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作者: 文梧




 どんな物事にも、「真実」がある。

 彼は、その「真実」を映し出すことが誰よりもうまかったのだ。


      ◇


 ついこの間まで、夜の七時近くになっても薄明るかったのが嘘のように、今ではその時刻になると空は一面濃い闇に包まれている。空気は人肌を蒸し暑さで包み込むことを忘れ、服越しにも伝わるほどの冷たさを感じさせる。

 私は、急に入った四限後の補講を終え、すっかり暗くなってしまったキャンパス内を、寒さに耐えながら足早に歩いた。

 私がたどり着いたのは、大学敷地内のコンクリート製の建物だ。二階建てのサークル棟は築五十年くらいの古い建物で、どこか冷たさを感じさせる。すぐ傍に立っている木から落ち葉が、外にむき出しで備え付けられている階段や廊下に降ってきて荒れ放題だ。階段の手摺りを、手袋をつけたままの手で擦ると、表面の塗装がボロボロと剥がれ落ちていく。

 本当はもっと早くに来て作業を進めようと思っていたのだが、補講によって遅くなってしまった。サークル棟の使用時間は規則で夜の九時までと決められているため、今日はあと二時間しか残されていない。けれど私は少しでも進めたかった。

 廊下を歩いていき、一番端の「映画研究会」というプレートの取り付けられた部屋の前に立つ。

 サークル会員のなかでも、限られた〝役員〟にしか持たされていない部室の鍵を取り出すと、鍵穴に差し込みガチャガチャと回す。私の持つこの鍵は性質が悪いらしく、何度か回さなければ開かない。鍵の開いた手ごたえを感じ、私はノブを回しながら鉄製の重みのある扉を開けた。

 ここは映画研究会で使う編集用のパソコンが置かれている第二部室だ。撮影したデータをここで編集する。ほかにも、映画研究会主催の上映会で使う上映機材などが仕舞われている。

 この第二部室のパソコン管理は、基本的に私が担当している。パソコンのメンテナンスや使用状況の把握、データの整理などが主な仕事だ。

 私は、パソコンの電源をつけると管理者用のパスワードでログインした。「二年」と書かれたテープが貼られている外付けハードディスクをパソコンに繋ぎ、保存されているファイルを開く。そのなかの、「柊」というタイトルのファイルをクリックする。

 そこには彼が一年のときから撮影したデータがすべて保存されている。もともと、彼はファイルを複数作成していて、二年のハードディスクには彼のデータが点在していてごちゃごちゃした状態だった。それを先月、森からごちゃごちゃしていて使い難いから整理してほしい、という要望を受けてなんとかひとつのファイルに纏めたのだ。纏める際には、彼がもし戻ってきたときに使いやすいように考えて整理した。

「柊」のファイルには、おそらく千は超えるであろう数の撮影データが保存されている。データのタイトルのつけ方はバラバラで統一感がない。「景色」「建物」「鳥」など、データの内容ごとにファイルに纏められているものもあれば、撮影日がタイトルになっているものもある。かと思えば、「5」「23」「34」など適当に数字が振られているものもあれば、「kiroco」「royan」など意味不明な名前が付けられているものもある。彼はすでに三作、作品を完成させているようだから、作品ごとにタイトルのつけ方を変えているのかと思えばそういうわけでもなさそうだ。

 ファイル内の一番下にある、「作業中」と名前が付けられた編集ソフトのアイコンをクリックして開いた。前回までの作業で進行した状態が画面に映し出される。ソフトには、彼が撮影した未編集のデータがすべて取り込まれており、タイムラインにはデータを切り貼りした状態のものが並べられていて、その上の画面には最後に編集した部分の画像が移されている。

 ここまでの編集をしたのは彼ではなく、私だ。彼がいなくなってしまった後、私が彼の感性作品で使用していないデータを集めて、編集し始めたのだ。本来なら、他人のデータを漁って勝手に見ることは禁じられているわけではないが、倫理的に考えて好ましい行為とは言えないだろう。ましてや、それを使って勝手に編集するなど言語道断である。

 もし、彼が戻ってきたなら、そこで中断し、作業データは削除するつもりだった。私が彼のデータで作業を始めた理由というのが、使われることなくデータの中に埋もれていくだけになってしまった映像を使ってやりたいという気持ちと、彼がこれらの映像を使ってどのような作品を作るつもりだったのかを私なりに再現したいと思ったからだ。だから、彼が戻ってきて自分で編集をするならば、私がこの作業を続ける理由はなくなる。

