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ヴァンパイアの秘密④

「あ、あなたは誰です?」

「私はイリザ。Elzaの中に棲む人格の一人よ」

「あなたもエヴァン・サングリーノなんですか?」

「そうよ。だけど、私はまだ誰とも契約はしていないの」

「そ、そうですか?」

「あなた、私と契約してくれる?」

「俺は既にElzaのミステールですから、無理ですよ」

「無理ではないとしたらどうする?」

 イリザが言っていることが、俺には読み取れなった。

「可能なんですか?」

「二重契約。同一の人間にだけ許された、裏技みたいなものよ。あなたとなら私は契約できる。良いでしょう。轆轤川、私のミステールになりなさい」

 そう言うと、イリザは俺のそばまで近寄って来た。

 そして、俺の腕を取ると、徐に手にかじりつき俺の血液を吸い始めた。

 サモン・サーバントが行われる。

 吸血行為。

 それと同時に、契約の儀式でもある。

 俺はElzaのミステールだ。

 だけど、今こうしてイリザのミステールにもなってしまった。

 この先、俺はどうなるだろう?

 血液を吸い取られ、俺の意識は徐々に遠くなり、やがて意識が飛んだ――。


          *


「螺々と瑠々が死んだか」

 廞杭町の廃墟の一角で、そのような声が聞こえた。

 彼女の名は浄瑠璃梨々花。

 似鳥町で起きた悪魔憑き事件を起こした張本人である。

 浄瑠璃には三人のミステールがいた。

 髑髏畑魁江。

 不遼螺々。

 不遼瑠々。

 しかし、その三名は皆亡くなり、今、彼女の手足となるミステールは一人もいないはずであった……。

 いや、事実は違う。

 既に彼女は新しいミステールを選び、そして契約をしていた。

 大いなる野望のために……。

「不遼螺々と瑠々は死んだ。これで人形はもう作り出せないんじゃないのか?」

 低い重鎮な声が聞こえた。

 その声の主は、浄瑠璃の新しいミステール。

「問題ないわ。アンカーがコピーしているはず」

「アンカー。貴様の作り出した人形か?」

「そう。後期作品群の一つであり、私の最高傑作でもあるアンカー。彼もエヴァン・サングリーノなのよ」

「悪魔憑き。今度はどうする?」

「しばらくは身を潜めた方が良いかもしれないと思ったけれど、大いなる野望のためには、早めに動く必要がある。動き出して良いかもね」

「問題となるのは、邪魔者の存在か……」

 邪魔者。

 それは一体誰か?

 浄瑠璃にはその存在が痛いほど分かっていた。

 敵はアカシックレコードにアクセスできる。無敵に近い力を持っている。それをなんとかこちら側に引き込めれば、事態は変わるだろう。

「Elza。邪魔者はアウグスト家の末裔よ」

「吸血鬼か?」

「そう。とっとと死ねばいいのに、なかなかしぶとい女。従えているミステールにも戦闘向きなのが一人いるし、警察内部にも関係者がいる。それに……」

「アカシックレコードか?」

「そのとおり。かなりレアな力を持つミステールを所有している」

「アカシックレコードにアクセスできるとなると、かなり厄介だな。通常の戦闘では歯が立たないだろう。何しろ、これから起こる現実を書き換られるのだから」

「既に手は打っているわ」

「ほう……」

 声は言った。

 既に手は打っている。

 とはいうものの、Elzaとて、高い能力を持っているエヴァン・サングリーノである。通常のやり方では、攻略はできないだろう。

「どう、手を打ったんだ?」

 と、声は尋ねる。

 浄瑠璃は切れ長の目をゆっくりと瞬くと、次のように語った。

「簡単よ。Elzaはね、多重人格なのよ。その人格の一人を私は知っている」

「誰なんだ?」

「イリザ」

「その人格が分かったからと言って、何か重要な問題があるのか?」

「人格転移を操作できるミステールがいるのよ。新しく契約したミステール」

「他のミステールか……」

「そう。人格転移を操作し、轆轤川進をこちら側に引き入れる。既に手筈は整っているから安心しなさい」

「なるほど……。それなら俺の出番はまだのようだな」

「あなたにもやってもらうことがある」

「何が望みだ」

「Elzaのミステールの一人に式神という人間がいる。こいつがElzaの護衛。奴を始末する必要がある。予想だけど、霊界の炎を使えるようになっているはずよ」

「邪炎か?」

「そう。霊界の炎を使い、私たちの前に立ちはだかるでしょう」

 この時の浄瑠璃の予想は正しい。

 確かに、式神は霊界の炎を手に入れようと、鍛錬に明け暮れている。

 恐らく、アカシックレコードにアクセスし、自らの力を高めるはずだ。その事実を、浄瑠璃は理解していた。

 だからこそ、早めに手を打ったのだ。

「いつ、動けばいい?」

 と、声は言った。

「これから。行けるかしら?」

「無論だ。式神の首を持ってこよう。但し、一つ気になるのは、轆轤川という人間だ。奴がアカシックレコードを使った場合、俺には勝ち目がないと言えるだろう。負ける戦はしない主義なんでね」

「今、ElzaはElzaじゃない。イリザが人格として現れている。つまり、轆轤川の力は使えない」

 と、浄瑠璃は言ったが、彼女は二重契約について知らなかった。

 イリザが二重契約によって轆轤川進と契約したことを知らないのだ。この事実が、事態を良い一層混迷に満ちたものに変えるとは、この時、浄瑠璃も彼女のミステールも知らなかっただろう。

