制服と馬と満月と(side.シンシア)
シンシアとセロンの、ある日のお話です。
時間軸は「手料理で悩殺する」あたりです。
「ねぇ、××ちゃん。助けて」
「またあの子達に殴られたの」
「私って生きる価値ないのかなぁ」
「大好き、××ちゃん。だからずっと一緒にいよ?」
きっかけは些細なことだった。虐められていた子を慰めただけ。自分の視界に映り込んだから、良心が痛んで助けてあげただけ。それからは一途に慕ってくれるあの子を見捨てられずに、彼女の求めるがままに慰めて、助けて、癒してあげようとした。
これは良いことだと、なんとなくちっぽけな正義感が満たされた。
あの子は動物が好きだった。牛も、豚も、鶏も、馬も、農業高校だったうちの高校にはいたけれど、彼女は特に馬を愛していた。彼女との出会いも、私が所属していた馬術部の日課で馬の世話をしていたとき。
彼女は馬の裏表のない素直な瞳が好きなんだって言っていた。
私も馬のつぶらな瞳が好きだったから、それに同意した。それだけで彼女はぽろぽろと泣きじゃくった。生きてて良かったって泣いていた。
彼女が虐められていることを知っていた私。表だって助けてあげようとしたこともあるけれど、彼女は「ますます虐められちゃうから」と言って断った。そのかわりに、私が馬の世話をしている時間に会いに来ても良いかと聞かれた。私は頷いた。
全寮制だったうちの高校は朝が早い。午前中はだいたい実地授業があるから泥塗れになる。全身泥だらけにしてシャワールームに駆け込む彼女を遠目に何度も見かけた。
声をかけたくても「やめて」と言われていたから声をかけられずにいた。ううん、彼女の言葉を免罪符にしているだけで、彼女に関わったら私もいじめられるかもしれないと心のどこかで思っていた。
その結果が、これだ。
「ねぇ、私と一緒に遠くへいこうよ」
そう言ってゴールデンウィークというプチ長期休暇に連れ出された。そしてたどり着いたのは、駅のホーム。青春18きっぷを使って、どこまで行けるか挑戦してみようという話だった。
でも私は、切符を使って電車に乗ることはなかった。
背中からかかる体重。
よろめく身体。
たたらをふんだ足は空気を踏む。
うなり声をあげる電車を目前に、耳に彼女の囁き声がやけに大きく響く。
「一緒に、遠い場所へいこ」
◇
「ねぇ、ちょっと遠くに行きましょう」
ある昼下がり、スーがこんなことを言い出した。今朝見た悪夢のせいか、その言葉がやけに耳に残って反響している。ぼんやりとスーの顔を見れば、彼女の頬はぷっくりと膨れている。
「エルバート様ったら、全然外に出してくれないんだもの。私だってシンシアとウインドウショッピングとか、ピクニックとかしてみたいのに」
「私も行きたいなぁ。きっと楽しそう」
スーが手を叩いて「そうよね、そうよね」と囃し立ててる。その様子を見てようやく今の言葉が現実だと認識できた。
でも正直、エルバートの過保護さを考えると難しいんじゃないかなぁとは思ってしまう。
少し前、攻略対象者のエルバート・リッケンバッカーの婚約者であるスーエレン・クラドックの実家が人身売買関与の罪で捕らえられた。クラドック侯爵夫妻は表向き病気療養として田舎に閉じ込められたのは記憶に新しい。その上でエルバートの粘着力に捕まって何時の間にやら結婚していたというスーエレンは、数ヵ月経った最近ようやく私との面会を許されたくらいだ。
そんなスーが外出するそうです。エルバート様は許しますか?