 これは私のエゴだった。私がどう彼が作るつもりだった作品を再現しようと努力したところで、それは彼の作品ではなく私の作品にしかならない。私が彼の代わりに作品を完成させてみたところで、彼が喜ぶとも思えない。

 私は寂しかったのかもしれない。彼の撮った映像が、ただ無意味なものとして埋もれていくだけの存在になることが。

 考えれば考えるほど、自分のしていることが虚しい行為でしかないように思えてくる。それでも私はそうせざるを得なかった。

 私はパソコンの前の椅子で姿勢を正し、残り二時間、その虚しい作業を少しでも進めるために、パソコンの画面に意識を集中させた。



      ◇


 一度、柊に訊いてみたことがある。なにを撮っているの、と。

 彼は屋上の柵の前に三脚でカメラを立て、カメラのフォーカスを下の方に向けていた。

 彼は役者を撮らない。

私たちのサークルでは、普通、会員のなかから役者を集め、役者にセリフや動きを与えて、一般的な商業映画と同じようにストーリーとして映画を撮る。しかし、柊の作品には、役者もセリフも、ストーリーも一切ない。ただひとつの風景や物体を対象に、それを時の流れるまま、ありのままに撮っている。

実を言うと、私は彼の作品を見たことがなかった。彼は誰にも作品を見せないのだ。撮影して、編集して、DVDに焼くと持って帰ってしまう。だから、恐らく会員の誰も、彼の作品を見たことがない。

しかし、現に彼は脚本を書いたことも、会員の誰かを撮影に誘ったこともなかった。

彼がなぜ、そのような映像を撮っているのか、その理由を知りたかった。

だから、思い切って彼に訊いてみたのだ。

彼は何と答えたのだったか。

それがどうしても思い出せない。

だが、問い掛けに振り向いた柊の眼差しはしっかりと覚えている。すべてを見透かした目。彼は目の前にいる私ではなく、私の本質に目を向けていた。

カメラの液晶は、向かいの建物のすぐ前に生えている桜の木の根元を映していた。ここから桜の木までは十メートルほどの距離があるが、フォーカスを最大限までズームしているのだろう、液晶の範囲の大半は木の根と周辺の土に占められていて、そこから三歩も歩けばたどり着くコンクリートの歩道は少しも映されていない。的確に根元のみを捉えている。

一見、何の変哲もない、ただの情景を捉えただけの映像に見える。しかし、私の視線はその映像に釘付けになった。

それは単にそこにあるものを切り取っただけの映像ではなかった。液晶越しに見える張り巡らされた根と根の間の土からは、なにやら禍々しい印象を受けた。まるで、その土の中になにかおぞましいものが埋まっていて、それが土の表面上まで邪悪な念を浮かび上がらせているかのように思えた。

私は直感的にそう感じた。柊は根や土を撮っているのではなく、土の中に埋まっている〝なにか〟を撮っているのだ。こうして、そのときのことを振り返っている今だからこそわかることだが、彼にはそこに映る物体の表面的な部分ではなく、物体の本質を撮る才能があったのではないだろうか。

私は、土の下になにが埋まっているのかと想像を巡らせた。そして、この春から行方不明になっている秋原七瀬という女学生のことが頭の中に浮かんできた。次いで、私が思い浮かべたのは、キャンパス内で偶に見かける用務員の中年男性の顔だった。

秋原七瀬は、この大学の理学部物理学科に在籍している女子生徒で、私は彼女に会ったこともないし、顔も知らなかった。彼女は遠い実家から電車で二時間ほどかけて大学まで通っていた。ある春の夜、弓道部の練習で遅くまで大学に残っていた彼女は、練習が終わるとほかの部員たちよりも早く弓道場を出た。しかしその夜、彼女は家には戻らず、家族への連絡も一切なかったという。そして、弓道場を出たのを最後に、彼女の姿を目撃した者はひとりもいなかった。警察は事件性ありと見て捜査を進めていたが、未だに何の手掛かりも掴めてはいない。

私が思い浮かべたもうひとりの人物――名も知らない用務員の男性は、学生の間ではちょっとした有名人だった。教室や廊下の清掃作業中にいきなりあらぬ方向に視線を向けたかと思うとそのまま魂が抜け落ちたかのようにぼうっとしだしたり、構内のごみ袋を回収用のカートに突っ込んだかと思うと今度は逆にそれを引っ張り出して中身を漁りだしたりと、とても常任とは思えないような目に余る行動を繰り返し、生徒たちから気味悪がられているのだ。私も何度かそういった現場を目撃する機会があったが、精神疾患かなにかなのではないかと思わせる雰囲気だった。

