29.薔薇園に佇む 4
黄色い薔薇の花言葉はあまり印象が良くない。
嫉妬、不貞、薄らぐ愛、別れ――瑞々しく明るい色とは裏腹に、不吉な愛を予感させる言葉に彩られている。まるで目の前の少女のようだ、とアリアベル・ライトニアは思った。
美しくも忌まわしい黄薔薇に囲まれ、相容れる要素のない二人の少女は正面から対峙する。
アリアベルは当然のごとく、鋭い眼差しでルルティエ・ディーバを見据えた。
ルルティエは菫色の瞳を不思議そうに瞬かせて、アリアベルに尋ねる。
「どうしましたの、アリアベル様?」
「別に……貴女が何を考えているのか、わたくしにはさっぱりわかりませんわ」
「私は、謝罪をしたいだけです」
ルルティエが片手で眦を拭う仕草をすると、ひらひらした薄桃色のドレスの裾が舞う。あざといぐらいに儚げでか弱く見えるその姿に、アリアベルは一瞬だけ戸惑った。
「……謝罪、ですって?」
とても信じ難いとアリアベルは言う。
「反省などされていないでしょう? イブリス様は領地に謹慎されたけれど、貴女はよりにもよって魔法科に転籍された。それに今日だとて、ブライド子爵に伴われていらっしゃる」
「それは……事情が」
「どんのようなご事情? 魔法科の件は致し方ないとしても、軽々しく他の殿方に寄り添って。貴女、恥ずかしくはありませんの?」
「……そ、んな」
手持ちの扇を閉じてアリアベルが強く責めると、ルルティエは脅えた様子で、声を震わせて呟く。縁談を反故にされ被害を受けたのはアリアベルの方なのに、逆に強権を振りかざし、弱者を虐げている場面にすら見えるだろう。
「どちらにしろ、もはや関係ありませんわね……わたくしと貴女とは。謝罪とやらは受けて差し上げるから、今後一切話し掛けないでいただきたいわ」
「アリアベル様」
「気安く呼ばないでちょうだい」
嫌悪感を露わにして、アリアベルはルルティエを蔑むように一瞥する。
ルルティエは半歩後ずさりながらも真っ直ぐな視線を返した。
「何ですの? 何か言いたいことでも……」
訝しく思ったアリアベルが疑問を口にする前に、ルルティエの瞳がふと別の方向に逸れた。
釣られて、アリアベルも顔を横に動かす。
「……?」
近づいて来る二つの人影が見えた。
「あれは、ブライド子爵……それに」
面識のないもうひとりの人物を視認して、アリアベルはやや動揺した。
噂も聞き及んでいるし、夜会でも目にしている。
今宵のルルティエのパートナーであるカンパネル・ブライドの後ろには、妖艶な黒い装いの令嬢――シャルアリーナ・レインがいた。
リーナはカンパネルと共に薔薇園の奥までルルティエを探した。やがて清楚な白が途絶え、明朗な黄の色彩に変わる頃、見知った二人の姿を発見した。
「いました、ルルティエ嬢。……と、ライトニア伯爵令嬢!?」
「まあ」
意外な取り合わせに、カンパネルは驚愕して立ち止まる。その背後からリーナは令嬢二人を交互に見遣った。
修羅場――だろうか。
以前学院で起きた醜聞は、過去にするにはまだ新しい。
婚約破棄された令嬢と、相手の婚約者を奪った令嬢が二人だけで相対している。
当事者の最後のひとりである侯爵家の子息はすでに王都から去ったが、残された女同士で如何に確執があってもおかしくはないだろう。
「探しに来てくださったんですか、カンパネル様」
先程アリアベルに対していた声音とは全く異なり、鈴の音のごとく愛らしく、ルルティエはカンパネルに話し掛ける。
「え……ええ、まあ」
「ありがとうございます。私、嬉しいです」
「いえ、こちらこそ。はぐれてしまい申し訳ありません」
菫色の瞳が上目遣いでカンパネルに向けられる。
あまりのわざとらしさに、アリアベルは不快さを隠そうともせず呟く。
「なんて恥知らずなの」
リーナはそんなアリアベルを観察する。
どうやら彼女は執行課に依頼したときの印象通り、正義感が強く真面目な性格らしい。やはりどう考えてもイブリスとは不釣り合いだっただろう。
リーナの視線を受けて、アリアベルは礼儀正しく一礼した。
家格で言えば同じ伯爵家ではあるが、現時点では王家との縁談があるレイン家の方が上だと判断したようだ。
「良い夜ですね。私はレイン伯爵の娘、シャルアリーナと申します」
「お会いできて光栄に存じます。わたくしはライトニア伯爵の娘、長女のアリアベルですわ」
見事なまでに儀礼だけを取り繕い、両者は初対面の挨拶を交わす。
学院でも所属が異なる生徒同士が会うことは少ない。アリアベルがリーナの正体を知らない以上、初めての顔合わせには違いない。
アリアベルに一礼を返すと、リーナはカンパネルに向き直った。
「カンパネル様、ルルティエ様が見つかったのなら何よりです」
「はい、ご協力いただいて感謝いたします」
「シャルアリーナ様も探してくださったのですね。感激です」
リーナとルルティエは互いに紹介し合わない。
すでに面識があるのか、とアリアベルは意外に思う。あまり接点があるようなタイプには見えなかったからだ。カンパネルも同様である。そういえばリーナはルルティエの顔を見知っていると言っていたが、そのときは単に学院の有名人だからだと勝手に思い込んでいた。
「……ルルティエ様も、何よりです」
二人の訝し気な視線を気にも留めず、リーナは尋ねる。
「お二人で、黄薔薇をご覧に?」
「ちょ……シャルアリーナ様、それは」
遠慮のなさ過ぎるリーナの物言いに、カンパネルがあからさまに狼狽えた。
険悪な女子二人の間に割って入るなど、男にとっては騎士同士の剣戟の最中に飛び込むようなものだ。焦るのも無理はない。
「もう、行きましょう。ルルティエ嬢も見つかったことですし、殿下もそろそろ用事がお済みだと思いますよ」
「……」
やや慌てた様子で促すカンパネルに対し、リーナは返答をせずゆっくりと口端を上げた。
「え……?」
その笑みに記憶を刺激され、アリアベルが動揺の声を漏らす。
瞠いた瞳の色は何かを思い出したかのように、既視感と疑心の狭間で揺らいだ。