ヴァンパイアの秘密②
「な、何なんだこれは……」
と、魁江は呟く。それはそうだろう。完全にクリーンヒットしたと思われた攻撃がまったく効いていないのである。
「今のあんたたちには見えないよ。それだけ俺とあんたの間には力の差がある」
と、エルザは言った。相変わらず少年の声だ。力の差があるというのはどういう意味なのだろうか?
「何を言っている?」
魁江は言う。
「見えないなら、見えるようにしてやるよ」
エルザはそう言うと、切れ長の瞳を閉じて、何やら呪文を呟いた。すると、エルザの前に巨大な壁ができているのが分かった。電流を帯びているような、強大な壁。今まで透明で見えなかったが、エルザが呪文を唱えたことで、今俺の目にも見えるようになった。この壁が魁江の〈氷結の魔人〉の一撃からElzaを守ったのだろう。そして、壁の後方から一人の青年が現れた。それはあえて形容するのであれば、天使と言えるだろう。精霊のようなうっとりとする容姿をもった翼の生えた物体がエルザの前に鎮座している。
「ふ、不可能よ……」
と、浄瑠璃が叫んだ。「一人のエヴァン・サングリーノは三人のミステールしか持てないはず。Elzaは式神の他に既に二人のミステールを所有しているはずでしょ」
それを聞いた魁江が答える。
「その通りだ。Elzaは今日、新しいミステールと契約し、三人のミステールを所有することになった。そして、今ここにすべてのミステールが集まっている。なのに、別のミステールが現れた。何故なんだ?」
エルザは面白おかしく笑みを浮かべると、次のように語った。
「あくまでElzaはね。Elzaは今日、轆轤川という新しいミステールを手に入れた。現在、Elzaは『式神』『烏鵲』『轆轤川』という三人のミステールを所有している。それはあんたの言う通り正しいよ」
「それなら、どうして新しいミステールが現れるんだ?」
「言ったろ。今の俺はElzaの体をしているけれど、Elzaではないんだ。エルザというElzaの中に棲む男性人格なんだよ。つまり、Elzaではない。よって、俺には俺のミステールが所有できるんだ。人は人格ごとに所有できるミステールが変わるんだよ。分かったか?」
「じゃ、じゃあその天使みたいなのが、お前の持つミステールなのか?」
「そう、俺のミステールは特殊なんだ。人間じゃない。精霊をミステールにしている。このミステールは『ラリウス』。天の属性を持つミステールだ。氷は電撃をよく通す。浄瑠璃。これまでだな」
そう言うと、エルザはラリウスという精霊に向かって〈氷結の魔人〉を駆逐するように命令を飛ばす。ラリウスはゆっくりと頷くと、両手から電撃を生み出し、それを使って魁江を攻撃する。確かにエルザの言う通り、電撃は氷をよく貫く。その効果があり、ラリウスの電撃はあっという間に〈氷結の魔人〉を蹂躙し、破壊していく。もはや勝負はあった。それは戦闘経験がほとんどない俺でも理解できた。浄瑠璃の生み出したミステール。魁江ではエルザのラリウスには勝てない。そもそも精霊に生身の人間が勝てるとは思えない。
「チ、チート的な力を持つのね」
と、浄瑠璃は言った。
「チートか……。精霊にも弱点がないわけじゃないけれどね」
攻撃を受けていないエルザの体から血が流れている。一体何故か? 俺が考えていると、エルザはそれほど気にせず言葉を返す。
「さて、浄瑠璃。お前はこのまま戦闘を行うか? お前にはまだ二人のミステールがいるはずだ。戦闘を行うなら付き合うぜ」
しかし、浄瑠璃は首を上下には振らなった。
「いいえ、諦めるわ。私の残りのミステールは主に戦闘ではなく、人形師としての力を持つミステールだから戦闘には役に立たない。人形に生命を与えるためのミステール。それが『瑠々』と『螺々』の二人」
「お前は戦闘により、多くの人間を死に至らしめた。その罪は償わなければならない。それは分かるな」
「どうやら、私はこれまでのようね。だけど、これで終わりじゃないわ」
「なぜだ?」
「私がいなくても意志を継ぐ人間がいるからよ」
「意志を継ぐ人間だと? エヴァン・サングリーノを捕まれば、それに合わせてミステールは使い物にならなくなる。ミステールはサモン・サーバントをしなければ、能力が使えない」
「そうね。それが定説。だけど人形師は違う。秘密があるのよ」
そう言う浄瑠璃であったけれど、彼女はすべてを言うことはなかった。気になった俺だけど、問いただせることはなく、気持ちは悶々としたものであった。烏鵲が手錠を持ち、それで浄瑠璃を拘束する。彼女は一切抵抗すことなく、すんなりと捕まった。それは不気味に思えた。
帰りの車内で、俺はElzaに対して、質問を飛ばした。既にエルザが消え去っていて、主人格であるElzaに変わっていた。
「事件は解決したんしょうか?」
と、俺は言った。それを受けElzaは答える。
「少なくとも、しばらく吸血事件は起きないでしょう」
「でも、浄瑠璃が最後に言った言葉が気になりますね」
「浄瑠璃は自分が作った人形に魂を注いでいた。そこに何か秘密があるのは違いない」
「秘密ですか」
「そう」
そんな中、運転をしていた式神が声をかける。
「Elza様。大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。エルザに変わったのは久しぶりだけど、それほど、血を使ったみたいじゃないし」
血を使う?
俺の中で疑問符が点灯する。
「知を使うってどういうことですか?」
すると、エルザはそれに答える。
「精霊をミステールにするとね、逆転現象が起きるのよ」
「逆転現象?」
「そう。通常、ミステールの血を受けて、エヴァン・サングリーノはミステールの力を解放させる。だけど、精霊をミステールにする場合は逆に血を献上しなければならないのよ」
「だから、何もしていないのに、血が出ていたんですか?」
「そういうこと」
「それじゃ、頻繁に精霊を使って能力を使えないですね」
「まぁ。そうなるわね」
Elzaはあっさりと言ったが、心なしが表情は疲れているように思えた。あれだけの戦闘を行った後だから疲れていて当然なのだろうけれど、俺は心の中でElzaが心配になった。だけど、何をすれば彼女の精神を回復させられるかは分からなかった。これ以上、話しかけない方が良いのであろうか?
「それよりどう?」
と、Elzaが俺に声をかけてきた。
疲れの中にも、俺を気にかける気持ちが隠されている。それを聞き、俺はありがたいと思えた。
「どうって言うのは?」
と、俺は繰り返す。
「つまり、ミステールになってしまって。あなたを巻き込んでしまったからね」
「でも、Elzaさんのミステールになって良かったと思ってますよ。もし仮に、違うエヴァン・サングリーノのミステールになっていたら、俺は能力を以上に行使する羽目になったかもしれない。それってつまり、死ぬかもしれないって意味ですから、それに比べれば、今の状況は俺にとってはすごく良かったと思っています」
「それなら良かったわ。アカシックレコードにアクセスする力は非常に強力。それを狙っているエヴァン・サングリーノは多くいるでしょうね」
「この付近にはエヴァン・サングリーノが多くいるんですか?」
「今のところ、浄瑠璃以外のエヴァン・サングリーノは確認できていない。でもどこかにいるはずよ。気になる点があるのよ」
「気になる点ですか?」
「そう。浄瑠璃が作り出した人形。それも魂を注いだとされる人形。これが何か重大な意味を持っているような気がして、私を困惑させるの」
浄瑠璃が作り出した、魂を宿した人形。確かにそんな人形があるのだとしたら、脅威となるだろう。しかし、なぜElzaはここまで浄瑠璃の人形を気にするのだろうか?
