消えた勇者
私は王都で廃城の調査の依頼を受けた。今は遠く離れ、廃城近くの寂れた村に到着し聞き込みを行っている。
村人たちによると、夜中に怪しげな光や呪文を唱える声が聞こえたと話す。次の日、村人総出で昼間に城を探索するがもぬけの殻であった。しかし、日が沈むとまたおかしな出来事が発生するとのことだ。
彼らの話が真実であるならば、廃城に潜むのは悪魔族の魔物かもしれない。奴らは闇の呪文を唱え召喚印を結び、魔界と何らかのやり取りを行っていると云う。
不可思議な出来事が起こる時間帯に私は廃城を訪れた。城内は暗く不気味に思うほど静まり返っていた。私はたいまつの灯りを頼りに城内の調査を始める。
しばらく探索をしていると、玉座の間の扉の向こう側から尋常ならぬ気配を感じ取る。すると突然、扉が独りでに開いた。私は警戒し、開く扉の先へ向かった。
玉座の間に入るとほかの部屋よりも明るく、割れた大きな窓から月の光が差し込んでいた。
「私の気配がわかるのかしら、あなた……?」
突然持っていたたいまつの灯りが消え、透き通った女の声が静かに部屋に響き渡った。
「あなたが魔物の天敵……勇者?」
声のする方に顔を向ける。すると暗がりから誰かがゆっくりと影をまとい、私に近づいてくるのがわかる。やがて月の光が陰の衣に当たり正体を暴いた。
光が照らし出したのは一人の美しく妖艶な女だった。女は一糸まとわぬ姿で自身のしなやかな裸体を晒している。そして額には羊のようにねじれた角があり、背中には二つの大きな黒い羽が生えていた。
どうやら、魔物の正体は妖魔の女だった。私は素早く剣を構え剣先を向けた。
「立派な剣ね……。刃にいろんな魔物の血の匂いがするわ。幾多の魔物を屠ってきたのね。なんて力強い男……。私は待ち望んでいたの。あなたのように、力を持つ者を。」
まるで私が訪れるのを待ち焦がれていたかのような振る舞いだった。妖魔の顔を睨みつけ殺意を向けるが、気にもせず話を続ける。
「ねぇ……あなたを魔族に迎え入れたいわ。魔界の支配者にあなたはふさわしいわ……。」
私をうっとりした表情で見つめ、濃密な色気のある声で語り掛けた。
「見えるの、硬い鎧の中に永遠の強さと他者を支配することを求めるあなたが。魔族と同じ望みが見……。」
脳内に流れ込む女の甘い声に逆らい、剣を振るわせ斬撃を浴びせる。だが軽々と妖魔は避け、何事もなかったかのように話を続けた。
「あなたを勇者として崇め、慕っていた人々を裏切ることになっても、代わりに人の手には及ばない強大な魔族の力を授けるわ。」
すると、女の周りの空気が歪み邪悪な気配が満ちた瞬間、目の前の女は一瞬で姿を闇の中に溶け込まして消えた。
「聞いて勇敢な人……。勇者の力に魔の力が交われば、あなたが求める永遠の強さを手に入れられるわ。」
気がつくと女は私の死角に立ち、耳元でささやいていた。
「子が欲しいの。魔界で落ちぶれた我が種族をもう一度繫栄させるために、あなたの力を貸して……。」
妖しい吐息と甘い言葉が私の耳から脳へ染み込み、頭を内側からとろけさせた。
必死に身体を動かし、女の上半身を切りつける。だが剣は身体をすり抜け、傷一つ付けることはできなかった。彼女は私の攻撃を意に介さず、慈愛に満ちた顔で話を続ける。
「いいのよ……。もう、戦う必要はないのよ。あなたが一番求めている私となぜ戦うのかしら?」
「あなたが剣先を向ける前、あなたの視線は私の身体を舐めるように這って……本当は私が欲しいのね。勇ましい人、剣を捨てて私とつがいになりましょう……。」
彼女は熱を帯びた目を私に向けて近づき、体を寄せ私の背中に腕を回した。
「私を抱きしめて……。誓うわ。あなたを偉大な魔族の雄にしてあげるわ。だから私を愛して……抱いて……子を授けて……勇者様。」
彼女が耳元でささやいた瞬間、私は握っている剣を力なく滑り落とした。そして欲望に任せ彼女を力いっぱい抱きしめる。すると、妖しく艶やかに色づく彼女の唇が静かに近づき私の唇と触れ合う。しばらくして、名残惜しそうに重なった唇を彼女がゆっくりと離した。
「私たちの契約は結ばれたわ。愛しい魔王様……。」