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【連載版】死にたがりの悪役令嬢はバッドエンドを突き進む。  作者: 采火
死にたくない悪役令嬢は

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トゥルーエンドを模索する16(side.エルバート)

 冷たいエレの手が、興奮して血が沸騰しているんじゃないかというくらいに熱い僕の手を握る。

 ぼんやりとそれを見ていれば、エレは扇情的なネグリジェの裾をめくりあげて、僕の手を、その薄くまろやかな腹部へとあてがった。


「あか、ちゃん……」


 呆然としたまま、エレの言葉を繰り返す。

 あかちゃん……僕らの、愛し子。愛の証明。


 何を言われたのかが分からずに混乱して、じっと指先が触れているものを見つめ続ける。


「……本当はオズワルドに触れられるのが気持ち悪かった。私の肌に触れている指が、エルバート様じゃないのだと気がついて怖くて怖くて仕方なかったんです。でも、この子を守るためには、私は死ぬわけにも、お腹を刺されるわけにもいかなかったんです」


 全身から力が抜ける。

 脱力して膝をつけば、目の前にエレの腹が見える。


 エレは僕の手を握る反対の手で、僕の前髪をさらさらとすくように撫で付けた。


 その触れ方が、とても優しくて。

 とても温かくて。

 慈愛に満ちた指先が、僕の心を満たしていく。


「……私は、エルバート様に甘えて伝えられていないことが沢山ある。この愛情だけじゃない。私が抱えていたもの全部。でも、あなたがくれた愛情が、私を絶望の縁から救ってくれた。私が『スーエレン』として生きるために手を差し伸べてくれた」


 視界が、暗くなる。

 さらりとした衣擦れの音。

 柔らかくて温かな感触が、僕を包み込む。

 トクトクトクと、エレの心音が頭に響く。


「私は私なりにあなたを想ってる。私の、この世界に生きる私だけの旦那様。あなたは運命から抜け出して、私を拾い上げてくれた人。あまねく世界で唯一、私を、『スーエレン』を、省みてくれた人」


 優しげな声が、子守唄を歌うかのように僕に愛を囁いてくれる。


「『エルバート様』が『あなた』で良かった。だから私は愛されることも、愛することも手にできた。皆の嫌われものとして、私はまた……」


 何か言いかけたエレが途中で言葉を切った。その代わりに、僕の頭を抱く腕に僅かに力を込める。


「ごめんなさい、エルバート様。私が至らないせいであなたを不安にさせてしまいました。私は、妻失格ですね」


 彼女の情けない声に、エレが僕から離れていくんじゃないかと怖くなる。

 子供が大人にすがりつくように、恋人が愛しい人の身体をかき抱くように、僕はエレの腰に腕を回した。


「そんな事ない。僕の方こそ、夫失格だ。僕は、嫉妬して、君に酷いことを。この子にも、申し訳、無いことを」


 本当に僕は馬鹿だ。

 エレはこんなにも僕を愛してくれている。

 僕に甘えているから外へと飛び出しているし、僕を信頼しているから一人で恐怖に立ち向かう。

 何もかも諦めて、期待なんてしていないような眼をしていた女の子は、僕が変えてしまったんだ。


 それを僕はくだらない嫉妬のせいで、認めようとしなかっただけ。

 宝物のように大切にしまいこんで、こんなにも素敵な女性を独り占めしたかっただけだ。


 声が震える。目頭が熱い。鼻がつんとする。

 声の震えが全身に伝わり、喉の奥から嗚咽がこぼれた。


「エルバート様、私を愛してくれてありがとう。私に生きる理由を与えてくれてありがとう。あなたのおかげで、私は今、幸せです」


 エレの声も震える。冷たい滴がどこかを滑り落ちていく。


 良かった。

 セロンが止めてくれて良かった。

 彼が止めてくれていなければ、今頃は。


 僕は後悔のあまりに、死んでも死にきれなかったかもしれない。


「……エレ。僕は君の生きる理由になれたのなら、いい」


 エレ。エレ。

 僕の可愛いエレ。

 僕の愛しい奥さん。


 その首の痣を僕を戒める首輪にしよう。

 君の首にできた痣は、嫉妬の怪物になり損ねた僕のための首輪だ。






 二人で抱きあって、そこにある体温を確かめていると、誰かが僕らを包むように布の塊をかけてきた。


 その頃には僕の涙もおさまっていて、ぐすぐすと子供のように鼻をすする程度になっていた。ああ全く、今更ながらに自分がどんなに情けないをことをしていたのかと羞恥に苛まれた。


 恐る恐るエレから身体を離そうとすると、彼女が慈愛に満ちた聖母のような微笑みで僕の頭を撫でてくれた。居心地が悪いのと、母に包まれているかのような安心感がない交ぜになって、気恥ずかしい。でももう少しこの胸に抱かれていたくなる。まるで揺りかごのような穏やかさ。


 それを無粋な人間が一刀の元に断ち切ってくる。


「エルバート、反省したならそろそろ離れろ。キーロンから階下の制圧も済んだと報告が来た。予定通り隠れ家に戻ってもいいが……彼女、妊娠しているのならあまり動かさない方がいいのか?」


 その言葉に、僕は今の状況を思い出す。


「そうだ! エレ、赤ちゃんがいるのなら安静にしていないと」


 パッと立ち上がって、エレから身体を離す。シーツをヴェールのように被ったエレはますます聖母のようで、母となるに相応しく…………シーツ?