「どんな秘密があるのでしょうか?」
と、俺は尋ねる。
「浄瑠璃は烏鵲に捕まる寸前にこう言った。『私の意思を継ぐ者が現れる』とね。そして彼女の残りのミステールである『螺々』と『瑠々』の二人の存在。通常、この二人の母体となっている浄瑠璃が捕まれば、二人は能力を使えない。だけど、浄瑠璃の話のニュアンスを考えると、そうでもないような気がするのよ」
そうすると、運転していた式神が、右にハンドルを切りながら、俺たちの会話に入ってきた。
「ミステールが単独で能力を使うということですか?」
Elzaは車窓から外の景色を見つめている。既に深夜だ。漆黒の闇に包まれた風景が広がっている。
「ミステールが単独で能力を使う……。それは不可能じゃない」
「どうやって行うのですか?」
「オートウィズ機能を使う。自動的にミステールの力が使えるように、あらかじめ母体となっているエヴァン・サングリーノがそういうシステムを組み込んでおく。例えば、毎日午後、一〇時に能力を使うようにインプットしておけば、自動的に午後一〇時に能力が使えるようになる。まぁこの場合も事前にサモン・サーバントが必要になるから、血を吸い取られるのは避けられないんだけど……。それにオートウィズを半永久的に使うのは難しい。血の供給が途絶えてしまうと、自動機能は自動的に解除されてしまう。私の経験上、オートウィズで能力を使える期間は長くて一週間が限度だと思う」
「それでは自在に使える能力ではありませんね」
「そう。だから浄瑠璃の残されたミステール『螺々』と『瑠々』という人間は、能力を使えないはずなのよ」
それを聞いた俺は、ふと思いついた疑問を尋ねる。
「あの、魁江って人はどうなるんですか? 髑髏畑魁江。浄瑠璃のミステールです。彼も能力を使えなくなるはずでしょう」
「彼は浄瑠璃の命令で殺人を行っていたわけだから、烏鵲によって捕らえられた。烏鵲が上手くやるでしょう。〈氷結の魔人〉を行使したから、しばらく能力は使えないはずよ。警察の牢獄で〈氷結の魔人〉が暴れ出す闘心配はない。浄瑠璃と髑髏畑を引き離しておく限り、再び〈氷結の魔人〉が現れる心配はないわ」
「だと良いんですが」
やがて車はアウグスト家に到着した。
よろよろとした足取りでElzaは車を降りる。それを式神が支えている。屋敷の中から、式神とここに来る際、運転手を務めていた初老の男性が現れたのを、俺は確認した。どうやら、アウグスト家には俺と式神以外の使用人もいるようである。
「爺や。血を少し持ってきて頂戴」
と、Elzaは言った。すると、爺やと呼ばれた、使用人はゆっくりと首を動かすと、
「かしこまりました」
と、一言告げ、屋敷の中に消えて行った。
「式神、食堂まで運んで頂戴」
「は!」
式神はElzaを抱える。そして闇の広がる屋敷内を歩き、食堂へ向かう。俺もその後に続いた。食堂では、爺やが血の準備をしていた。点滴をする要領で、Elzaに対して輸血を施すようである。細い注射針がElzaの皮膚に刺さり、ゆっくりと血を体内に入れていく。
「これでしばらく心配はないわ」
と、Elzaは言った。「エルザは無理をするからね。あまり頻繁に人格は変われないのよ」
俺はElzaの対面に座り込み、そして尋ねた。
「エルザさんのミステールはすべて精霊なんですか?」
「そう、すべて精霊よ。私もすべてを把握しているわけじゃないけど、彼がメインに使っているのは、今回も現れた『ラリウス』。天の系統を持つ精霊よ」
精霊を持つエルザ。通常のエヴァン・サングリーノとは違うのかもしれない。だが、リスクは発生する。普通は血を受け、そして能力を使うが、精霊を使う場合はそうでないようだ。逆に血を献上する必要がある。これではいくらい強い力であったしても、頻繁の使える類の力ではないだろう」
「ラリウス以外の精霊ではどんな精霊がいるんですか?」
「ラリウス以外には『トゥトゥリス』そして『コーカサイト』という精霊がいるけど、私が知っているのは名前だけで、実際にどんな力があるのかまでは分からないの」
「そうなんですか」
「そうね。とにかく、今は悪魔憑きの事件を解決するのが先決」
この吸血事件が悪魔憑きの事件と呼ばれているのを思い出した。なぜ、悪魔憑きなのだろうか? その辺の理由は分からないが、何か秘密が隠されているように思えた。
「悪魔憑き。……。ですか。でもどうして悪魔なんでしょうか?」
「人形に魂を与えるというのは普通は不可能。悪魔の力を利用する必要があるわ」
「それだけ、あの浄瑠璃と言う人間は得体の知れない力があるんですね」
「そうなるわね。さて、今日の話はここまで、私は一旦休むわ。また明日の夜に会いましょう」
「夜ですか?」
「そう。私は夜行性なのよ。主に夜活動していたから、夜しか動かないの……」
そう言った後、Elzaは点滴を終えて、そのまま部屋に下がっていった。一人残される俺。俺はしんみりとした食堂で一人ぼんやりとしていた。時計を見ると、深夜の三時を回っていた。少し眠いし、疲れもある。俺は一旦部屋に下がる。
部屋に行き、ベッドの横になる。やがて横になっていると、眠気が襲ってくる。俺はそのまま眠りに就き、疲れた体を休めた――。
*
〈とある廃墟〉 深夜
「瑠々。いる?」
声が聞こえる。子供の声だ。
「あぁいるよ。螺々か?」
「うん。浄瑠璃が捕まったみたい」
「らしいな。だが、問題ないだろう」
「どうして?」
「浄瑠璃は既に手を打っている。力を使おう」
「力を使う?」
「そうだ」
瑠々と呼ばれる子供は、廃墟の中、朽ち果てた環境で、一つの人形を取り出した。それは大きさが一五〇㎝ほどある球体間接人形であった。
「浄瑠璃が作ったもの?」
螺々と呼ばれる子供が言った。
「そうだ」
と、瑠々は答える。
螺々は不思議そうに球体間接人形を見つめている。浄瑠璃が腕の良い人形師であるのは、螺々も知っている。しかし、こんなに間近で創った作品を見るのは、本当に久しぶりのことであった。
「前回能力を使ってから三カ月が経っている。これが意味しているのが何か? それは分かるな螺々?」
「う、うん。能力がまた使えるんでしょ」
「そうだ。俺たちはまた能力が使える」
「だけど、肝心の浄瑠璃がいない。あたしたちは力を使えないわ」
「螺々。それは違うよ。俺たちは力を使えるんだよ」
「瑠々。どういう意味?」
「それは簡単さ……。何しろこの人形は――」
瑠々はそう言うと、螺々の手のひらに自分の手のひらをくっつけた。両手がくっついたとき、能力は発動する。
〈悪徳の榮〉
「またこの力を使うなんて……」
と、螺々は言った。声は不安を帯びていて、オドオドとしている。それを聞いた瑠々は、螺々の手のひらに自分の手のひらをくっつけたまま、声を発する。まだ、能力は発動している。この力は長く使う必要がある。
「よし、成功だ。栞を挟もう。エゴシーノ状態にするんだ」
と、瑠々は言う。
エゴシーノ状態にすれば、能力を持続して行える。螺々と瑠々の超能力〈悪徳の榮〉は最大で六〇分使える能力だ。よって、エゴシーノ状態すれば、ある程度長い間、能力を使える状態を持続させられるのである。
螺々と瑠々はにっこりと笑い合いながら、廃墟で二人、不気味な夜を過ごした。漆黒の闇に包まれた環境の中、二人は全く恐れずに能力を使った。この力により、事件は一層混迷を極める。
*
翌日――。
目覚めた時、日中の一時であった。俺の部屋には窓がないから、外が晴れなのか雨なのか分からないが、俺はゆっくりと起き上がった。疲れはない。一〇時間くらい眠ったから、疲れは完全に取れていた。だが、まだ一時だ。アウグスト家の仕事は午後六時からである。Elzaは自分を夜行性と呼んでいたから、まだ起きていないであろう。
俺は部屋から出て、食堂へ向かった。しかし、そこには誰もいなかった。というよりも、屋敷全体がひっそり静まり返り、不気味なくらいの印象を与える。この屋敷は日中は誰もいないのであろうか? 式神は? そして爺やと呼ばれるあの使用人はどこに行ったのか?
