手料理で悩殺する4(side.エルバート)
翌日、交代のためにやって来たセロンと入れ代わりで騎士団へと赴く。ささっと報告して、雑務を高速処理して帰ろうとしたところに、何故か騎士団にいたチェルノから声をかけられた。
「おーい、エルバートさ~ん。これ、仕事な?」
ほい、と書類を渡される。数十枚からなるそれは、騎士団内部からの陳情書や嘆願書だ。パラパラとめくると、備品の買い換えのための事前調査や鍛練の手合わせ依頼等々。明らかな雑務の類いに眉をひそめる。
「何故僕が? これは見習いに回す書類だし、こっちの鍛練の奴は暇な人間をあてがえばいいじゃないか」
「今手の空いている見習いがいねぇんだよ。見習いとはいえ騎士の卵だ。鍛練の時間を減らしてまで雑務はさせられないって団長が言っていた」
「だからって僕に回さなくてもいいだろう。君やアイザックがやればいいじゃないか。どうせ暇をもて余してシンシア嬢の花屋に来るだけだろう」
「それ、そのまんまそっくり返すわ。あんたもどうせ帰って奥方といちゃつくだけだろ」
チェルノの癖に生意気だ……。
それにしたって仕事を回すのなら今日じゃなくても良いのに。どうして今日に限って僕へと仕事を回してくるのか……流石にシンシア嬢の護衛にかこつけて鍛練もサボってエレを可愛がっていたのがバレてしまったのかもしれない。
団長からの指示と言われたら引き受けるしかない。渋々と書類を受け取って、粛々と雑務を消化していく。
久々にまともに騎士団の人員と顔を合わせれば、調度良いとばかりにその後も何人かの騎士に足止めされて、自分の仕事は終わっているはずなのに残業させられる。
僕は早く帰ってエレに会いたいのに。
苛々が募り、もう月も出始めたという時間になってようやく解放される。チェルノがちょろちょろと僕の周りを動いていたのをみると、恐らくこの足止めはシンシア嬢の指示だったのかと深読みしてしまうくらいには苛立ちが募っていた。昨日のシンシア嬢の言い方からして、あながち間違っていない気もしてくる。
そんなに僕からエレを横取りして楽しいのかシンシア嬢。
これは一度真摯に話し合いをしなければならないと計画を立てつつ、家路を急ぐ。
すると、どうしたことだろう。
「おかえりなさいませ、エルバート様」
勇み足で玄関ポーチの僅か三段の階段を踏み外しそうになりながらも玄関をくぐれば、エレが光沢のあるグレーの布地に金糸の刺繍を施したドレスを纏って出迎えてくれた。
晩餐会用に仕立てていたと言うそれは、布地を僕の銀髪に見立て、僕の瞳の色で飾ったものだ。注文の際に、行く予定もないのに晩餐会用のドレスを? と思ったけれど……僕の配色だと注文書を見て絆されてしまい、すぐに許可を出した記憶があるドレス。
僕の色を身に纏ったエレはここ最近で一番可愛い。
あれだけ急いていた気持ちも凪いでしまい、心が穏やかになる。もしかしたらエレには癒しの香のように、そこにいるだけで気分が落ち着く何かを発しているのかもしれない。
装って出迎えていたエレをじっくりと見ていたいけれど、じっとしていたままではいけない。本能から無意識の内にするりと体が動いて、彼女の右手をすくいとる。
「今日は一段と可愛いね。僕のために着飾ってくれたのかい? でも困ったな、愚鈍な僕は今日に限って美しく着飾った君に似合う花束の用意は出来ていないんだ」
ちゅ、と指先に口付けると、ほんのり頬を赤らめたエレがふるふると首を振った。
「花束は不要です。今日は私からエルバート様に贈り物をするんですから」
予想外のエレの言葉に、僕は目を丸くする。
エレから僕に、贈り物?
