20.題名のない狂想曲 1
王宮の一画で叔父と甥は顔を合わせた。
王弟ハミル・エルハディル・サビと第三王子シルヴィ・クロゥディル・サビはそれなりに仲が良い。
将来的に、シルヴィは兄王子が王位に就けば、ハミルと同じ立場になる。独身の王弟は自身の後継者として、甥に目をかけていた。
年齢が違うとはいえ、よく似た煌びやかな顔立ちが二つ並ぶと壮観である。城の侍女に遠巻きに眺められながら、二人は和やかに世間話に興じている。
「やあシルヴィ。調子はどうだい?」
「叔父上」
「聞いたよ。何でも意中の女性がいるんだって。いいねぇ、若い者は」
「もう王宮まで噂が届いていましたか」
「娘を王家に嫁がせたい連中から、散々探りを入れられたよ。いやはや、第三王子は急に何を考えてるんだってね」
「埒もない」
肩を竦めるハミルに、シルヴィは苦笑しながら尋ねる。
「それとも、叔父上もお気に召しませんか?」
「むしろ我が甥ながら見る目があると褒めてやりたいねぇ」
「毒にも薬にもならないような娘じゃあ王族の伴侶は荷が重いだろうが、その点、お前の選んだご令嬢は理想的だ」
ハミルは悪戯がバレた子どものように愉快気な表情をした。
「いずれお前は私の職務を引き継ぐ。丁度よかろうと思ったんだよ」
「叔父上の掌ですか」
やや不満そうにシルヴィは文句を言う。
「お膳立てされたのは些か気に入らないですね」
「そこまで狙った訳じゃあないさ。飽く迄お前自身の選択だよ」
「……ただ」
一瞬真顔になったハミルに気づき、シルヴィも笑みを消す。
「ご懸念が?」
「いや……ちょっとねぇ、心配というかねぇ」
ハミルは言葉を濁す。
「私に何かできますか?」
「さてねぇ……そうだな、シルヴィ。君は『天使』を知っているかな?」
急に話を変えられて、シルヴィは面喰らった。
「天使?」
「お伽噺、いや伝承の?」
シルヴィの脳裏には二つのイメージが浮かぶ。
天の御使いたる清らかな翼持つ存在、そして今ひとつは……。
「お伽噺でなく出典の方だね。古典を読む限りは屍肉喰らいの鳥の化け物なんだよねぇ。何故それが後世お綺麗な翼人の姿になったのか、謎ではあるのだけれど」
「『蒼白い顔以て翼在るもの、天から舞い降り咎人の腸を啄む』……でしたか」
「うん、それだね。近いのは」
「近い?」
「古くは天使の比喩を持つ民族がいたという話さ」
何やら思惑を含ませ、ハミルはシルヴィに伝える。だが彼は可愛がっている甥っ子にも甘くはなかった。
「これ以上は宿題だ。まあ、惚れた女くらいは自分で守るといいさ」
◆ ◆ ◆
仕事に赴く前、リーナは黒いドレスを身に纏い、厚めに化粧を施す。
いつも顔の殆どをベールで覆って外には見せないが、決して手は抜かない。
これは儀式だ。シャルアリーナ・レインが執行係の黒羊を演じるために必要な通過儀礼である。
濃くシャドウを入れ、最後に血のような紅を何度の重ねて引く。
鏡の中には妖艶な女が映し出された。深い漆黒の瞳は宵闇の青に縁取られ、異国の趣きを更に色濃くしている。
リーナの顔立ちは母に似ている。おそらく母方の血筋に外来の血が混じっているのだろう。黒髪と同色の瞳は父親譲りだ。
学院で平民と大差ない服装で、飾り気のない姿をしているときは、彩りの欠片もない地味な印象である。或いは顔立ちの彫りが深くないため、却って化粧が映えるのかもしれない。
ベールを被り自室から一歩踏み出せば、そこはもう甘い貴族の社会ではなく、どこまでも残酷な狩人の世界だった。
汚泥の沼に自ら足を踏み入れることを、リーナは後悔しない。彼が死ぬ以前と何ら変わりない。ただ立ち位置が僅かにずれただけだ。
リーナは家人の誰にも気づかれず、黒衣のまま外へ出る。
執行課に必須の魔法は二つあった。
ひとつは言わずもがな、対象の財産を特定する「検索」の魔法である。もうひとつは逆に、自分の存在を他者から認識、特定させないための「目眩まし」の魔法だった。
後者を駆使して、リーナはこっそりと司法省調停局の建物に向かう。途中で乗り合い馬車を使うが、周囲の誰にも悟られることはない。
司法省だけに限らないが、中央官庁は王城に近接している。実務を請け負う役人には下位の貴族や平民の登用が多く、職に就く必要もない高位貴族は少ない。
女性職員もそれなりにいるが、慣習により貴族女性は家庭に入るため、平民階級で占められている。
執行課の人員は試験登用でなく、長である王弟ハミルの推薦で採用されるので、大多数の例には当てはまらない。とはいえ、貴族然とした妙齢(と思わしき)女性がうろついているのは不審極まりなく、リーナは本部に赴く際は、扉を開けるまで「目眩まし」を維持していた。
事務所に入ると中は閑散としていた。
調査係や事務員が疎らにおり、忙しない様子はいつものことだ。執行課に余剰人員は皆無であり、実行部隊の執行係も、その前段を補佐する調査係も、ほぼ隙間なく仕事を埋められている。特に執行係はリーナやルルティエのように、二足わらじで時間が限られている者もいる。
だが、ごく稀に空白が生じる場合もあった。
その日の夕方、リーナの仕事の予定が覆ったのは偶々だった。相棒を務める銀狼の二人で揃って手持ち無沙汰となり、大変珍しく事務所内で時間を持て余すこととなった。