俺が考えていると、不意に廊下を歩く音が聞こえてきた。コンクリートを突く『コツコツ……』という乾いた音。それがゆっくりと近づいてくる。俺はサッと警戒の色を浮かべる。誰だろうか? 俺が緊張していると、食堂の部屋のトビラが開かれた。中に入って来たのは、例の爺やと呼ばれる執事であった。
「おはようございます」
爺やは言った。俺は答える。
「あ、はい。おはようございます。仕事はまだですよね?」
「仕事は午後六時からになります」
「あの、お名前を教えてもらえますか?」
「来栖蔵人でございます」
「く、来栖さん。Elzaは今どうしていますか?」
「Elza様はお休みなられています。午後六時にならなくては、彼女は動けないのでございます」
「動けない?」
「はい。それがElza様の特徴ですから、彼女がお休みになられている時、守るのも私の仕事であります。私は主に、アウグスト家の日中の仕事を請け負っています」
「そ、そうなんですか。でも夜行性というのは本当なんですか? ただ、単に朝に弱いってだけじゃ」
「いえ。Elza様より、お話があると思いますが、先行知識としてお教えしておきましょう。Elza様はとあるヴァンパイア一族の末裔であります。つまり、吸血鬼なのでございます」
Elzaが吸血鬼。その事実は俺を大層驚かせた。エヴァン・サングリーノは、サモン・サーバントという吸血行為を行う。だから、吸血鬼と呼んでもまったくおかしくはないのだが、改めて言われると、不思議な感覚を覚える。第一、この世界に吸血鬼がいること自体、今までの俺では信じられなかっただろう。だけど、超能力を使えるミステールの存在を知り、この世界には、怪異が存在するのが分かった今、ヴァンパイアが仮にいたとしても、俺はすんなりと信じられるだろう。
「ヴァ、ヴァンパイア一族……。そうなんですか?」
と、俺は繰り返し言った。すると、来栖はにっこりと微笑みを浮かべ、
「そうでございます。Elza様は吸血鬼なのですよ」
「でも普通の人間と変わりないですよね? やっぱり血が必要になるんですか?」
ヴァンパイアといったら、血が必要になる。どんな物語に登場するヴァンパイアも人間の血を欲しているのは、デフォルトのようである。きっとElzaもそうなのであろうか?
「Elza様はミステールの力を使う以外、血は摂取しておられません」
と、来栖は言った。俺は一歩進んで尋ねる。
「なぜですか? ヴァンパイアといったら、血が必要になるんじゃないですか?」
「血は必要になります。しかし、Elza様はとある理由があり、ミステールの力を行使する以外、吸血行為は行わないのです」
「体は大丈夫なんですか?」
「いえ、ヴァンパイアに取って、血は必要不可欠なものです。人間が食事をするように、ヴァンパイアは吸血をしなければなりません。当然、その行為をしなければ、弱っていきます。Elza様の場合、辛うじてサモン・サーバントによって吸血行為を最低限行っているので、生きておられていますが、このままでは長くないでしょう。サモン・サーバントは頻繁に行われるものではありませんから」
「どうして血を吸わないですか? その理由は?」
「それは……」
来栖は口ごもった。その瞬間、食堂のトビラが開いた。外から式神が入って来たのである。式神は来栖を見るなり、
「来栖。言葉が過ぎるぞ」
と、言った。
来栖は「そうですね」と、告げると、俺の質問には答えずに、話を別の話題に変えた。
「式神様。お身体の調子はどうなのですか?」
「問題はない」
式神は俺の方を見つめ、
「轆轤川。ちょっと良いか?」
と、声をかけてきた。
俺は特に異論はないので、彼の言葉を聞くために耳を傾ける。「な、何ですか?」
「仕事は本来六時からなのだが、少し付き合ってもらいたい場所がある。これから行けるか?」
「行けます」
「なら、ついてこい。来栖。屋敷を頼んだぞ」
来栖はゆっくりと頷くと、
「かしこまりました。気をつけて行ってらっしゃいませ」
と、答えた。
式神は屋敷の外へ出ると、止まっていたミニクーパーに乗り込んだ。巨大な式神が乗ると、ミニクーパーの車内は妙に狭く感じる。アウグスト家は、貴族のような家柄なのだから、リムジンとかに乗ればいいのに考えていたが、それは無駄だろう。俺は助手席に乗り込み、式神が運転するのを待った。俺が乗ったのを確認すると、式神は車を発進させる。
「どこへ行くんですか?」
と、俺は尋ねる。式神は運転をしたまま、
「閼伽縫町だ」
閼伽縫町。似鳥町のとなりにある学園都市である。閼伽縫町に一体何の用があるというんだろうか?
「何の用があるんですか?」
「閼伽縫町が学園都市だというのを、お前は知っているか?」
「ええ。知ってますけど、あまり来たことはないですね。でもなぜ閼伽縫町へ」
「こっちだ。閼伽縫町にあるとある施設にこれから行く。そこはElza様が懇意にしている施設なんだ」
Elzaが懇意にしている施設。この学園都市にある施設と言ったら、通常は学校を思い浮かべるが、式神が向かったのは、児童養護施設であった。古びた建物が俺たちの前に広がる。施設の前で二人の子供が立ち尽くし、こちらを伺っているのが見えた。知り合いなのだろうか? 施設の前にいる子どもは式神の姿を確認すると、笑顔になっている。
「式神さん」
子供のうち、一人がそう言った。少年である。短い髪の毛に痩身の肉体。本当にどこにでもいる普通の少年が近寄ってきたのである。
「不遼君か、元気にしたかね」
「僕はいつだって元気さ。問題ないよ。今日はElzaさんはいないんだね。まぁ今は夜じゃないから当然か……」
「うむ、いずれElza様が来る日もあるだろう」
「そっちの彼は誰? 新しい使用人かい?」
そう言われ、俺はゆっくりと頷き、自己紹介をする。
「轆轤川進です」
「へぇ轆轤川さんか。Elzaさんの使用人ってことは、ミステールなのかい?」
ミステールのことを知っている。俺はわずかだけど警戒する。式神は特に警戒していないようで、ほほえましい顔をしている。
「まぁミステールだけど、どうしてそれを知ってるんだい?」
「Elzaさんに聞いたんだよ。僕にもミステールとして力があるらしいからね」
「君もミステールなのかい?」
「そうさ。僕もミステール」
「誰が君のエヴァン・サングリーノなんだい?」
すると、少年は口ごもる。何か答えにくそうに口を歪めている。
「僕にエヴァン・サングリーノはいないよ」
「じゃあ、契約していないということか」
「まぁそんな感じさ」
そうこうしていると、式神が会話に入って来た。
「妹は元気かね?」
「元気だよ。今はここにいないけどね。でもさ、今日はどうしてここに来たんだい?」
「少し用があってな」
式神はそう言うと、俺の手を引いて目の前に広がる福祉施設の中へ入っていった。すると、施設の職員が俺たちの姿を確認し、挨拶してくる。
「式神さん」
ある職員が駆け寄ってくる。式神は大柄の体には似合わない笑みを浮かべ、
「龍前さんはいるかい?」
「職員室にいるはずですよ。呼んできましょうか?」
「あぁ頼む」
式神はそう言うと、職員は龍前と言う人間を呼びに職員室の方へ消えて行った。俺はそれを見た後、式神に向かって尋ねた。
「龍前って誰です?」
「ここの施設長だ。少し用があってな」
「用って何なんです?」
「さっきいた不遼と言う子どもがいただろう?」
「ミステールの少年ですね」
「そうだ。彼はエヴァン・サングリーノと契約していないと言ったが、実はそれは違う。彼は契約したんだよ」
「誰とです?」
俺はそう言って、なんとなく予想がついた。Elzaはつい最近、この近くにエヴァン・サングリーノは少ないと言っていた。となると、消去法で残されたエヴァン・サングリーノはただ一人。そう、今は捕まっているが、浄瑠璃という人形遣いだ。彼女があの少年のエヴァン・サングリーノなら話は繋がるような気がした。
