氷壁と記憶
ボクは暴走人形数体に追いかけられ、炎の咲き乱れる瓦礫の山を飛び越え潜って走って転んで、時には壊しながら逃げていた。
救助活動を再開しようとしたその矢先、暴走人形の集団と鉢合わせてしまった。ボクらは数秒みつめあって。そして、同時に動き出した。ボクは生きるために、暴走人形達は、殺すために、走り出す。
そして不思議なことに、暴走人形達の数が増えてきているのだ。最初は気のせいかもと思っていたけれど、さすがに2倍にも3倍にも増えればどんな愚者でも気付いてしまう。今では10体以上は確実にいる。
人工皮膚が剥がれて歪んだ顔。人ならありえない角度で折れ曲がった手足。機械炉心の見えるロンズデールの身体。所々にこびりつく肉片や血の痕。あの荒野で遭遇した暴走人形達が優しく見えるぐらい生々しい姿だった。
幸い、出発前に補給した走行補助装置の燃料はまだまだあるので、逃げ切ることは可能だろう。ここは街中で、避難した人たちの家や武器になりそうな物もそこら中に落ちている。いざとなればこれで撃退も可能だ。
まぁそれは、1・2体ならの話だけど。
それも、不意打ち限定だ。ボクの戦闘力は無いに等しい。今みたいに正面から戦って勝てる見込みはほぼ無い。だからこうやって逃げているわけだけど、一向に諦めてくれる様子はない。
「「「「「「アルティアルティアルティアルティアルティアルティアルティアルティアルティアルティアルティアルティアルティアルティアルティアルティ」」」」」」
「ひぃっ……!?なんで名前知ってるの!?ボクを狙ってきてるってこと!!?何もしてないのにぃぃぃ!!」
心当たりがひとつだけあるけど、それは保留。
暴走人形達が放つ銃弾や刃物、瓦礫、鉄パイプ、ガラス、人。ありとあらゆる凶器の嵐をどうにか避けながら、少しずつ距離が開き始めたことに安堵する。機械である以上、関節部分への負荷がかかれば動きが鈍くなることは避けられない。
自動人形シリーズには必ず身体の動きをある程度制限するセーフティが施されている。身体にかかる負荷を軽減するための策だ。なんらかの理由で暴走人形化してしまった場合、負荷が通常の倍はかかるように設定してある。
このまま逃げ続けていれば、暴走人形たちは自然にボクを見失うだろう。
「テラくんに護身術でも習おうかなぁ……。このままだとどこかで野垂れ死ぬし……あれ?テラくんに再会することが前提になっ」
余計なことを考えていたせいで、後ろから飛んできていた凶器の一つが右足に刺さり、バランスを大きく崩して勢いよく転倒した。
「うわあぁぁっ!?……っ痛ぁ!!」
激痛に耐え、大量の汗をかきながら右足を見ると、ナイフが太もも裏に深々と刺さっていた。少し動いただけでも痛むそれを見て、瞬き程度の思考でこの状況の突破方法を考慮した。むしろ、一つしかないのでほとんどは覚悟を決める時間のようなものだ。
そして、短く深呼吸をしてから、勢いよくナイフを引き抜いた。
「~~~っ……!」
ブシュッ、と短い音と共に血が短く噴き出し、あとはドクドクと心臓の音に合わせて流れていく。
暴走人形達の狂気の歓声が聞こえ、壊れた歯車の高速回転が奏でる不協和音を響かせる。顔に張り付いた人工皮膚---もしくは誰かから剥ぎ取ったもの---が笑顔で歪み、こちらに笑いかけてくる。
全部が同じ顔ではないのに、感情ははすべて同一のものだった。
ボクに傷を付けたことを心の底から嬉しがり、存在していることを羨ましがり。そして、憎む、顔。顔。顔。顔。
「っあぁぁ……。くっそ、これじゃ走れない、じゃないか……!!」
引き抜いたナイフを近くの炎で炙り、傷口へと押し付ける。肉の焼ける嫌な臭いと音、痛みに意識を失いそうになりながら、ポケットに入れていた球体を取り出す。
暴走人形との正面からの戦闘が苦手だと呟いたボクに、随分と若い(ボクと同じくらい?)灰色の髪をしたエストレラの技術班員が最後の手段として渡してきた、氷壁型爆裂砲丸と呼ばれる旧世代の戦闘遺物。
起動スイッチを押して暴走人形達へと投げつける。それは自力で10mほどを飛び、地面へお着弾した瞬間に、直径20m以上はある氷壁が出現し道を塞いだ。火照った体が一瞬にして冷やされていくほどの冷気が、周囲の空間を支配する。
暴走人形達が金切り声をあげて氷壁へと銃弾を浴びせ、手に持つ凶器を打ち付ける。氷壁とは言っても所詮は氷。5分もしないうちに突破されることは、音と表情からも明らかだ。
もちろんこれだけではないので、近くの民家へ急ぎ足を引きずっていく。
(---起動して氷壁が出現してからしばらく経つと、中に仕込んだ爆弾が起動する。それまでに安全な場所……できれば地下とかに避難していてくれ。氷壁型爆裂砲丸に巻き込まれたくなければね。それは救難信号代わりにもなる。なにしろ、凄まじい威力と大きさだからね)
「……急が、ないとーーー!」
コメルシアの民家の大抵には、食料保存用の地下倉庫があるらしい。しかし富裕層にはそもそも必要ないものなので、ここが富裕層区だった場合、ボクは死ぬ。
破壊された扉から中に入る。
幸運なことに、ここは富裕層区ではなかったらしい。地下へと通じる扉を発見した。
幸せに暮らしていたであろう住人達の姿を幻視する。腕に赤子を抱えた母親。それを笑顔で見つめる父親。将来を夢見て買った、子供のためのおもちゃ達。しかし幸せなイメージはすぐに霧散し、代わりに凄惨な光景が視界いっぱいに広がった。
