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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

乙女ゲームではモブの優男と婚約して幸せです

作者: 無人島

R15は保険です(多分)<(_ _)>

 王立トップ学園。

 その敷地内にある第三校舎。

 柔らかい木漏れ日がさす昼下がりの校舎の中庭は、そよ風とたまに木々が揺らぐ葉音しか聞こえず、辺りは静まりかえっていた。


「素敵……」


 確かこの第三校舎はかなり古く、今は先生方の社宅として提供されているそうだけど……ここにこんな落ち着く庭があったなんて。


 なによりきちんと掃除されて庭師の手が掛かっている立派な中庭なのに、昼時ですら人気が無いのが気に入った。


 社宅を倉庫や仮眠室代わりにする教師はいるものの、王立トップ学園に勤める魔術士達は皆それなりの収入と地位がある。わざわざ妻や子供を連れて住む程でもないのだろう。


「ここは穴場だわ。流石ルイス様」


 いつもは婚約者のルイス様と食堂か、たまに馬車でドライブがてら学園の敷地にある湖畔で午後を共にすることが多い。今日は第三校舎で待ち合わせしようとのことだったが、ここなら毎日でも構わない。むしろ人がいなくて嬉しい。


 ルイス様はまだ来ていないようだったので、歓談用スペースとして設置されたテーブルと椅子に浄化の魔法をかけ、持ってきた白いクロスを広げてランチボックスを置いた。


 午前中に生地を仕込み、昼休みに食堂の厨房をかりて焼いたチーズ豆パンの香りが漂う。


 他にもバターをたっぷり使った数種のスコーンに、姫ブドウと野ベリーのジャム。いくつか味見をしたがまだ改善の余地はありそうだ。


 昨日クローバー丘へホワイトミントを摘みにいった際、たまたま旬のレモン四葉も手に入ったので今日は紅茶を淹れることにした。


 お気に入りの白いポットとお揃いのティーカップセット。


 魔力を練り、ルイス様が好きだと言ってくれた軟らかい水を出し、それを湯に変換し、茶葉を蒸らす。


 レモンリーフは飲む直前に入れよう。

 席について鞄から読みかけの本を手にとる。

 ぱらっと頁を捲ったところで花の香りがした。


「ティアラ」


「っ、ルイス様!」


 最近呼び捨てしてくれるようになった私の名前。そして聞き慣れた優しい声色に振り向くとウォーターローズを手にしたルイス様がいた。


「待たせたね」


 艶のある黒髪に切れ長の赤い瞳。日焼けした肌は健康的で、笑うと笑窪がでる、爽やかで清廉なお顔。思わずうっとりと見上げてしまう。


「ティアラ?」


 少し体を傾けて私に身を寄せる。影が大きい。高身長ですらりとした佇まいだけれど、彼は着痩せするタイプなのだ。


「いいえ、それほど待ってませんわ。いまお茶の準備を終えたところです」


 パタンと本を閉じ、席を立つ。

 そして手を伸ばして引き寄せたルイス様の頬に自分の熱くなった頬をくっつけた。婚約者に対する挨拶だ。これも少し前からようやく受け入れてくれるようになった。


「ルイス様。今日も素敵です」


 周りに誰もいないのをいいことに、無邪気を装ってぎゅーっと抱き付いて──ついでに胸も押し付ける。あくまで自然に。心臓の高鳴りが聞こえてしまうと思ったら、ルイス様の鼓動の方が大きかった。


「鼻血が出そう……」


 背中にぐるりと腕をまわしても両手が届かない。一見細見にみえるルイス様は筋肉質なのだ。ちなみに、風邪の看病で半裸をチラ見したことがあるので知っている情報だ。もうすぐ訪れる夏休みで、とある計画を練っているが、現時点ではまだ清いお付き合いなのだ。