「浄瑠璃ですか?」
と、俺は言う。式神は胡乱な目つきとなり、
「そうだ」
と、答えた。
「浄瑠璃は今警察によって捕らえられた。つまり、自在にミステールを使えないはずです。となれば、脅威にはならないのではないですか?」
「通常ならばな」
通常なら……。今の状況は通常ではないというのか。俺がそう考えていると、職員室の方から白髪の老人が向かってくるのが分かった。女性で非常に痩せた小柄な人間だった。黒いぴったりとしたパンツに花柄のブラウス。その上にベージュのカーディガンを羽織っている。
「式神さん。どうかされたんですか?」
恐らく龍前と言う老婆はそのように尋ねた。俺の勘は当たっていた。式神は彼女を龍前と呼び、質問を飛ばした。
「不遼のことです」
「不遼螺々と不遼瑠々……。あの双子がどうかしましたか?」
「彼らは契約しているようです」
「契約。確かに彼らミステールですが、一体誰と契約したんですか?」
「浄瑠璃梨々花。人形遣いです。しかし、ニュースでも見たと思いますが、彼女は似鳥町を騒がせた吸血事件の犯人なのです。そして、不遼という双子をミステールとして使っている可能性が高い」
すると、龍前は驚いた表情で式神を見つめた。まるで言うことが信じられないという素振りである。それはそうだろう。この養護施設にいる人間がミステールと言うだけでも珍しいのに、その人間が吸血事件を引き起こした殺人鬼と繋がりがあると言われれば、誰だって恐怖するはずである。
「浄瑠璃が捕まる寸前、不遼の名前を言いました。つまり『螺々』『瑠々』という名前をです」
「そ、そんな馬鹿なことが……」
「彼らを拘束させてもらいます。Elza様なら上手くやるでしょう、彼らを少し預からせてもらいますよ」
「分かりました。直ぐに呼んできましょう」
龍前はそう言うと、職員を呼び、不遼螺々と瑠々を呼んでくるように指示を出した。しかし、ここで問題が起きた。螺々と瑠々はどこかに消えていたのである。
「螺々と瑠々が消えた?」
と、式神と俺は龍前にそのような報告を受けた。
「は、はい。どこを探しても見当たらないんです」
「しかし、ここを出るためには、ゲートを通らないとならないでしょう」
閼伽縫町は学園都市であり、出入りには専用のゲートを通る必要がある。学生一人一人にカードキーが配布されており、それを使って出入りする仕組みだ。これにより、学生の管理が容易になっている。つまり、ここを出るためにはカードキーを使ってゲートをくぐらなければならない。しかし、螺々と瑠々のカードキーは彼らの部屋に残されたままであった。彼はどこに消えたのか? それは誰にも分からなかった。
*
ゲートのそばで瑠々は螺々と共に青年にむかってお礼を言った。
「ありがとう。助かったよ」
青年はニッと笑みを浮かべてそれに答える。
「何、問題はないよ」
「君は誰なの?」
「アンカー。とだけ言っておこう」
「アンカーさん」
「そう。知ってくれるとありがたい」
アンカーはそう言うと、カードキーを胸ポケットにしまった。
「僕らはどこに行けば良いの?」
と、璃々とが尋ねると、それに合わせて螺々が答える。
「そう。あたしたちはどこに行けば良いですか?」
「今は姿を晦ますんだ」
「姿を晦ます? どうしてですか? あたしたちは何もしていないのに」
「君たちを狙っている人間がいる」
「あたしたちを……」
「そう。君たちの力を欲している人間がいるんだよ」
「あたしたちの力?」
螺々は繰り返す。自分たちの力のことと、どうしてこの青年は知っているのだろうか? それは少し警戒する理由になった。
「〈悪徳の榮〉。違うかい?」
悪徳の榮についても知っている。螺々と瑠々はサッと警戒しながら、青年を見つめる。青年は二人を取り成すように落ち着かせると、再び声を発した。
「今、〈悪徳の榮〉を使えるかい?」
それに答えたのは瑠々だった。
「つ、使えますけど、どうしてあなたは僕らの力を知っているんですか?」
「君たちは有名だからね。だから知っているんだよ。それに僕は君たちのエヴァン・サングリーノである浄瑠璃梨々花を知っているんだ」
「浄瑠璃を知っているんですか?」
「あぁ。今、彼女は警察に捕らえられた……とされている」
「そ、そうなんですか」
瑠々は残念そうに言う。エヴァン・サングリーノである浄瑠璃が使った今、通常はミステールとして力は使えない。だが、螺々と瑠々には〈悪徳の榮〉という裏技がある。この力がある限り、二人は能力を使えるのである。合計で六〇分。〈悪徳の榮〉は発動する。
そんな中、青年はにっこりと笑うと、次のように言った。
「今、〈悪徳の榮〉を使えるかい?」
それに瑠々が答える。
「つ、使えますけど。どうしてですか?」
「使うんだ」
「使う意味はありませんよ」
「否、意味はある。使ってほしいんだよ。君たちにしかできないことなんだから」
青年はそう言うと、丁寧に頭を下げた。その優雅な姿勢を見て、螺々も瑠々も能力を使っても良いと思えた。今はエゴシーノ状態である。まだ能力は使える。
「分かりました」
と、瑠々は言った。
隣に立つ螺々が血相を変えて、瑠々に無って叫ぶ。
「瑠々。良いの? 浄瑠璃は無駄に能力を使うなって言ってたわよ」
「でもこの人は俺たちを救ってくれた。信用してもいいと思う」
「た、確かにあたしたちを救ってくれたけど……」
「式神さんが来ていたのを知っているか?」
「式神さんが? どうして?」
「きっと俺たちを拘束するためだ。浄瑠璃が警察に捕まった今、俺たちは危険人物として映っているんだよ。だから、俺たちを拘束して、能力を封じ込めようとしているんだよ」
「そ、そんな。でも式神さんが私たちを捕まえるなんて、ありえるの?」
「ありえるよ。そもそも式神さんは浄瑠璃の敵だ。二人は何度も戦闘している。それを知っているだろう」
「知ってるけど……。でも式神さんやElzaさんは私たちを救おうとしているんじゃないの」
「いや、どうなのか分からない。利用されるかもしれない」
螺々と瑠々が会話をしていると、それをじっと聞いていたアンカーが口を挟む。
「Elzaには気をつけた方が良いよ」
螺々が不安そうな顔になり、答える。
「ど、どうしてですか?」
「彼女はね、吸血鬼の末裔なんだ。つまり人じゃない。何を考えているのかは分からない」
「きゅ、吸血鬼……」
「そう。吸血鬼さ。人間の敵なんだ。つまり、僕たちの敵と言っても不思議ではないだろう」
「で、でも、私たちを助けようとしてくれました」
「君たちを利用するためさ」
すると、それを聞いていた瑠々が容喙する。
「ちょっと待ってくれよ。Elzaさんは既に三人のミステールを持っている。つまり、新しいミステールを使えないだろ」
「彼女は特殊なんだよ」
「特殊?」
「Elzaの中にはエルザという男性人格が潜んでいる。つまりね、彼女は多重人格なんだ。それを忘れてならない。そして、彼女は人格ごとに、新しくミステールを従えるんだ」
「でも、Elzaさんの人格は、主人格であるElzaさんと男性人格のエルザの二人だけなんじゃないないの? 他にはいないはずだよ」
「さぁ。それが本当なのか分からない。だから気をつけた方が良い。とにかく今、君たちにしてもらいたいのは〈悪徳の榮〉を使ってもらうことさ」
「つ、使うのは構わないけれど……。誰に使えばいいのさ」
「僕に使ってほしい……」
「アンカー。君は何者なんだい?」
「いずれ知るだろうけれど、先に言っておこうか? 僕はね、浄瑠璃が作った人形なんだよ」
「そ、そんな馬鹿な……。お、俺たちはお前のことを知らないよ」
「そうだね、会うのは初めてだからね」
「〈悪徳の榮〉を使わない限り、人形に魂は宿らないはずなのに……」
「そうさ。普通はね。だから、今の僕は魂が入っていない空っぽの状態ってことさ。この状態を何とかしないとならない」
「魂がない人形が、どうして動くんだよ? あ、ありえないよ」