 

          *


「轆轤川。ちょっと良いか?」

 そう言ったのは、他でもない式神であった。

 日々の鍛錬を終えた後、彼は俺の前にやって来た。

「なんですか?」

 と、俺は尋ねる。

 とはいうものの、彼がここにいた理由は何となくだけど、分かっていた。

 それは恐らく、蛇炎についてだろう。

 式神が操ることのできる炎。

「次のアカシックレコードにアクセスする際、俺の力を上げてもらいたい」

「どういう意味です?」

「俺が邪炎を扱うためには、お前の能力が必要になるんだよ」

「つまり、式神さんが邪炎を使えるようにアカシックレコードの記憶を書き換えるわけですね」

「その通りだ。それができれば、俺はまだまだ戦える」

「多分。大丈夫だと思います……」

 と、俺は言った。

 正直な話、それが本当に式神のためになるのかは分からなかった。

 霊界の炎である邪炎。

 それを使えば、使用者はそれなりのリスクを置く羽目になるだろう。そのくらい、いくら戦闘経験が浅い俺でも分かった。

 だけど、この場では式神の意見を肯定することしかできなかった。

 彼はElzaを守るために必死なのだ。

 そこには、深い絆があるように感じられる。

 俺がElzaに導かれるようにしてミステールになったように、式神にもElzaを守るための理由があるのだろう。

 そう考えた時だった。

 不意に、前方の空間に渦巻ができ、そこから痩身の男性がひょっこりと顔を出した。

 見たこともない顔。

 しいて言うなら、天使のような人間離れした容姿を持っている。

「貴様は誰だ?」

 式神が臨戦態勢になりながらそう言った。

「私はプアズル。模倣師だよ。面白そうな話をしていると思ってね」

「どこから入ってきた?」

「時空転移……。私がコピーした能力の一つ。私はね、人の力を模倣できるんだよ」

「誰の命令だ? 今すぐ出ていかないと、ここで俺が排除するぞ」

「怖い顔をしないでよ。ただ、興味があるだけなんだ」

 こいつはおかしい。

 俺は直感的にそう思った。

 ゆらゆらと体を斜めに傾けながら、ゆっくりと俺と式神の方へ歩いてくる。

「近づくな」

 式神が強く言う。

 しかし、プアズルは全く言うことを聞かない。

 ただ、赴くままに行動している。

「君の欲しかったもの……。これだろう」

 そうプアズルは言った。

 そして細い手を上に上げて、なんと炎を顕現させた。

 邪悪な黒い炎。

 少なくとも、俺が普段見ている炎とはまるで違う。

「じゃ、邪炎か……」

 式神は言う。

 そう、この炎は邪炎なのだ。

 プアズルはどういう神通力を使ったのかは分からないが、邪炎をこの世界に生み出した。その炎を、勢いよく式神に放った。

「ゴォォォォォ」

 強烈な轟音が鳴り響く。

 式神はすぐさま、エゴシーノ状態を解除する。

 残りの能力を使える時間帯は少ない。しかし、戦闘は避けられないだろう。いや、戦闘になったら、まず間違いなく……。

〈負ける――〉

 そう俺は考えた。

 どう好意的に見ても、今の状況はこちら側に分が悪すぎる。

 この人間界の炎を使う式神と、霊界の炎を使うプアズルでは戦力差がありすぎるのだ。

「轆轤川、逃げろ!」

 と、式神は言った。

 俺は一瞬彼が何を言っているのか分からなかった。

 俺がもたもたしていると、式神の怒声が俺の耳を劈く。

「逃げろ! 轆轤川!」

「で、でも、し、式神さんが」

「俺が時間を稼ぐ。俺の代わりはいくらでもいる。しかし、お前の変わりは早々いない。失うわけにはいかないのだよ」

 式神はそう言うと〈サンオブザムーン〉を展開させる。

 その炎は、プアズルの生み出した邪炎に比べると、遥かに小さい。これでは歯が立たないだろう。俺はどうするべきなのか?

 ここにとどまるか?

 いや、ここにとどまれば、俺は多分死ぬ。

 プアズルは模倣師であると言っていた。つまり、俺の力をコピーできるのだ。そうなれば、俺を生かしておくメリットは何もない。能力だけ奪って後は、消し去ればいいだけの話なのだから。

 だとすると、逃げるのか?

 式神を置いて……。

 俺はギリギリまで迷った。

 式神の〈サンオブザムーン〉がプアズルに向かって放たれる。

 しかし、当のプアズルは余裕綽々の態度で状況を見つめている。予想通り、式神が放った炎は、あっさりと消し去られてしまった。

 邪炎の前では何の意味も持たない。

 それが分かってしまったのだ。

「轆轤川。行け!」

 式神は冷静だった。

 この状況になっても、人を助けようとする心意気が感じられる。

 俺は彼の意見を尊重した。

 つまり、逃避する……。

 この場からの脱却。完全に逃げ切らなければならない。

「式神さん。必ず助けます!」

 俺はそう言うと、その場から離れた。

 トビラを開け、一気にElzaの元へ向かう。

 彼女ならこの窮地を何とかしてくれると思ったのだ。

 しかし、神は俺には微笑まなかった。

 今は日中。

 Elzaはヴァンパイアだから、日中は動けない。

 Elzaの部屋は固く閉ざされていた。

 それでも俺はノックを続ける。

 式神がこのままではやられてしまう。時間を稼ぐと言っても、そう長い間、時間を稼げない。そうなれば、次に標的になるのは、俺かもしれないし、眠っているElzaかもしれない。

 強引にトビラを開け、俺はElzaの部屋に入る。

 なんと、Elzaは眠ってはいなかった。

 ベッドの上に正座で座っているのだ。

 そして、俺が入ってくるのを見ると、にこやかな笑みを浮かべた。

(ち、違う……)

 瞬間的に、俺はそう察した。

 今、目の前にいるのは、Elzaではない。

 かといって、エルザでもない。

 残されたのは誰が? Elzaの中に住む第三の人格。

 そう、イリザ。今は彼女なのか?

