感情の獲得と戦闘制限の解除
血で黒く染まったコメルシアの大通りを、テラは駆けていく。
足に搭載された加速装置によって速度は飛躍的に上昇し、街の北部・最南端まであと少し、というところまでたどり着いていた。
大通り周辺にある建物は軒並み破壊し尽くされ、至る所で火が上がり、所々に死体が放置されたままとなっている。人の形を保っている死体はまだ良い方であり、ほとんどの死体は人と判別することが難しいほど損壊が激しかった。
普段であればこの場所は様々な人種が行き交う活気ある商店路であり、往来が激しく揉め事が多かった。他愛のないやり取り。零れる笑顔。時に起こる喧嘩、殴り合い。それらが全て、平和だったからこその光景だったのだと思い知る。
過去の情景を全て、振り払うように走り抜けながら、道中にいる全ての暴走人形を排除して進んでいく。胸の辺りがひどく騒がしくて、気持ち悪かった。
早く、アルティに会いたい。他のことに目を向けてしまう前に、気づいてしまう前に、その声を聞きたい。まだ見れていない笑顔を一番近くで見ていたい。そうすれば、この気持ち悪さが消える、気がした。
アルティの足跡・体格から計算した歩幅や身体能力のデータを組み合わせ、現在地のおおよその位置を知ることには成功している。あとは、その周辺を索敵装置で検索すれば見つかるはずだった。
しかし、計算は崩れ去る。
アルティを求めて進んでいく道の先。街の東西から繋がる大通りへと延びる小さな通り。その合流地点へと、暴走人形が列を成して現れる。
数は先ほど巨兵士の周りに群れていたのと同数か、それ以上の大群。加えて先頭には指揮を執るかのように3体の戦闘人形が。
『腕刀』は《滅却光彩》を放った影響で強制冷却モードに入り、使用できない。無理に使用すれば暴走状態に陥り、コメルシアを消し飛ばしかねない。
以前暴走状態に陥った時には、知人の介入で事なきを得たが、今知人は近くにいない。いたとしても近寄らせない。また同じ状態直前にまで陥っていると知れば、この場で腹を抱えて爆笑しかねない。
(おいおい……。ほとんど機械のくせして学ぶって言葉を知らないのか??はっはぁ!!間抜けとしか言いようがないっ、愚かかよ!!)
思い出すだけでイラついてしまうので、想像の中でぶん殴って彼方へ吹っ飛ばした。
「……使えないのなら、別の武装を使用するだけだ。……武装ーー『風切り羽』。同時展開、防装ーー『死の風』」
テラの声で、圧縮鞄が口を開き、内蔵していた武装を放出する。
羽の形をした半透明の風が次々と飛び出し、1つ1つが炎を反射して煌めきながら空気を切り裂き、テラの前方で次の命令が出るまで旋回待機する。
『死の風』は不可視の風でテラの周囲を覆い尽くす。それに不用意に近付けば、全身を細切れにされ、この世に残るのはわずかな肉片と血溜まりだけになるだろう。戦闘人形相手にどこまで通用するかはわからないが。
基本性能は人間兵器であるこちらの方が高いだろう。しかし戦闘制限で思うように動くことができない今の自分の戦闘力では、戦闘人形との戦闘には不安しか残らない。
思考する間にも、暴走人形と戦闘人形の群れは迫ってくる。戦うしか道を開く方法はない。ならば、と、多少の無理は覚悟する。
『風切り羽』を自動戦闘モードに切り替えると、半透明の風は音も無く舞いながら暴走人形の群れへと突っ込んでいき、五体を切り裂いていく。血によく似た色の機械油が切断面から勢いよく噴き出し、地面を染める赤黒く変色した本物の血と混ざり合う。
戦闘人形は最初、微動だにせず、実力を測るように成り行きを見守る。『風切り羽』は暴走人形のみを襲撃し、着実にその数を減らしていく。
戦闘が始まって10秒と経たずに、その数は半数以下になっていた。
ここに来てようやく、3体の戦闘人形が動き出す。
『報告:殺害対象ヲ発見。』『報告:敵対行動ヲ確認。推奨:戦闘レベルノ再設定。』『承認:半径100メートル以内ニ存在スル全テノ戦闘人形ノ戦闘レベルヲ2ニ設定。戦闘=開始。』
周りを飛び交う『風切り羽』には見向きもせずに、テラの方へと突進してくる。いや、当たってはいるが、傷一つ付いていない。戦闘人形の硬度は他の人形に比べ、やはり高いのだろう。
しかし、『風切り羽』を抜けた先には『死の風』が展開されていた。
一体だけ突出していた戦闘人形を、『死の風』はいとも容易く細切れにした。機械人形よりも少なく生体人形より多い人工皮膚片が、生体人形よりも多く機械人形より少ない機械部品が辺りへ散らばる。