私はその用務員が秋原七瀬を殺したのではないかと想像した。夜の人気のないキャンパスで彼女は殺され、その死体はあの桜の木の下に埋められているのだ。カメラの液晶から感じられる禍々しい雰囲気は、殺され、埋められ、誰にも気づかれぬまま土の下で腐敗していった秋原七瀬の怨念によるものなのだ。

もちろんこれは単なる私の想像に過ぎないのだが、あの液晶画面に映る映像を見たまま彼にそう言われたならそう信じたかもしれない。それくらい、あの映像から感じられる禍々しさははっきりしていて、真に迫ったものだった。


後日、私はカメラと三脚を借りて、同じ屋上の同じ位置から、あの桜の木の根元を撮ってみた。フォーカスは、なるべく柊が撮っていたときと同じ映像になるように何度も調節した。

しかし、撮影中にカメラの液晶越しに見たときも、後でパソコンに取り込んで再生したときも、彼が撮影しているときのような禍々しい雰囲気は少しも感じられなかった。撮る位置も映し出す対象も、ほぼ変わらぬように何度も試行錯誤して調節したにも関わらず、映っていたのは単なる木の根元を切り取って映し出しただけの映像だったのである。

私はその違いの原因を必死に考えた。カメラの角度? ピントの調節? 画面の明るさの設定? スポット測光フォーカスを使ったのがよくなかったのかもしれない。下手に綺麗に映そうとするのではなく、対象をありのままに撮るように心掛けねばならないのだろうか。

いや、もしかしたらあの禍々しさは、撮っていたのが柊だったからこそ映り込んだのかもしれない。柊には物事の側面的な部分を見通す才能があって、彼が見通したそれが撮影しているカメラの映像に現れたのではないだろうか。だから、私がどう努力しようと撮れるものではないのだ。

もし、その〝側面的な部分〟が物事の〝本質的な部分〟だったとしたら、と私は考えた。桜の木の下に秋原七瀬の死体が埋まっているという私の妄想は、事実だということになりはしないだろうか。

何度か、あそこの土を掘り返してみようかという考えに駆られたが、結局そうはしなかった。土を掘り返すことで、私が勝手に考え出した柊の恐るべき才能が本当のことになってしまうかもしれないことが怖かった。

一方で、その頃から私は彼の紡ぎだす映像の世界に魅せられるようになっていた。彼が物事の表面的な部分以外を見通す才能に恵まれているというのが、事実かどうか、そんなことはどうでもよかった。人にそう思わすことのできるような、普通ではない映像を撮ることができる彼に、羨望するようになっていたのだ。

私はそれから、第二部室のパソコンに保存されている彼の撮影データをこっそり観るようになった。彼の映像はどれも、目で見るのとは違う印象を与えるものばかりだった。

鳥が羽ばたいて木の枝や葉の陰に隠れる映像には、その枝の上で誕生した新たな生命の存在を感じさせられたし、少し洒落た家の外観の映像からは、カーテンの向こう側から怒鳴り合う夫婦の気配と古臭い家具の存在が感じられた。なかには、あの日観た映像のように、どこか禍々しさを感じさせるものもいくつかあった。

単なるひとつの映像に、これだけのものを表す力があるならば、それらの映像を繋ぎ合わせて作られた彼の作品はどんなものだったのだろう。それを見られないことが残念でならない。

もしかすると、こんな作業は全くの無駄なのかもしれない。彼の映像にどれだけの魔力があったとしても、他人がそれを編集すれば映像の魅力を損なってしまうかもしれない。そう思っても、やめられなかった。少しでも彼の才能に近づきたかったのだ。


     ◇


「柊、カメラの借用期限、もう一週間過ぎてるんだけど」

 夏休み前最後の定例会の日、その定例会が終わったときのことだった。

 定例会の教室から出ていこうとする柊を、森が呼び止めた。私がその声の方へ目を向けると、森はほかのふたりを従えながら憤然とした顔つきで、教室のドアの前で立ち止まった彼に近づいていった。

 柊が定例会に顔を出しているのは珍しいことだった。彼は定例会以外の日に、部室からカメラを持ち出してひとりで撮影することはあっても、定例会に参加することはほとんどなかった。彼は全くと言っていいほど、ほかの会員と交流をもっていなかったのである。サークルのカメラや編集用パソコンを使うためだけに所属していると言っても過言ではなく、サークルとしての活動に精力的とはお世辞にも言えなかった。

