11.王立学院録 3
「私は君に結婚を申し込む」
シルヴィの口を抑えようとした手は虚しく宙を切った。
リーナは目を瞠いたまま硬直する。
どういうことなのか訊いてくるディタの高い声が、耳鳴りのように聞こえた。
他の生徒たちのざわめきが一層音量を増す。
「はあぁ……?」
あまりにも間抜けな反応にも、麗しの王子はまったく動じない。
まるでリーナから否の返事を奪うかの如く、シルヴィは素早く三度目の口づけを手に押し付けた。
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第三王子が学院の女子生徒に求婚した――。
噂は疾風よりも勢いよく広まり、翌日には学院内の誰もに知れ渡っていた。
話題のご令嬢ことシャルアリーナ・レイン(16歳)は、勘弁してくれと頭を抱えている。
「まあ、いいんじゃないの? リーナの家なら王族と結婚しても問題ないでしょ。伯爵家の跡継ぎは必要な訳だし、王家の血筋が入るなら良かったじゃない。丁度いいわよ」
「えー……他人事すぎるよ、ディタ」
リーナはうんざりと机に突っ伏す。
今朝から放課後の今に至るまで、いったい何人の野次馬が研究科の教室を訪れたことだろう。すでに珍獣扱いである。
その多くは王子に憧れる学術科の女子生徒たちで、リーナの容姿を確認すると、侮るような勝ち誇るような表情で去って行く。殿下に相応しくない、と聞えよがしに騒ぎ立てる令嬢もいた。
「私の安寧を返して……」
「信奉者が多いものね、殿下は」
あまり目立ちたくない友人の性格を慮り、ディタがよしよしと頭を撫でる。
「なんで私かなー」
「ねえ? ライトニア伯爵令嬢とのご縁談があるって話だったけど、違ったのね」
「そっちの方がお似合いなのに」
才色兼備同士で勝手にくっついて欲しい、とリーナは素直に願望を口にする。
「それは酷いな。愛しいひと」
急に割って入った声があった。
振り向くまでもなく、先日の傍迷惑な客人だとすぐに判る。物見遊山に訪れていた女子生徒たちから黄色い悲鳴が上がった。
「シルヴィ王子……」
「君の時間をいただきに来たよ、リーナ」
薔薇の香りを漂わせるかのような笑顔は、リーナをげんなりとさせる。
美形なのも声が良いのも背が高いのも、彼を象る魅力すべてが癇に障る。この手の外見が優れ自信に満ちた男は、絶対に本性が別にある。仕事柄、演技に慣れているリーナは確信していた。
「あのー……殿下」
「敬称は不要だ。私たちの間に遠慮は要らない」
まだそんな仲じゃない、という突っ込みはおそらく無駄だろう。優し気な外面で誤魔化してはいるが、かなり強引かつ傲岸な性格だと、リーナは推測する。
「……シルヴィ様」
「ああ、リーナ。では行こうか」
「えー……」
予想通りである。
シルヴィは自然に、だが殆ど強制的にリーナの腕を自身のそれに絡め、有無を言わさず教室から連れ去ろうとする。
頑張ってね、というディタの小さな声援は辛うじて聞き取れた。
王族と雖も、学生の身分で学舎内に私室を持てるとは不公平ではないか。
平等主義者とは程遠いリーナに、そんな発想は端からない。元々が貴族社会の縮小再生産に近い学院で、身分に逆らうのは無駄な作業だ。
ただ、従順を装ってシルヴィに付いてきたものの、王子がほぼ私用に使う専用応接に連れ込まれ、ソファに隣り合わせで座っている状況には、若干の戸惑いを感じている。妙齢の男女が個室に二人きり……は、さすがにまずかろう。
まさかいきなり無体を働かれたりはしないだろうが、万一襲われでもして本気で抵抗すれば、大惨事になる可能性は捨て切れなかった。
頭を悩ませるリーナとは裏腹に、シルヴィの機嫌はすこぶる良好である。
「嬉しいよ、リーナ」
「はあ……そう、ですか」
「君が私を受け入れてくれて」
「え? えー……」
表向きはまったく邪気のない笑顔に中てられて、リーナは再び気を滅入らせる。
まったく厄介な相手に目を付けられてしまったものである。
今日はたまたま仕事の予定が入っていなかったため時間が取れたが、今後もこの調子で付き纏われるのは困る。真意を探り、降って沸いた結婚話をどうにか白紙に持っていきたいと、リーナは真剣に考えていた。
外向きにはまだ年若い箱入り令嬢のリーナではあるが、当然夢見がちな乙女ではない。面識のない王子様から見初められるなど到底信じ難い。裏に何があるのか見極める必要があった。
「まだ信じてはもらえないようだね」
意外にも訊いてきたのはシルヴィの方だった。
「……まあ」
翻弄されるだけの受け身体質といった体で、リーナは困惑顔のまま上目遣いにシルヴィを見る。
「いきなり、でしたので」
「結婚なんて……」
「伯爵家の令嬢なのに? 今まで一度も?」
「ええ、まったく」
「まあ研究科に進むぐらいだから、それなりに横紙破りなお嬢さんだとは理解しているよ」
やはりそれか、とリーナは内心で舌打ちする。
貴族令嬢が学術科以外を選択するのは皆無ではないが、少数派であることは否めない。才能があれば貴賤男女問わず進学を奨められる魔法科ならまだしも、研究科は確かに稀少だろう。
調べられれば判明するとはいえ、今まで周囲には貴族と認識されないよう大人しく振る舞ってきたつもりだ。別に名札を付けて歩いている訳ではないので、他のご令嬢のような如何にも貴族然とした態度や装飾を控えれば、平民に紛れるのは容易である。
おそらくシルヴィは王子の権限で学院名簿を検め、リーナの素性を知り、関心を抱いたのに違いない。風変りながら使えそうなら持ち駒のひとつにでもと考えているのか。
人材を囲い込みたいとしても、別の手段を講じて欲しかったとは思うが……尤も、一女子生徒に近づくには、求愛行動を装う以外は難しかったのかもしれない。
仕方がない、とリーナは諦めて相手の要望を聞く覚悟をする。
「父は、私の行動に制限を設けません」
「そう……信頼? それとも」
「放任です」
大人しい少女の仮面を捨てて、リーナは口調を変える。
「私は妾腹ですから」
予め調査済なのだろう。シルヴィは驚いた様子も見せなかった。
「こちらにも事情がありますが、それでも私は比較的自由が利きます」
反応がないのも予想の範囲内だったため、リーナも冷静に話を進める。
「なので、本意ではありませんが」
「……続けて」
「内容次第では、取引に応じましょう」