「オートウィズさ。知っているだろう。エヴァン・サングリーノがミステールの動かす際に、自動機能をつける。僕はその力で今動いている」
瑠々の頭は混乱した。確かにオートウィズを使えば、人形を動かすのは可能だ。だが、ここまで高度な人形を作るのは、難しい。エヴァン・サングリーノと人形が離れれば離れるほど、能力を維持するのは難しくなるからだ。それに今浄瑠璃は警察に捕まっている。つまり、能力を自在に使えないはずなのだ。
となると、次の可能性を意味している。浄瑠璃は捕まっていない。いや、厳密いうと捕まっているのだが、それはあくまで義体ということだ。本体はどこかで暮らしている。そうではないのか? それしか考えられなかった。
「浄瑠璃は捕まっていないんだね?」
と、瑠々は言う。
アンカーはにっこりと笑うと、次のように答える。
「その通り。君は非常に推理力が高いね。浄瑠璃は捕まっていない。捕まったのは、彼女が作った人形さ。まぁいずれ警察もこの事実に気付くだろうけれど、気づいたところで、すべては後の祭りさ。何もできない」
「浄瑠璃は今どこに?」
「君たちが僕に〈悪徳の榮〉を使ってくれれば、教えよう。今の僕はオートウィズ状態だから、あまり長いこと動けないんだ。だけど、〈悪徳の榮〉のより、動けるようになれば、君たちを、浄瑠璃の本体に元に案内できるよ」
「分かったよ。なら、能力を使おう。螺々、準備するんだ」
瑠々が言うと、螺々も納得したようである。螺々自身、早く浄瑠璃に会いたくてたまらなくなっていたのだ。
〈悪徳の榮〉は、人形に魂を与える力である。人形遣い、浄瑠璃梨々花の作り出した人形は、本来は魂が入っていない。空っぽの状態なのである。しかし、これに〈悪徳の榮〉という力を使い、魂を与えると、人形は人と同じように自在に動けるようになるのだ。使える時間は六〇分。この時間内であれば、どんな人形の魂も作り出せるのである。人形に魂を与えるという、稀有な力なのに、単発型の能力ではなく、持続的な能力であるのには、理由がある。それは〈悪徳の榮〉を使うためには螺々と瑠々。二人の力が必要になるのだ。二人が手のひらを重ね合わせて、能力を使う。二人で一つゆえに、酷く使いにくく、〈悪徳の榮〉は、魂を与える以外、能力を持たたないため、二人が能力を使っている間には、完全な無防備になる。それを守る人間も必要なってくるのだ。
螺々と瑠々はお互いの両手を合わせる。すると能力が発動する。体の中を電流が駆け巡るような気分になり、脈動を感じる。
「〈悪徳の榮〉発動。エゴシーノ状態を解放!」
と、瑠々が言い、能力を解放する。
*
「そう。二人は消えたのね」
と、言ったのはElzaだ。
時刻は午後七時。俺と式神は一旦アウグスト家に戻り、状況を確認していた。目的である螺々と瑠々の保護はできなかったのである。
「申し訳ありません」
と、式神が謝罪する。心底申し訳なさそうな口調である。式神はすっかり小さくなっている。そんな式神の姿を見ていると、どこか愛着が湧いてくる。
「しかし、二人はどこへ行ったのでしょうか? 我々が二人に接触し、実際に二人が消えるまでの時間はそれほどありません。こちらの動きを把握していていたとしか思えません」
「そうね。恐らく、こちらの動きを事前に察知していたのよ。敵はかなり強大なるわ」
「浄瑠璃の仲間でしょうか?」
「恐らくね。今、浄瑠璃はどうしている? 取り調べは始まったころだと思うけれど、何か烏鵲から連絡は来たのかしら?」
「今のところ連絡はありません」
「そう」
Elzaはそう言うと、胡乱な目つきで辺りを見渡した。その目線を見ていると、何か考えがあるようであったけれど、俺は特に何も言わずに、状況を見守っていた。動きがあったのは、それから一時間程経ってからだった。アウグスト家に烏鵲がやって来たのである。酷く慌てている烏鵲は、式神に手引きにより、リビングに案内されると、Elzaに会うなり直ぐに言った。
「大変なことになった」
口調は動揺している。何があったのだろうか? 俺は烏鵲を不安そうに見つめながら、今度はElzaの反応を待った。Elzaは冷静さを取り繕いながら、烏鵲に向かって言った。
「落ち着いて、どうしたのよ?」
「人形だったんだ?」
「人形?」
「そう。俺たちが捕らえた浄瑠璃は人じゃなかったんだ。人形だったんだよ」
「なるほど、これで繋がったわね」
何が繋がったのだろうか? 俺はElzaの言葉がほとんど理解できなかった。俺が考えつかないことを、Elzaは考えている。恐らく、同じ印象を持ったのだろう。式神が目を細めてElzaに向かって尋ねた。
「Elza様、どういう意味ですか?」
Elzaはゆっくりと頷くと、次のように語る。
「良い。浄瑠璃の本体は別にあるのよ。人形に魂を込め、それを操作している。彼女のミステールにはそんな力を持つものがいるのね」
「螺々と瑠々ですね」
「ええ。螺々と瑠々の力は人形に命を吹き込むのよ。けれど、不可解ね」
「不可解ですか?」
「そう。人形に命を吹き込む力が存在するのだとしたら、それは恐らく単発型の力のはず。だけど、そうじゃないみたい。持続型の力の特性を示している。そうでないと、人形に次から次へと魂を与えられない。つまり、螺々と瑠々の力には別に秘密がある」
「秘密ですか……」
秘密と言っても、ここで答えが浮かび上がるわけではない。だが螺々と瑠々の力は、俺のような単発型の力ではなく、式神と同じような持続型の能力である可能性が高いらしい。
「烏鵲。螺々と瑠々というミステールが消えたのよ。何か心当たりはない?」
と、Elzaが烏鵲に向かって尋ねる。
烏鵲はふと考え込んだが、心当たりはなかったようである。
「いや、分からないな。だが、一つ気になる点はある」
「何かしら?」
「浄瑠璃のアトリエに捜査が入ったんだよ。すると、彼女が作った人形がすべて消えていた。どこかへ行ったんだ」
「つまり、螺々と瑠々の力により命を吹き込まれたのよ。いいえ、もしかしたら、オートウィズかもしれない。自動的に人形を動かす力を使った可能性もあるわね」
「オートウィズですか、しかし、人形を自動的に動かすなんて可能なんですか?」
「螺々と瑠々の力ではないとしたら、考えられるのは、一つだけ、〈氷結の魔人〉よ」
「髑髏畑魁江の力か」
「彼の力は氷の魔人を作りだし、それを操作する。つまり、操作系の力なのよ。その力を使えば自動的に作り出した人形を動かせるはず。だけど、そんなに長くは続かない。能力と操作は能力者と対象物が離れるほど、力が弱くなっていくから、早急に螺々と瑠々に接触する必要がある」
「そうですか……」
「人形が消えたのなら、どこかで浄瑠璃の本体が隠されているはず。まだ、事件は終わらないわ。きっと今度動きがあるはず」
「浄瑠璃の目的とは何なのでしょうか?」
と、烏鵲は言った。
確かに、浄瑠璃の目的は不可解である。人形に魂を込めるのが可能ならば、わざわざ吸血事件を起こす必要はない。人を殺す必要はないのだ。しかし、浄瑠璃は人を殺し続けている。そこに確固たる目的や意志が感じられる。まだ、浄瑠璃には隠された秘密がある。螺々と瑠々の件も気がかりだけど、俺は浄瑠璃の得体の知れない考えが読めなくて、ただただ気味悪さを感じていた。
「浄瑠璃の目的、それは人形に魂を与えること。そのためには螺々と瑠々の力が必要にある。だけど、通常人形に魂を与える力を手に入れるには、強い制約が必要になるはずよ」
と、Elzaは持論を展開する。
それに答えたのは式神だった。
「となると、螺々と瑠々の力を使うために、吸血事件を起こしている可能性が高いですよね?」
「サモン・サーバント……。吸血行為を一般人に対しても行っている。ここに理由が隠されている。恐らく螺々と瑠々の力を使うためには、螺々と瑠々の二人の血液では足りないのよ。多くの血が必要になる。そう考えると、螺々と瑠々の力が単発型の力ではなく、持続型の力である可能性が高い理由が説明できるわ」