 定例会にほとんど出席せず、自分のやりたいことだけやっているのをよく思わない者は少なくなかった。森もそのひとりだ。

 森は私と同じ役員であり、カメラなどの撮影機材の管理を担当していた。

 その森は以前から柊のおこないに苦言を零していた。彼がサークル内で取り決められている機材の借用規則を守らないのだという。

 柊は、定例会に出席せずとも、年会費はちゃんと払っているようだった。ほとんど出席しない状況はあまり喜ばしいことではないが、強制参加というわけではないのだし、皆と同じく機材を借りる権利はあった。しかし、規則を守らないことはいただけない、というのは事実だ。

「困るんだよね。こっちはサークル全体で使う機材を管理するっていう責任があるんだから、ルールは守ってもらわないとさぁ。いくらカメラが何台もあるからって、君の物じゃないんだから期限は守ってくれよ。一体いつ返すつもりなのかな」

 森の言い分は最もだったが、柊を責め立てるやり方には彼の私情も混ざっていたように思う。柊に面と向かって注意しにいったのは、自分の役割を果たすための責任感によるものだったが、お仲間をふたり従えて睨みを利かせているのは気に入らない奴を叩いてやりたいという私情からくる行動だったのだろう。

「わかったよ。来週までに戻しておく」

 柊が答えた。森は、その答えが気に入らなかったというように眉を顰めた。

「それだけかい。なにかほかに言うことはないのかよ」

 柊は今にも溜息をつきそうな表情になって言った。「ぼくにどうしてほしいの?」

 森の苛立ちも意に介していないかのような態度。とうとう森の堪忍袋の緒が切れたようだった。彼は皆が見守るなか、声を荒げて怒鳴りだした。

「それが規則を破って皆に迷惑をかけた奴の態度かって言ってるんだよ! 協調性のなさもいい加減にしてくれよ。お前が誰ともコミュニケーションとらなかろうが、ひとりで撮影しようが、上映会に出品しなかろうが、どうでもいいよ。俺たちには関係ない。けど、ルールは守ってくれなきゃ困るんだよ!」柊に掴み掛らんばかりの勢いだった。「そんなにひとりで好き勝手にやるのが好きなら、本当にひとりでやればいいだろ。カメラもなにもかもさ、自分で買ってやればいい。ていうか、そうしてくれないか! ひとりでやりたいなら、わざわざサークルでやる必要ないだろう! このサークルにとって君は迷惑な邪魔者でしかないんだ!」

 次第に熱が入ってエスカレートしていく森を、さすがにまずいと思ったのか取り巻きのふたりがあわあわと止めに入っている。周囲にいた会員もそれに加勢しだした。

 騒然となった教室内で、私は動くことが出来ずに少し離れた所から成り行きを見守っていた。すると、皆が森を抑えようと必死になっているなか、柊がするりと教室を出ていくのが見えた。何事もなかったかのように。森に気をとられていた皆は、それに気が付かなかったらしい。私だけがそれに気づいた。まるで幽霊のように、彼は教室を出て去って行ってしまった。

 その日を境に、彼は消えた。

 後日、部室には彼が借りていたカメラや、その他の撮影機材が戻されていた。


      ◇


 九時まで残り三十分を切っている。

 私は彼が消える直前に撮った映像に手をかけていた。撮られたのは、森が彼に対して激昂したあの日から五日後だった。

 映像には、繁華街にごった返す人混みが映し出されていた。この映像を初めて確認したとき、私は言い表しようのない違和感を覚えた。普段柊が撮るものには、風景などの映像のみで、人間は映らない。役者のような存在と違って、一個体の人間として意識されることのない人混みであっても、決して彼は映さなかった。なのに、最後に撮られたその映像から遡ること10カット、あらゆる場所を行き交うたくさんの人々が映し出されているのだ。

 違和感の原因はそれだけではない。それまでの彼の映像に感じられたような、物事の本質を映し出す奥行きが、それらのどのカットからも感じられなかったのである。繁華街、キャンパス、駅のロータリー、スクランブル交差点、それらの場所に、ただ雑踏が行き交っている、それだけの映像に見えたのである。撮ったものを透かして映し出しているかのような透明感のある柊の力に、ノイズがかかってしまったかのようだった。

