トゥルーエンドを模索する6(side.エルバート)
シンシア嬢との婚姻許可、そしてイガルシヴ皇国第六皇子としてアーシラ王国の騎士団の一部を借り受ける許可を取り付けたセロンと共に騎士団へと戻る。
王宮は広しといえど、騎士団は王宮の敷地内にある。騎士団へと続く歩道を黙々歩いていると、とうとう我慢ができなくなったらしいチェルノが「ちょっと待て」と呼び掛けてきた。
セロンと今後の算段を話し合いながら歩いていた僕が足を止めたので、セロンも足を止めた。
「チェルノ、今は一刻を争う。手短にしてくれ」
「おう。セロンさん、殴らせろ」
それは唐突だった。言うや否か、チェルノがセロンに殴りかかる。
僕が止めるよりも早く、セロンが思わずといった体でチェルノの拳を片手で受け止めた。
アイザックと共に息を止めて二人を見る。
突然のチェルノの暴挙に、ハッと我に帰ったアイザックがチェルノを止めるために彼らの間に割って入る。僕はそれを一歩下がったところで傍観することにした。
「ちょ、チェルノ先輩、何してるんですかっ!」
「どけアイザック、俺は一発殴らないと気がすまない」
ギリ、と歯を食いしばるチェルノの気迫にアイザックは一瞬怯んだ。家位的にはアイザックの方が上だけれど、兄貴分的なチェルノにアイザックは実力行使に打って出ることができない。
殴られそうになっていたセロンはチェルノの手を離すと、アイザックに好きにさせておけと視線で制した。でもそれに気づかないアイザックは二人の間でおろおろとしている。
「チェルノ先輩、今は仲間割れしている場合じゃないんです!」
「知っている。だが、セロンさんの卑怯っぷりには我慢ならねぇ!」
獣のような咆哮をあげて、チェルノは憎々しげにセロンを睨み付けた。薄々、いつかはこうなる予感はしていたけれど、やっぱりこうなるか……。
「シンシアが王族になる覚悟もねぇのに勝手に公表を決めるだけじゃなく、結婚まで決めやがって……! しかも隣国の皇子だとか、シンシアがそんな重荷背負えると思ってんのか!?」
「背負える背負えないじゃない。シンシアが王族である限り、遅かれ早かれ訪れたことだ。それを俺にしてもらっただけのこと」
「それが気に食わねぇんだよ! なんでセロンさんと結婚までする必要がある! 俺だって、俺だって……!」
ぐしゃりと顔を歪めて、チェルノは声にならない叫びを上げる。その先は、言わずもがな。普段の彼の様子を見ていれば、容易に想像ができた。
それまでおろおろしていたアイザックも、瞳を揺らしながらセロンを見上げた。僕らの中でも最年少でありながら背筋を伸ばしてセロンに真っ向から視線を向ける姿勢に、芯の強さがうかがえる。
「僕も、知りたいです。どうして公表だけじゃ駄目なんですか……セロン先輩とわざわざ結婚する必要なんて無いのではないですか」
ぐっと拳を握りしめるアイザックには、年相応の懸命さがある。激情のままに行動しようとしたチェルノは相変わらずセロンを睨み付けていた。
対称的な二人だけれど、シンシア嬢を想う気持ちは同じ……か。
僕もセロンに視線を向ける。まぁ、セロンの心境も分からなくはないけれど。でもそれは僕が代弁することではない。
セロンもそれが分かっているからか、チェルノとアイザックに自分の言葉で語りかけた。
「二人の想いは心得ている。お前たちにはすまないと思ったが……でもこれは、俺の最初で最後の求婚になるから許してくれ」
皮肉げに笑ってみせたセロンに、チェルノがぐっと眉をしかめた。
「どういうこだよ」
「そのままの意味だ。俺が第六皇子として隣国に行けば道は二つしかない。兄に負け死ぬか、兄に勝ち生きるか」
セロンはまっすぐにチェルノとアイザックを見返す。
「兄に負けたらこの想いをシンシア嬢に伝えることは叶わないだろう。兄に勝ち生き延びたとして、俺は国を守る国王となる。そうなったとき、婚約者のいない俺は国内の基盤を整えるために国内の貴族の娘があてがわれる」
「だったらわざわざシンシアに求婚なんか───」
「愛しているんだ」
ずばりと、セロンが言葉を形にする。
それまでずっとシンシアに対して何も態度を示さなかった、あのセロンが。
愛していると、まっすぐに答えた。
「だからこれは俺の最初で最後の我が儘だ。陛下には婚姻許可しか貰わなかった。求婚して、断られたときは潔く諦める。セロン・バステードでは掴めなかったこの権利を、捨てようとしていた第六皇子としての肩書きで得られたのは皮肉だったが……」
セロンは笑んだ。いつもの憮然とした表情からはわからない、作り物めいたものではない優しげな表情。先ほど陛下の前でみせた毅然とした表情とも違う。
心底何かを想う、そんな笑み。
僕にも非常に身に覚えのある表情だ。
「たった一度の機会だ。それを逃さず利用して何が悪い。チェルノ、アイザック。シンシア嬢に愛を囁くのは自由だ。だがお前たちだけじゃない。今回ばかりは俺も手加減しない。彼女を得るために、兄を打ち取る覚悟も、国の頂きに立つ覚悟も、俺は決めた」
強い意思が宿るセロンの深い森のような碧眼に吸い込まれそうになる。さらりと彼の黒髪が風に凪いだ。
