17.天使は再び踊る 4
「使用料なんざ知らねぇよ! 似た商品になったのは……ぐ、偶然だ」
「商品の登録申請は早い者勝ちの法則です。言い訳は通用しません。それに調停課の仲介で代理人の方がラムダ商会さんと合意されてますよ?」
「……うるせえ!!」
激昂したギルビルは、がなりながら力任せに掴みかかろうとする。
ルルティエは身軽にひょいと避けた。転倒しかけたギルビルは、しかしルルティエの白いローブに腕を絡める。
体勢を崩した小さな身体に、男の乱暴な拳が当たった。
「きゃッ!!」
不意打ちで殴られたルルティエは、背後に立っていたリーナのところに倒れ込んでくる。
「いっっっったぁぁぁい!!」
「あらあら」
リーナは素早く片手を翳し、魔法を発動する。
「……がッ!!」
魔法は傷つき転倒した後輩を摺り抜け、乱暴な男に向かう。リーナはギルビルの四肢に照準を定め、杭を打つように床に縫い付け拘束した。
「!? な、なんだ!? 放せ!!」
大の字になって寝転がらせられたギルビルは、情けなく喚いた。
当然リーナは冷たく無視する。
「信じられない……!」
殴り飛ばされたルルティエが、漸く立ち上がる。
「顔! 顔に当たったんですけど!」
「油断し過ぎではなくて、白翼。それに、早くちゃんとした魔法を覚えて、自分で防御できるようになさいな」
「すっごい痛いし、すっごい腫れてる。もう、どうしよう……」
ルルティエのストールにはべったりと赤い血が付着していた。おそらく、口と鼻から鮮血しているのだろう。
「戻ったら、治癒魔法の使い手にでも治してもらうことね」
「……それ、有料ですよね? かなり高いですよね。また借金が増える……」
「精進なさいな。今だけ、痛み止めの魔法を懸けてあげてよ」
「無償ですか?」
「まさか」
「ですよねー」
本気で落胆するルルティエに対しても、リーナは容赦なかった。
見習いであっても執行課の仕事をする以上、馴れ合いは不要だ。先輩後輩の関係性は学院のそれと違い優しくはない。
自慢の顔に怪我をさせられて凹んでいるルルティエに、気休めばかりの魔法を使うと、リーナは仰向けの標的を冷たく見下ろした。
「さて、そろそろ回収を始めましょうかしら?」
相手が暴力行使に挑んできたならば、対話や交渉よりも同じ分野での応酬が必要になる。まだ物理的技術に拙いルルティエの代わりに、リーナが出張るしかない。
唇に塗られた血のごとき紅が、相手を脅すように笑みを描く。
リーナは最も効果的な回収方法を考える。依頼されたものの、獲物はすでに目ぼしい財産を持ってはいなかった。
身動きの取れないギルビルは、大量の汗をかきながら自分からそれを白状する。
「勘弁してくれ! 俺だって金があれば何とでもするさ。商売できなくなっちまって、儲けなんざもう残ってないのさ」
「存じてましてよ」
調停以前より経営の苦しかったパッソウ商会が、多額の借金を抱えていたのは調査済である。この鄙びた倉庫も抵当に入っているため、近々で人手に渡る算段だ。
パッソウ商会はすでに落ちぶれてはいるものの、裏社会とも怪しい金の遣り取りがあり、本件だけでなく違法薬物やら人身売買にも関わっていた。その辺りは治安管理局の管轄なので調停局の関与するところではないが、分割払いなどと悠長なことを認めていたら、裏ルートで国外にでも逃亡される虞があった。
「どうします? 絞っても出なそうですよ」
「そのようね」
「でも、そんなの『検索』の魔法で予め判ってましたよね?」
ルルティエが首を傾げる。
二人は依頼を受けた際に、執行課の固有魔法によりギルビルの資産の有無を確認していた。相手の財産を調べる「検索」の魔法は、当人を前にしなくとも発動できる。正式な請求を裏付ける債権書類ひとつがあればいい。
「白翼、ここからは授業よ。財産のないパッソウ氏を、『検索』の魔法で追いかけられたのは何故だと思う?」
「えっと……『検索』の魔法は債務者の財産すべてとその在り処を特定する魔法だから……つまりパッソウ氏自身が何か財産を身に着けている?」
生徒に及第点をつけ、リーナは満足気に肯く。ただし完全な正解は少し異なる。
「人間が最後まで持っている財産。それはね」
「自分自身ってことよ」
その後のリーナは苛烈だった。
拘束の魔法をいったんルルティエに引き継がせると、細身のナイフを取り出す。
「ギルビル・パッソウ」
「ひっ……!」
「ラムダ商会への商品使用料および粗悪品流通による損害賠償、50万ネイ」
リーナは小汚ない男の服を捲り上げる。
「貴方自身でお支払いいただくわ」
単なる魔法ではなかった。ある意味では技術とも言える。
繊細かつ残酷に、鋭利なナイフは皮膚を切り裂き、その内に在る内臓の境目に触れた。
相手を抉りながら殺す。
否――生命に必要な臓器を奪ったから、結果として男は息絶えるのだ。
機械的に淡々と、リーナは捌いた腹の中から次々と臓器を取り出していく。
続いて、切り離された人間の中身に時止めの魔法をかける。これで暫くの間、取り出した内臓は新鮮なまま保持できる。
更に不可視の袋を魔法で作り出し、まだ生暖かい臓器を個別に納めた。
「うぇぇぇぇ。グロ過ぎですよ。どうするんですか、これ」
さすがのルルティエも吐きそうな表情で、凄惨な遺体を見た。
「もちろん、売却させていただくけれど?」
とりたてて何でもないことのように、平然とリーナは言う。
「医療魔法に病気の内臓を健康な人間のそれと入れ換えるという術があって、そこそこ需要があるのよ。特に富裕層にね」
「なるほど……取立人が忌避される理由がようやく実感できました」
回収すべき債権がなくならない限り、手段を択ばず相手の資産を根こそぎ奪うのが、執行係の唯一無二の責務である。
生死は問わない。人殺しを厭う倫理感もない。生かしておいても益がないと判断すれば、獲物の腸を啄む程度は予定調和だ。
「さ、片付けて撤収しましょう」
「うぇぇぇぇ」
ルルティエはリーナに促され、嫌々ながら手持ちのずた袋に次々とギルビルの内臓を詰め込む。
最後に取り残された遺体の顔は、眼球すら抜き取られていた。
憎悪の感情も苦悶の表情も見当たらない。おそらく驚愕の瞬間さえなかっただろう。死の刹那まで、彼は自分の身に何が起こったか悟ってはいまい。
「どうするんですか、これ。放置でいいんです?」
罪悪感や後ろめたさではなく、単純に保身のため、ルルティエは血塗れの他殺体を置き去りにしていいのかと訊いた。
リーナはくすりと笑う。
「あら、大丈夫よ」
その視線はベールの奥から倉庫の扉の外に向かっていた。
「倉庫の新たな所有者が片付けてくださるわ」
「……ねえ、貴方?」