 それらの映像はすべて、あの日から五日間のうちに撮られている。柊があの日、森に言われたことでそれを気にしたり、なにか思うところがあったという印象は受けなかった。それに、彼の冷淡な性格から考えて――最も私は彼のことなどほとんどなにも知らないのだが――他人の言葉を気にするようにはどうしても思えない。しかし、彼の内を変えてしまうなにかが、あの日に起こったのではないだろうか。その変化が原因で、彼の内にある才能が消え去ってしまったのではないか。彼はそれを苦にして姿を消したのかもしれない。

 私はそれを認めたくなくて、それらの映像を見つけたときから繰り返し何度も、躍起になって、映像のなかに特異な部分はないだろうかと探し続けた。

 そして、彼の才能が消え去ったわけではなかったのだとわかった。昨日、それをようやく見つけたのである。

 それは繁華街の映像を見ているときだった。

飲食店やショッピングモールなどが立ち並ぶ通りを、カメラを手持ちにして歩きながら撮影している映像だった。画面いっぱいにたくさんの人々が歩いているが、誰もカメラには目もむけない。気にならないのか、気づいていないのか。

カメラはある地点で急に動きを止め、歩道の端に収まると向きを変え、通りの反対側を映し出した。ブティックが建ち並んでおり、ブランド物の服を身に纏ったマネキンが置いてあるショーウィンドウの前に、若いOLや大学生くらいのワイルド系な若者が、ショーウィンドウに身体を預けてスマホをいじったり、座りながら煙草を吸ったりしている。カメラとショーウィンドウの間には、まるで濁流のように人混みが流れていく。若いカップル、女子高生の集団、サラリーマン風の男性。

ふいに、一瞬だけ画面の端になにか違和感を覚えたような気がした。そちらに目を向けると、あの若いOLがいる。誰かとやりとりでもしているのか、スマホの画面を弄りながら含み笑いのような表情を浮かべている。どうやら、今の違和感はこの若いOLからのものらしかった。しかし、今見ている限りではなにも妙なものは感じられない。映像になにかバグでもあったのだろうか。

確かめるために、映像を巻き戻してもう一度再生した。観ていると、確かに先ほどの違和感はこのOLからのものらしい。ほんの一瞬だが、OLの顔が歪んだように見えたのである。しかし、どのように歪んだのかまでは見とれない。もう一度巻き戻して再生してみるも、結果は同じだった。

私は一旦映像を停止状態にすると、動画の下部にあるバーをカーソルで動かしてコマ送りのように映像を戻していった。すると、丁度問題の箇所で映像を止めることが出来た。

それを見て、私は鳥肌の立つ思いがした。

OLがまっすぐこちらを、無表情で見つめていたのである。まるで、画面越しに見ている私に気づいているかのように。

さらに驚いたことに、映像を一コマ戻すと、OLは元通りスマホに目を向けて含み笑いを浮かべている。反対に一コマ進めると、また無表情でこちらを見ている。もう一コマ進めると、スマホを見たまま含み笑い。

こんなことはありえない、そう思った。その映像は、編集の際に細かく切ることができるようにワークスペースが拡張されている。0.05秒単位でコマ送りすることができるようになっているのだ。つまり、彼女は0.05秒で顔の向きを変え、表情も変えているということになる。ただ何気なく顔を向けただけだとしてももう少しかかる。それに顔を向けてから一秒もしないうちに戻すというのも不自然ではないだろうか。

この映像からは、彼女が顔の向きを変えるまでの動作がごっそり抜け落ちているのである。しかし、映像のほかの部分にはなにもおかしいところはない。OLの顔だけが、まるでそこに別人の顔が重なって映り込んでしまったかのように不自然になっていた。

その五日間のうちに撮られたすべての映像に、同様の部分があった。いずれも画面の端に映っている人物たちが、一瞬だけ不自然に顔をこちらへ向けるのだ。

これは柊の能力によって映し出されたものに違いないと私は確信した。だが、どうしてこのような映像になったのだろう。そこから意味を見いだそうとしても、私にはわからなかった。これらの映像に映っている彼らになにか共通することがあるのだろうか。

彼らは一体、なにを見ていたのだろうか?