「イリザさんですか?」

 と、俺は言った。

 すると、イリザはすぐに答える。

「そう。今はイリザ。Elzaはヴァンパイアだから日中は動けない。その点、私は違う。ヴァンパイアとしての血はElzaとエルザが引いている。私には直接関係がないの」

「今、動けるんですか?」

「えぇ」

「式神さんが大変なんです」

「分かっている。敵が来たんでしょう」

「そうです。なんとかして助けないと……」

 すると、イリザは冷酷に言い放った。

「無理よ。式神を助けるのは不可能。今、私たちにできるのは、ここから逃げるという選択肢だけ」

「式神さんを見捨てるんですか?」

「言葉を悪くして言えばそうなるわね。彼は犠牲になる」

「それじゃElzaが悲しみます」

「今はそれを言っている場合ではない。逃げるのが先決」

「俺の力を解放してください」

「アカシックレコードにアクセスするのね?」

「そうです」

「君は既にアカシックレコードにアクセスしている。通常なら三ヶ月経たないと、能力は使えない」

「輸血でもなんでもすればいいじゃないですか?」

「輸血も一度まで。つまり、今の君はアカシックレコードにはアクセスできない。……通常状態ではね」

 通常状態。

 それは一体どんな意味を持つのか?

 俺は懸命に考えを巡らせるが、答えは見つかりそうになかった。

「どういう意味なんですか?」

「悪魔憑きを利用する」

 悪魔。

 俺の中に住む悪魔。

 それはElzaと同じヴァンパイア一族のロンバルディア家の末裔。ロンバルクイナのことであろう。彼を呼び出すのだ。この場に――。

「ロンバルクイナを呼べば、式神さんを助けられるんですね?」

 イリザは答える。

「その可能性は高まる。保証はできないけれど……」

「なら、やってください。俺の中のロンバルクイナを目覚めさせてください」

「悪魔化は人間の体に大きな負担を与えるから、私は推奨しないけれど、それでも良いのね?」

「式神さんを救うためなら」

「なら、こっちへ来なさい」

 イリザは俺をベッドの上に横にさせた。

 その後、目を瞑り、何やら呪文を唱え始めた。

 悪魔を顕現させるための呪文なんだろうか? 聞いたことのない言語が俺の中に流れていく。

「エル・スムス・シスマール……」

 長い詠唱を終えると、イリザは俺の胸に手を当てた。

 熱い!

 熱した焼き鏝で皮膚を焼かれているようであった。胸に激痛に近い衝撃が走る。

「ぐぁぁぁぁぁぁ」

 俺は堪らず叫んだ。

 胸の奥から、何かが湧き上がってくる。

 これが悪魔? いや、ヴァンパイアであるロンバルクイナなのであろうか?

「ロンバルクイナ。目覚めなさい」

 と、イリザは言った。

 すると、俺は不意に意識を乗っ取られた。

「なんだ?」

 自分の口から発せられたのに、自分が喋っているとは思えない。遠くから俯瞰しているような気分になるのだ。

(俺はどうなっているんだろうか?)

 俺が考えるよりも先に、ロンバルクイナが言った。

「貴様がやりたいことは分かっている。轆轤川の力を解放させるんだろう」

 すると、イリザが言った。

 顔は不気味にも笑っている。

「そう。轆轤川の力を解放させて。あなたならそれができるのだから……」

「アカシックレコードにアクセスか……。神の力だ。いや、この場合、悪魔的とも言えるかもしれないがな。だが、良いのか? 悪魔化によって発生した能力は、ミステールの体力を大きく消費させる」

「問題ないわ。私は一度警告したし、それを轆轤川も知っている」

「しかし、Elzaが何と言うか。彼女は轆轤川を大切にしているぞ。それを貴様の異存で決めても良いものなのか?」

「今は私の時間帯。すべてに権限は私にあるわ。それにね、式神にはまだ生き残ってもらわないとならないのよ。彼が死ぬのは今じゃない。浄瑠璃との戦いで死んでもらう」

「なら、余は何も言わぬよ。良いだろう。悪魔の力を解放しよう」

 そこで俺の意識は完全に戻った。

 いつの間にか、アカシックレコードの空間に立っている。

 巨大なデータバンクの前で、俺は式神の力を霊界の炎を扱えるまで引き上げ、記憶を改ざんした。これで、式神は邪炎を扱えるようになる。

 ホッと安心した時だった。

 胸が目つけられるように痛い……。

 ふと胸を見ると、見たこともない刻印がされている。

 ルーン文字のような古代の文字で何か書かれているのだ。

「これは何だ?」

 俺は誰に言うでもなく、そう言った。

 すると、頭上から声が聞こえた。その声はイリザの声であった。

「悪魔の力を使った証。人間は通常、悪魔の力を持たない。力が大きすぎるからね。それを使うためには、生命力を燃やすしかない。あなたは今、自分の生命力を燃やし、アカシックレコードにアクセスしているの」

「俺は死ぬのか?」

「長く使えばね……」

 末期がんを宣告されたような気分になる。

 なぜ、こんな風になっているのだろうか?

