トゥルーエンドを模索する5(side.エルバート)
顔を真っ青にして騎士団に来たセロンに、誰もが不審に思ったのは間違いなかった。
いったいどうしたのかと遠巻きに見ている騎士達を素通りし、鍛練を終えて休憩でもしようとしていた僕の方へとまっすぐに歩いてくる。
「どうしたんだい? 交代にはまだ早い時間だろう?」
「───すまない」
セロンはギリッと歯を食いしばって僕に謝ってきた。
その様子に何だか嫌な予感がして、鍛練を切り上げて誰にも聞かれないように場所を変える。
鍛練場の隅にある備品倉庫の裏手にまで移動して、セロンに向き合った。
「何があった。今日はエレを連れて出掛けていたはずだろう」
「そうだ」
何かを言いあぐねながらも淡々と頷くセロンに、僕の焦燥は募っていく。
「それならどうして君がここにいるんだ。チェルノとの交代にはまだ早いだろう」
「すまない、本当に、すまない……!」
震える声で謝ってくるセロン。
常に冷静で物事の遠くを見通すセロンがこんな風になるなんて意外で、それ以上に異常だ。
「ゆっくりでいい。ちゃんと話してくれ」
「すまない、俺のせいで、シンシア嬢とお前の奥方を、巻き込んでしまった……」
「どういうことだ」
セロンの言葉に顔が険しくなる。セロンのせいで、エレとシンシア嬢が、巻き込まれた?
「昼に夫人が体調を崩した」
「っ、エレは大丈夫なのか!?」
思わずガッとセロンの肩を掴んでしまう。
エレが体調を崩した!?
今朝は元気そうにしていたと思っていたけれど、最近の様子を見ていた限りやっぱり何らかの病気だったのかもしれない……!
エレのことだ。あれだけ楽しみにしていたのなら体調をおしてでも出掛けようとするのは想像に難くない。ああ、顔色が良かったからと甘く見ていた……!
「すまないエルバート。確かにそれも重要だが、俺が言いたいのはそれじゃない」
さっきまでこの世の終わりだと思うくらいに絶望的な表情をしていたセロンが、冷静に切り返してくる。
エレの体調が悪いこと以外に重要なことでもあるのか!?
あっさりと僕の言葉をたしなめてくるセロンに憤りながらも、いつもの調子に戻ったらしいセロンが長々と深いため息をついた。
「端的にいう。シンシア嬢とお前の奥方が連れ去られた。敵は、隣国イガルシヴ皇国」
一瞬、セロンが何を言ったのかが分からなくて思考が空ぶりかけた。
エレが、連れ去られた?
それも、隣国イガルシヴ皇国に?
落ち着け、冷静になれ。エレとイガルシヴ皇国の接点なんてないはずだ。それ以上にシンシア嬢にも。いや、イガルシヴ皇国がシンシア嬢がこの国の王女だと知られたから?
今あの国は皇位争いが激化しているの聞く。第二皇子が覇権を握り、他の皇子皇女を虐殺しているという。国王代理として第二皇子が執る恐怖政治に堪えかねた重鎮たちは、行方不明の第六皇子を秘密裏に探しているというのは専ら社交界での噂だ。
無理矢理だろうとなんだろうと、このアーシラ王国の王女であるシンシア嬢をてごめにして第二皇子はその地位を確固たるものにしようとしているのか……。だが、シンシア嬢はまだ御披露目もされていない。そんな娘を連れていってもこちらが「人違いだ」と否定して切り捨ててしまえばそれの意味もなくなる。
なんのつもりで、イガルシヴ皇国はシンシア嬢を連れ去った?
そして何より、エレまで。
それこそシンシア嬢以上にエレがイガルシヴ皇国に連れ去られる理由がわからない。
「……どうして連れ去ったのがイガルシヴ皇国だと思ったんだ?」
セロンの肩は掴んだままで、その表情を見据える。
セロンは顔に片手を充てて、もう一度特大の溜め息をついた。
「イガルシヴの知り合いがいた。いつかこうなる事は分かっていたはずなのに、俺はシンシアから離れられなかった……離れるべきだったのに」
ふと、シンシア嬢の騎士を選抜するとき、セロンが最も渋っていたことを思い出す。二度ほど言い聞かせれば素直に頷いたから、ただのものぐさかと思っていたけれど……セロンは僕らに何かを隠している。
「……セロンのせいというのは」
それにさっき、セロンははっきりとそう口にした。自分のせいだと。自分が巻き込んだと。
セロンは一瞬、躊躇いを見せた。何事にも動じずに構えている彼にしては珍しい態度だ。自分の力及ばず護衛対象をみすみす連れ去られたことに動揺していることが伝わってくるけれど……それだけじゃない気がする。
躊躇いをみせたセロンだけれど、すぐに決意の表情を見せる。
「それも含めて話す。だから力を貸してほしい」
「それは当然だ。護衛対象だけならず、僕の可愛い奥さんまでいるんだ。ほうっておけない」
当然の要求に、僕は即座にうなずいた。
少しだけ安堵したようなセロンが、表情を引き締め直す。
「それじゃすまないが、陛下へと取り次ぎを頼みたい」
「はぁ?」
セロンの要求に、思わず間の抜けた声が出る。
なんでそこで陛下への取り次ぎ?
