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4.婚約破棄された令嬢の依頼 4

 その夜、イブリス・ガンダイルは王都郊外の別邸で奇妙な客人を迎えていた。

 軽々しく招き入れた家人を問い質したいほど不審な人物だ。

 全身を黒衣に包まれたベールの女と、官服を纏っているが仮面で顔を隠した銀髪の男。彼らは無遠慮に屋敷に押し入り、無礼にも侯爵子息であるイブリスに直接面会を求めた。

 本来であれば門前払いか憲兵にでも突き出すところだが、別邸を守るべき執事は困ったように沈黙している。


 黒衣の女は淑女の礼で慇懃に挨拶をした。

「お初におめもじいたします、ガンダイル家ご子息様。私どもは司法省調停局の者にございます。規則により、名乗らぬ無礼をお許しくださいませ」

「なっ……調停局、だと?」

「執行課だ」

 唖然とするイブリスに向かって、仮面の男が端的に告げる。

 野次馬をしていた使用人らにも伝わり、屋敷中が騒然とする。イブリスは蒼白となった。


 このサビ王国の民で、貴族平民に拘らず、執行課の覆面部隊、即ち執行係の存在と意味を知らぬ者はいない。

「取立人……」

 どこからともなく聞こえた俗称は、イブリスの背筋を撫でた。

「如何にも」

 司法省所属の身分を表す紋章が、訪問者たちの手の甲に浮かび上がる。詐称ではない。


 調停局が介入した個人、或いは組織間の係争に於いて、過失や罪科により慰謝料等の賠償が発生する場合は多々ある。

 調停で定められた支払われるべき、しかし一向に支払われない負債を、当事者に代わって回収する部署が、執行課であり、執行係だ。

 真に支払い能力がない等の事情によるものであれば、分割弁済や請求額の見直しのため再調停が行われる。わざわざ執行係が出てくるのは、特に悪質・・・・と認められる案件に限られた。

 相手を誤魔化し、諮り、陥れ、権力や身分に物を言わせ、後ろ暗い工作を行い、社会的責務を放棄し、最終的に負債を踏み倒す……また、その虞があると見做された卑劣漢のみが、公的機関の制裁の対象なのである。

 立場ある者にとって、執行係の取り立てを受けるなど、不名誉の極みとされた。


 己どころか家の信用を失墜し兼ねない危険な状況を悟り、イブリスの顔は青く変わる。やがて何かに気づくと、怒りのため瞬く間に赤く染まった。

「……アリアベル! あの女か!」

 執行課に依頼する心当たりに至ったのだろう。イブリスは激しく悪態を吐く。

「あの業突く張りの高慢な雌狐め! そこまでして僕とルルの仲を邪魔したいか! 思い通りにならぬからといって執行課に訴えるなど!」


「清々しいまでの棚上げだな」

「残念だこと」

 激昂して地団駄を踏むイブリスは、呆れ果てた視線もまったく気に留めない。

 執行係の面々どころか、屋敷の使用人たちの失笑すら買っているのだが、意見する者はおろか声をかける者すらなかった。


 ――ただひとりを除いては。



 その少女は広間の階段の影におり、ずっとイブリスの様子を窺っていた。

 小さな肩を小刻みに揺らし、全身で不安を表す。震える様すら室内飼いの猫のように愛らしい。少女は小さく恋人の名を呟いた。

「イブリス様……」

「……! ルル!」

 か細い呼び声を聞き取ると、イブリスは少女の元に駆け寄った。

 学院の「天使」と謳われる可憐な少女……ルルティエ・ディーバは、涙で潤んだ菫色の瞳で、イブリスと訪問者を交互に捉えた。

「イブリス様、これはいったい……」

「ルル、大丈夫だ。何も心配はいらない」

「でも先程……取立人と」

「どうやらアリアベルがこそこそと画策したらしい。僕がちゃんと話をつける。ルルは絶対に僕が守るから」


 単に恋人の前で虚勢を張ったのか、まだ挽回可能な状況と甘く判断したのか、イブリスは一転、強気の姿勢で黒衣の女と仮面の男を睨めつけた。

「何が取立人だ! よくも僕のルルを怖がらせてくれたな」

 ルルティエを背に庇いながら立ち向かう姿は、こんな場面でなければ勇敢なる騎士の見本として讃えられたかもしれない。

「貴様らなど、所詮は司法省の役人風情だろう。雌狐に何を吹き込まれたか知らぬが、ルルを守るためなら僕は容赦しない!」

「イブリス様……!」

 堂々と剣を抜く構えをするイブリスに、ルルティエは大きな瞳を更に瞠き、周囲は狼狽して後ずさり距離を広げる。

 ドヤ顔のイブリスは招かれざる客人たちを横目で見遣った。


 二人は特に何の反応も見せなかった。


「な……」

 動揺も怯えもない相手に、イブリスは面喰う。

 仮面の男はやれやれと肩を竦めた。

「学院の休暇期間とはいえ、女連れで別邸にしけこむとは……悠長なことだ」

「口が悪くてよ。銀狼」

 ふふふ、と黒衣の女がべっとり紅く縁どられた口元で笑う。

「ちょうど良かったわ。的が揃っているなんて、幸運と言うべきかしら」


「さて」


 捕食者は獲物に迫る。

 イブリスの脳裏には一瞬、尖鋭な牙と爪に襲われる自身の幻が浮かんだ。


「宣告します。イブリス・ガンダイル」

「並びにルルティエ・ディーバ」

 覆面の奥で残酷な笑みを絶やさぬまま、執行係はそれぞれの名を呼びながら書状を突き付ける。


「宣告します。アリアベル・ライトニアの保有する債権は、今日を以って執行課に譲渡されました」

【登場人物】

・黒羊…執行係。黒ずくめの女

・銀狼…執行係。銀髪仮面の男

・アリアベル・ライトニア…婚約破棄された伯爵令嬢

・イブリス・ガンダイル…婚約破棄した侯爵子息

・ルルティエ・ディーバ…横恋慕した男爵令嬢

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