 いつから俺は、こんな得体のしれない戦いに巻き込まれてしまったんだろう?

 だけど、今は式神の方が気にかかる。

 彼は無事だったのだろうか?

 俺はよろける体でイリザの元を離れ、再び式神の元へ向かった。


「〈サンオブザムーン〉レベル五。邪炎発動!」

 式神の重鎮な声が室内に響き渡る。

 式神の体は漆黒の鎧を纏っており、これまでの原形がまるでなかった。

 黒い闘神……。そう形容できるかもしれない。

「アカシックレコードか……。なるほど、悪魔の力を利用したのか。轆轤川。君は死ぬかもしれないね。残念だけど、今日は模倣するのは諦めよう。いずれ、浄瑠璃がやってくる。その時まで生きていてくれよ。轆轤川」

 と、プアズルは告げた。

 そして〈サンオブザムーン〉の邪炎をかいくぐりながら、消えていった。空間にできた渦巻がやがて小さく縮小し、完全に見えなくなった。

 静寂が下りる。

 俺は式神の背中に向かって言った。

「し、式神さん。大丈夫なんですか?」

 式神はくるっと踵を返すと、次のように言った。

「大丈夫だ。問題はない。俺よりもお前の方が気がかりだ。どうしてアカシックレコードを使えた?」

 俺は正直言うべきか迷った。

 漆黒の鎧を纏う式神を前にすると、黙っているのは不可能であると感じた。

「イリザさんに頼みました」

 それだけで、式神は言いたいことを飲んだようだ。

「そうか。イリザ様に……」

「だけど、俺は大丈夫です」

「悪魔化のことはElza様にも言わなければならない。それは分かるな」

「分かっています。だけど、俺は……」

「何も言うな。今は、やがて来る敵襲に備えるんだ」

 敵襲。

 そう、プアズルは別れ際、浄瑠璃がやってくると告げていた。

 浄瑠璃の目的が何なのかは分からないが、戦闘は恐らく避けられないだろう。


 夜――。

 日が沈み、辺りが闇に包まれた頃、Elzaは目を覚ました。

 日中いたイリザは今は姿を完全に消し、まるで最初からいないかのようであった。

「そう……。そんなことがあったのね」

 式神は、日中に起きたことを説明する。

 Elzaは細い首を何度か上下に動かしながら、話を聞き、最後に俺の方を向いた。

「俺は大丈夫ですよ。何とかなります」

「悪魔化は命を燃やす。このままではあなたは死ぬわよ」

「そ、それは……」

 俺は何も言えなかった。

 自分が死ぬなんて、今までこれっぽっちも考えなかった。だけど、実際問題難しいのかもしれない。悪魔に身を売ったのだから、それ相応のリスクが発生するのは仕方がない。

「浄瑠璃が来ると言っていたのね?」

「ええ。そう言っていました」

 その時、来栖が室内に入ってきた。

 手には電話を持っている。

「烏鵲様でございます」

「分かったわ」

 Elzaは電話に出る。

 すると、眉間にしわを寄せ、何やら話をしている。

 きっと、何か悪いことが起きたのだろう。

 それは簡単に察せられる。

 電話を切ると、Elzaは酷く深刻な表情を浮かべた。

「不遼螺々と、瑠々が死んだそうよ」

「そ、そんな……」

 俺は愕然とし、Elzaの方を見つめた。

 あの兄妹は人形に魂を与えられる特殊な力を持っていたはずである。

 早々に死ぬようには思えないのに、事態は違っていた。

 恐らくその背後には、模倣師プアズルの姿がある。

 能力を模倣したから、螺々と瑠々は不要になり殺されたのだ。

「プアズルを倒すしかありません」

 と、俺は言った。

 すると、Elzaもその意見には同意してくれた。

「そうみたいね。戦いは避けられない。プアズルはアンカーのミステールだから、浄瑠璃と接触する前に、叩いておく必要がある」

 叩くと言ってもそれが可能なのかは分からない。

 今日の戦闘を見る限りでは、向こうもかなり、戦闘には慣れている。そう簡単に事態を進めるのは難しいはずだ。

「勝てるでしょうか?」

 自信はない。だが言った。

 それ以上に、俺はこれからもアカシックレコードにアクセスする力を使わなくちゃならない。

 生命力を燃やす。

 血液ではなく、生命力を……。

 どこまで力が使えるんだろか?

 いや、それよりも気になるのは、後何回この力使えるのかということだろう。戦闘が避けられないなら、力は温存しておいた方が良いだろう。だが、それがうまくいくかどうか……。

「やらなければならないわ」Elzaは言った。「浄瑠璃の大いなる野望だけは食い止めなければならない」

「分かりました。俺はどうすれば良いですか?」

「能力をしばらく使うのを禁止する。といっても無理か……。戦闘になれば、あなたの力は必要になってくる。特に浄瑠璃を打ち倒すためにはね。だけど、無理は禁物。悪魔化は生命力を使うから、誤って能力を使いすぎれば、あっさりと死ぬ」