「え? 鼻血? 大丈夫ですよ。出たら止まるまで膝枕して介抱します」


 そしてまた周りに誰もいないのをいいことに、制服のスカートをそっと上げる、振りをする。


「それ、確実に止まらないね」


 目を泳がせたルイス様はすっとウォーターローズの花束を私に向けた。


「ありがとうございます。でも時期じゃないのに、一体どこで?」


 なんて瑞々しい、新鮮な甘い香り。

 このままでも食べれそう。


「昼休みにね。種から開花させたんだ。爽やかなホワイトミントやレモン四葉と甘いウォーターローズは相性がいいから」


「まあ! 私達みたいですね!」


「わぁ……なにそれ……可愛いんだけど」


 昨日丘へミントや四葉を採取しに行くと告げていたから、わざわざ今日のランチの為に咲かせてくれたんだわ。なんて出来る男。


 ルイス様の指先が遠慮気味に私の髪を撫でた。

 淑女として控え目にアプローチして1年。その後、婚約して半年。徐々にボディタッチを増やしていった。ああ。それにしてもこの人を選んでよかった。そして私を受け入れてくれたルイス様には感謝と愛情しかない。


 ルイス様の指先ごと掌で包んで頬に寄せる。温かい手から魔力が流れてくる。この花を咲かせる時もこんなふうに優しく魔力を注いだのだろうな。


「もうティアラ……絶対私と結婚してくれなきゃダメだよ」


「ルイス様こそ。どこぞの王太子みたいに婚約破棄しないで下さいね?」


 ブッと噴き出すルイス様。

 3ヶ月前、ルイス様の御父上であるルートヴッヒ侯爵も含まれる多数居た証人の前で、ハリス王太子殿下とアマンダ侯爵令嬢の婚約式を執り行った。


 そこでハリス王太子殿下はアマンダ侯爵令嬢に婚約破棄を突き付けたのだ。


 理由は職務怠慢と反逆罪、が王太子の言い分。


 噂でしかないが、ハリス王太子による婚前交渉の強要(ちなみに未遂)があったとか。そしてアマンダ侯爵令嬢の魔力暴発による王族殺害(これも未遂で無傷)の疑い。


 とどのつまり、王太子のくせにヤラせろと迫って、侯爵令嬢の反撃にあった。それだけのこと。私には関係ない。


「その時のことで父から毎夜愚痴を聞かされてね」


 何か思い出したのか、ルイス様は遠い目で紅茶を注ぎ、カップを私に渡してくれた。一杯目は新鮮なウォーターローズで頂こう。


「私はレモンを……うん、いい香りだ」


「いい時間ですわ。なんて穏やかなのかしら」


 王太子の婚約破棄をきっかけに、目ぼしい貴族令嬢は王都を去り、領地に引っ込んでしまった。それでなくとも学園の生徒は日々減っている。もちろんきちんと卒業して学園を去る者が大多数だ。


 単位さえ取れば出席は必要ないので、こうして私たちも午後は好きに過ごしている。


 甘い紅茶にほっこりしていると、ルイス様が今日のランチに目を輝かせた。今日はパン生地にたっぷりのチーズを練り込み、数種の豆も混ぜ、表面は粉のチーズで香ばしく焼き上げた。


「今年の夏休みは予定とかあるのかな?」


「とくにありませんわ。でも時間の許す限りルイス様と一緒に過ごしたいと思っています」


「……うん、私もそのつもりだ」


 ぱくっとチーズ豆パンを食むルイス様。

 顔を真っ赤にして咀嚼している。


「この夏休みに一度領地に戻って視察しようと思っている。ティアラにも付いてきて欲しいんだ。同じ馬車に乗ることになるけれど……いいかな?」


「……はい」


 おっと。今度はこちらが赤面してしまった。

 男性の真剣な顔って、こうグッとくるものがある。婚約の打診時にプロポーズされた時もルイス様の情熱的な態度に胸がときめいたり擽ったかったりしたけれど、不意討ちで今は恥ずかしい気持ちの方が強い。


