息子と悪役令嬢と光源氏計画と(side.スーエレン)
時間軸は本編完結から五年後です。
「母上、シンシア様。僕、リアル光源氏計画することにしたから」
そう言ってほくほくとアルフォンスが金髪碧眼の正統派美少女を連れてきた。ちょっとつり目で強気な顔立ちをしているし、彼女自身も強気な性格だと思う。でも勝ち気そうな緑の目には若干涙が浮かんでるし、口はへの字に結ばれてる。
なんだか色々と突っ込みたいところがあるけれど、とりあえず私は口付けていたティーカップをテーブルに置いて、息子のアルフォンスに向き合った。
「アル、とりあえず女の子を下ろして差し上げて? 今にも泣きそうだわ」
「いや、突っ込むところそこじゃないでしょ」
一緒のテーブルでお茶をしていたシンシアが突っ込んだ。いやでも、うん、女の子泣きそうになってぷるぷるしてるんだもの。
アルはにっこり笑って、女の子をお姫様抱っこしている。今年八歳になるアルのどこにそんな力が……と思ったけど、女の子はまだたぶん五歳くらいだから、剣の稽古で体格が出来始めてるアルにはどうってこともないんだと思う。
エルバート様に「騎士を目指すなら」とびしばし鍛えられてるからか、アルは八歳児にしては体格が結構しっかりしてて骨太な感じだ。それでもエルバート様譲りの銀髪と私譲りの赤目による神秘性がその体格をオブラートに包んでいて、中々に薄幸少年な雰囲気を醸し出している。だからそんな少年が女の子一人を軽々持ち上げている様子はちょっぴりハラハラしてしまうんですが。
「その子、どこから拾ってきたの。元いたところに戻してきなさい」
「捨て猫じゃないし」
アルが唇を尖らせて抗議の声をあげた。ええ、ええ、お母様は分かっていますとも。
でもさすがに勝手に連れてきて、唐突に光源氏計画を口にされたって、お母様だけの判断で了承はできないわけで。
ここはイガルシヴ皇国の王城であり、皇妃シンシアのお茶会なのだ。普通のお茶会とはちょっと違う。
今日は彼女とセロンの息子である第一皇子の学友、婚約者候補との顔合わせのためのお茶会。うちのアルを含め、ここに集められた年の近い伯爵家以上の男の子は第一皇子の学友候補になる。対して女の子は当然のように婚約者候補になるわけで。つまりアルが連れてきた女の子だって、第一皇子の婚約者候補になる女の子ということ。
「アル、あなたには例の件もあるから、自由に恋愛して、好きな子と結ばれて欲しいとは思ってる。でもここにいる子はシンシアの子のための婚約者候補なんだから、あなたがさらっては駄目なのよ」
「いやいや、母上、よく聞いて」
アルはすりっと女の子の頬に自分の頬をすり寄せる。ぴゃっと女の子がさらに真っ赤になってぷるぷるし出す。好きな子ほどいじめたいお年頃なんだろうけれど、まだまだ初々しい他家のご令嬢にやることでは、断じてない。
咎めようと口を開く前に、アルが先に言葉を発する。
「この子、オーレリア。オーレリア・サルゼート伯爵令嬢だよ」
オーレリア?
聞き覚えのあるような名前に首を傾げると、ガタンとシンシアが椅子の音を立てて立ち上がった。ちょっと、皇妃としてその立ち振舞いは叱られるよ?
「ナイス、アルフォンス君。その計画、ぜひ遂行してくれる?」
「もちろん。その為に母上だけじゃなくて、シンシア様にもお伝えしようと思って連れてきたんです」
にっこりと無邪気に微笑むアルに、私はようやく思い至った。
オーレリア・サルゼート伯爵令嬢って、『騎士ドレ』の続編の、悪役令嬢の名前では!?
私がぎょっとしてシンシアを見ると、シンシアは何事かうんうんと頷いているし。えええ、いいの? これはいいの?