男性が1人、上半身と下半身を分断されて絶命していた。分断されてからもしばらく意識を保っていたようで、扉の方へと体を引き摺ったような血の跡が生々しく残っていた。その道筋に、内臓がベチャベチャと零れ落ちていた。
女性が1人、地下への扉の前で倒れていた。息があることが奇跡だ。両手足を捩じ切られかけ、腹におもちゃを複数個刺されたたその体で小さな命を、大切な我が子を必死に守り抜いていた。
「……っ。……、…………!」
優しく我が子に微笑みかけた口から大量の血を噴き出して、女性は動かなくなった。その腕の下で、赤子がスヤスヤと安らかに眠っている。
「ーーーっ!!!」
湧き上がる感情を押し殺し、アルティは赤子を取り上げるようにして抱き、地下への階段を下る。
ゼロ。
轟音と振動が世界を支配し、地下へと下るアルティを襲う。轟音が聴力を、振動が平衡感覚を失わせ、アルティは先ほどの女性を真似て、赤子を守るように腕に抱えて壁を背にしてしゃがみんだ。
階段上部からは大量の瓦礫や埃が舞い込み、わずかな光も射しこまずに暗い。外がどうなっているか、ここからではわからない。爆発の轟音で赤子は目を覚まし、いない母親を探してか、泣いている。
(これぐらいだったら、普通の家でもテーブルを盾にしてすれば十分防げたんじゃ)
アルティが様子を見ようと立ち上がり、上へと一歩踏み込んだその目の前。正確には横の壁から、何かが壁を突き破り出現した。
「わっ……!っとと」
赤子を抱えながら階段の最下部へ跳んだアルティの視界いっぱいに、鋭く尖った氷塊が姿を現した。それは多分、爆発によって砕かれ飛んできた氷壁の一部だろう。突き破った壁から薄く光が射し込み輝く姿は美しく、切っ先に貫かれ機能を停止した暴走人形でさえも神々しく飾られて見えた。
その姿が、遠い昔に見た聖女の姿と重なって見えた。
「うっ……!?なんだ、これ。ボクのじゃないーー?あ、?誰、のーーー」
頭を殴られたような衝撃。フラッシュバックする誰かのーーー記憶。手を伸ばしても届かない。ボク、の、愛しいーーー。
「違う!!!」
突然の怒声に、泣き叫んでいた赤子の声が止んだ。
それにも気付かないまま、アルティは叫び続ける。
「違う違う違う違う違う違う!!!!!!!!」
フラッシュバックする記憶を否定するように、アルティは叫ぶ。
自分自身を肯定するための言葉を、低く呟くように繰り返し叫ぶ。
「ボクはアルティだボクは男だボクはあの人の所へ行くんだそう約束したんだボクはアルティだボクは××だ。ボクは×××の所へ行くんだ。そう約束してボクは××××だボクは、ボクはあの人の所へ行くそう約束して、それで、それは……ボクの……」
呟きは徐々に小さくなって消えていき、記憶のフラッシュバックも起こらなくなった。それでもしばらく目をつぶって動けないでいると、頬に温かいものが当たる感触がした。
そっと目を開けると、赤子がこちらに手を伸ばし、笑っていた。知らない人間に抱かれ、母親もいないこの状況は相当なストレスを与えているはずだ。それでもこの子は、ボクに笑いかけてくれた。
なら、それに答えなければいけない。その温もりに、恩を返さなくてはいけない。
(恩は返すもの。仇は、最後まで取っておいていざとなったら殴り返してやるもの)
そんな言葉を思い出して、ため息を吐きながらアルティは立ち上がった。
「ーーーごめんね、怖かったよね。……もう、大丈夫だよ。
さーてっ、とりあえず外に出よう。ここはこの子には寒すぎる、気がする」
氷から放たれる冷気が地下の気温を低下させ、アルティでさえも肌寒く感じる程だった。赤子の適温が何度かは知らないけど、布一枚のこの子では寒すぎるだろう。
氷塊が突き破った壁を抜け、ボクは今度こそ外へと出た。
※※※
外は様変わりしていた。
爆発により高速で砕け、飛び散った氷壁の欠片が爆発地点から1kmほどの範囲にある家屋をほぼ全て貫き潰していた。地下に避難しろ、という助言は正しかった。おかげで命拾いをした。帰ったら、ちゃんとお礼を言わなければならない。うん、お礼参りをしなくては。
氷壁型爆裂砲丸は追ってきていた暴走人形を全て吹き飛ばしていた。残っているのは、暴走人形だったもの。部品の欠片や腕、脚の類だけだった。
それと、さっきまではいなかったはずの青年。
空を見上げる青年は、白に近い金色の髪の殆どを血に染め、炎で端を焦がしていた。どこかに隠れていたのか、体中、至る所から出血しているようだけど、命に別状なさそうだ。手に旧式大型銃剣を抱え、ボクに気が付かずにボーッと立っている。なにかを待っているような、待ち合わせをしているような、そんな感じで。
あの爆発の後で出てきたのだろう。地上部分にいなかったのは幸いだと言えた。ボクは青年に声をかけるため、走り寄る。
「……そこの、君!逃げ遅れた人かい!?救助に来た!いま避難所までーーー」
青年が、振り返る。
まず、走ってくるボクを見て。それから、腕に抱えられた赤子を見て、うっすらと微笑んだ。
その微笑みを浮かべた顔のまま、ゆっくりと抱えていた旧式大型銃剣を笑顔で構える。
驚いて走りを止めたボクに狙いを定めて、青年は引き金を引き絞った。