「……同じ寝馬車で一晩過ごすし、領地に着いたら領民から私の妻として認識されるけど」


「わかってます。でもいきなり……照れるじゃないですか。もちろん大丈夫です」


 それより、まだ婚約者でしかない私を領地に連れて帰るなんて……。


「大胆ですね。ルートヴッヒ侯爵からお許しは出ているんですか?」


「父の方が大胆だよ。なんせ君が心変わりする前に連れ帰って分家に夏の便りを執筆させて逃げ道を塞げと……これをハワーズ公爵閣下が聞いたら、あまりにもあからさまでまずいね」


 パンを食べ、次はスコーンに手を伸ばすルイス様。あっという間に平らげてしまった。ハンカチを取りだし口元を拭くルイス様に告げた。


「……じ、実は私、お父様と賭けをしまして、夏休みはルイス様の邸宅に入り浸る権利を既に得ているのです」


「え!?」


「ですので……問題はないのですわ」


 お互い真面目に勉学に励んで高等科の2年生になった。そしてもう取得する単位もない。残りの1年半、どう過ごそうか考えていたのは私だけじゃなかったようだ。


「それって……」


 そう。そのままルートヴィヒ家に居てもいいという意味だ。何故ならばもう学園での義務は修了しているのだから。私にとったら既成事実をつくる絶好の機会なのだ。


「なので夏休みはルートヴィヒ夫妻が新婚時に使用していた間仕切り部屋を使えるようにしておいて下さいね」


「ッ、ブ!」


 ルイス様が噎せた。

 間仕切り部屋とは、ふたつの部屋を仕切る壁に内ドアがあり、どちらでも自由に行き来できる新婚用に作られた部屋だ。押しても引いても開くそのゆるゆるな構造故、内ドアに鍵はついていない。


「……ティアラ」


「なぁに、旦那様?」


 結婚したら旦那様よりダーリンかルーたんがいいかしら? と呑気に考えながら返事をするとくわっと立ち上がったルイス様が思いきり首を擽ってきた。擽る場所が脇じゃないのがまだ照れがある証拠だ。


「ちょ、ルイス様、きゃあ」


「涼しい顔して……領地に連れ帰ったら手加減しない」


 貴族令嬢なのでこの程度で悲鳴を上げたりはしない。逃げるように身を捩り、擽るルイス様の手をわざと下にずらす。鎖骨と胸元の中間くらい。


「っ、」


 さっと手を離したルイス様が誤魔化すように咳払いをして着席した。よし、ルートヴィヒ領についたら手加減をやめよう。


「き、今日のランチも美味しかったよ。この紅茶に合ってる」


「うふふ。それはようございました」


 それよりも、さっきルイス様が言った分家に夏の御便りって……それ夫人代行行為だ。まだ婚約者という立場なのに。女主人として法的な力も発生する。むしろ本当にいいのかしら?


 一旦紅茶を飲んでそのことを伝えようとすると、ルイス様が頬を撫でてきた。熱くてさらりとした掌の感触。そっと手を重ねてその掌にキスをしようと顔を傾けたら視界の端にある人物が写った。すっとカップを置いて立ち上がり、ルイス様の太腿に横向きに腰をおろす。