「やはり、早急に螺々と瑠々を保護しなければならなりませんね」
と、式神は悔しそうに顔を歪めながら言った。烏鵲も二人の会話を聞き、何とか螺々と瑠々を保護しようと考えているが、その方法が分からなかった。二人が言った場所に心当たりはない。だが、二人に接触したのは、消えた浄瑠璃が作り出した人形であるに違いないだろう。オートウィズによって動いた人形が、螺々と瑠々に接触し、魂を与えられるために、動き出している。そう考えるのが妥当である。
「烏鵲」と、Elzaが尋ねる。「浄瑠璃の作り出した人形は全部で何体あるか確認できるかしら?」
「最近作り出した人形を合わせて計算すると、七体程度だろう。だが、これまで作ったすべの人形を換算すると、一〇〇体は超える。個人宅でも購入されているから、そのすべてを追うのは難しいだろうな」
「一〇〇体……。そのすべてに魂を入れ、人形を人のように動かすのは難しいと思う。だけど、螺々と瑠々の力を使えば、その不可能も可能になるのかもしれない。一〇〇体の人形を使って、何かするのだとすれば、何が考えられるかしら?」
「人形を使った……。人形により死者の魂を蘇生しようとしているのかもしれないぞ」
「死者蘇生か……、そうなると、話はかなり厄介になる」
と、Elzaは顔を歪めながら言った。
しかし、本当に死者蘇生など、可能なのだろうか? 人は死んだら蘇らない。これは小学生だって知っている。人は必ず死ぬから尊い存在なのだ。その概念を捻じ曲げようとしているのだとしたら、それは脅威に他ならない。
そんな中、式神が尋ねた。
「Elza様。死者蘇生は可能なんですか?」
問われたElzaは目を何度か瞬いた後、
「死者を蘇らせるのは不可能なはず。私たちが使う力は基本的に人間の力を高めたもの。だから人間の力を超えた能力は基本的には宿らない」
「しかし、ここには轆轤川の力もあります。彼の力は〈アカシックレコードにアクセス〉するものです。これは人智を超えた力ではないのですか? 螺々と瑠々の持つ、人形に魂を与える力も、人智を超えた力であると、私は認識しているのですが」
「式神の言う通りよ。でも極稀に、人間の力を超えた力を持つミステールが現れることがあるのよ。珍しい力だけどね。しかし、それでも死者蘇生は不可能なはず」
そんな中、今度は烏鵲が質問を飛ばす。
「エルザの持つ力はどうなんだ?」
その言葉に、Elzaは反応する。
「エルザの力?」
「そうだ。エルザのミステールは精霊だ。人間ではない。精霊の力を使えば、死者蘇生は可能になるんじゃないのか?」
「精霊の力を利用か……。だけど、浄瑠璃のミステールは人間なはず」
「螺々と瑠々は本当に人間なのか?」
「つまり、精霊ってこと?」
そこまで言うと、Elzaはハッと血相を変えて叫んだ。
「式神、爺やを呼んできて頂戴。今すぐに」
言われた式神は、直ぐに来栖蔵人を呼びにリビングから出て行った。Elzaの変身に俺は驚きを感じていた。通常、Elzaは冷静沈着である。それがここまで興奮しているのに、俺は何か理由があるのだと思った。やがて、式神が来栖を連れてリビングに戻って来た。来栖が来たと同時に、Elzaは声をかける。
「じいや。『大いなる野望』を覚えている?」
来栖は目を大きく見開き、冷静さはくずさないまま答えた。
「もちろん覚えています」
「その時のデータはないかしら?」
「データですか?」
「そう。大いなる野望により、確か二人の人間が生み出されたはず」
烏鵲が容喙する。
「Elza。『大いなる野望』って何なんだ?」
Elzaは視線を烏鵲に向けた。
「今から一〇〇年ほど前に行われた、人体実験の総称。簡単に言うと、精霊と人間を掛け合わせた生命体を作り出すために行われた実験。それが『大いなる野望』」
「一〇〇年前。そんな昔の話が……」
「吸血鬼は長寿だからね、私は一〇〇年前、この事件に遭遇したの」
「それでどうなったんだ? 人間と精霊のハイブリットは完成したのか?」
「失敗に終わったはず。そうエヴァン・サングリーノたちの間では認知されていた。だけど、そうでないとしたら」
「つまり、実は『大いなる野望』は成功していたという意味か?」
「えぇ。そう考えると、螺々と瑠々が説明できる」
俺はどちらかというと鈍感な人間であるけれど、Elzaの考えが分かった。つまり、Elzaは螺々と瑠々が『大いなる野望』によって作り出された人間と精霊のハーフであると言いたいのであろう。精霊は人間の力を超えた力を持つ可能性が高い……。
「螺々と瑠々が精霊か。そうだとすると、彼らが持つ力の強さが説明できるな」
と、烏鵲が言う。
「そうね。何とかして、螺々と瑠々を保護しなければならない。彼らが利用される前に」
「だが、螺々と瑠々の力は人形に魂を与えるだけの力なんだろう。そうなれば、一般人には関係のない力じゃないのか?」
「与えられるのなら、奪えるのよ」
「奪える?」
「そう、魂を与えられるのなら、逆に魂を奪う力もあるはず。浄瑠璃はもしかすると、魂与えるために螺々と瑠々をミステールとして契約したのではなく、奪うために契約したのかもしれない」
「魂を奪うか……。一体何のために……」
「そこに『大いなる野望』の真の目的と繋がる。あの野望は人間と精霊を掛け合わせ、人智を超えた力を生み出すという目的があった。その野望を人形遣い浄瑠璃梨々花が引き継いだのかもしれない」
浄瑠璃梨々花が『大いなる野望』を引き継いだ可能性がある。ただの人形遣いである浄瑠璃が、なぜこのような選択に至ったのかは俺には分からない。第一、一〇〇年も昔に行われた実験を、どうやって浄瑠璃が知ったのだろうか? 大いなる野望というものは、それほど大きな事件だったのか? 否、そんなはずはない。事実、俺はそんな事件を知らなかったし、式神や烏鵲だって心当たりがないようなのだから。
となると、浄瑠璃がこの事件を知るきっかけのようなものがあるはずだ。それは何なのか? さらに言えば、彼女はどうやって螺々と瑠々という特殊なミステールを見つけたのだろうか? 精霊と人間のハーフである可能性が高い螺々と瑠々。言葉で言えば簡単であるけれど、実際に見つけるのは難しいように思える。
そんな中、烏鵲が声を発する。
「いずれにしても、俺たちは浄瑠璃の本体を見つけないとならないな。それに螺々と瑠々の二人も探さなければならない」
Elzaは難しい表情を浮かべながら、それに答える。
「恐らくだけど、既に浄瑠璃は螺々と瑠々に接触した可能性がある」
「どうしてだ?」
「閼伽縫町を螺々と瑠々が出たからよ」
「なぜ分かる?」
「さっき、螺々と瑠々のカードキーのデータで閼伽縫町のデータバンクにアクセスしたのよ。そうしたら、二人は街の外に出たと表示されたってわけ」
「いつの間に調べたんだよ。まったく頭が下がる。第一、螺々と瑠々のデータをどうやって知ったんだ」
「以前、龍前に聞いたのよ。彼らがミステールとして浄瑠璃と繋がりがあると察していたからね。今思えばあの時に二人を拘束しておくべきだった。これは完全に私の失態よ」
「しかし閼伽縫町を出たのだとしたら、二人がどこに行ったのか分からないな」
「閼伽縫町を出るには、カードキーが必要になる。それは螺々と瑠々も同じよ。そんな二人が外に出たというなら、それを手引きした人間がいる。それが誰なのか把握する必要があるわね」
それを聞いた式神が言葉を返す。
「カードを改ざんできる人間が、二人を連れ出したということでしょうか?」
「そうね。烏鵲、閼伽縫町のカードキーは普通の人間が改ざんできるものなの?」
問われた烏鵲は少し考えた後、速やかに質問に答える。
「難しいだろうな。少なくとも普通の人間には改ざんはできないと考えていいだろう」
「じゃあ二人を連れだした人間は特殊な人間と言うことね。なにか心当たりがあればいいのだけれど」