 あっさりと死ぬ。

 確かにそうかもしれない。

 能力を使った後の、脱力感や胸の鋭い痛みは耐え難いし、本当に生命力を搾り取られているような気がするのだ。

「Elza様」と、式神が言った。「浄瑠璃との戦闘はいつになさいますか?」

「早い方が良い。奴は新しいミステールを手に入れたはずだから、何をするか分からない。これから行くわよ」

「廞杭町にですか?」

「そう、奴のアトリエへ……。きっと待っているはずだから」

 俺たちは廞杭町へ出発することになった。もう夜も更けた深夜一時に。


 浄瑠璃のアトリエと称される場所に着いたのは、深夜二時を回ってからであった。辺りはすっかり闇に覆われ、しんと静まり返っている。

 アトリエの前に立つと、中からカラカラと乾いた音が聞こえてくる。

 視線を向けると、人形が一体歩いてくるのが分かった。

 体長一五〇㎝ほどの球体関節人形。

 ガラスの瞳を持ち、天使のような神々しい容姿だ。

「お待ちしておりました」

 人形は声を発した。

 魂が宿っているのであろう。

 これが螺々と瑠々が生前に残していった力なのか、それともプアズルが改めて作った魂なのか? その辺は良く分からないが、人形は確かに口を開いた。

「浄瑠璃の元に案内して頂戴」

 と、Elzaが言う。

 すると、人形や軽やかにひざを折り会釈をすると、ついてくるように指示を出した。

 俺たちは人形の後を追う。

 アトリエは古びた洋館で、明かりはろうそくのぼんやりとした明かりしかないため、全体的に薄暗い。中世の城に忍び込んだという感じである。

 長い廊下を抜けると、広間に出る。

 大体三〇帖ほどあるだろう。かなり広い印象だ。

 人形は広間の中央に俺たちの進めると、そこで待つようにと口を開いた。

 それに合わせて、俺たちは待つ。

 浄瑠璃が現れるのを、ただ、黙って待っていた。

「これはこれは、皆さんお揃いのようね」

 不意に前方から声が聞こえた。

 薄闇の中に人が一人立っている。

 小柄な女性だ。

 恐らく、これが浄瑠璃梨々花だろう。

「浄瑠璃梨々花。悪魔憑き事件の首謀者……」

 と、Elzaが呟く。

 そう、浄瑠璃は似鳥町で起きた悪魔憑き事件の首謀者なのだ。

 かなりの危険人物であるに違いない。

 警察に捕まっているはずなのに、こうして今脱獄し、このアトリエにいるのだから。いや、捕まっているのは彼女が作り出した人形なのだろう。ここに烏鵲を呼べば、浄瑠璃を捕らえてくれるのではないかと甘い幻想を抱いたが、この人形師が相手では警察はほとんど動けないだろう。

「怖い顔ね。あなたがアウグスト家の末裔。Elzaね。初めて会うかしら?」

 と、浄瑠璃は言った。

 声は澄んでいて、清らかに聞こえる。

「そうね。あなたの人形には会ったけれど、本体に会うのは初めてね。あなたが作り出した最高傑作、アンカーには会ったけれど」

 アンカーという言葉を聞き、浄瑠璃はにこやかに笑った。

「アンカーか。彼も自分の野望で動いている。模倣師をミステールにしたようだからね」

「あなたと対立するはずよ。アンカー自身、大いなる野望を引き起こそうとしている」

「それは無理よ。アンカーはただの人形。螺々と瑠々によって力を与えられたね。だけど、螺々と瑠々の力は完璧じゃない。完全に人形に魂を与えるのは不可能なのよ。それは神にだけ許された力」

「どういう意味?」

「シュミット、連れてきなさい」

 シュミットというのは、俺たちをここまで案内した人形のようであった。

 人形はカラカラと乾いた音を上げると、どこかに消えていき、やがて数分でまた戻ってきた。手には大きな異物を抱えている。

 異物。

 それはアンカーだった。

「もう、アンカーは動かない。ネジの切れた人形ね。彼のミステールたちも捕らえてある。これで彼らは大いなる野望を達成できない」

「アンカーを殺したの?」

 と、Elzaが震える声で言った。

 対する浄瑠璃は決して慌てた素振りを見せなかった。

 泰然自若とした態度で、俺たちを見つめている。

「殺したんじゃない。元に戻したの」

「元に戻す?」

「そう。人形の状態にね……」

 アンカーは人形に戻っており、全く動き出す気配がなかった。

 あの模倣師であるプアズルはどうなったのであろうか? 気になった俺は、恐る恐る声を出した。

「プアズルはどうなった?」

 すると、浄瑠璃がチラと俺の方を向き答えた。

「あの模倣師のことね。紛い物のミステールよ。当然だけど、始末したわ。そもそもね、模倣という力には制約があるの。簡単に模倣はできないのよ。アンカーは人形だから、そういう現実を知らないみたいね。まぁ良いの。わたしにとってアンカーは確かに最高傑作だけど、同時に、私の汚点でもある。必要であれば消し去りたいと考えていたからちょうど良かったのよ」

 人形遣いにとって、自分が制作した人形は子供みたいなものだろう。それなのに、あっさりとその人形を破壊してしまう浄瑠璃に、俺はとめどない恐怖を覚えていた。

 何が、彼女をここまで駆り立てるのか?

 そこまで大いなる野望というものは強大な目的なのか?