「……ティ、アラ?」


 足音が近付いてくる。

 予想していなかったわけじゃない。

 幼少期の私は王太子殿下の筆頭婚約者候補だったのだから。


「うふふ。気持ちが良くて眠くなってきてしまいました」


 少しふざけ過ぎたかもしれない。いつもならとっくにランチを食べ終わり、散歩がてら湖畔にでも移動しているのに。


「夏休みも、2人でこうやって過ごしたいですね」


 ルイス様の胸にしなだれかかってぴったりとくっつく。遠慮気味に腰に手がまわされた、その時。


「……ティアラ・ハワーズ公爵令嬢。婚約者とお楽しみのところ悪いが、ちょっといいか?」


「え?」


 これを見ても話し掛けてくるのか。びっくりしたように装って顔をあげると、少し眉間に皺を寄せたハリス王太子殿下がいた。


「まあ、殿下!」


 仕方ない。目をぱちくりとさせ、急いで姿勢を正そうと腰をあげると、ぐっと強い力で引き戻された。


「ダメだよティアラ。今日は少し貧血気味だと言っていただろう? そんな急に動いたらまた眩暈を起こして倒れてしまうよ」


「?……ルイス様」


 いえ私は昨日も一昨日も丘や農園を駆け回っておりましたが──今は黙っておこう。


「王太子殿下、ご機嫌麗しゅう。こんな穏やかな午後はゆっくりするに限りますね。殿下もご一緒にどうですか? ティアラが淹れる紅茶は絶品なんですよ 」


「……ルイス・ルートヴィヒ。久しいな。少しの時間でいい、ティアラ嬢と話をさせてくれ」


「どうそ。私の事は気にせず、お話をなさって下さい」


「ティアラ嬢と二人で話がしたいんだが……君には席を外してもらいたい」


 意味深な視線をよこされたがきょとんとしておこう。それにルイス様いわく、いま私は何故か貧血状態らしいので、それとなく装っておこう。


「まあ、殿下……私の立場で婚約者以外の殿方と二人きりになることは出来ません。殿下ではなく、私の不考慮になりますの」


「……それは王太子の権限で対応してもらえないだろうか?」


「成る程。政治的なものが関係するということですのね。勿論かまいませんわ。それでしたら、私達の対談にはお父様に来てもらいましょう。日程はどうなさいます?」


「……いや、ハワーズ閣下に同席してもらう程の事ではない」


 一応こちらは公爵令嬢なのですが……。

 そんな気軽に異性と二人きりになれるとしたら、それは婚約者であるルイス様か、お父様である公爵閣下くらいだ。いくら王太子とはいえそこまでの権限はない。


 ……困ったわね。


「公爵家が関係しないのでしたら、政略的なものは含まないということでしょう。ならばティアラの婚約者である私も同席し、王太子殿下によからぬ疑いがかからぬよう対処致しましょう」


 助けを求める前にルイス様が発言してくれた。王太子がこれでもかと睨んでくる。私を。


「もうよい。本題に入るがティアラ・ハワーズ公爵令嬢。私と婚約して欲しい。君の同意さえあれば、ルートヴィヒ家がこれまで婚約者として君に出費した費用は私個人の資産から返還する」


「お断りしますわ」


「なんだと……?」


 忌々しげに向けてくる目に驚き、震えたふりをしつつ、ルイス様にべったりと貼り付く。


「ティアラ嬢……元々は君が私の筆頭婚約者候補であったであろう。断るとは、どういうことだ?」


「王命の為、言えません。王太子殿下の権限を使えば、陛下、もしくは摂政から教えて貰うことは可能だと思います」


 私とルイス様の婚約は、端から見れば恋愛から発展し、縁を繋いだものと言われている。しかし元は国王陛下の命により、ハワーズ公爵家とルートヴィヒ侯爵家の領地を分断するように流れる大きな川に橋を建設する計画から始まった、政略婚でもあるのだ。


 まだ工事は始まったばかり。完成まであと数年はかかる。その計画に耐えうる1万人の労働者とその費用を出すことが可能なハワーズ公爵家と、橋の建設に必要な大量の資源と永続的な使用に必須となる修繕まで見越しても枯渇することはないルートヴィヒ侯爵家の豊かな領地。陛下と私たちの両家が合わさってこの建設計画は始動したのだ。決して揺るがぬよう、婚約という形で両家の縁まで繋いだのは陛下だ。