「少し調べて見よう。閼伽縫町はゲートに監視カメラがあったはずだ。そこにアクセスしてみよう」
「今できるかしら?」
「もちろんだ。直ぐに調べよう」
そう言うと、烏鵲は電話を使って警察署内に連絡し、直ぐにアクセスできるように指示を飛ばした。
二人を連れ出した人間は直ぐに判明した。閼伽縫町のゲートに螺々と瑠々を連れ出した人間が映り込んでいたのである。
「Elza。見つかったぞ」
と、烏鵲は持っていたタブレット端末を取り出し、それでデータにアクセスする。そこには螺々と瑠々を連れ出す青年の姿が映り込んでいた。その姿をじっと凝視するElza。
「Elza様。何か心当たりがあるのですか?」
と、式神が不安そうに尋ねる。
Elzaはまだ烏鵲のタブレットを見つめたままだ。やがて声を発する。
「人形ね」
「人形ですか?」
と、式神が言う。
「ええ。この青年は人形よ。恐らく浄瑠璃が作ったものでしょう。きっとオートウィズによって動いているはず。だけど、今頃はもう螺々と瑠々の力によって魂を与えられている可能性が高い。これは参ったわね。これは何時頃のデータかしら?」
烏鵲は腕時計で時刻を確認する。
「今から一時間前だ。まだそれほど時間は経っていない」
「一時間か……少し時間が経ちすぎているわね。仕方ない奥の手を使うか?」
「奥の手ですか?」
と、式神が尋ねる。
Elzaはそこで、ようやく視線を俺に向けた。
「轆轤川。あなたの出番。変則的だけど、あなたのアカシックレコードの力を使わせてもらうわよ」
俺はようやく話を振られたのであるが、能力が使えるかどうか分からなかった。何しろ三カ月に一度しか使えないのだから。既に一度能力を使っている。となると、俺は今、ただの人間と言っていいだろう。
「Elzaさん。俺は昨日能力を使ったばかりですよ。また使えるんですか?」
「えぇかなり強引だけど、輸血によって能力を使えるようになる。爺や準備をして」
Elzaの言葉に速やかに来栖が準備を始める。輸血によって、血液を確保し、半ば強引に能力を行使する。これは確かに可能らしい。三カ月に一度の中、たった一度だけ変則的に許される行為だ。しかし、こんなに頻繁に使っても良いものなのだろうか? 俺の力は単発型だ。エゴシーノ状態にはできない。今度も使うのを考えると、今ここで能力を使うのが正しいのか分からない。そんな中、烏鵲が声を発した。
「ちょっと待ってくれ。俺はこの人形に心当たりがある」
Elzaの表情が変わる。
「誰なの?」
「この人形はアンカーだよ」
「アンカー?」
「浄瑠璃が作った人形の一つだ。後期作品の一つで。人間喜劇というテーマで作られた作品だ」
「人間喜劇。……浄瑠璃が作っていた作品テーマの一つね。でも、それが分かっても、アンカーの居場所が分かるわけじゃない」
「いや、実はそうでもないんだ」
「どういう意味?」
「人間喜劇シリーズはとあるアトリエに保管されている。そこに行けば何か分かるかもしれない。轆轤川の能力は、なるべくなら最終手段として取っておいた方が良いだろう。もう少し捜査をしてからでも遅くないはずだ」
「Elza様」と、式神が続く。「私も烏鵲の意見に賛成です。今はまだ、轆轤川の能力を使うべき時でありません」
Elzaは決して納得した素振りを見せなかったが、何とか二人の意見を飲むことにしたようだ。俺はどうやら、まだ能力を使わないで済むようである。それが嬉しいのか、悲しいのかは良く分からなかったけれど、できるなら体に負担のかかる行為はしたくない。
「今すぐ、そのアトリエに行きましょう。烏鵲、案内しなさい」
「承知、俺が車を出そう。直ぐに行こうか」
俺たちはアウグスト家を出て、夜の闇が広がる外に世界に飛び出していく。アンカーを目指し、俺たちが向かったのは、閼伽縫町の隣になる廞杭町。ここに人間喜劇作品が収蔵されているアトリエがある。
廞杭町に着いた俺たちは、直ぐに浄瑠璃の作品が所蔵されているアトリエへ向かった。アトリエはすぐに分かったが、そこにアンカーという人形はなかった。
アンカーはどこに行ったのか? 俺が怪訝そうな顔つきで状況を見つめていると、それを見ていたElzaが声を出した。
「やはり、アンカーはいないわね。オートウィズによってどこかに行ったのよ」
「アンカーか。ここにいないとなると、どこに行ったのか?」
「轆轤川の力を使う必要があるのかもしれないわね。あまり悠長なことは言っていられないから」
「しかし、彼の力は単発型なんだろう。今使うと、本当に必要な時に使えなくなるんじゃないのか?」
と、不安そうに烏鵲は言う。
俺はElzaの反応を待つ。Elzaは少し黙って考えをまとめているようであった。しばらくの間、沈黙が支配する。こうしている間にも、螺々と瑠々には危険が迫っている。もう、能力を使うのに迷っている時間はないだろう。
「轆轤川」と、Elzaは言った。「覚悟は良いかしら?」
いよいよアカシックレコードにアクセスする力を使う時が来たようだ。覚悟と言っても俺は特に普段と変わらない。ゆっくりと頷くとElzaの反応を待つ。
「大丈夫ですよ。いつでもやれます」
その時だった。突如、アトリエ内にあった人形が動き始めたのである。その数は一〇体ほど、一体なぜ動いているのか? 俺がそう考えていると、人形のうち、一体がElzaに襲い掛かった。それを見た式神がElzaの盾になる。
「Elza様!」
と、式神は叫ぶ。
人形は鋭利なサーベルを持っていて、それが式神の皮膚を切り裂く。辺りは戦闘状態に突入する。Elzaが素早く行動を起こし、式神の能力を解放する。エゴシーノ状態を解放。まだ式神は能力を持続して使えるのである。式神は〈サンオブザムーン〉を唱える。炎が浮かび上がり、それを人形に向かって放った。
炎の塊が浄瑠璃の人形を襲う。オートウィズによって動いているのか、それとも別の意思が関係しているのか、それは俺には分からなかったけれど、式神の攻撃は確かに浄瑠璃の人形に直撃した。
だが……。
「無傷か」
と、Elzaが呟く。
彼女が言った通り、式神の攻撃は確かに直撃したのであるが、その人形にダメージを与えることができなかった。完全に無傷な状態で、人形はこちらを見据えている。
「どういうことだ?」
と、烏鵲が叫ぶ。
それを受けElzaが持論を展開する。
「どうやらこの人形には〈氷結の魔人〉がオートウィズで動いているみたいね」
「〈氷結の魔人〉それは髑髏畑魁江の力か」
「そう」
「だが髑髏畑は捕まっているんだぞ。能力と対象が離れるほど、その力は弱まるんじゃないのか」
「それは定説だけど、この人形には何か秘密があるみたいね」
秘密……。
それは一体、何なのだろうか? 俺は考えるが、都合の良い答えは思い浮かばなかった。ただ戦闘状態は非常に悪い印象がある。何より、〈氷結の魔人〉と〈サンオブザムーン〉の相性は悪い。どうしても炎は氷の能力に太刀打ちできないのである。
しかし、何度もやられる式神ではない。すぐに事態を飲み込み、対策を練る。
両手を合わせて使うレベル二の〈サンオブザムーン〉。これに着手している。
「Elza様。お下がりください」
と、式神は言うと、Elzaだけでなく、ここにいる全員を後ろに引き下げる。そして両手を合わせて巨大な炎の光球を作り出す。
「ここは式神に任せるのよ。私たちはアンカーを探しましょう」
と、Elzaは言い戦闘を離脱する。アトリエの隅に体を隠すと、そこで身を小さくしながら、俺に向かって言った。
「能力を使うわよ」
「分かりました。でも輸血しなければならないんじゃないですか?」
「準備はしている。だから安心しなさい」
そう言うと、Elzaは持っていた鞄の中から、注射針とパックされた血液を取り出した。こんな不衛生な場所で、輸血何てできるのだろうかと、俺は堪らなく不安になる。
その不安をエルザも感じ取っている。彼女は俺を落ち着かせるようににっこりと微笑んだ。