それがどうしてもわからなかった。

そして今、私はそれらの映像をわかりやすいようにスローモーションにし、切り貼りしてひとつの映像にまとめあげていた。編集したものの書き出しをおこない、データに出力する。そして、書き出した映像を自分のUSBに保存した。

時刻を見ると、もう八時五十五分である。部室の使用時間終了まで残りわずかである。

私はすべてのファイルを閉じ、パソコンをシャットダウンすると部室を出た。


     ◇


「どう思いますか?」

 私の言葉に、先生は眉を顰めてみせた。

 昨日編集した映像のデータを先生に見せているところだった。

 先生は映画研究会の顧問である。しかし、顧問とはいっても名ばかりのもので、普段の定例会や活動に参加することはない。ほとんどの会員は顧問の存在すら知らないであろう。大学のサークルの顧問などそんなものである。私は新役員の発足時に顔合わせをしており、且つ学科の教授であったため、個人的な交流をするようになり先生の研究室にも足を運ぶようになった。

「どうと言われてもねぇ……」

 先生はまたさらに眉を顰めながら、老眼鏡をぐいっと押し上げた。

「カメラが偶然近くの別のカメラの映像をキャッチして似たような顔の映像を拾い上げて重なり合ったのか、柊君……だったかな、その彼が映像に細工をしたのか、なんとも判断しづらい。しかし、前者のケースは稀な事象であるうえに、偶然似たような顔が重なり合うケースが十件も続くというのは考え難い。後者の場合が一番現実的だがこれを撮った直後に疾走しているなら、そんな時間があったとは思えないね。後は、別の人物が細工をしたという可能性だが、そうでないのなら心霊映像と考えるしかないだろうね。非科学的だが……」

「先生、そんなことを訊いているのではないんです」

「では、なにを訊いているのだね?」

「これが細工なのか、偶然映ったものなのかはさておき……この映像にはどのような意味があると考えられますか? もしくは、見た印象とかでもいいです」

「意味、か」

 先生は苦笑した。

「それを訊いてどうするんだね」

「彼が最後になにを撮ろうとしたのかを知りたいんです」

 私はきっぱりとそう答えた。

 先生はそれを聞くと、真顔でじっと私の眼を見つめた。私がどこまで本気なのかを探ろうとしているように見えた。

 三十秒ほど、先生は私の眼を見つめた後、言った。

「君はこの世に君が君として生まれてきたことになにか意味があると思うかい?」

 唐突に関係のない質問を投げかけられて戸惑いそうになったが、先生はなんらかの方法で私を試そうとしているのではないかと思い、戸惑いを悟られぬように答えた。

「あると思います」

「ほう。どうして」

「なにも意味がなければ自我を持たせる意味を持たせる必要もまたないからです。〝自分が自分であるのはなぜか〟という考えを浮かべることが出来る時点で、自分が自分として産まれてきたことの証明になるのです。意味がないのなら、最初から神は人間に意志を持たせずにこの世界に産み落としていたでしょう。自我があるから人間は生きていくうえで個性を身につけてオリジナルな人間性を持つことができるのです。自分として生きる意味が何もなければ、自我や個性なんて邪魔なだけです。自我や個性を与えるということは、〝ひとりしかいない人間として生きてなにか意味のあることを成せ〟ということなんです」

 先生はふむと頷いた。

「なるほど。しかし、それは本当に意味があるということの証明になるのだろうか。どんなに意味があるように見えても、それはあるように見えるだけで、あるということにはならないのではないかな」

 私は胸が騒ぐのを感じた。

「人間が自我や個性を持たせられていても、それは神の気まぐれかもしれない。どんなに意味があるように思えても、それが単なる気まぐれによるものであれば、そこに意味を見出すことなど不可能だ。たとえば他人の言葉。他人が何気なく言った言葉になにか裏があるように思えても、言った当人は特になにも考えていないということが多い。小説や映画なんかでもそうだ。ある意味深なワンシーンについて、〝明確には言及されていないがこのシーンにはなにか隠された意図があるに違いない〟と深読みしてみても、作者自身には別に意図なんか無かったりする場合の方が多い」

「暴論です」

「そうかもしれない。でも、それが世界なんだよ。いくら意味があるように思えても実は意味なんて無かったということがほとんどだ」

 先生は諭すような口調で続けた。

「人間はね、意味がないということに耐えられない生き物なんだ。何にでも意味を見出さないと生きていることが苦痛になってしまう。だから、自分に降りかかる試練に対して、〝今私が辛い思いをしているのは、死後の世界で神の元に召されるためなんだ〟という風に意味づけをしようとする」

 先生はそこでひと呼吸おいた。

「では、その柊君が消えてしまったことにはどんな意味がある? この冬に女子生徒がいなくなってしまったことにもなにか意味があるのだろうか? 神はなぜ自我を持たせておきながら、あのふたりをあっさり消し去ってしまったのだ? あのふたりだけではない。意味を持って生まれてきたはずなのに、なぜ人間は簡単に命を奪われる? 生まれてきてすぐ、なにも成すことのできないまま、死んでしまう赤子だってたくさんいる。彼らにも意味はあるのか? 彼らは不幸な目に遭ったから、死後の世界で神の元に召されるのだろうか? 現世で不幸な目に遭った者たちは皆、あの世で幸福な思いをするために不幸になったのか? いいや違う。彼らが不幸であったことに意味などない。誰もが不幸になる可能性を持っているし、不幸になるのは誰でもいいんだよ。そこに意味なんかないんだ