早く早くと言わんばかりに上目遣いに僕の袖を引くエレ。何だこの可愛い生き物は。
今すぐにでも拐って寝室へと直行したいけれど、ぐっと我慢してエレの先導のもと、食堂へと向かう。
食堂へと入ると、料理が既に並べられていた。
エレが手のひらを料理へと向けて、ちょっとだけ得意気に教えてくれる。
「コックのようなコース料理は難しかったので……給仕をしてもらうほどの品数もありませんから、このようにしました。お気に召していただけるといいんですけど」
この口ぶり……もしかして。
「エレが、作ってくれたのかい?」
「はい、そうです」
悪戯が成功した子供のように無邪気に笑うエレ。ふふふと笑って僕を席に座らせながら、この素敵な贈り物の所以を教えてくれる。
「今年はハンカチの刺繍をしている時間が取れなくて……シンシアに相談したところ、手料理はどうかと提案されたんです。この世界で生を受けてから料理なんて作ったことがなくて不安でしたが、シンシアにも手伝ってもらって作ったんですよ」
エレの言い回しに何か引っかかるものがあったけれど……刺繍入りのハンカチで思い出す。そうか、もしかしてこの晩餐は―――
「少し早いですが、エルバート様、お誕生日おめでとうございます」
女神のように微笑むエレは、いつにも増して美しく見えた。
エレが、僕のために、贈り物を手ずから用意してくれた。
本当に慣れない事をしていたのだろう。よくよく見れば、エレの左手の中指と親指に包帯が小さく巻かれている。怪我までして、僕のためにこの料理を作ってくれたのか。
今までみたいな、可愛い、愛しいという感情だけじゃなくて、心臓を握られたような痛みが胸に走り、思わず左胸を掴んでしまう。
「エルバート様?」
エレが心配そうに後ろから僕の顔をのぞきこんだ。
ふわりと蜂蜜色の横髪が揺れる。口紅のようにしっとりと赤い瞳が、僕を見つめている。
「……胸が、いたい」
「え?」
それは大変とおろおろしだすエレの腕を引いて、抱き込む。
あぁ、駄目だ、これは、この感情は抑えられる気がしない。
言葉なんかで伝わる気がしない。
「嬉しいよ、エレ。大好きだ、愛してる。ありがとう」
「エルバート様、そんな事言ってる場合じゃ! お、お医者様を呼ばないと!」
どんなに言葉を連ねても足りないことに思い至り、結果、安っぽい言葉しか浮かばない。
エレは僕の膝の上で「こんなことしている場合じゃないでしょう」と視線をあちこちに向けている。たぶん誰か人を呼ぼうとしているのだろうけれど……今この瞬間だけは僕だけを見つめていて欲しい。
腰を抱いて、エレの顎に手をかける。うっすらと化粧をしているエレの唇には、彼女の瞳と同じ色の口紅が引かれている。
エレの手料理を味わう前に、前菜へと口付けた。
エレがびくっと一瞬震えたけれど、おずおずと僕に応えて唇を合わせてくれる。
しばらく唇を合わせて、エレを味わう。
エレは温かくて、柔らかくて、とても甘い。前菜にしては甘過ぎるそれは早だしされたデザートだ。
エレの体からくたりと力が抜けた所で、胸に大切に彼女を抱いた。ああ、幸せすぎて今にも蕩けてしまいそう。
「うん、治った。エレは薬にもなるんだね」
「え」
恥ずかしそうにもぞもぞしていたエレがはたと止まる。それから僕を見上げつつ、ぐぐぐっと首を横に倒した。可愛い。
「か、からかったんですか」
「どうかな。痛かったのは本当だけど、気にすることもないのも本当だ」
釈然としないエレに、僕は笑いながら食事をしようと促した。
腕をほどいてあげるけど、動かず僕を心配するべきか叱るべきか迷っているエレを見ていると、ついつい悪戯心が沸いてきてしまう。
「それとも、食べさせあうかい?」
「け、結構です! 自分で食べられます!」
ボッと赤くなるエレの目尻にキスを落とせば、さっと彼女は僕から離れていく。朝、エレが起き上がるのももつらいときは僕が食べさせてあげているのに恥ずかしいなんて、やっぱりエレは可愛い。
食事をしながら、今感じる幸福感を噛み締める。
エレが僕の事を心配してくれるのが嬉しい。
エレが僕のために慣れない料理を作ってくれたのが嬉しい。
この胸の痛みはきっと、僕に寄り添おうとしてくれるエレに僕が恋をしたからだ。幼い頃に初めて見た神秘的な君なんかじゃなくて、僕の隣で歩もうとしてくれる等身大の君に、僕はもう一度恋をした。
君に二度も恋ができるなんて、僕はなんて贅沢者なんだろう。
幸せを噛み締める横で、昨日シンシア嬢に言われた言葉を思い出す。
ごめんよシンシア嬢。君の忠告は無駄に終わりそうだ。
今夜はエレの未練になるためじゃなくて、僕がエレを可愛がりたいからね。
次回「死にたくない悪役令嬢はトゥルーエンドを模索する」
ちょっと長めのお話になる予定です。