しかし、それだけだ。
瞬時に視界情報・行動記録・分析情報等が2体の戦闘人形に共有され、『死の風』の軌道は完璧に読まれ、包囲網を傷一つつけることなく抜け出す。
『死の風』その機能上、半径10メートルは離れた場所に展開しなければ使用者すら切り裂く凶器となる。準備を怠り油断すれば、間違いなく命を落とす。そしてテラは、準備を怠ることはしなかった。
『『報告:殺害ヲ実行シマス。』』
2体の戦闘人形がテラへと迫る。
自動人形シリーズとよく似た、人工皮膚でできた端整な顔には傷一つない。代わりに、赤い血が化粧のように散らばり、妖しい美しさを放っている。
それを表情無くみつめ、テラは呟いた。
「ーーー来い、『広域伸縮細剣』」
圧縮カバンから飛び出した細剣を、迷わず掴み取る。
まだ数メートル先にいる戦闘人形には、普通の剣では届かない。届いたとしても刃は通らない。
だが、『広域伸縮細剣』ならば届く。
戦闘人形の硬度がどれだけ高くとも、その隙間を縫い、最深部にある機械心臓を貫くことができれば、撃破は容易い。
これはテラや、人間兵器にしかできない芸当だ。普通の人間には、まず無理だろう。
「貫けーーー!」
前方へ向けて、右手を突き出す。
それと同時に『広域伸縮細剣』は音速で前へと伸びていく。
僅かな隙間を潜り、伸び、絶妙な角度を保ちながら、その都度発生する位置の調整を刹那の間に整え、最奥で脈打つ機械心臓へと到達する。
微かな熱を放つ機械心臓へ、鋭い刄が突き刺さる。
素早く引き抜いた『広域伸縮細剣』を、もう1体の戦闘人形へ突きだす。同じように最奥へ到達した切っ先は、また、同じように機械心臓へ突き刺さり、引き抜かれる。
たったの、一秒。
もしかしたらそれにも満たない。
それだけの時間で、あっさりと勝敗は決してしまった。拍子抜けするほど、簡単に終わってしまった。戦いを渇望していた訳ではないが、これでは暴走人形にすら劣るといっても過言ではない。
腑に落ちないまま、テラは『広域伸縮細剣』を圧縮カバンに収納しかけーーー。
直感、というものには未だに理解が及ばない。危機的状況において、これほど優秀な動きをするものはそうない、と語っていたのは誰だったか。
ともかく直感が告げた。【背後にナニかがいる】、と。
即座に、自らの死角である背後へと『広域伸縮細剣』を振るった。
ハラリと、自身の髪の毛が切り落とされて宙を舞うのを見た。
先程見せた繊細な動きとは正反対の大降りな動き。撃破するには至らなかったが、テラの背後に迫っていたナニかを後方へ吹き飛ばすには、それだけで充分だった。
振り返ったテラの視界に映ったのは、吹き飛ばされた空中で体勢を整え、バレリーナのようにしなやかに、音もなく着地して見せた3体の戦闘人形だった。
吹き飛ばされた戦闘人形は多少泥や泥と似た色のナニかで体が汚れているものの、『広域伸縮細剣』による傷は見られない。単に、不意を突かれて吹き飛ばされただけだ。もう二度と同じ手は通用しないだろう。
その奥で、更に蠢き、近づいてくる集団がある。
テラが進んできた大通り。その道を、埋め尽くすようにズラリと、暴走人形が大挙して押し寄せてきていた。その数はこちらへ近づく度に増えていくような、錯覚を覚える。いや、実際に増えている。路地へと繋がる細い道から、次々と暴走人形が加わっていく。その先頭にはやはり、戦闘人形が指揮を取るように陣取っている。数は、少なくとも今破壊した暴走人形の10倍はある。人形達は全て、当たり前のように狂っていた。
耳障りな機械音が、近付く度に大きくなっていく。足元で燃え盛る炎が、狂気に彩られた顔を赤く照らす。道に転がる死体を踏み潰し、骨を砕いて肉を引き千切り、千切れた部品を蹴り飛ばす。全ての行動を、規則正しく行いながら進んでくる。その顔には、汚い笑顔が張り付いていた。
近付く暴走人形等に警戒しながら、目の前で沈黙を続ける戦闘人形へも目を向ける。そして、その口から一つの単語が漏れ聴こえる。近付いてくる群れからも機械音に混じって聴こてくる。
機械音が、きちんとした単語として認識される。意味のある言葉として、テラの元へと届けられる。狂い、壊れてしまった人形などが呼ぶべきでない、少女の名前。テラの思考の9割を占める少女の名を。善意を込めて、囁くように、叫んでいた。
壊れろ、果てろ、砕けろ、狂え、絶望しろ、嘆け、疎まれ、蔑まれ、憎悪され、憐れまれ、惨めに、孤独に、陵辱され、屈辱の中で、全てを失え、裏切られろ、死ね!死ね!!死ね!!!死ね!!!!