 彼が撮った映像だってそうなんだ。意味があるように見えるけど本当はないんだよ。あの顔がなにかを訴えているように見えるかもしれないけど、あの視線の先にはなにもないんだ。ただ、彼は見る人に意味を持たせるように見せる、そういう撮りかたが上手かったのかもしれない」

 先生がしゃべり終えた後、私は静かに下唇を噛みしめていた。

「すいません。……先生、私、用事を思い出したのでもう行きます。貴重な意見をありがとうございます」

 先生はただひと言、「そうか」とだけ言った。

 部屋を出るとき、先生は私を呼び止めた。

「あまり深入りしすぎるな」

 私はただ、先生に一礼を返して部屋を出た。

 今のはどういう意味なのだろう。私はそっと呟いてみた。「意味なんかない」

 部屋を出た私は、自然と早歩きになっていた。

 先生の言う通りかもしれない。なにも意味などなかったのかもしれない。彼の撮った映像にも。私は気づかされた。いや、本当は気づいていたのだ。だってわかっていたじゃないか、ただの妄想かもしれないって。けれど、信じたくなかったのだ。

 私は、自分の人生に、自分のしていることになにか意味を持たせたくて仕方がなかった。私はほかの人と違うと思っていた。特別な存在だと思っていたのだ。

 けれど、自分がなにをしたいかなんて、なにひとつ決まってはいなかった。だから、大学に入って、なんとなく映画研究会に入って、映画を撮っていた。私は才能があるからなにをしても上手くいくのだと思っていた。

 映画を撮るときも、ほかの人と同じになりたくない。型にはまった撮りかたはしたくない、と思って、あえて誰もしないような撮りかたをしていた。普通は三脚で固定するところを手持ちで撮ってみたり、逆に手持ちで撮るところを固定して撮ったり、あえてピントを暈かしたまま撮ったり。

 しかし、そんなのはただお独りよがりでしかない。本当はわかっていたのだ。基本が出来ていなければ、どれだけ自分の持ち味をアピールしてみたところで単なる自己満足にしかならないのだ。

 そんな私の作品に返ってきた反応は、〝沈黙〟だった。特に否定的なコメントがあるだけではないが、良い評価が貰えたわけでもない。誰もが進んでは話題にしない。そんな感じだった。なんの反応もないことが一番耐えられなかった。素人が気取って作ったただの凡作。そんな風に言われてる気がした。

 それでも私は、それが周りの人間には理解できないからだと思い込もうとした。才能ある私の感性は、凡人である彼らには理解できないのだと。しかし、本心ではちゃんとわかっていた。私は特別でもなんでもない。でも、どうしてもそう思いたかった。

 私はそういう鬱屈とした思いを、柊の撮る映像を初めて見たあの日から、彼に重ねていた。彼には才能があって、彼の撮る映像に映り込むものには、みんな深い意味があるのだと。

 しかし、本当はわかっていた。

 すべてはただの妄想だったのだ。


      ◇


 あれから数日間、私はなにやら喪失感を感じてなにもする気が起こらなかった。

 休日、私なりに踏ん切りをつけたいという思いから、あの映像が撮影された場所に行ってみようと思い至った。彼が最後の五日間に撮影した映像のうち、いくつかは場所が特定できた。私はそのうちの、あのOLが映っていた大通りに行ってみることにした。

 あのOLはなにかを見たのか。見ていたとしたらなにを見たのか。この期に及んで、それを知ることで、なんらかの答えに行き着くことができるのではないかという思いがあったのだ。

 私は映画研究会の部室から、小さなハンディカムを借りると、あの大通りに向かった。

 ハンディカムの録画ボタンを押し、撮影しながら大通りを歩く。向かい側からこちらに流れてくる人々や、こちら側から私を追い抜いていく人々が映し出されている。誰もがカメラのことなど気にも留めていない様子だった。

 しばらくそうして歩いていると、あのOLが立っていたブティックが見えた。ショーウィンドウのなかのマネキンは、あの映像では夏物の服を着せられていたが、今は冬物の服に包まれている。