 人間と精霊のハーフを作り出す。

 人工生命と言っても過言ではないだろう。

 そんな人間界ではありえない存在を作り出して、果たして何がしたいのであろうか? そればかりが気がかりで、俺を苦しめる。

 俺は今、悪魔に魂を売った状態だ。

 つまり、大いなる野望に一番近い存在と言えるのかもしれない。

「あなたの目的は何なの?」

 と、Elzaは尋ねた。

 浄瑠璃は俺から視線を外す。

 そして、Elzaをゆっくりと見つめると、次のように言った。

「決まっているでしょう。大いなる野望のためよ。そのために悪魔憑きの事件を起こしてきたんだから。予行演習みたいなものね」

「精霊と人間のハーフを作り出してどうするの? そんな存在が人間界で生きてけるはずないでしょう」

「そうかしたら? そこに生ける証明がいるじゃない」

 と、浄瑠璃は俺を指さす。

「俺がどうかしたのか?」

 と、俺は絞り出すように言う。

 大いなる野望と、俺に何か関係性があるのだろうか?

「轆轤川進は、アカシックレコードにアクセスする稀有な力を持っている。これは人間界の力ではないわ。つまり、通常のミステールではありえない。彼はね、大いなる野望によって生まれた唯一の成功体なのよ」

 話が見えなかった。

 俺が大いなる野望の結果生まれた成功体?

 そんな馬鹿な……。

 俺は一般社会を生きる人間だったはずだ。

 Elzaの顔がみるみると変わっていく。

「轆轤川進が成功体か……」

「そう。あなたのようなミステールを創る。そしてそれを人形に宿すの。永遠に生きる人形を作る。それが私の最大目的」

 狂っているとしか思えない。

 俺が例え大いなる野望の成功体だったとしても、俺はロンバルクイナを顕現させたことによって、生命力を燃やし、アカシックレコードにアクセスしているのだ。つまり、死がすぐそばまでやってきているのだ。そんな存在は、決して長くは生きられない。永遠に生きる人形なんていうものは、それはすべて幻想で不可能なのだ。

 その事実を浄瑠璃という女はどういうわけか理解していない。

 悪魔憑きの事件を引き起こし、大いなる野望を成就させるのは、不可能なのだ。

 それを、この女に分からせる必要がある。

「浄瑠璃……。止める気はないのね」

 Elzaは最終通告を言う。

 しかし、浄瑠璃は全く聞き入れる素振りを見せない。

 ただ、面白おかしそうに状況を見つめている。

「返答がない。つまり、止める気がない。そう取るわよ」

「……」

「式神」と、Elza。彼女は式神を前に立たせる。

 式神はすぐに邪炎を展開する。

 強大な黒煙が湧き上がり、辺りを侵食していく。

 通常の人間なら、これで終わりだっただろう。

 そう、通常の人間ならば……。

 だが、浄瑠璃は通常の人間ではない。

 既にエヴァン・サングリーノとして、ミステールを動かしていた。

 新しく契約したミステールを。

「サドウェル。式神を殺しなさい」

 やがて、浄瑠璃の前に影ができ、そこからぬっと人影が現れた。屈強な肉体を持つ騎士と言えば良いだろうか? 白い髪を持ち、精悍な顔つきをしている生命体が、目の前に現れた。これが、サドウェルという、浄瑠璃の新しいミステールなのだろうか?

 式神はサドウェルに向かって、邪炎を放つ。

 サドウェルは特に身動きもせずにその場に立ったままだ。炎に身を焼かれ、一瞬で勝負はついたかのように思えた。しかし、勝負は終わっていなかった。

 というよりも、傷一つ負っていない。

「幻覚か……。本体はどこにいる?」

 漆黒の鎧を纏った式神が言う。

 サドウェルは答えず、ただ黙ったまま、手を高らかに上げた。

 すると、彼の頭上に黒い爆炎が湧き上がる。

 そう。邪炎が起きたのである。 

 こいつも炎の使い手なのか?

 俺がそう思った途端、式神が俺とElzaの前に立ちはだかる。

 身を挺して防御の姿勢を取ったのだ。

 俺の目の前にいた式神が、一瞬で消えた。

 消えたというよりも、焼失したと言った方が正しいだろう。

 邪炎を会得した式神。

 しかし、その式神は邪炎によって飲み込まれてしまった。当然、Elzaの一連の流れを見ていた。唖然と、ガクッとひざを折った。Elzaには戦闘に向けたミステールが式神しかいない。つまり、この状況では、最早勝負はあったようなものなのだ。

「サドウェル……。Elzaを殺しなさい」

 と、浄瑠璃は命令する。

 サドウェルがどこまで命令に忠実なのか分からないが、俺たちにもう反撃の手段は残されていない。少なくともElzaはそう考えていただろう。

 いや。まだだ!

 まだ、終わっていない。俺の力がある。アカシックレコードにアクセスするという力があれば、この絶体絶命の窮地だって解決できるはずだ。

 俺はElzaに向かって言った。

「Elzaさん。俺の力を使ってください!」

 Elzaは顔面蒼白だ。

 ここで俺の能力を使うことが、どういう結果をもたらすのか、はっきりと分かっているようである。

「次使えば、命の保証はない」

「分かっています。でも、奴を倒せるのは、俺の力しかない」

「ダメよ。あなたを失うわけにはいかない」

 Elzaは頑なに拒否した。

 それでも俺は必死にElzaの説得を続けた。

 それをただ黙って見ているサドウェルではない。

 彼は一歩俺たちに近づくと、再び邪炎を顕現させる。

 万事休す……。

 もはやこれまでかと思った時、Elzaがエルザに変化した。

 エルザのミステールであるラリウスが現れた。

 エルザは精霊をミステールにしている。

 その精霊が顕現され、邪炎を吹き飛ばした。

 但し、その代償は大きい。エルザは急激に血を吸い取られ、その場に卒倒してしまった。邪炎を吹き飛ばす大きな力を使う場合、消費する血液の量も段違いになる。フラフラの体でエルザは起き上がろうとしている。