 もっとも、前世の知識チートで陛下に橋の建設とルートヴィヒ家との婚約を最初に願い出たのは私だが。


「このようなこと、私たち3人で話すべきではありませんわ。確認の為、一度王宮にお戻りになられては如何でしょう?」


「っ、スークス川の橋の建設に君たち両家が関わっていることは承知の上だ!」


「両家の分家もです。支配者階級のおよそ100人が関わっています」


 ルイス様がぴしゃりと言いのけた。

 大規模な工事は民衆の支持も必要になる。見積もった通行費に分家も領民もウハウハなのだ。もはや王太子の権限どころか国王陛下ですら簡単に覆すことは出来ない。


 覆す可能性があるとしたら、それは公爵令嬢()が王族に嫁ぎたいと言った時だろう。だから王太子は1人で来た。2人きりで話せないかと。


 そして支配者階級のおよそ100人……功績が称えられ、一代限りの爵位を与えられた商人や騎士や農民等の平民も含まれる。もちろんその筆頭は国王陛下だが。


「100人……だと?」


「ええ。およそ、ですがね」


 ちなみに貴族100人分の署名があれば、王命を覆すことも不可能ではないのだ。他国ではあるが、過去の革命から学んだ。自らの手でも覆らぬようにした陛下もそれだけこの建設に本気ということだ。


 スークス川の橋の建設、そのうま味は通行費だけじゃない。危険な魔獣がいる樹海を避けたり、安全に物資を運ぶ手段にもなるのだ。おまけに一週間かけて船で川を渡るより安全だし費用も半分になる。


 橋の30ヵ所には宿や出店も建てる予定だ。既に隣国も含めた大勢の候補達が手をあげ、我先にと出資の話を持ち掛けている。


「そうか……高位貴族が恋愛で縁を結むとは珍しいと最初は不思議に思ったが、そこには貴族らしく政略も含まれていたのだな」


「ルイス様が求婚したと噂されていますが、私が一目惚れしてぐいぐい攻めましたのよ。ルイス様が受け入れてくれたからこそ成就したのです。結婚して子供を産んで、いつまでも夫婦仲睦まじく暮らしたいと我が儘をお願いしましたの」


 立ち上がって王太子にカーテシーをする。

 この話はこれで終了だ、という意味だ。

 再びルイス様の太腿に戻ろうとしたら腕をつかまれた。


「それは本当に我が儘だな。公爵令嬢という身分では、普通なら王族に嫁ぐか他国の政略婚に使われるかどちらかだ。まして夫婦仲睦まじくなど、望める立場ではない」


「それは失礼致しました。私は普通ではなかったようです」


 腕を振り払うと今度はずいっと顔を寄せてきた。


「思い上がるな。貴族が意に添った結婚をできるとでも?」


 憤怒の形相だがそれよりもさっきから背後のルイス様から殺気が凄い。これはまずいな。なんとかして和ませないと。


「王太子殿下……"私達は真実の愛で結ばれているのです。愛し合っている恋人達を引き離すなんて、そんな下劣な真似はお止めください"」


「ッ、ブ!」


 噴いた。

 ルイス様が盛大に噎せて殺気を鎮めた。


 これは王太子殿下が15歳の時、とある男爵令嬢と一緒になって当時の自分の婚約者だった辺境伯令嬢に言った台詞だ。


『私達、愛し合っている恋人達を引き離そうとするなんて……! ミランダ様はなんて下劣なの!』

『そうだぞミランダ。私とアリスは真実の愛で結ばれているのだ。お前との婚約など破棄だ、破棄』


 舞踏会でやらかしてくれたので殆どの貴族が知っている名言だ。そのあと王太子殿下は王命でアマンダ侯爵令嬢と婚約したものの、男爵令嬢との蜜月が忘れられず、女の体ほしさに婚前交渉を迫り、拒絶され、また婚約破棄したというのが世間の噂。それをきっかけにまだ婚約者がいない学園の貴族令嬢達は領地に逃げ去った。お茶会も病欠で袖にされているらしい。幼少期は私もよく使った手だ。


「ふざけるな!……いいか、私は諦めないぞ? 君の人並みな幸せなどどうでもよい。橋の建設は認めるが、私との婚約は両家が納得すれば済む話だ。貴族令嬢ならば義務を果たせ!」