オーレリアは『騎士ドレ』の続編の『ヴァイオリンと』における、第一皇子ルートでの悪役令嬢。第一皇子の婚約者として、ヒロインを虐めて最終的には諸々の都合と罪状が重なって表向き事故死させられるご令嬢……らしい。
『ヴァイオリンと』は学園が舞台なので、血生臭いことはそうそう無い……と油断させていたプレイヤーに突きつけてくる死にエンドキャラの一人として、界隈では『憐れな第一犠牲者』と呼ばれていたキャラなのだと、以前アルとシンシアから教えてもらった。
あぁ、このぷるぷるしてる可愛い女の子も、その内あの死に芸シナリオライターの餌食に……。同じ悪役令嬢らしくシンパシーを感じて同情の視線を向けると、それまでぷるぷるしていたオーレリアちゃんが、キッとアルを睨み付けた。
「いつまでだき上げてるのですの! いいかげん、おろしてくださいませ!」
「どうして? 君の可愛いおみ足が疲れてしまうよ?」
「わたくしは! 皇子さまの婚約者としてここにきたのです! あなたのその、ぶれいな行動、ぜんぶおとうさまに言いつけますわよ! そうしたらあなたのおうちなんて、けちょんけちょんなんですからぁ!」
「ふふふ、可愛い抵抗」
オーレリアちゃんがぐいぐいとアルの胸元に手を突っ張って下りようともがいているけれども、年相応以上にエルバート様に鍛えられてるアルはびくともしない。むしろ顔が悪戯めいた様子でオーレリアちゃんの行動を見ている。
梃子でも動こうとしないアルに、私もどうすれば良いのかとシンシアを見た。シンシアは私と視線が合うと「いいんじゃない?」と軽く笑ってくる。
「そんな無責任な」
「よく考えてみて? あの子、うちの息子のルートで悪役令嬢になる子なのでしょう? アルフォンス君の光源氏計画が功を奏すれば、ゲーム開始前にアルフォンスルートとうちの息子のルートが破壊されるわけで。あの子も、悪役令嬢として死ななくて良くなるかもしれないでしょ?」
そう言われてしまうと、一考の余地どころか、そのまま「うん」と頷いてしまいそうになるけれど……でも、それで本当に良いのかと思ってしまう。
確かにシンシアの言うとおり、アルがオーレリアちゃんと婚約することでシナリオが破壊されるなら願ったりかなったりだけど、私達は破壊されたシナリオがその先に続くことを知ってるから、もっと慎重になるべきなのでは?
エルバート様が私を娶っても、セロンルートを含め、全てのルートのイベントは起きてしまった。今ここで小細工したって、強制力なるものが働いて、オーレリアがアルフォンスルートでの悪役令嬢になる可能性だって捨てきれない。
それならまだ先の読める第一皇子ルート通りに進めた方が良いと思うんだけど……。
そういったことをシンシアに渋い顔で告げれば、シンシアがちょっと苦笑した。
「確かに、オーレリアがシナリオ改変によってアルフォンスルートで悪役令嬢になる可能性もあるけど……アルフォンス君のことだから、そうならないように光源氏計画を立案したんじゃないかしら?」
「どういうこと?」
「つまり、オーレリアを自分好みの女の子に仕立てあげて、責任もとるってこと。アルフォンス君の事だから、悪役令嬢なんかになる余地もないくらいに調教するんじゃない?」
「ちょうきょう」
自分の息子に対するシンシアの言葉に、パチリと目を瞬いた。いやいや、調教って。
「シンシアはうちのアルをなんだと思ってるのよ」
「ヤンデレ父と流され母に挟まれて育ってしまって、しかもこんな世も末な乙女ゲーム世界に転生してしまった、恋愛観に関してちょっと迷走し始めてる八歳児」
「何それ」
「いやだって見てみなよ」
シンシアに視線で促されて、未だにオーレリアちゃんを抱き上げているアルを見る。
アルはちょっと楽しそうにオーレリアちゃんの顔に自分の唇を寄せて、何かしらを囁く。その度にオーレリアちゃんが顔を真っ赤にして、怒ったり恥じらったりしてる。あんまりにも真っ赤になってるので、まさか血管がはち切れてるのではと心配になってしまう。
「アル、いい加減になさい。オーレリアちゃんが真っ赤になって可哀想よ」
「真っ赤に熟れてる林檎は早く食べたくなるものだと、父上が母上に言っていましたよね? 僕は、僕好みの林檎が早く熟してくれるようにおまじないをかけているだけです」
飄々と言ってのけるアルですが、ちょっと待って、その台詞。
「ああああアル! あなた、なんてことを! その意味を分かって口にしているの!?」
「どうでしょうね」
すっとぼけたフリをするならもう少し取り繕いなさい!
じゃなくて!