「アカシックレコードにアクセスすれば、式神を救うこともできるし、何よりもアンカーを止められる。あなたの力を使わせてもらうわよ」
もちろん、俺の力が必要であるのは分かっている。Elzaは慣れているのか、素早く輸血の準備をはじめ、俺に腕を出すように指示を出した。俺は言わるままに右腕を差し出す。そこに消毒液を塗ったガーゼで皮膚を拭き、素早く注射針を刺す。すると、体内に血液が輸血されていく。
気になるのは、どうしてElzaが俺の血液型を知っているのかということだろう? 俺のデータがなければ、簡単に血液を輸血するのは難しいだろう。
「Elzaさん。どうして俺の血液型を? 大丈夫なんですか?」
すると、エルザはゆっくりと頷きながら、
「安心しなさい。あなたのデータは既に集めてあるの。あなたはここに来たのは、偶然ではないのよ。来るべくしてやって来た」
いつの間に俺を調べたのだろうか? それはどこまでも不可解に感じられたが、とりあえず輸血は成功しているようである。通常、輸血は長い時間をかけなければならない。短時間で血液を体内に戻すと、体がそれについて行けず、体調を崩す場合があるのだ。しかし、今はあまり時間に融通が利かない。
今、こうしている間にも、式神は追い詰められているのだから。
この時の俺には、把握するのは難しかったが、確かに奇跡は起こりつつあった。輸血による強制的な能力の行使。これが現実に行われようとした中、Elzaが不意に目を丸くして言った。
「う、嘘でしょ……」
「どうかしたんですか?」
と、俺は直ぐに聞き返す。
「こんなことって……。轆轤川の能力と血液が融合していく。こんなにも早く融合するなんて、通常は考えられない」
言っていることが良く分からなかった。
「どういう意味です?」
「つまり、輸血のスピードが恐ろしく速いのよ。通常、こんなのはありえないわ」
そのありえないことが実際に起きているのである。俺は自分に起きている不思議が理解できず、ただ慌ててしまった。
そんな中、戦闘を見ていた烏鵲が俺たちのそばにやって来た。
「式神がそろそろ不味いぞ。レベル二の〈サンオブザムーン〉でもなかなか難しいようだ」
「分かったわ」Elzaは言う。「轆轤川、腕を出して」
俺は言われるままに腕を差し出す。
右腕は輸血され、左腕を咬まれる。
血を入れながら、吸い取られるという、日常生活を送っていたら、なかなか経験できないだろう。サモン・サーバントにより、俺は血液を吸い取られる。力の脈動を感じられる。能力を使うための準備は整った。
俺はゆっくりと目を閉じて、アカシックレコードにアクセスした。
巨大なデータバンクが見える。
これにアクセスすれば、螺々と瑠々の居場所と、アンカーの場所。さらに言えば式神を救えるのである。
まさに、チート的な力。
それが俺の〈アカシックレコードにアクセス〉する力だ。なぜ、俺にこのような力が宿ったのだろうか? それは多分、誰にも分からないだろう。しいて言うなら、俺には能力を使うための土壌があったということだ。
今はそれを考えてる場合はでないな。アカシックレコードにアクセスして目的を果たさなければならない。
まずは式神の戦闘の歴史を改ざんする。〈氷結の魔人〉との戦闘に勝ったように変更するのである。その後、アンカーと螺々と瑠々の居場所を把握する。
この間僅か一〇秒。
それだけの短時間ですべては完了した。
アカシックレコードのアクセスを終了すると、俺の能力は自動的に閉じていく。巨大なデータバンクが小さく縮小され、そして見えなくなる。
俺が能力を使うと、Elzaが直ぐに駆け寄って来て、俺の体を支える。
「大丈夫?」
あまり体は大丈夫ではない。全体的にふらふらする。それでもアンカーらの場所は分かった。そして式神の戦闘も救ったのである。それだけで、俺は満足していた。
「分かりました」
それを聞いていた烏鵲に突如連絡が入った。彼のスマホに着信が入り、彼はたちまち青い顔になっていった。何が起きたのだろう? 恐らくElzaもそう思っていたはずだ。
烏鵲が俺とElzaのそばにやって来て、次のように言った。
「大変なことが起きた」
Elzaが繰り返す。
「大変? 何が起きたの?」
「髑髏畑魁江が自殺した……」
「髑髏畑が……」
Elzaはそう言うと、口を歪ませた。俺も何も言えずに黙り込む。気になるのは一つだ。それは、今式神と戦っている〈氷結の魔人〉の魔人は一体何なのかということだろう。能力者が死んだのに、能力だけを自在にコントロールできるなんてことがあるのだろうか?
俺はElzaに尋ねた。
「一つ良いですか?」
「何かあったのかしら?」
「髑髏畑魁江の力のことです」
Elzaは俺がすべてを言う前に、俺の言いたいことを察したようである。
「死んだのに能力が使えている意味ね」
「そうです」
「通常、能力は能力者が亡くなると解除される」
「じゃあ、今の髑髏畑魁江の力は一体どこから?」
「当然の疑問ね。今の彼の力は、多分、盗まれた力」
「盗んだ?」
「ええ。そうとしか考えられない。恐らくだけど、浄瑠璃は新しいミステールと契約したのよ。そのミステールの力が盗むという力だった」
「盗む力ですか」
「そうなるわね」
となると、敵はかなり強大な力を有している。髑髏畑魁江の力を持ち、それを自在に使えるのなら、それは脅威であろう。俺はそう考えた。
そうこうしていると、戦闘を終えた式神が入ってくる。俺を見つけるなり、式神は何度か頭を下げた。
「轆轤川。礼を言うぞ。お前の力のおかげで俺は氷結の魔人を攻略できた」
「いえ。俺は何もしてないですよ。式神さんの力ですよ」
「謙遜しなくても良い。それでElza様。アンカーの居場所はどうなっているんですか?」
「轆轤川。アンカーの居場所は?」
問われた俺は返答する。
「アンカーはこの廞杭町にいます。ここからすぐそばです」
「そう。なら早速行きましょう。接触は早い方が良いから……」
「分かりました」
俺、Elza、烏鵲、式神の四名はアンカーの場所に向かう。アンカーは廞杭町の廃屋が広がる一帯にいる。そうアカシックレコードで判明したのである。
寂れた廃屋に向かうと、そこから何やら得体の知れないオーラが感じられた。
築五〇年以上は経っているであろう。平屋があり、そこから人の気配が感じられる。廞杭町は、その昔、再開発されるという話があったが、バブルが突如崩壊したため、途中で頓挫してしまった。その結果、このような廃屋が多くなっているのだ。まさにゴーストタウンと言える街。それが廞杭町である。
廃屋の中に足を踏み入れるElza。それを警護するように式神が続く。俺と烏鵲も二人が入った後に廃屋の中に入った。
かび臭い。だが、誰かいる。
俺は決して鋭敏な感覚を持っているわけではないけれど、誰かいるのは分かった。これがアンカーと呼ばれる人形なのだろうか?
「出てきなさい。アンカー」
壊れかけたトビラの向こうから、気配を確かに感じる。
それを受け、Elzaがトビラに向かって声をかけた。
しばし、沈黙があった後。壊れかけたトビラが「ぎぃ」と、錆びた音を上げて押し開かれた。俺の視線にある人物が映り込む。
それは球体間接人形だった。
その人形は体長一八〇㎝近くある巨大な人形で、一見すると、人間と見間違うほど精巧な作りをしていた。
これがアンカー?
俺が考えを巡らせていると、人形が口を開いた。
「やぁ。待っていたよ」
少年のような澄んだ声である。
「あなたがアンカーなのね?」
と、Elzaが聞く。
「そう。僕がアンカーだ」
「螺々と瑠々を返してもらうわよ」
「それはできないよ」
「どうして?」
「二人の力が必要だから」
「目的は分かるわ。人形に魂を与えるということを実現するため。だから、螺々と瑠々の力が必要になるのよ」
「その通りさ。僕には二人の力が必要だ。そしてその先にある『大いなる野望』のためにも」