異世界で日本食を考える際、その土地での伝統や風習を考慮した方が良いのかもしれない
前回、中世風異世界で卵かけご飯が危険なのかを勝手に考察しました。
その際、読者の方から感想が寄せられ、卵の生食は危険だとのご指摘を受けました。
何事にもリスクはつきもので、当然卵の生食にもリスクがあります。
清潔な環境で育てている日本の卵でも、サルモネラの危険はいくらかは残っている(市場の卵を調査した所、0.3%くらいは汚染されている結果があります)からです。
大事なのはそのリスクをどう捉えるのか、でしょう。
日本では年間4400人近くの方が交通事故で死亡しています。
事故後30日以内の死亡者数ですので、24時間だと約3700人です。
日本の人口は1億2600万人ですので、外に出て事故で亡くなる確率はかなり低いと言えるでしょう。
しかし、もしも事故を起こして人を傷つけた時の事を考えれば保険に入るのが普通です。
交通死亡事故は少なくても、事故その物はもっと多いからです。
事故を起こして大変な事態に陥るリスクを考えれば、前もって備えるのがリスク管理です。
通勤に車を使うなら保険加入は必須ですしね。
しかし、死亡事故に遭うかもしれない、怪我をするかもしれない、人を傷つけてしまうかもと過度に恐れれば、外に出る事すら出来なくなります。
リスクはリスクとして考慮すべきですが、リスクを恐れすぎては何もできなくなります。
話に戻ります。
その土地で何が危険なのかは、その土地の住民が一番理解しているのではないでしょうか。
つまり、余所者が前世?の知識を得意げに披露するのは悪手になり得る、と。
異世界の自然環境も地球環境に準拠すると考えれば、中世レベルの世界では食料危機が何度も起こっている事でしょう。
魔法によって雨を降らせる事が出来るとか、自然を操作出来る因子があればその限りではありませんが、なければ不作が訪れている筈です。
その際、口に出来る物は何でも試しているのではないでしょうか。
日本で言えば蘇鉄です。
蘇鉄には全植物体に毒があるのですが、植物体に含まれるデンプンを、毒抜きをする事によって食用に使うそうです。
多分色々な方法を試した結果ようやく見つけたのだと思いますが、常識的に考えれば平時にそんな挑戦をする筈が無いと思います。
食料に困り、食えそうなモノをどうにかして食おうとした結果だと思うのです。
それは逆に、食べない物には理由があるのだと。
異世界人が生の卵を食べないのなら、それは何かの理由がある筈です。
危険だからという経験かもしれません。
宗教的なモノかもしれない。
アレルギーの可能性もあります。
様々な理由が考えられますが、一つ言えるのは、そこの人達が何の理由もなくそれを選んでいる訳では無い筈だという事です。
比較的最近に入って来た物とか、そういう場合は除きますよ。
ですから、異世界人が卵を生で食べないのに、日本では生の卵を食べていたからといって挑戦するのは、実は危険な行為かもしれません。
逆に、肉などを生で食べる地域では、その方法も確立している。
例えば馬です。
日本では馬刺し、西洋でも馬肉をタルタルステーキにして食べるそうですが、香辛料を使って微生物の繁殖を防いだりしています。
それは魚の刺身でも同じですね。
魚の切り身という単純な料理に見えても、その裏には長年の知恵が宿っていたりするのです。
それはつまり中世レベルの文明であれ、そこに住む人はそこで採れた物の安全な食べ方を知っているという事です。
軽々しくそれを破るのは考え物でしょう。
十分に考慮した結果破るのならば、それはそれで尊重すべき挑戦ですが。
結論として、異世界人を馬鹿設定にするのはどうなのか、ですかね・・・
アボリジニといった所謂未開な部族であっても、彼らの有する知恵には深いモノがありますよ。
特に、その地で採れる食べ物への知識は膨大なモノですよ。
そうでなければ生き残れなかったのですから。
ああ、でも転移の場合、異世界人には平気なのに地球人には毒な場合もありますね。
その逆もしかりですが・・・
表面上は単純に見える物の裏に、実は膨大な知恵が詰まっている事はよくあります。
素朴に見えて複雑な細工が施されていたり、様々な工程を経てやっと実現したモノであるとかです。
中世風の文明であれ、技術、伝統には敬意を持って接したい所です。
深い洞察が含まれているのかもしれませんから。