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19.天使は再び踊る 6

 ゼロアッシュ・テロル――。

 裏社会で一定の勢力を有するウォルカ一家、その末端構成員トルスト・ズブロが口にした名は、いったい誰のものなのか。そして、黒いベールで顔を隠した女がどのように関わっていたのか。ルルティエには想像もつかない。


 ルルティエは二人を交互に見遣った。

 問い詰められたトルストは竦み上がっている。

「黒羊さん、ええっと……」

 ルルティエは困惑して息を吐いた。

 先輩の暴走を制止すべきという使命感の他にも、ルルティエが口を挟む理由があった。

 

 実のところ……ルルティエはトルストなる男に見覚えがあったのだ。

 最初は特に重要とも思わなかったので黙っていようとしたが、ルルティエは過去、この図体だけの男を確かに目にしたことがある。

 無論、ウォルカ一家だの何だのと関わっていた訳ではない。ただ、これだけの体躯だ。一度目にすれば記憶にも残る。

 伝えるか迷ったが、しばしの逡巡の末、ルルティエはほぼ打算から口出しを決めた。今後を考えれば、実力を誇る先輩にちょっとした貸しを作っても、特段損はなかろうとの判断だった。


「あのぅ、黒羊さん」

「……ああ、何かしら?」

 紅い唇は殆ど心無く動く。これは重傷だとルルティエは眉を寄せた。

「ええとですね」

 ルルティエはトルストを指さしながら告げた。

「実は私……この男、ちょっとだけ見知ってるんですけど」

「はあっ!?」

「……へえ?」


「言ってちょうだい、白翼」

 問いかける声のあまりの低さに、ルルティエはぞっとした。取立人が彼女の一面に過ぎぬことを今更ながらに思い知らされる。

「あ……はい」

「貴方もよ、トルスト・ズブロ。洗いざらい話していただくわ」

「いや、その、俺は別に」

 ガタイに似合わず小心なのか、リーナに暴力を振るわれて脅えているのか、トルストは逃げるように後ずさった。

「俺はただの下っ端なんだ」


「ゼロアッシュ……テロルの旦那が一家で仕事してたのは、ずっと以前のことだ。知ってるだろう? テロルの旦那はとうに」

死んでいる・・・・・わね。そう、彼はウォルカ一家に?」

「いや、旦那はウォルカ一家の親元、ウィズ一家に雇われてた」

 トルストは躊躇なく、自分が所属するもうひとつの組織の名を上げる。

「俺もつい最近まではそっちにいたんだ」

「ウィズ一家!」

 そこでルルティエが声を上げる。

「それです。確かこの男、ウィズ一家の使いとして、イブリス……いえガンダイル侯爵の子息のところに出入りしていたんです」



 + + +



 帰りの馬車の中で、リーナは終始無言だった。

 時折ルルティエが窺うように菫色の瞳で凝視していたが、半ばわざと放置した。

 弱味や隙を露わにするのは、職業柄賢い選択ではない。しかし今のリーナには、周囲はおろか自分自身すら顧みる余裕はなかった。


 すでに解放してやったトルスト・ズブロの言によれば、ゼロアッシュ・テロルなる人物は生前(・・)ウィズ一家に雇われていたという。

 ウォルカ一家の親組織でもあり、表でも裏社会でも名の知られたウィズ一家は、合法非合法拘わらず 手広く事業をやっている。

 そのひとつに金貸し業がある。あまりイメージの良くない商売ではあるが、資金繰りに厳しい商家をはじめ、貴族平民に限らず一定の需要がある。

 足元を見ているため、当然利息は高い。貸し倒れもある。その分取り立ては容赦なく行われる。

 ゼロアッシュ・テロルはウィズ一家の私設回収屋だったらしい。



 ようやく手掛かりに巡り会った……。


 王弟に従ってまで待ち続けた、亡き(・・)ゼロアッシュ・テロルの情報が僅かでも手に入ったのだ。リーナは感情を抑え切れないでいる。

 ウィズ一家や、もしかするとガンダイル侯爵家がどのように関わっているかは未だ不明だが、端の端でも繋がったのは行幸だった。取立人に身を窶した甲斐があったというものである。


 リーナの心には幼い頃の淡く微かな記憶が浮かんでは消える。

 あれからどれほどの時が流れたのだろうか。



 伯爵家の息子と恋仲になった身の程知らずな女。

 後先考えず駆け落ちした愚かな女。

 身籠ったまま捨てられた哀れな女。

 下町で貧しいながらも子を育てる気丈な女。

 幼子を遺して逝った残酷な女。



 幼い日に、リーナの人生は変わった。

 貴族の庶子として生まれたが、長く不遇に置かれ、貧しくみすぼらしい平民として暮らしてきた。それは別にいい。

 実父が爵位を継ぎ、他に子もなく正妻にも先立たれたからとリーナを引き取りに来たのは、母の死後何年も経ってから、すでに11歳の誕生日を迎える直前だった。それすらどうでもいい。


 あの日、母が病で死んだ朝、()は表情もなく冷たい遺体を見下ろしていた。

 独りぼっちになってしまったと子ども心にも理解して、リーナは泣き喚く。実父の存在など露知らず、母親だけが世界のすべてだった。



 ――憶えている。


 ゼロアッシュの非情な科白すべてを、リーナは片時も忘れたことはない。


『もしお前が生きる道を望むならば』



 もしも


 親鳥を亡くした無力な小鳥が

 この煉獄で生き残る道を選ぶならば

 巣から落ちた哀れな駒鳥が

 再び翼以て地から飛び立たんとするのならば

 堕ちた人間の腸を切り裂く嘴を得るがいい

 そして屍を啄む天使に成り果て

 血の海で踊るがいい



『お前はもうどこにも行けない』



 呪縛は耳の奥で何度も繰り返す。

 リーナは思い出す。

 巡る心が決意を新たにする。


 

 今はまだ、辿り着けないけれど。

 いずれ天使は再び踊るだろう。



<天使は再び踊る~了> 

次話より「題名のない狂想曲」


お読みいただきありがとうございます

ここらが丁度真ん中くらいです

登場人物も概ね出切った感じです

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