「王太子殿下、"人はみな平等に幸せになる権利があるんです。身分があーだこーだとか、権力を盾にするなんて間違っていると私はそう思います"」


 自分で真似といて物凄く馬鹿っぽい台詞だと思った。おかしくて目尻に涙まで溜まってくる。でも建前上はおびえて震えてはいるのだ。だからそんな目で睨まないでほしい。当時は王太子も『アリス、君は素晴らしい! これぞ国母に相応しい者の言葉だ! 』と絶賛したのだから。


「貴様……!」


 王太子がバン! とテーブルを叩いた。怒りなのか羞恥なのか、耳まで真っ赤だ。

 笑いをこらえ過ぎて同じく真っ赤になっているルイス様にすがり付いた。ここで助けを求めたのだ。後で卑怯だとまた擽りを受けるかもしれないなぁと呑気に考えていたら、頬と頬をくっつけて耳に囁かれた。


「ティアラ……後で脇の擽りの刑だ。直にするから。覚えておけ」


「ヒっ」


 ひとつ深呼吸をしたルイス様は真顔になり、今にも飛び掛かってきそうな王太子を押し退けて私を抱き上げた。


「長話でティアラの具合が悪くなってきたようです。これにて失礼しますよ」


「っ、な、待て!」


 高身長なルイス様の腕の中で思った。物凄く目線が高い! 私が咄嗟に首に取りすがると同時にルイス様が駆け出した。

 少し離れた場所にいた従者に「ティアラの茶器を回収しておいてくれ」と告げると更に加速して馬のような速度で走った。


「ルイスさ、ま! あ、っ、すこ、し、怖いで、す!」


 風をきる速さだ。流石の長い脚で歩幅が大きい。風圧で前髪が払い上げられおでこが全開になる。恥ずかしいんですけど!


「……へえ。初めて見た。ティアラの脅えた顔」


「わ、たしも! 初めて、です! ルイス様の、そんな、怖い笑顔……!」


 そういえば明日は私が経営する果実園で狐狩りがあるんだった。ルイス様は狩りが好きなので誘おう。


 捕らえた狐は毛皮を剥いで、その肉は樹に吊るしておく。ネズミ退治でいつもお世話になっている可愛らしい野生の猛禽類達へのプレゼントだ。


「あした! 狐狩りをしましょう! きっと楽しいですよ! だから少し速度を落とし、」


「やだ。農園のでしょ? 毛皮はいらないし、でもお肉手に入らないし」


「け、毛皮でルイス様に尻当てを縫いま、す! 狩りでも釣りでも、使えますよ!」


 そう言うと少し速度が落ちてきた。

 中庭を抜けて馬車が停めてある広場が見えて、そこでようやくルイス様は徒歩になった。


「っ、はぁはぁ……」


 何故か息が上がっているのは私の方だった。


「うん……自分の腕の中でティアラが息を荒げているのは、なんかいいね」


「……うぅ」


 口調が変わった。

 ここはあまり刺激しないでおこう。

 顔を見られたくなくてルイス様の首筋に隠れるように埋まった。


「なんだ、どうした! 倒れたのか!」


「そこの君……耳まで真っ赤じゃないか。熱でもあるのかね?」


 たまたま通りかかった複数の教師に見つかった。ああ、恥ずかしい。


「大丈夫ですよ。私が介抱しますので」


「ルイス君に……ああ、ハワーズ嬢じゃないか。なら問題はないな」


「もうすぐ夏休みだ。王都では暑さが増していく。体調が悪いなら無理せず今からでも休みを取りなさい」


「は、い……」


 いい笑顔で足早に馬車に向かっていくルイス様。


 ちょうど私のランチボックスを手にした従者が息も絶え絶えに戻ってきた。受け取った際、お礼を言ったら結構汗をかいていた。中庭から広場まで走ったら、普通はそうなるよね?


「ご苦労。少し休んだら湖畔まで向かってくれ」


「はぁ、はぁ、まずいです坊ちゃま! 王太子殿下が追いかけてきてます! すぐに出発しないと、」


 従者が御者席でレバーのようなものを操作すると、馬車から三段の階段が出てきた。


「急ぎましょう!」


「え、ええ」


「待てと言っただろう! まだ話は終わっていない!」


 向こうから真っ赤な顔で迫ってくる王太子にぎょっとするとルイス様が舌打ちした。やだ。切れ長の赤い眼がつり上がって三白眼で更に怖い笑顔でかっこいい!