 きょとんとしてまじまじとシーツを被った形のよい頭を見下げると、エレの形まで愛らしい頭が当たり前だけど白くなっていて。


 何か布がかけられたことは知覚していたけれど、このシーツはいったい?


「……あの、エルバート様。いい加減、スーにまともな服を着させてあげたいんですけど。このまま外へ行くとなると確実に風邪引きますし、そもそも男の人達が目のやり場に困ってます」

「! 見るな!」

「ふあっ」


 過ぎた嫉妬は良くないと反省したばかりだけれど、それとこれとは別問題だ。エレをシーツで隠して近くにいた男達に殺気を飛ばす。特に、目の前の男は念入りに睨み付けた。


「セロン、殴らせろ。エレの肢体を間近で見た罪は重い。記憶を飛ばせ」

「馬鹿か」


 心底言葉通りにこちらを馬鹿にしているように見てくるセロン。僕はそれに言い返す。


「君、エレじゃなくてシンシア嬢がこの格好だったらどうする」

「……馬鹿か」


 こら、目をそらすんじゃないセロン。想像したんだろうセロン。だから僕の気持ちも分かるだろうセロン。


 視線だけで静かな攻防を交わしていると、こほん、とチェルノが咳払いした。


「エルバートさん、セロンさん、俺ら後処理手伝ってくるからまた用ができたら言ってくれ。行くぞー、アイザック」

「え、あ、はい!」


 チェルノがしれっとアイザックをつれて部屋を出ていく。あいつらも見ているわけだから後でこっそりと釘を差しておかねば。……それはもう色々と。


「それにしても服……メイドか誰かに持ってこさせるか」

「エレをこの部屋に置いておきたくない。別の部屋も用意させてくれ」

「そうだな……こちらの意図を酌んで前倒しで反第二皇子派がうまく動いてくれたんだ。隠れ家に戻る必要はないだろう」


 そう言ってセロンが近くの兵士に部屋の手配をさせた。反第二皇子派……転じて今や第六皇子派の人間が慌ただしく城内を駆け回る。


 しばらくもしない内に部屋に案内すると言われた。セロンに視線を送ると行ってこいとばかりに手で追い払うしぐさをされる。


「エレ、行こうか」

「わっ……歩けますよ?」

「大事な体だから運ばせて。僕のお姫様」


 シーツ越しに彼女の膝裏を浚うと、彼女は驚きつつも仕方ないなぁと微笑んでくれた。シーツで隠しているから首に腕を回すことはできないけれど、彼女は猫のように僕の胸にすり寄って大人しく抱かせてくれる。


 シンシア嬢はセロンと一緒に後処理に回るらしい。仮にも王女なのだから……とは思うものの、イガルシヴ国の皇子が最前線で指揮を執っていたのだから何も言わない方が賢明だろう。馬に蹴られたくはないし。


 各方面から生ぬるい目や「おめでとうございます」という祝福を受けながら、僕らはあてがわれた部屋へと移動する。どういう情報の速さかと舌を巻いている僕とは違い、エレは恥ずかしそうに頬を赤らめて「ありがとうございます」とその都度律儀に返事した。大変、愛らしい。


 パタパタと走り回る人々の横をすり抜けてたどり着いた部屋は、花園からは程遠い場所にある通常の客室だった。花園の寝室と居間を入れ換えた作りになっている。


 エレを抱いているので、案内をしてくれた兵士が扉を開けてくれる。彼は気が利いて、ベッドにエレを寝かせようとしたら先回りしてベッドにかけられたシーツを捲ってくれた。そして「ご用があればまたお声がけください」と言って退室していく。