はい。
いいえ。←
一目瞭然の未来でしょ。
私が一人で内心合掌しているのを知らず、スーはあれこれと行きたいところをリストアップしていく。
「西にある森林公園は分かるかしら。あそこは静かでのんびり過ごすのには良いらしいわ。うちのメイドの一人がおすすめしてたの。ピクニックにいくなら断然そこよって。別れるのが名残惜しくて夜までいたら、満月が湖に映えてとても神秘的だったそうだわ。後、お買い物ならレベールっていうケーキ屋さんが美味しいらしいの。焼き菓子を一度頂いたんだけれどすごく美味しかった。だから私、自分でそこのケーキを選んでみたいわ」
それからね、それからね、と楽しそうに話すスーに、エルバートという関門の話をして水を差すのは悪い気がした。それに、スーが教えてくれるおすすめスポットは私も知らない場所が多いから、聞いているだけでも楽しい。
スーの話を聞きながら、ちらと背後を窺う。
カラスの羽のような黒い髪に、森林を思わせる深い緑の瞳。口数が少ないミステリアスな騎士こと、『騎士ドレ』攻略対象者のセロン・バステード。
ヒロインである私の騎士で、友人で、それから……私の、想い人。
彼と一緒にデートができたら……なーんて。
いやいや、待つのよシンシア。未だ攻略中なんだから焦っちゃ駄目だよ。
でもでも、もし万が一にでも攻略中にセロンとデートする機会があったらすごく行きたい。その万が一のためにスーの話は真剣に聞いておくべきか。
私は気を引き閉めて、スーのリストアップするおすすめスポットを脳内にインプットした。
スーのお茶会の帰り、まだ夕方には早い時間帯に私はセロンと一緒に並んで花屋兼自宅へと帰る。こうやってエルバート様の隙を狙うかのようにしてスーに会いに行ってるから、帰る時間はそれなりに早かった。
大通りを歩いていると、不意にセロンが私に話しかけてきた。
「今日は暇か?」
「え? は、はい」
突然降ってきた言葉に、どうしたのかとセロンを見上げれば、彼は少し考え込むような素振りを見せる。それからおもむろに口を開いた。
「……夕飯は外で食おう。俺のおごりだ」
「え? いいんですか?」
「ああ。その代わり、少し付き合ってほしい」
そう言いながらセロンは目的地を私の花屋じゃなくて別のところにしたらしく、迷いなく花屋とは違う方向に進んでいく。私も付き合ってそれなりの距離を歩くと、たどり着いたのは騎士団の厩舎だった。
「途中で夕食を買う」
馬を引き連れてきたセロンは、町中では馬に乗らないで色々と食べ物を買い込んだ。私もあれこれと食べたいものをお願いする。セロンは何も言わずに財布の口を弛めるので、こんなにいいのかな……とちょっぴり罪悪感がわいた。ご飯はもちろん、お菓子とか飲み物とかまで。これからどこ行くのかさっぱりなのに、そんなに買い込んでいいのかと不安になる。
大通りを抜けて人気が少なくなると、セロンは馬に跨がった。
「引き上げる」
私は馬とセロンを交互に見た。久しぶりの乗馬がセロンとの二人乗り……頬が緩みそうになるのを叱咤して、私はセロンに馬上へ引き上げてもらった。
常歩で歩きだしたセロンの馬。セロンは私を前に乗せて器用に馬を操っている。
体が上下に動く。足に流動する馬の筋肉が伝わってくる。
久しぶりの乗馬に、体がうずうずしてたまらない……!
前世では馬術部だったから高校に通ってる短い間だったけど馬に乗っていた。それこそ、入学して半年も経たないうちから自分の馬をもらって世話してたし、馬術の大会に出るべく何度も乗る練習もしていた。
短い間だったけど、スパルタな先生に叩き込まれた馬を操る術を体は覚えているようで、馬のリズムに合わせて体が揺れる。
うう、走らせたい。
思いっきり馬を走らせたい。
きっとそれは気持ちいいから。
ちら、と駄目元でセロンを見上げる。
「あの、私が手綱持ってもいいですか?」
「やめておけ」
即答だった。
やってもみない内から即答……いくら愛しのセロン様と言えどちょっとショック……。
しょぼんとしながら、馬がぱかぱかと歩いていくのに身を任せる。姿勢よく馬に乗っていたら、唐突にセロンが私のお腹をさらった。セロンの体が、私の背中に接する。
「せ、セロン様?」
今までにない密着に、私の頬に血がのぼる。あまりの熱さに火を吹きそう。やだ、何この体勢恥ずかしい……!
私の内心なんて気づきもしないセロンは、まっすぐに前を向きながら片手で手綱を握っている。
「器用に座っているが、もう少し体の力を抜いたら良い。ちゃんと支えておく」
「え、いや、あと、大丈夫なので……!」
「俺が心配になるんだ」
焦る私に、セロンが耳に唇を寄せてそんな事を言う。ふにゃぁ、お耳が、お耳がふやける……!
さすがゲーム攻略対象者、行動がいちいちすごい……!