「二度目は不可能ね。死になさい。エルザ」

 と、浄瑠璃は言った。

 しかし、エルザはほくそ笑んだ。

「まださ。まだ俺は終わらない。もう一人いるんだからな……」

 エルザはそう言うと、ガクッと倒れた。動かくなる。俺がすぐに近づくと、今度はイリザが目覚めた。度重なる人格の変化。イリザはよろけていたが、俺の方を見つめると、忽ち俺の腕に嚙みついた。

 血を勢いよく吸い取られる。

 だが、これでElzaが助かるなら、安いものだ。

「轆轤川。Elzaを救いたい?」

 と、イリザは言った。

 当然だ。

 俺はすぐに答える。

「救いたい。アカシックレコードにアクセスしよう」

「但し、死ぬわよ。恐らくね」

「Elzaがそれで助かるなら」

 そして、浄瑠璃の野望を止められるのなら……。

 例え、ここで死んだとしても、俺は後悔しない。

「やってくれ」

「分かったわ。アカシックレコードにアクセスしなさい」

 不思議だったのは、一連の流れを、サドウェルが黙ってみていたことだろう。アカシックレコードにアクセスすれば、あっという間に形勢は逆転する。それを知らないはずはないだろう。なのに、なぜここまで冷静なのか? それが理解できなかった。

 巨大なデータバンクにアクセスする。

 ウォォォンという稼働音がしており、それが俺をより一層緊張させた。

 今のところ、体は問題ない。

 体に異変が起こるとすれば、これからだと思う。

 俺がまさに今、記録を改ざんしようとしたとき、不意に後方から声が聞こえた。

「ここがアカシックレコードか……。素晴らしい場所だ」

「ど、どうしてここに?」

 俺は開いた口が塞がらなかった。

 なぜ、ここにサドウェルがいるのか?

 ここに来れるのは、アカシックレコードにアクセスする力を持つ俺だけのはず。

 なのに、その常識が一切通用しない。

「それがね。私の力なのだよ」

「お前の力?」

「そう。一つ前の力を繰り返す。それが私の力〈反射〉だよ」

〈反射〉

 そうか。

 だから式神の蛇炎を作り出せたんだ。

 式神の蛇炎を見た後だったから、蛇炎を生み出せた。

 考えると、至極単純である。

 では、今はどうするべきなのか。アカシックレコードにアクセスするのは、俺の固有の力だったはず。それが奪われれば、どうなるか分かったものではない。この場で止めるのが正しいのだろうか? しかし――。

「さて、私もアカシックレコードを弄らせてもらうとするか」

「止めろよ。出て行け。さもないとお前を消す。そう記憶を改ざんする」

「不可能だよ。お前が記憶を改ざんするよりも、私が攻撃する方が早い。お前は既に死んでいるのと同じだ」

「やってみなければ分からないだろ」

「無駄だがね」

 サドウェルは一足飛びで俺の前まで進むと、手刀で俺の手首を攻撃した。

「バキ!」

 鋭く骨が砕ける音が聞こえる。

 俺はあっさりと骨を折られてしまった。

 戦力差は如何ともしがたいものがある。

 このままでは負ける。

 いや、もう勝負はついているのかもしれない。奴の言う通り、俺がアカシックレコードにアクセスし、記憶を改ざんさせるよりも、先に攻撃をされるのは間違いない。だが、ここで俺が破れればElzaも同時に負けるということになるのだ。

 Elzaだけは救いたい。

 そんな思いだけが、手首を折られた痛みを忘れさせ、俺を突き動かした。

「俺は負けるわけにはいかない」

 俺はサドウェルに向かって言った。

 しかし、サドウェルはほくそ笑むだけで、他に何も言わなかった。

 ただ、憐れむような瞳で俺を見ると、そのまま巨大なデータバンクに進んでいく。

 恐らく、アカシックレコードにアクセスするのであろう。

 何とかして、それだけは止めさせなければならない。

 俺はサドウェルに追いつき、そしてデータバンクの前に立った。ここから先は進ませない。そんな決意を込めた瞳で、サドウェルを睨みつける。この俺の思いが届くかどうかは分からない。きっと、サドウェルを動かせはしないだろう。奴の目的が何なのかは不明だが、このままアカシックレコードにアクセスさせるのは危険だ。

「邪魔だよ。轆轤川進」

 と、サドウェルは言った。

 だけど、俺は動こうとはしなかった。ここだけは死守するという思いだけが、俺を支えている。

「何をするつもりだ?」

「大いなる野望のために、アカシックレコードを利用させてもらう」

「それは浄瑠璃の命令か?」

「私は確かに浄瑠璃のミステールだが、奴の家来になったわけではない。同じ大いなる野望を目指す同士だからこそ、契約したに過ぎない。故に、浄瑠璃の命令ではないのだよ」

「浄瑠璃は知ってるのか?」

「知っているだろう。言ったはずだ。浄瑠璃と私の目的は同じ。よって、私がこれから行う行為は、浄瑠璃がしたい行為でもある」

「精霊と人間のハーフなんて生み出しても、何も変わらないぞ」

「変わるさ。人間界は劇的にな。それは分かっている。だからこそ、大いなる野望は途切れずに、ここまで残ったのだから……」

「とにかく、俺はお前にこれ以上好き勝手させるわけにはいかないんだ」

「どくんだ。轆轤川。お前は既に何度もアカシックレコードにアクセスしている。もう死ぬぞ。それでも良いのか?」

「お前らの野望を止めるためなら、死んだっていいさ。それが、Elzaさんを守ることにもつながるのだから」

「人間と言うのは不便な生き物だな。何を言っても聞き入れようとしない。まぁ良いだろう。死にたい人間に生きろと言っても無駄な話。そんなに死にたければ死ねば良いだろう。轆轤川、お前はここで死ね!」

