことも、小春の知る限りはない。

 室井を妨害していたのは、由希斗の影響を受ける霊力のはたらきだ。それはいわゆる『巡り合わせ』と同等のものである。


「小春ちゃんと剣崎くんが、健太くんのクラスメイトだったって、どういうこと?」

「それは……、事情があって」

「見た目が変わらないのは? あたしには、健太くんがおかしいのか、小春ちゃんがおかしいのか、わかんないよ」


 絵里奈が泣きそうに顔を歪める。


「小春ちゃんと剣崎くんって、いったい何者なの? 小春ちゃんは、剣崎くんが好きなんでしょ? そう言ってフられたって、健太くんが言ってたよ。でも小春ちゃんは剣崎くんのこと知らないふりして、付き合ってないの?」

「……」


 混乱している様子の絵里奈に、小春もどうしたらいいか迷って立ち尽くす。

 記憶を消してみたとしても、室井が絵里奈に何かを言えば元の木阿弥になることは見えている。かといって、本当のこと――小春にも、由希斗と自分の関係がどういうものか、うまく言えない。


「絵里奈ちゃん……」


 どうすべきか決められないまま、ただ絵里奈に歩み寄ろうとしたとき、不意に、背すじがぞくりとした。絵里奈が、小春の肩越しに何かを見て、目を見開いて固まっている。


 振り返った小春の目に、窓の向こうでうねる巨大な龍のような胴体が映った。


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