彼の気迫は騎士のような裂帛の気合いのようなものではく、静かに泰然として構える王族の気風のようなものがあった。少なくともここ十年ほどはアーシラ王国の騎士爵を賜っているバステード家に引き取られていたはずだから、王族の感覚は薄れていると思っていたけど……。
セロンは生粋の王族だ。
騎士なんかで留まる存在じゃない。
僕と同じことを思ったんだろう、悔しそうに顔を歪めたチェルノがセロンの横を通りすぎた。
「せ、先輩!」
「アイザックさっさとこい! シンシア助けるんだろう!」
「え、あ、はい。勿論です……!」
アイザックが慌てたようにチェルノの後ろについていく。アイザックが追い付くのを見計らって、チェルノはセロンに、言い放った。
「ボケッとしてんな! 元々セロンさんが巻いた種なんだろ! シンシアの泣く顔は見たくないし、俺は俺のためにシンシアを助ける。当然、セロンさんには何がなんでも生き延びてもらうからな。んでもってシンシアにフラれちまえ」
「ちょ、チェルノ先輩」
「ふん、卑怯者には丁度いいだろ」
ずんずん歩いていくチェルノと追いかけるアイザック。その姿に僕は思わず吹き出してしまった。
それまで傍観していた僕がようやく見せた反応が気にくわなかったのか、胡乱な目でセロンが見てくる。元々、口数の多いタイプじゃない。視線が雄弁に「何故笑う」と物語っている。
僕はひとしきり笑うと、やれやれと肩をすくめた。
「チェルノなりのけじめなんだろう。まぁでもこの段階で色恋沙汰を持ち込まれて拗れるよりはいいじゃないか」
セロンが大きく溜め息をつく。納得しているような、理解しかねるような。
チェルノも分かってはいるんだと思う。
あれほど毎日愛を囁いても振り向かないシンシア嬢の視線が、常にセロンを追いかけていることを。
その上実はセロンもシンシア嬢の事を好いていた事が分かり、二人が両思いだったと判明した。ただでさえ勝ち目が無さそうなところに、自分が越えられない身分差ですら越えてしまったセロンを認めたくないのは当然だろう。アイザックもたぶん、言わないだけで似たようなことは思っているはずだ。
最終的にどこに収まるのかは分からないが、今のところ今後の作戦に悪影響を及ぼすことは考えられないだろうから放っておいても問題ないはずだ。チェルノもアイザックも、最優先事項はシンシア嬢の安全には違いないのだから。
事が丸く収まった後に、一騒動ある気はするが……まぁエレを愛している僕には関係ない話。
渋面になってチェルノとアイザックの後ろ姿を見ているセロンに、僕は「そういえば」と声をかけた。
「なんだ。時間がないから手短にしてくれ」
「それなら遠慮なく」
僕は笑顔のままで右手を握りしめ、ストレートにセロンの腹を殴った。
「ぐ……ッ!?」
「エレを守れなかった事、夫として到底許せるものじゃないからね。チェルノもああやってけじめをつけていたし、僕もけじめをつけておこうかと」
「……だからって、本気で殴らずとも」
「手加減したら僕の怒りはおさまらない」
ただでさえ渋面になっていたセロンが、ますます渋い顔になっている。
まったくチェルノも甘い。本気で殴りたかったのならセロン相手に殺気を飛ばすのは愚策でしかないし、顔を狙うのも条件反射で動いてしまうに決まってるじゃないか。鍛練が足りないな。まぁ、まだ若い方だから仕方ないか。
僕のストレートパンチは見事に鳩尾に入ったようで、セロンは苦しそうに腹を抱えている。これでも気絶はしないように手加減はしたんだから、大袈裟だ。
「ほら、行くよ。エレを……シンシア嬢を助けなくては」
「……ああ」
僕はセロンから視線をはずし、チェルノとアイザックを追いかけるように歩きだした。無駄な時間を食ってしまったが、早く、エレを助け出さないと。
エレが泣かないように。
エレが誰かのために犠牲にならないように。
エレが、自分を捨てることがないように。
先に着いたチェルノが騎士団で詳細を話していてくれたのか、僕とセロンが追い付いた頃には騎士団長にまで話が通っていた。
そして陛下の命令通りに僕らシンシアの騎士が筆頭となって一部隊を率いることになる。シンシア嬢の公表はされる予定だけれど、大々的に隣国に攻めいる事は出来ない。秘密裏に動けるように十人という少人数での任務遂行が求められた。
セロン曰く、現地で反第二皇子派に協力を仰ぐらしい。そのための伝は、バステード家が用意してくれていたとも。
いつかこんな日が来るのではと思われていたかのようなバステード家の手際の良さに僕は舌を巻いた。
これはやっぱり起こるべくして起きたことなのかもしれない。それにエレが巻き込まれたというのは納得がいかないけれど。
準備を整えてもらう間に、任務に行く人間は仮眠を取る事になった。
騎士団の仮眠室で横になるけれど、なかなか寝つけない。
どうしてだろうかと考えて、腕の中に常に感じていたエレのぬくもりがないからだと気がついた。
体を横にして、居もしないエレを抱きしめる。
腕は、何もない空間を抱きしめた。