アルが今言った台詞は、つい先日、エルバート様が私を閨に誘う時に口にした言葉だ。私はその後の事を思い出して顔から火が出そうになる。
こんな為りでも、アルは転生者。精神年齢は自己申告によれば現在二十九歳ということで十分大人。そんなアルが、あの台詞に隠された真意やらその後すぐにエルバート様に寝室に閉じ込められた私達のあれそれやらを察しない訳がなく。
「スー? 林檎がどうかしたの?」
「ひぇっふ!?」
会話の流れが掴めなかったシンシアが突っ込んで来るけど、私は答えれない。いやだってさ、さすがに、子供の前で堂々とそういう話は憚られるじゃない……! シンシアだけなら羞恥心かなぐり捨てて惚気られるけど、アルは……! アルは駄目だ……!
自分の息子に旦那との閨事がバレてるとかどういう拷問ですかね。無理ー! 無理ー!
悶絶しかけて、いやこれ以上墓穴を掘るまいと、元凶であるアルを睨み付けた。
睨み付けた、ら。
「ねぇ、可愛いオーレリア。僕がもっと可愛くしてあげる。そうしたらきっと、第一皇子だってイチコロだよ。僕と一緒に、ヒミツの特訓、しようよ」
「そ、そんなこと言ったって、むだなのですわ! あなたなんかの手なんてかりずとも、このわたくしなら皇子さまを射止めてみせますもの! あなたのものなんかに、なりませんわ!」
「そっかぁ」
「ふにゃあっ」
アルがオーレリアの首もとに顔を埋めたなーと思った瞬間、オーレリアちゃんが悲鳴を上げてびくんっも身体を跳ねさせた。それから涙眼でぷるぷるとアルを睨み付けてる。手は首もとに当てて、ごしごししてる。
「痕、つけちゃった。君は、僕のだよ」
「な、なななにをおっしゃって……っ」
「皇子様なんかに目移りしないくらいドキドキさせてあげるから、ね?」
……アル、何やってるんでしょうね。あのプレイボーイっぷりは、誰に似たんでしょうかね。
後、八歳児。あなた、八歳児なんだから。手が早いのは、自重して。
アルがオーレリアちゃんを見る目は、打算とか損得勘定抜きにして、とても甘い。精神年齢を考えるとこのロリコンめ、と悪態をついても良いとは思うけど、間違いなくアルはオーレリアちゃんを気に入ってる。それはもう、恋愛的な意味で。
光源氏計画とは上手く言ったものよね……前世由来のものか、エルバート様譲りかは分からないけど、このアルの執着っぷりは私がどうこうできそうも無い気がする。親として駄目と突っぱねても、あれこれと画策して私を出し抜いてくるに違いない。この十年でアルが中々に腹芸が得意なことを母親として把握してしまってるから、この予想を否定できる材料も無い。
私はシンシアと再度視線を合わせると、こっくり頷いた。シンシアが笑顔になり、アルとオーレリアちゃんの前に歩み出る。
「オーレリアさん、ひとまず今日は私の方からサルゼート伯爵にお話を通しておきますので、このお話を受けるかどうかはお父様とよくお話しなさい。私の息子を慕ってくれるのも嬉しいですが、ここまで熱烈に愛してくださる殿方はいないのです。貴女が立派なレディになったとき、誰の隣にいたいのかよくよくお考えなさい」
「は、はい、ですの」
皇妃らしく威厳を持ちながらも、シンシアは諭すようにオーレリアに言い含める。何だかアルと二人して現状を分かっていない幼児を丸めこもうとしている悪い大人に見えるのは気のせいだろうか。相手、まだ五歳児よね?
皇妃であるシンシアを前にガチガチに緊張したのか身をこわばらせるオーレリアちゃん。表情がぴゃっと固まって、返事もかくかくと壊れた赤べこのように首を振っている。
なんというか……悪役令嬢の救済というファンファーレを吹き鳴らしても良さげな場面なのに、粘着質っぽいアルに捕まったオーレリアちゃんが憐れにしか見えなくて困る。私、どこでアルの育て方を間違えたのかと思うけれど、私が育てる前にアルは自立してたからなぁ……。
それにシンシア曰く、私達夫婦を身近に過ごしてきたアルは恋愛観が迷走しているらしいし? 私、アルと恋話したことないのに、なんでシンシアは知っているんだろうかとちょっぴり意気消沈してしまうのはご愛敬。アルの言う光源氏計画が歪んだ方向にだけはいかないように、適宜様子見は必要かと私は一人で決意する。
とりあえず、オーレリアちゃん。
悪役令嬢としての心構えは伝授できないけど、息子の暴走は出来るだけ抑えてあげるので、頑張って悪役令嬢回避、してね?