 エレをゆっくりとベッドに寝かせた。ぼんやりとベッドサイドのランプが僕と彼女の陰影を濃くする。


 彼女をくるんでいたシーツを受け取って、新しいシーツをかける。僕の手にはエレの温もりの移ったシーツが残る。


「疲れただろうから、眠っていると良い。この部屋に入ってくるのは侍女くらいだからね。着替えは明日でも問題ないだろう」

「はい」


 僕の言葉にエレは小さく頷いた。

 本当は僕も色々と仕事があるからすぐにでも現場に戻るべきだろうけれど、なんだかエレと離れがたくて、せめて彼女が眠るまでは付いていようと思う。


 深夜、喧騒が遠退いて無音の時が流れる。

 都合の良いことに、場内の混乱はこの部屋にまで届かないらしい。もしかしたら先程の兵士が人払いでもしてくれたのかもしれない。この環境なら、エレもゆっくりと眠れるだろう。


「あの」


 おずおずといった体で、エレが声をかける。

 伺うような視線に、僕は柔らかく微笑んでみせた。


「どうしたんだい」

「……あの、ね。手を、握ってください」


 口許までシーツを引き上げたエレが、左手をそろりとシーツから出した。僕は「仰せのままに」と少しだけ気取って言葉を返す。左半身を乗り上げるようにしてベッドの縁に腰かけると、エレの指先に絡めるように右手を繋いだ。


 エレの体温が、右手を通じて伝わってくる。


 心もとないランプの灯りの下、エレが瞼を閉じた。


「エルバート様」

「なんだい」

「ふふ、呼んだだけです」


 シーツに隠れたエレの表情からは感情を読み取るのが難しい。それでも楽しそうなのは声の雰囲気から察することはできた。


 エレが小さく「エルバート様」と繰り返す。その度に僕は返事をする。ここに僕がいることを確かめるように、瞼を閉じたまま、エレは僕の名前を呼び続けた。


 エレがまとっていた方のシーツから、彼女の温もりがすっかりなくなってしまった頃、エレのか細い寝息が聞こえてきた。ぎゅっと握られていた指も、段々と弛緩していく。


 僕はエレの寝顔を見ながら、そっと左手で彼女のお腹の辺りに手を当てた。じっと彼女の様子を見つめていれば、呼吸に合わせてゆっくりと胸が上下しているのがよく分かる。

 豊かな胸とは違って、彼女の腰は細いし腹部は薄い。とてもこの中に僕と彼女の子が息づいているなんて信じられない。


 いつからか、子供が生まれれば彼女が生に執着するための未練になるだろうと思っていた。僕の目論見は見事成功を納めたといっても過言ではないはずだ。

 それに嬉しい誤算もある。


 彼女の首にくっきりと浮かび上がる、僕の指の跡を見やる。


 あの時……僕が嫉妬に狂って彼女の首を絞めたあの時。

 オズワルドから我が子を守るために身体を張ろうとした彼女は、僕にその身を委ねた。僕が自分を殺すのなら仕方ないとでも言うように微笑みさえ浮かべて、声にならない声で僕に「愛してる」と言葉にした。


 全身が狂喜に満ち溢れた。

 まるでエレが、僕にだけ彼女を殺す権利をくれたようで。


 今更ながらあの甘美が思い出された。

 僕は恍惚として彼女の首の跡を見つめる。


 自惚れても良いのだろうか。

 エレは、僕を生きる理由にしてくれているのだと。


 だから他の誰に必死に抵抗しようと、彼女は僕に殺されるのなら受け入れるに違いない。逆に言えば、僕だけが彼女を殺しても許されるのなら、僕が彼女に生きていてほしいと思う限り、彼女は二度と自分から死への選択を選ばないのではないだろうか。


 それは義務や罪悪感などではなくて、清らかなほどに純粋な蕩けるように甘い愛情で紐付けされている理由だ。僕にとって、これ以上の喜びはないだろう。


 子が未練になったのはもちろんのこと、僕自身がエレを縛る鎖になれた。これは本当に、嬉しい誤算だった。


 それが分かるまでに、僕の嫉妬やエレの不器用さで遠回りしてしまったわけだけれど……本当に、僕は今日という日が人生で最高に素晴らしい日の一つに数えてもいいと思う。


 どれほど僕はエレの寝顔を見つめていたのだろう。ランプの灯が油をなくしてふと消えた。


 月明かりもカーテンに遮られた真っ暗な部屋で、闇に慣れた僕の目はエレの顔の輪郭を正しく把握した。


 ぎし、とベッドを軋ませて、右手はエレの指と絡めたまま、左手はエレのお腹から離して自らの体重を支える。

 腰を浮かせて、僕は柔らかなエレの唇を啄んだ。甘い、エレの味がする。エレの呼気が僕の肺に入り、血となる。なんて甘美な一時だろう。


「エレ、愛してる」


 ぽつりとこぼした言葉は闇へと吸い込まれる。


 ねぇ、エレ。

 君を殺すのは僕だけだ。君が死ぬときは僕が死ぬとき。

 だからこの先の未来も、末永く僕らは一緒に生きていこう。

 それはきっと、幸せな事だから。






トゥルーエンドまで後一話です。

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