スーも言っていた。エルバート溺愛攻撃がやばいって。顔真っ赤にさせて言っていた。
私もスーに言おう。
セロンの突然の甘い言動はヤバかったと。囁きボイスで腰砕けそうだったと。
私は激しくなる動悸を抑えるように心臓の辺りを握りこんだ。大丈夫かな、この心臓の音聞こえていないかな……。
「どうした? 具合が悪いか」
「う、ううん! 大丈夫です!」
具合が悪くなったというなら、セロンのせいです。血圧上がりすぎて血管切れたらどうぞ土でもかけて捨て置いてください……。
そんな緊張を強いられながらも、私はセロンに連れられて移動していく。
やがて、たどり着いたのは───
「わぁ、すごい」
昼間にスーが教えてくれた森林公園。その中でも中心部にある大きな湖だった。
茜色の空が水面に映って、炎のように揺らめいている。
「夜まで少し待つ」
そう言ってセロンは馬を繋いで敷物を敷くと、買ってきた食べ物を広げ始めた。私もそのご相伴に預かる。
ゆらゆら揺れる水面を眺めながら、セロンと一緒にご飯を食べている。なんてロマンティックなシチュエーションなんだろうかと、柄にもないことを思ってしまった。
セロンは口数が少ない。私もずっと一緒にいるから特別話す内容も特にはない。だから無言の時間になるけれど、居心地は悪くなくて、むしろ安心するくらいリラックスできている気がした。
ゆっくりとご飯を頂いた後は、セロンにお願いして彼の馬のお世話をさせてもらう。水を飲ませて、野菜を食べさせる。凛々しいお顔を撫でてあげると、私の顔に鼻を押し付けてきた。可愛い。
「……シンシアは、馬が好きなのか」
「はい。だって可愛いじゃないですか。それに賢いし、他人以上に自分の事をよく分かってくれる」
そう言いながら筋骨隆々とした逞しいボディをブラシで撫でてやる。気持ち良さそうに馬が目を細めて、私がやりやすいように足を折って寝そべってくれた。
「ほら、賢いじゃないですか」
「……そうだな」
セロンがちょっと意外そうに目を丸くしている。いつも憮然としているから、こういう表情は珍しくて私はちょっと得した気分になった。
しばらく無言でブラッシングしていたけれど、不意にセロンが立ち上がった。
「乗るか? あまり危ないことはさせれないが」
「セロン様と一緒に?」
「いや、シンシア嬢一人で」
私は瞳を輝かせる。いいの? やった!
セロンが馬を繋いでいた紐を外す。セロンが私をエスコートして馬に乗せてくれようとしたけれど、私はそれを断った。
鐙に足をかける。鞍に手をかける。トンっと地面を蹴るようにして、馬に跨がった。
一人で馬上に上がれば、もうこのうずうずは我慢できなかった。
「湖、一周してきますね!」
「え、ああ……いや待て!?」
珍しく慌てたセロンが声を荒げるけれど、私はそんな事お構いなしに馬の手綱を引き、馬に駆け足を指示した。
湖にそって私は馬を走らせる。
初めて一緒に走る子だけど、この子は本当に良い子だ。主じゃない私の言うこともちゃんと聞いてくれる。
「お前は賢いね。さすがセロン様の相棒よ」
馬が嬉しそうに鳴いた気がした。
私は楽しくなって、大きな湖をしっかりと走らせた。
夜のちょっと冷えた風が、興奮した頬の熱を冷ますのにちょうど良い。ドキドキと久しぶりの乗馬を楽しんで元の場所に戻ると、セロンが呆れたような、怒るに怒れないような、そんな微妙な顔をしていた。
「セロン様、ありがとう。楽しかった」
「……それは良かった」
降りようとしたら、制止される。
どうしたんだろうと思う間もなく、セロンが鐙と鞍に手をかけ、器用に私の後ろに座った。
「セロン様?」
「せっかくだ。もう一周するといい。……今度は俺もつれていけ」
セロンの嬉しい申し出に私は満面笑顔で頷いた。
今度はゆっくりと常歩でゆっくりと湖の周りを歩かせる。
ぱかぱかと間抜けな音を立てながら、夜の乗馬を楽しんでいると、そういえば今日はいつもより明るいなぁと思った。夜なのに道がしっかり見えるから危なくない。
「セロン様、今日は月が明るいですね」
「当然だ。……そろそろだな。見てみろ」
