トゥルーエンドを模索する10(side.スーエレン)
胸くそ展開があります。許容できる方のみどうぞ。
フィアーム城へやって来て三日目。
昨日はヤング医師の診察以外に何もなかったのが拍子抜けだと思っていたら、どうやら昨日今日とオズワルドはイガルシヴの皇帝陛下に呼び出されて公務をしに城を開けているらしい。
シンシアと二人でその事実にほっとして、三日目は四日目に起きるであろう救出劇について相談した。とはいっても、シンシアがオズワルドに連れていかれたとして、救出までにどうやって時間を稼ぐかが主な議題になったわけだけど。
延々と話し合って、昼過ぎに昨日みたく私の眠気がピークにきたので仮眠を取らせてもらう。ヤング医師には眠気に下手に抗わない方が良いと言われたので、私はベッドに潜り込んだ。
「ねぇ、スー。お腹触ってもいい?」
「どうぞ」
ベッドで布団を被る前に、シンシアが聞いてきた。許可すると、そっと腫れ物に触るかのような優しい手つきで私のお腹を二、三度撫でる。
「頑張ってここから助からないとね」
「ええ、勿論」
改めて決意したシンシアの言葉を聞いて、私は頷く。シンシアは満足したのか手を引っ込めると、私に布団を被せてくれた。
「おやすみなさい、スー」
「おやすみなさい、シンシア」
明るい部屋で目を瞑るとすぐに眠りに誘われる。
優しく歌を歌うシンシアの声が耳に心地良かった。
私が昼寝をし始めてどれくらい経ったのかは分からない。でも複数の人間の気配と、シンシアの悲鳴が私の意識を持ち上げた。
無理矢理起こされたからか、気分がよくない。目を開けたいのになかなか開けられず、自分でも渋い顔をしているだろうなぁと思っていたら、不意に私の体が持ち上げられた。
驚いたからか、今度はちゃんと目蓋が開いた。
「……ユリエル?」
「おや、起こしてしまいましたか」
私を抱き上げたのはユリエルだった。シルクハットの影になっているけれど、糸目が私を見下ろす。
首を巡らせようとすると、ユリエルが私を横抱きにしたまま体の向きを変えた。
「それではシンシア嬢、また近いうちに」
「やめてよ! やめなさい! スーを連れていかないで! スーじゃなくて私を連れていきなさいよ!」
「おやおや、我が身が可愛くないのですかねぇ。第六皇子の想い人は」
シンシアがユリエルの配下らしき例の人たちに抑えつけられて暴れている。私はその様子に何が起きたのかと思わずユリエルを見上げた。
ユリエルはシンシア嬢の叫びを無視して、部屋を出る。約三日軟禁されていた部屋から出されて、私は戸惑いを隠せない。
「あの、何処へ行かれるのですか」
「花園ですよ。貴女の部屋を用意させましたので、そちらで身支度していただきます」
ユリエルの言葉が一瞬、耳を素通りしていった。
え? はなぞの?
すぐにぼんやりしてるべきじゃないと、素通りしていった言葉を、脳内で反芻する。
ユリエルは花園といった。
花園に、私の部屋を用意すると。
全身から血の気が引いていく。
どうして。
なんで。
何故、私が花園に?
オズワルドは公務で城を空けていたんじゃないの? どうして今? わざわざ早馬で私に部屋を与えるように指示したの?
「お、……オズワルド殿下は、城を空けているんじゃ」
「おや? よくご存じで。先程帰ってこられましたよ。幾つかご報告をした後に、貴女を夜伽の相手に選ばれました」
卒倒しなかった私を誰か誉めて欲しい。
ゲームには無い展開に、おつむの弱い私では思考が空転してしまう。
何故。何故。何故。
どうしてオズワルドは私を夜伽の相手に選んだ!?
そりゃ初日にオズワルドはシンシアより私の方が好みとかふざけたこと抜かしていたけれど、ユリエルが医師に見せるまでは駄目だって……。
……待って、さっきユリエルは「幾つかご報告をした」と言ったよね。言ったよね!? その中にヤング医師の診断は含まれていたの!? いないの!? どっち!?
いやでも含まれていなかったら、ユリエルが止めに入る……? それとも病気ではないからと見逃した……?