 サドウェルの目が変わった。

 漆黒の瞳が鈍く輝き、絶望感に満ちた空気を作り出す。

 サドウェルは俺の横を通り過ぎると、アカシックレコードにアクセスしようとした。

 このままでは不味い……。

 だが、どうすれば?

 その時だった。不意に脳内にElzaの声が聞こえた。

「轆轤川聞こえる?」

「き、聞こえます。今どこに?」

「あなたに脳内に直接話しかけているの。エヴァン・サングリーノとミステールは、そのような絆で繋がっているから、可能になるのよ」

「俺はどうした良いんですか?」

「事態を防ぐ簡単な方法がある」

「何ですか?」

「アカシックレコードから出なさい」

「でも、それじゃサドウェルが」

「私の考えが正しければ、サドウェルはあなたが出ればアカシックレコードにアクセスできないはず。それは間違いないわ。私を信じて、その場から出なさい。良いわね」

 Elzaの言葉を聞き、俺はアカシックレコードを出た。

 巨大なデータバンクが消え、俺の視界にElza飛び込んでくる。Elzaは片手にナイフを握っており、そして、その手は血で濡れていた。

 彼女の足元には、首を切られた浄瑠璃の姿がある。

「だ、誰が?」

「イリザがね。まぁ人格は違ったとしても、私が殺したことには違いない」

「サドウェルは良いんですか?」

「奴の力は一つ前の力を繰り返す能力。あなたがアカシックレコードを出れば、それが今度は一つ前の力として奴前に現れる。つまり、あなたがアカシックレコードを出たという力が、サドウェルの使える力になる。そして、もう一つやってもらうことがあるわ」

「何ですか?」

「私をこのナイフで殺しなさい」

 その言葉は俺を奈落の底につき落とした。

 なぜ、そんなことを言うのか?

「で、できないですよ」

「ヴァンパイアは生涯に一人しか人を殺せないの。私はそれを破ってしまった……」

「だからといってあなたを殺せない。俺にはできません」

「私を殺す目的。それにはもう一つある。サドウェルに一つ前に力を繰り返す力。つまり、あなたが私を殺せば、殺したという力がサドウェルの力になる。奴は自分で自分を殺すわ。それが可能なのよ」

「そんなの不可能ですよ。サドウェルが自分を殺すはずない」

「いえ。今、奴はアカシックレコードから出るという力しか使えない。だけど、ここでまた別の力が上書きされれば、奴はアカシックレコードから出られなくなる。封じ込められるのよ」

「だとしても、俺はElzaさんを殺せない。それに、まだ終わっていない」

 俺はElzaのナイフを手に取ると、浄瑠璃の首元に向かってナイフを突き刺した!

 そう。浄瑠璃はまだ死んでいなかったのだ。

 とどめを刺したのは俺。

 つまり、浄瑠璃を殺したのは俺になる。

 俺は人を殺したという罪を償いながら生きていくことになるだろう。

「これで、浄瑠璃は死にました。サドウェルもアカシックレコードに封じ込めた。俺が浄瑠璃を殺したから、殺すという力が奴の能力になった。サドウェルは自分を殺すでしょう。それか、永遠にアカシックレコードからは出てこれない」

「能力を捨てるの?」

 と、Elzaは言った。

 その問いには中々答えられなかった。

 俺は無理をして能力を使った結果、長くは生きられないかもしれない。だけど、結果的にはElzaを守れた。それだけで俺は満足している。

「俺はあなたを守れたからそれで良いんです。後は死んだってかまいません」

「あなたは死なない。私が命に代えても守るわ。それがエヴァン・サングリーノとしての役目」

「そうですか……。だけど俺はもう」

 急に意識が遠のいた。

 このまま死ぬ。はっきりとそう自覚した。


 だが――。

 俺は再び目覚めた。

 ここは天国か? そう思ったが、違っていた。そこはアウグスト家の一室であった。

 ベッドの上に俺は寝かされている。

「こ、ここは?」

 俺がそう言うと、横に立っていたElzaが言った。

「能力を捨てたのよ。つまり、ミステールを解除した」

 一度ミステールを解除すると、二度と同じエヴァン・サングリーノのミステールにはなれない。つまり、俺はもうElzaのミステールにはなれないのだ。

「ど、どうして?」

「あなたを救うため。あなたは私を救ってくれた。今度はそれを私が返す番」

「でも俺はもうあなたのミステールじゃない」

「ミステールじゃなくても、アウグスト家に仕えることはできるわ。それでも構わないわね?」

「良いんですか?」

「もちろん。体力が回復したら、働いてもらうから、そのつもりでいなさい」

 そう言うと、Elzaは俺のそばから消えて行った。

 俺はまだ、Elzaと共にいられるようだ。

 きっとこれからもElzaのそばで、生活を続けることになるのだろう。

〈了〉

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