女神のブラシ 〜ぼくは、その日、天使という存在をはじめて知った。幼馴染との恋物語〜
ぼくは、その日、天使という存在をはじめて知った。
透き通るような細い髪の毛。
長い髪が風になびいていた。
振り向いた彼女は、まるで――
ぼくは、その日、天使という存在をはじめて知った。
ぼくは、その日、お母さんに聞いてみた。
「おかあさん、あのね、あのね、もりの、おはなばたけ、にね。おんなのこがいたの」
「あら、そうなの。お友達になれた?」
「うーん、わかんない!」
「なんて名前の女の子だったの?」
「うーん、わかんない!」
「どんな子だったの?」
「うーん、わかんない!」
ぼくが首をかしげると、お母さんはクスリとわらって、ゆっくり思い出すようにぼくに言った。
ぼくは、お母さんのおひざの上に乗って、ゆっくりゆっくり考えた。
「さぁ、どんな子だったかなぁ〜?」
ぼくは、ゆっくりゆっくり考えた。
「えーっと、えっとね。髪がきれいだった」
「そう、それで? それで?」
ぼくは、ゆっくりゆっくり考えた。
「えーっと、えっとね。髪がながかった」
「そうなのね。それで? それで?」
ぼくは、ゆっくりゆっくり考えた。
「えーっと、えっとね。髪がおはなと、いっしょに、わさ〜ってなってた」
「そう、亜麻色の天使みたいな子なのね」
ぼくは、おかあさんの言葉をくりかえした。
「うーん、てんし?」
「そうよ。
亜麻色の天使様は、子供の姿をしていて、とても綺麗な髪をお持ちなの。
そして、綺麗なお花畑に住んでいるのよ」
お母さんは、ぼくの髪をそっと撫でた。
「あなたも、亜麻色の天使ね」
「うーん、あまいのてんし? おかあさんの、くっきー、みたいに?」
「うふふ、そうね。おやつにクッキーを食べましょうか」
ぼくはお母さんのクッキーをたべた。
おいしかった。
おやつを食べたから、あそびにいく。
「さぁ、私の天使さん。これはお母さんが作ったブラシよ」
「今日見つけた貴方の天使ちゃんにプレゼントしてあげなさい。そして、友達になってらっしゃい」
「うーん、プレゼント、ともだち、なれるかな?」
「大丈夫よ。いってらっしゃい」
「うーん」
ぼくは、ゆっくりゆっくり考えた。
「おかあさん、いってくる!」
「気を付けるのよー!」
「もりのぬしさま、いるから、だいじょうぶ!」
ぼくは、お母さんにてをふってから、あそびにいった。
ぼくはその日、天使という存在をはじめて知った。
その日、ぼくは天使のともだちができた。
***
「汝の心は天使の御手へ、汝の心は女神の元へ。どうか、我らの願いを聞き入れ、安らかな眠りを与えたまえ……」
村の墓地では、すすりなく声が木霊していた。
母さんは、村で、とても人気者だった。
「なんで……っ! 泣かないのよ……っ!」
「なんで、お前が泣いてるんだよ」
「あんたが……っ! 泣かないからでしょ……っ!」
「あぁ……。俺には、父さんがいるから……」
「いいから、強がってないで……一緒に……泣いてよ……っ!」
「あぁ……。あぁ……わかったよ」
「う……うえーん……っ! えーん……! えーん……!」
こみ上げる涙は、まぶたを溢れて、降り注ぐ雨と一緒にながれていった。
俺の胸には、泣きじゃくる、彼女のあたたかさが、深く、深く沁み渡っていった。
俺は、こいつの透き通るような細い髪と一緒にその肩を抱き締めて、声をだして泣いていた。
***
「ねぇ、貴族様だってよ」
「あら、村長とこの子。見初められたってかい?」
「あいやー、おれは断るって聞いたけんの」
「ばっか、ことわってみーな。税金上げられちまうってばよぉ」
村の連中が、遠巻きに、好き勝手に話していた。
俺は、アイツが今朝ウチに忘れていった、上着を強く強く握り締めていた。
晩になると、アイツが家に来た。
「ねぇ……断っちゃった……。どうしよう……」
「どうしようって、断っちまったものは、しょうがねぇだろ……」
「領主様が、森の主様を倒すから、森の開拓を進めろって……」
「森の主様を?」
「うん、領軍動かすって、森の主様がいなくなったら……そしたら税金上げても払えるだろって……」
そして、貴族は領軍を連れて森に入り、森の主を怒らせた。
***
一度目は、なんとかなった。
二度目は、親父が腕に怪我をした。
三度目は、親父が死んだ。
「ねぇ、お願い! やめてよ! アンタまで死んだらどうするのよ!」
「この村のまともな狩人は、もう俺しかいねぇんだ……」
「だからって! アンタだけが背負う必要なんてないじゃない!」
「馬鹿野郎。親父と母さんは、逃げ延びたところを、この村に受け入れてもらったんだ。だから俺は逃げられない」
「お願い! じゃあ、私と逃げて!」
「俺が死んだら、お前は領主と結婚しろ。森の主は、親父が手負いにした。領軍でも倒せるはずだ」
そして俺は、森の主に止めを刺すと、大きな大きな奴の体の下敷きになって、死んだ。
***
「待って! 待って! アゼルはまだ死んでないわ! お願い! 触らないで! あっちに行って!」
「あぁ……仕方ないさ。仲が良かったからなぁ」
「でも、よく倒してくれた。主の体を売れば税金なんて」
「しっ……聞こえるだろ。まぁ、明日の朝になれば、落ち着くって、ほら、出た出た」
その夜、村の教会に、私は一人、膝をついていた。
「あぁ……。あぁ……どうかお願いです。
聞いているのは、分かっています。
どんな代償でも、お支払い致します
亜麻色の天使様……。女神様……っ! 神様……どうかっ!
お願い、誰か……! アゼルを助けてよ……!!」
そのとき、私はたしかに聞いたのだ。
亜麻色の天使の声を……あるいは女神の声を。
その日、私は天使という存在をはじめて知った。
***
「お前、すっかり髪が短くなっちまったな。男みてぇ」
「それ言わないでよ。はずかしいんだから」
「そんなんじゃ、嫁の貰い手がいねぇな」
「ひっど! 私、一回貴族の婚姻を断ってるんですけど?
大体、そんなこと言うならアンタが貰ってよね!」
「あぁ、俺が貰ってやる」
「え……いま、なんて……?」
「だから、お前は俺が貰ってやる」
「ねぇ、もう一回」
「貰ってやる」
「私、はげてるよ?」
「知ってる」
「こうして、バンダナずっと巻くのよ。あなたが褒めてくれた髪、もうないのよ?」
「分かってる」
「わたしのせいで……領主様が、森の主を怒らせて……それで、あなたのお父さんまで……」
「かんけぇねぇ」
「怒ってないの?」
「あぁ……お前の所為じゃねぇ……」
「じゃあ……もう一回……」
「もう、言わねぇ」
「どうし……。ん……!」
その日、とある小さな村に、一組の若夫婦がうまれた。
その仲睦まじい様子は、村の誰もが羨むほどであった。
そして、何よりも、その妻の美しく長い髪は、王国一と称えられた。
二人の日課は、妻の髪を夫が軽口を言いながらも、丁寧に梳かすことであったという。
彼女の使うブラシは、亜麻色の天使のブラシ、あるいは、そう――女神のブラシと呼ばれていた。