何、何なの。
一体私の身にこれから何が起きるの。
不安と、恐怖と、絶望と。
負の感情に押し潰されそうになって、体が震える。自分で自分の体を抱き締めて、お腹の我が子を守るように手で隠して、必死に感情を宥めようとする。
「今殿下は食事中です。その後に湯浴み等々、あちらも準備に時間がかかりそうですから……貴女も軽く食事をしてもらってから、伽の支度をしてもらう事になりそうです」
ユリエルの長い足がよどみなく歩を進める。まるで断頭台へと進んで行くような長い道のりに、私は総毛立つ。
これは途中で逃亡するしかないと、固まっていた全身に酸素を循環させる。大丈夫、この状態ならなんとかユリエルの腕から逃れる事もできるはずだし、散々昼間にシンシアと城の見取り図について予測はしてある……!
ユリエルに頭突きでもして逃げようと決意をした時、「そうそう」とユリエルが面白そうに口元を歪めた。
「逃げるなんて思わないことです。貴女が逃げたら、シンシア嬢が犠牲になるだけですよ」
びくり、と体が震える。
わなわなと唇が震えた。
「卑怯者……!」
「何とでも。私は皇子の言葉を伝言しているだけですからねぇ」
糸目のせいで、何を考えているのか表情が読めない。ギリ……っと奥歯を噛み締める。
まだセロンと結ばれていないシンシアを犠牲に、私一人だけ助かる?
そんな選択肢、私が取れるわけがない。
落ち着くのよ私。
大丈夫、夜伽くらいどうってこと無い。別に処女でもなんでもないんだし、気持ち悪くたってじっとマグロになってればオズワルドも興醒めしてくれるはず。
唯一お腹の子だけが心配だけど……たぶん激しくしなければ一回くらいは問題ないはず。だってここに来る前は毎日のようにエルバート様ときゃっきゃうふふしてたんだから。
うん、大丈夫、大丈夫。
何とかなる。
きっと、何とかする。
じわ、と視界が歪む。
ゲーム知識で予測すれば、救出は明日の夜の予定。きっと今夜じゃまだ何もかもが間に合ってない。それについ今しがたのことだから、救出するきっかけになる噂だって流れてもいないと思う。だから今夜、私に助けは期待できない。
でも明日なら、明日になれば。
たった一夜を我慢すれば、きっと助けに来てくれるはず。
セロンだけじゃなくてシンシアの騎士が全員来ているはずだから、エルバート様だって来ているはず。
ゆらゆらとユリエルに運ばれていく。
私はもう言葉を発する気力もなくて、じっと身を固め続ける。
やがて花園と言われる区域に到達したのか、とある部屋に入れられる。本来居間であるだろう部屋には大きな天蓋付きのベッドが置かれ、その傍らにはチェストが一つ、壁際にはキャビネットが一つだけの、贅沢な広い空間があった。
「右手側の扉が居間になります。左手の扉には水回りが。食事の用意は居間の方にさせてあります。わざわざ貴女のために特別メニューを作らせたのですよ」
私を抱き上げたまま器用に居間へ続く扉を開くユリエル。居間のテーブルには食べやすくカットされた果物が宝石のように飾られている器があった。
「果物なら食べられているという報告があったので。これから寒期に入るというのに、これだけの種類を用意した厨房の者たちに感謝してくださいね」
まさに至れり尽くせりな果物の器に対して、私は忌々しげに睨み付けることしかできない。
私が食べられそうな食事でも食べなかったのは、堕胎薬とかの薬物を入れられるのが怖かったからだ。果物なら下手な加工が出来ないと思っていたけど……甘かった。
宝石のようにつやつやと輝いている瑞々しい果物たち。器で照りかえっているそれらには、何かの蜜がかけられていた。
「……いらないわ。食欲がありませんの」
「毒は入っていませんよ?」
「関係ないわ。食欲がないんだもの」
頑なに食べないと主張する私を椅子に下ろそうとして、ユリエルは何かを思いとどまった。早く下ろしてくれないのかと睨み上げれば、にっこりと笑みを向けられる。
絶対に何か裏がありそうな笑顔に顔をしかめれば、ユリエルは私を抱いたまま……椅子に座る。
「は?」
「少しでも食べていただかないといけませんからね」
そう言って、膝の上に私を置いてユリエルはテーブルのフォークを手に取った。
「どれが良いですか? リンゴ? オレンジ? まだ小さいですがイチゴもありますね」
楽しそうに果物を物色するユリエル。私は口をへの字にして、決して食べてなるものか! と抵抗をする。
「ほら、口を開きなさい」
フォークに刺されたリンゴで唇をノックされる。
私は完全に白けた目をユリエルに向けた。
これがエルバート様なら、私は喜んで食べたのに……。
口を引き結んで食べようとしない私に、ユリエルが「リンゴはお気に召しませんでしたかね」とか白々しく言ってくる。
そうして今度は別のリンゴを突き刺してまた口元に運んできた。……結局リンゴじゃん!