「お前達! 王太子であるこの私に逆らってただで済むと思ってるのか!はぁはぁ……」


「……まだなにか用で?」


 そっとルイス様に下ろされ地面に足をつけると、慌てた従者が庇うように私の横についた。

 静かに笑みを浮かべるルイス様の視線を辿ると王太子の腰に先程はなかった短剣が差してあった。実用的ではない装飾の凝った逸品。かなり高価なものだろう。まあそれはいいとして──。


「ねぇねぇ。ルイス様って建前上の笑顔では笑窪が出ないのね。これは初めて知ったわ」


「はぁ……坊ちゃまが生まれる前からルートヴィヒ家に遣えておりますが、笑窪をお目にしたことは一度もありませんが」


「そうなの? ルイス様の笑窪、すごく可愛いのよ。一瞬で虜になるくらい」


「はぁ……ティアラ様には笑窪をねぇ、そうですか」


「そこ、やめなさい」


 くるりと顔をこちらに向けてぴしゃりと言いのけたルイス様に、隙をついた王太子が肩でぶつかってきて──尻餅をついた。王太子が。


「貴様……なにをする!」


 クワっと目をひん剥むいた王太子が腰の短剣に手をかけた。目撃者が大勢いる場所で流石にそれはまずい。


「"やめて! どうか私の為に争わないで! そうよ、みんなで仲良くすれば争い事なんて起きないわ!"」


「ッ、ブ!…………っ、ティアラ」


 怒ってるのか笑いたいのか、ルイス様の肩がぷるぷる震えている。でもわかってほしい。ここで争ったらルイス様が圧勝する。そんなの王太子に付け入る隙を与えるわ。だからそんな怖い眼で笑顔を向けないでほしい。私はルイス様の笑窪が出る方の笑顔が好きなのだから。


「き、き、貴様! さっきから……馬鹿にするのも大概にしろ!」


 一応パワーバランスを考えたつもりだったのだが。王太子もハンデ持ちにしてしまった。王太子の半泣き顔初めて見た。


 学生達のクスクス声になんか悪いことしたなと思いつつ顔を反らすと、その視線の先にいた従者が拍手してくれた。


「懐かしい台詞ですね。あの当時の騒動は、王都劇場の『聖騎士姫』で模倣されたそうですよ」


「まあそうなの? まだ券あるかしら?」


「それがここだけの話、あまり人気が出なかったようで、初公演から千秋楽まで赤字だったそうです。再演は望めないですね」


「五月蝿いぞ貴様ら! 不敬にも程がある!」


 短剣を握り締めた王太子がこちらに駆け出してきた。私の前には従者がいて、既に両刃の片手剣を抜いているので大丈夫そうだ。


 それにしても王太子の短剣の握り方、グーになっている。それ松明の持ち方では?


 ちなみに従者は剣先を垂直に前に、斬りかかるというより突くのが前提なのか剣を横にして構えている。でもその向きだと、もし刺さっちゃったら、アバラとか関係なく内臓に到達するよね? やばくない?


「な、なんだ貴様! 私に逆らうのか! その剣を下ろせ!」


 短剣を盾に心許ない様子だ。

 そりゃ片手剣の方が届く範囲は広い。怖いよね。


 これがルイス様だったら、短剣で構えたりしない。狩りで獲物を仕留める時みたいに逆手持ちするか、柄を持って投げるかだろう。


「あまり武器の扱いに慣れていませんのね」


「だ、黙れ!」


「ほらもう、危ないから、それ置いて下さいませ」


「黙れ黙れ黙れッ!」


 王太子の背後で殺気を撒き散らすご機嫌斜めなルイス様に対して、後で毛皮の尻当てを縫うのを理由にベタベタ触って採寸しよう、その際は跪いて可愛く上目遣いするのもいいかもしれない、そう呑気に考える頭にそろそろ嫌気がさしてきた時──。