「シンシア嬢の騎士は何かあった時のために直接の謁見権を持っている。このまま王宮へ行っても問題ない」
困惑を隠せずにそう言えば、セロンは「それじゃ駄目だ」と首を振る。
訝しげにセロンを見れば、彼はとんでもない爆弾を落っことしてくれた。
「騎士のセロン・バステードではなく、イガルシヴ皇国第六皇子セロン・オブリー・イガルシヴとして謁見がしたい」
セロンの要求からすぐに、現リッケンバッカー家当主である父の手も借りて陛下への謁見を取り次いだ。
事は一刻を争う。すぐに登城が許されて、僕とセロン、それからチェルノとアイザックの四人が呼び出された。
チェルノとアイザックにはかいつまんでエレとシンシア嬢の事は話してある。セロンのことも、セロン自身が話した。
陛下にいったいどんな話を持ちかけるのかは知らないが、シンシア嬢の騎士として騎士服に身を包んだセロンの出で立ちは堂に入り過ぎていて、どこからどう見ても僕と同じ一介の騎士にしか見えない。
「セロン・バステード様とシンシア嬢の騎士三名がいらっしゃいました」
案内人の声で部屋に通される。事は大事に出来ないという陛下のご判断から、通されたのは執務室だ。
荘厳ながらも使いやすく整えられた陛下の執務室は、綺麗に整っていた。唯一、書類が散乱している執務机さえ除けば。
「よく来た。執務室故もてなしも出来ないが、必要以上に肩肘張らなくともよい。人払いもさせてある」
「ご配慮ありがたく存じます」
陛下の前だというのにいつもの調子を崩さないセロン。一歩下がって僕と並んでいるチェルノとアイザックに目を向けるけれど、二人は緊張ゆえか顔がこわばってしまっている。男爵家であるチェルノはともかく、伯爵家次男のアイザックは度々登城する機会もあるのに大丈夫だろうか。
「それで、余に話したいこととは何だ」
時間もない。単刀直入に陛下は尋ねた。
セロンはこくりと頷くと、まず僕にしたようにシンシア嬢が連れ去られた経緯を話した。その上で、その原因が自分にあると主張する。
「今回、シンシア嬢が拐われたのはアーシラ王国の王女としてではありません。おそらく私に対する餌としてでしょう」
「王女としてではないなら、どうしてシンシアが連れ去られる。そもそもお前のような一介の騎士が何故イガルシヴと繋がっている?」
陛下の厳しい追求に、執務室内の温度が下がった気がした。
実は謁見の申し込みの際に、セロンが身分を隠した高位の人間であった事しか伝えていない。かなり重要な話だから、他に漏れても良いものかと考えあぐねたからだ。
氷点下にまで下がった室内でもセロンはひたと陛下を見据える。
その立ち姿はただの騎士ではなく───王族の気風というものが垣間見えて。
「申し遅れました。私はセロン・バステード改め、セロン・オブリー・イガルシヴと申します」
優雅に礼をするセロンに、陛下は嘆息した。
「お前が……」
「身分を偽っていて申し訳ありません」
「いや、予想はしていたことだ」
かぶりを振る陛下は確かに予想できてはいたのだろう。僕やチェルノ、アイザックの時ほどの驚愕は見てとれない。むしろ、そう返されたセロンの方が驚いているくらいだ。
「何も驚くことはない。余は国王。隣国の失踪した皇子の名と時期くらい知っておる。そしてお主がバステード家に引き取られた時期、そしてイガルシヴ皇国に特徴的な黒髪と緑の目。むしろよくこれまでイガルシヴの魔の手から逃れられたものだな」
皮肉のように言う陛下に、なるほどと思う。
確かに経歴を詐称したとしても、名前やセロンの髪色から関連付けるのは容易い。それこそ王女たるシンシア嬢に付けるにあたって徹底して僕らの経歴を洗ったのだろう。
苦笑しながらセロンは説明する。
「素性を徹底して隠さなかったのはバステード家の母と父の意向です。いざというとき、私がこの国に保護を求められるようにと」
「ほう。それでお前は我が娘を見殺しにし、のこのこと余に保護を求めに来たと?」
陛下の鋭い視線がセロンを射抜く。
騎士団長の威圧にも匹敵するその視線に僕ら三人身構えそうになるが、なんとか堪える。ここで剣を抜いたら不敬どころではすまされない。むしろ陛下よくそんな威圧が出せるな……!?
僕らがぐっと耐えている間も、セロンは堂々と陛下の威圧を真正面から受け止めている。さすがセロンといったところか……彼の忍耐力は侮れない。
この場にいる誰もが固唾を飲んで、セロンの一言を待った。
セロンはまっすぐに陛下を見返す。
「私からお願いしたいのは二つです。一つは今すぐにでもシンシア嬢の公表を」
思いもよらない願いに眉をひそめたのは陛下だけではなかった。僕ら騎士も訝しげにセロンを見やる。
「……それは良い。何れは考えていたことだ。して、もう一つとは」
陛下の問いに、セロンは僕が今まで見たこともないほど毅然とした表情をした。
「───イガルシヴ皇国第六皇子である私と、シンシア嬢の婚姻許可を頂きたい」
騎士ではなく、皇子として、一人の男として、こうもセロンは熱量のある男だと、僕は初めて知った。