ジロッと睨み付けようとして、ふと気づく。このリンゴ、蜜がかかってないリンゴだ。
「毒は入ってませんよ」
繰り返すユリエルに、これは折れそうにないと悟った私は観念して口を開ける。しゃくりと小さくリンゴを齧った。ちょっとすっぱいリンゴだけど、乾いた口内に瑞々しい果汁がほんのりと広がる。
しゃくしゃくとリンゴを咀嚼し終わったら、次は蜜のかかってないイチゴを発掘して、ユリエルが私の口に入れてくる。むぐむぐと甘酸っぱいイチゴを嚥下して、次はどれにしようかとフォークをさ迷わせているユリエルを睨みあげた。
「……一人で食べれます」
「私も暇なんですから良いじゃないですか」
いや、私ほっといて仕事してくれて構わないのよ? むしろ一人にしてくださいませんかね?
そうは思ってもユリエルはなかなか私もフォークも手放さない。私がユリエルの膝から降りようとすれば、何も刺さってないフォークを眼前に突きつけられて「怪我しますよ?」とか言われる始末。……ユリエル怖すぎでしょう。
大人しく果物を咀嚼しながら、居心地の悪さを緩和するためにもユリエルに質問してみることにした。
「ねぇ、どうして私が夜伽に指名されたんですか。ヤング医師には殿下に控えるよう進言するように言われたんじゃないんですか」
「進言した結果がこれですので」
ユリエルは飄々と答えて、蜜のかかっているリンゴを転がした。
「だったらどうして私が選ばれるのです。駄目と言われたのに」
「皇子だからですよ」
下の方に蜜のかかっていない洋梨がある。ユリエルはとろとろとした洋梨を器用にフォークですくった。
「駄目と言われるほどやりたくなる方ですし、それ以上に皇子は強欲な方なんです」
洋梨を口にいれるけれど、とろりとした果汁がフォークから滴れて、私の唇を濡らした。ユリエルはフォークを一旦テーブルにおくと、私の顎に手を添えて濡れた唇を親指でぬぐう。
「人が執着しているモノほど欲しくなる。この花園にも、恋人や婚約者がいながら召し上げられた女性がどれほどいるか」
私の唇をぬぐった指は、そろりと顎を通り、首を通り、胸を通り、へその辺りで止まる。くるりと円を描くように腹部を撫でられて。
「貴女の胎内には他人が執着した証がある。皇子はこの状態の貴女を征服したいだけですよ」
ゾッとした。
血の気が引いて、肌が粟立つ。
私が、エルバート様の子を孕んでいるから夜伽の相手に指名したというの?
狂っている。頭がおかしい。オズワルドという人間は、常識も何も通じない相手だということを今更ながらに理解した。
「ですので、貴女の食事には毒なんて入っておりません」
そう言って、蜜のかかったオレンジを差し出してくるユリエル。
蜜が唇に触れた瞬間、思い切り顔をそらした。手で口を覆う。
吐き気がした。
どこまでも強欲なオズワルドにも。
笑ってそれを許容するユリエルにも。
そして一瞬でもシンシアを見捨てて自分だけが助かりたいと思ってしまった私自身にも。
必死にせり上がってくる胃液を飲み込んでいれば、居間の扉がノックされて「入浴の支度が整いました」という声が聞こえた。
ユリエルは私を見下ろしてにっこりと笑う。
「食事はここまでですね。湯浴みでゆっくりすると良いでしょう」
ユリエルの笑顔が私を絶望に突き落とす。
絶望へのカウントダウンは、すぐそこだ。