「これは一体、どういうことかな?」


 騒ぎを聞き付けたのか、王立トップ学園の学長が颯爽と現れ、周りを一概した。

 しかもこの学長、テオドール先帝陛下の弟、テルミドール様である。おまけに学長の前は元帥をしていた、見た目も厳つい親父様である。こんな近くで初めて見た。白髪まじりのお髭が素敵だわ〜。

 なによりハリス王太子殿下の叔祖父だ。この場は収集されるだろう。


「ハリス。また、何をした?」


 学長は王太子が手に持つ短剣を目にした瞬間、凄まじい殺気を放った。


「違っ、これは、その、私は、ちがっ、あ、いや、ちが、違う?」


 狼狽え方が白痴レベルだ。無論この例えに悪意は無い。謎の笑顔と冷や汗としどろもどろな王太子が悪い。


「来い!」


「うわああぁ」


 ガシャっと王太子が短剣を落とした。そのまま学長に首根っこを持っていかれ、人だかりも好奇の目で彼等についていく。


 後に残ったのはルイス様とその従者と私だけ。


「この柄、ルビーが嵌め込まれてますよ。ほじくり出したら売れますかね?」


「土台が純金だからそれも外したら売れるわ。溶かして靴の金具にしようかしら」


 両膝に手をついて短剣を拾いたそうにしている従者と共に私も腰を下ろそうとしたら短剣が長い脚で踏み隠された。


「これをバラすなんて勿体ない。少しデザインを変えて、私の狩猟武器コレクションに加える」


「ちょっと待てー! そこの3人! 聞こえたぞ! それ、儂のだからな! ハリスが勝手に儂の寮部屋から盗んだやつだからな! 後で回収するから! そこに置いとけよ!」


「「「ええっ!?」」」


 学長の怒号に「やべ……」と声を漏らす従者に、そっと足をどけるルイス様。私も靴の金具にするのは諦めよう。


 てか寮……って。

 学長、第三校舎に住んでるの!?

 そりゃあ、他の先生方は畏れ多くて社宅として住めないわ。先帝の弟だもの。その寮とくれば、あれだけ入念に庭が手入れされている筈だ。


「ルイス様……残念ですわ。あの中庭はランチにもってこいの場所でしたのに」


 それにとても静かで、ルイス様との逢瀬に絶好の穴場だったのに。


「残念だけど仕方ないね。ティアラの脇を擽って溜飲を下げるか」


「え」


 バン! と顔の横に両手が着地した。

 背後はルートヴィヒ家の馬車だ。逃げ道は塞がれた。


「ル、ルイス様?」


 そのままぐいぐい押されて馬車の三段しかない階段を後ろ歩きでのけ反っていく。すぐに上りつめた。てか詰んだ。


「なに、さっきのあの顔。学長にときめいたの?」


「あ、いや、っ、そん、違っ、違いますよ?」


 ちらっと視線で従者に助けを求めると、後で回収すると言った学長の短剣を護るようにその横で正座していた。こちらには知らん顔だ。


「可愛いなぁ……そんなに脅えて」


 クク、と喉を鳴らして赤い眼を細めるルイス様はとてもかっこいい。これぞ狩りで獲物を仕留める猛者の眼だ。


「ねぇ……教えて?」


「へっ──きゃあ!」


 馬車のドアが開いて、クルクルと体が反転して、気付いた時には長椅子に押し倒されていた。


「私がここで本気で擽ったら、ティアラはどんな顔をするの?」


 恐らく擽りだけでは終わらないだろう。既に上着を剥ぎ取られ、シャツのリボンまで解かれているのだから。なんて鮮やかなお手並み。明日の狐狩りではおおいに腕を奮ってくれそうだ。



「……知りません。でも、」


「うん?」



 領地に着くまでは、手加減して下さいね?


 そう耳元で囁いてルイス様の首に腕をまわした。


ありがとうございました。

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