促されて視線を湖に向けて───驚いた。
湖の中央に、大きな、すごく大きな月が揺らめいていたから。
思わず空を見上げると、いつもの月より何倍も大きな月が、夜空に存在感を示していた。
「今日はスーパームーンだ。湖に月光が反射して、この辺り一帯はすごく明るくなる」
「すごい……」
夜空に浮かぶ大きな月も、水面に揺らぐ大きな月も。
明るくて、神秘的で、とても美しい。
「これを見せたかったの?」
「そうだ。昼間のスーエレン嬢の言葉で思い出したんだ。満月の日でも十分明るくなるから、たまに俺もここに相棒を走らせに来る。スーパームーンならどれ程だろうかと思って、な」
「すごい……! 連れてきてくれてありがとうございます」
嬉しさのあまりに満面の笑みでお礼を告げると、セロンは少しためらいがちに……それでも優しく私の頭を撫でてくれて。
思わぬ接触に手綱を取りこぼしそうになり、慌てて握りしめる。頬が熱い。せっかく落ち着いた動悸がまた全力疾走し始める。セロンが肩を震わせた気がした。
「まぁ、シンシア嬢は月よりも俺の相棒の方に興味津々のようだが」
「え、あ、あの、その……!」
「だが、か弱い王女よりは勇ましい王女の方が俺は好きだな」
か、からわれてる……! これ絶対にセロンにからかわれてる……!
私は恥ずかしいのを誤魔化すように前を向いて、ひたすら無心で馬を歩かせた。ぱかぱかぱか。リズミカルに私たちの体が上下する。
勇ましい王女……な、なんだかゲームのシンシアとのイメージとかけ離れてる気が……信念強いけどこんなじゃじゃ馬じゃなかったような……!
ちょっと今日の振る舞いは反省すべきだろうかと思案にくれる。でも久々の乗馬は確かに私が「わたし」であった事を思い出させてくれたから、後悔はしていない。
実は今朝の夢見がすごく悪かった。前世の、死ぬときの夢を見た。「わたし」が私であることを拒絶しそうになった。
……それで今日一日ちょっと上の空だったんだけど。セロンにはどうやらお見通しだったようで、たぶんこれは元気付けてくれようと思って連れてきてくれたんだと思う。そうじゃなきゃ、公私がくっきりはっきり分かれているセロンが仕事中に私を連れ回したりなんてしないもの。
私は手綱を持ったまま、少しだけ上体を後ろに倒してみる。しっかりとした体が、私を支えてくれた。
「疲れたか?」
「少し。やっぱり帰りはセロン様が手綱を握ってくださいな」
笑って、ちょっとだけセロンに甘えてみる。安心するその胸を貸してもらう。
悪役令嬢が「スー」であるみたいに、ヒロインは「わたし」。記憶が戻ったとき、あまりゲームに捕らわれるような人生は送りたくないと決めた。だって一歩間違えたら死んでしまうゲームで、立ち竦むようなことだけはしたくなかったから。
前へ進むために、私は「わたし」である事を忘れない。常に前進して、ハッピーエンドを目指したい。途中リタイアなんて二度としたくない。だって私には目標がある。
セロンの隣に立ちたい。きっと未来で多くの敵を作ってしまうこの人の助けになりたい。記憶を取り戻してからはそれだけを思ってる。
推しだから、じゃない。セロンが生きている人間だから。呆れながらも私に苦笑して、手を差しのべてくれる人間だから。
セロンルートの事を思えば、勇ましい王女なんて願ったり叶ったりなんじゃないだろうか。そういう王女様のハッピーエンドならトゥルーエンドにもなり得るんじゃない?
うん、きっとそう。だから私は勇ましい王女様を誉め言葉と受け取ろう。
私だけのハッピーエンドまでにはまだ遠いけれど、でも少しずつ、少しずつ、私は確実に前進んでいく。
私が目指すハッピーエンドの先は、あの死に芸シナリオライターの想像もつかないようなものにしてやるんだから。
だから私は今日も前を向く。
まっすぐ、ひたすらに。
セロンの隣を目指して。
シンシア一人で馬に乗る。
理想:シンシアを馬上に乗せてセロンが手綱をもって歩く。
現実:シンシアが手綱を強奪して疾駆する。
さすがのセロンも呆気でした笑。