壊れ、機能停止を待つばかりの人形すらも、その名を叫ぶ。
狂った感情の矛先を、たったひとりの少女に向ける。道化のような笑い声が、世界に呪いのように響き渡る。灰色の空へと拡がっていく憎悪の声が、何処か悲しげに聞こえる。
だがそれらは全て、どうでもいいことだ。
両手に持つ『広域伸縮細剣』を強く、強く握りしめる。胸へと湧く、炎のような激情を抑え込めるように、強く。
それでも周囲には近寄りがたい殺気が滲み出る。感情を持たないはずの戦闘人形が、一歩後ずさる。恐ろしいものを前にした、人間のような行動をとる。
その行動が、テラを抑えていた最後の枷を破壊する。
「……鉄屑、風情が。アルティの名前を、呼ぶなっーーー!!」
周囲の音が、聞こえない。
感情の波が周囲の光景を洗い流していく。凄惨な光景は、夜空を埋める星空へと姿を変えて、テラへと見せつけるように輝く。しかし幻想的な光景は長続きせず、視界の端から次々と宇宙へ流れて消えていく。呆然と立ち尽くすテラの横を、楽しげな声が、悲しげな声が、誰かの名前を呼ぶ声が、通りすぎていく。
最後に流れていく星が、テラへと語りかける。
『初期段階はクリア。本番はこれからだよ、テラ。ーーー感情的に行動しなよ、君は人間だ。二度も失いたくないだろう?』
ーーーそうだ、二度と、失わない。失いたく、ない。
言葉は、呪いのようにテラの中に染み付いた。
言葉は、祝福のようにテラの世界に花を咲け始める。世界中心には、アルティがいた。
星は語り終わるとすぐに消え失せ、世界は再び狂気に染まった世界へ切り替わる。目の前には変わらない惨状が映しだされ、慣れて忘れかけていた、むせかえるような血の臭いに顔をしかめた。
『戦闘制限ノ一部解除ヲ確認。全テノ機能ガレベル2へ引キ上ゲラレマス。』
思考の中を機械音声が駆け巡り、雷に打たれたような刺激が身体を駆け巡る。
『報告:殺害対象ノ脅威度ノ上昇ヲ確認。』『報告:殺害対象ノ種別ヲ再検索。 種別=人間兵器ヲ確認。』『推奨:戦闘レベルノ再設定。』『承認:襲撃中ノ全戦闘人形ハ戦闘レベルヲ4ニ再設定。 推奨:対象ノ速ヤカナ抹殺』『『『『『承認:戦闘=開始』』』』』
行進を続ける戦闘人形、暴走人形の全てがテラへと殺意を向ける。
戦闘人形の性能は目に見えて上昇し、先程までのテラには動きすら追えないほどの速度で迫ってくる。その全てが、静止したような世界をテラは見ていた。
思考速度が上昇。視界に映る全てを数値化。刹那、世界は数字に埋められる。
演算による数字の世界は美しく、今まで到達できそうでできなかった先の世界へテラを誘う。テラは一歩、その世界へと踏み出した。