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昼前にはダラッシュ侯爵とその一行が到着した。
私はその知らせを聞いて、ようやくホッとした。
朝からずっと母は不機嫌。
砦の仕事を手伝っていれば殿下が現れ、私について歩いて回る。
10分に一度は我慢できずに抱きしめようと手を出してくるのを、母が怒鳴り制する。
それを繰り返す。
最終的にキレた母が殿下を締め出し、母の仕事場である薬室に私と二人で籠もるハメとなった。
そして昨日同様、貴賓室に母と共に呼ばれた。
「待っていたぞ!」
母と共に部屋に入るなり、殿下がこちらに歩いて私の手を取る。
母はすかさず殿下の手首に手刀を落とし、殿下を睨みつけた。
「私の娘に触らないで下さい」
私の手を取り、すぐに部屋から出ようとする母に慌てたのはガジュバルトとダラッシュだ。
「殿下、こちらに来て大人しく座って下さい」
ダラッシュが氷点下の笑みで殿下に指示する。
さすがにダラッシュの笑顔が怖かったのか、殿下は大人しく、昨日と同じ位置に座った。
セイナムは今日は殿下の後ろに立って控えるらしい。
昨日セイナムが座っていた場所は、今日はダラッシュが座っている。
私は母を促し、昨日と同じように座る。
「さて、アレグサンダー様におかれましては、こちらのお嬢様を番と見定めになられたそうで」
「そうだ。レイシアは私の唯の番だ」
「唯の番……」
ダラッシュは困惑気味に、殿下と私の顔をいったりきたりと視線を彷徨わせている。
「………わかりました。カレント王国への訪問は取り止めにします」
殿下は当然だと頷いている。
「その代わり、マーナ殿、レイシア嬢は皇都にお連れいたします」
「イ・ヤ・よ」
きっぱりはっきりと告げたのは母だ。
「マーナ殿の言いたいことはわかります。ですが、ここで顔を突き合わせていても何も解決しません」
どうやら、母はこのダラッシュという見るからに偉い人と知り合いらしい。
公爵の元恋人だっていうのだから、大臣やっている侯爵と知り合いでもおかしくはないか。
ここに来て、私は母の過去を何も知らないことに気付く。
知っているのは、『東の魔女』と呼ばれるその実力だけ。
「皇都の滞在は、ガジュバルト侯爵邸にお泊り下さい。コーネシュタイン公爵邸ではお嫌でしょうから」
母のための妥協案なのだろう。
それでも母の顔は険しい。
「我が家に滞在している間はコーネシュタイン公爵を一歩も入れない。それでどうだ、マーナ」
全員の注目が母へと集まる。
「……仕方ありません。皇都に行きましょう。滞在は、ガジュバルト邸で」
母の答えに、ガジュバルトとダラッシュが安堵と息を吐く。
「公爵の接触の一切禁止は当然ですが、殿下のレイシアへの接触とレイシアの単独行動は許しません。それを呑んでいただけるなら」
「そう対処しよう」
ダラッシュが返事をした。
「待てっ。何故私がレイシアと接触できない!?なんの権限があって、私とレイシアを引き裂くのだっ!!」
ガンッとテーブルに殿下の拳が振り下ろされる。
その衝撃で、テーブルに置いてあった誰も口づけていない紅茶が飛び散る。
「マーナといったか。母親といえど、唯の番に口出す権利などないのだぞっ」
我慢の限界が来た殿下の怒りは凄まじい。
圧倒されるような圧に私は震えるが、隣に座る母は涼しい顔をしていた。
「なんの…権利が…あって…?」
殿下とは反対に、冷たく地の底を這うような声が母から発せられる。
「お、落ち着け、マーナ!!」
ガジュバルトが立ち上がり、テーブルと母の間に入り、殿下を母から見えなくして母の肩を抑えた。
「殿下、お静まり下さい」
ダラッシュも立ち上がり、一歩殿下の方へと足を出している。
「殿下、なりません!殿下のお気持ちは理解できますが、今はあなたが悪い」
ガジュバルトの向こうに見える殿下の瞳が、金色に光っている。
竜の目だ。
「俺のどこが悪いっ!!?」
今にもダラッシュに襲い掛かりそうな殿下を、セイナムが抑える。
「ああ、そうだな。アレグサンダー、マギートの孫よ。お前は悪くない」
先に落ち着いたらしい母が、鬱陶しそうにガジュバルトを手でどける。
「大方、お前の運命の相手を教えたのはキャナリア様だろう?」
「母上がなにか…」
キャナリアとはこの国の皇妃であり、アレグサンダーの母だ。
そして、『竜の巫女』として様々な託宣を行っている。
「私の大事なものはすべてキャナリア様のせいで奪われる……」
「母さ…ん?」
泣くのではないのか。そう思わせるくらい、母の表情は悲壮に満ちていた。
「皇都で会おう、アレグサンダー様。それまでに、あなたの父親からあなた方竜族の身勝手を聞いておくがいい」
母が立ち上がる。
「失礼するわ」
母がこちらを見てきたので、私も立ち上がり、母の後をついて部屋を出ていった。
「母さん!」
「家に戻るわ」
スタスタと前をいく母についていけば、そこは転移魔法陣のある場所。
ここには私の家と砦を簡単に行き来できるようにと、転移魔法陣が設置されていた。
私が魔法陣に入ったことを確認して、母がつま先をコンと鳴らす。
すると、一瞬でいつもの見慣れた我が家に戻っていた。