 私はそのショーウィンドウの方まで行くと、大通りの反対側を向いた。カメラは足元に向け、目線も下に向けていた。あのOLが見ていたものの正体を見るのに少し心の準備が必要だったのだ。しかし、目の前になにがあっても――もしくは、なくても――私はそれを受け入れるつもりだった。

 目を閉じて顔をあげ、深呼吸する。

 そして覚悟を決めると、私は録画状態のままのハンディカムをそこに向けた。それと同時に私はカメラの眼を開いてカメラの液晶に目をやった。液晶越しにそれを見た。

 あれがあのOLが見たものだろうか? あのときにもあれはあったのだろうか。それとも、あのときはなかったのだろうか。あのときはなにか別のものがあったのかもしれない。

 いや、と私は思い直した。あのときにもあれはあったに違いない。今のままで。これがあのOLの見たものなのだ。

 私は気づかぬうちに涙を流していた。液晶を見ながら、人目も気にせずにボロボロと涙を零し続けた。

 通りの向かいには、コンビニとカラオケ店が並んでおり、私の正面はちょうど、そのふたつの建物の間だった。そこには大人の女性がなんとか通れるくらいの、狭い路地がある。その路地の入口の、白いコンクリートの壁に、赤いペンキで大きくこう描かれていた。


 『✖』


      ◇


 秋原七瀬が見つかった、という報せを風の便りで聞いたのはそれから二週間後のことである。

 彼女が発見されたのは、なんとこの大学から百キロ以上離れたT県の、人里離れた峠道だったそうである。峠道を通りかかった車が、歩いていた彼女に呼び止められて乗せたのだという。

 秋原七瀬は、失踪したあの夜、部活動の練習が終わった後すぐに、大学のすぐ近くに止められていた男の車に乗り込んだ。その男というのが、秋原七瀬が出会い系サイトで知り合った男らしい。実に呆れた話であるが、彼女は家族や友人たちの心配をよそに、半年以上もの間男と駆け落ちしていたのだ。

 家庭環境や大学での人間関係が駆け落ちの理由らしいと聞いたが、本当かどうかは不明だ。これから駆け落ちしようというときに、部活動をやってから、というのもなんとも可笑しな話だが本人曰く、「これからすることが後ろめたいと感じたので、せめて今日やることをすべて終わらせてから消えようと思った」とのことだったらしい。

 秋原七瀬と男のふたりは、八カ月以上もの間車で県外のあらゆる場所を点々と、特に目的もなく走り回っていたらしい。時には安いホテルに泊まることもあったが、ほとんどは車で寝泊まりしていたらしい。そうやってふたりでずっと放浪していたが、あるとき些細なことから大喧嘩になり、男に半ば無理矢理車から降ろされ、困っていたところを通りがかりの車に助けを求めたのだ。

 以上が事の真相だった。

 これで、私が彼の映像を見たときに感じたことは、彼の特殊な力が映し出した真実などではなく、やはり単なる私の妄想であったことが証明された。殺人だなどと大真面目に思い込んでいたのに蓋を開けてみれば、遅すぎる反抗期による傍迷惑な逃避行だったのだからお笑い草である。だが、私が勝手に殺人の容疑をかけてしまった用務員には、心のなかできちんと詫びをいれねばなるまい。


 秋原七瀬は無事に発見されたが、柊の行方は依然として知れないままだった。誰も彼のことを話題に出す者はおらず、誰もが彼のことを忘れてしまったのではないかと思える。むしろ、本当にそんな人物が存在していたのかすら、怪しく思えてしまう始末である。

 今思い返してみれば、彼は何者だったのだろうという考えが頭をよぎる。

 彼の映像に関することは、私の思い込みであったが、やはり彼は真実を見通す力があったのではないだろうか。先生の言っていたこと――意味などないという真実を。

 彼は最初から、この世界のあらゆることに意味などないということを知っていたのではないだろうか。彼の映像から感じた違和感は、意味などないという真実を映し出した彼の思念によって、逆にその映像が意味深に見えてしまったことの結果であるような気がする。

 そして、彼が最後の五日間に撮った人々の映像は、その真実に彼ら気づいた瞬間を映し出していたのではないか。

 彼は初めから気づいていた。そして、あのOLや映像に映っていた人々も、あの


 『✖』


を見たことによって真実に気づいた。だから彼らは消えてしまったのではないかと、私は思う。

 では、なぜ先生や私は消えないのかという疑問が残る。彼らとの違いは何だったのか。いや、そんなこと考えるだけ野暮なのだ。すべてに意味があるとは限らない。それがこの世界の真実なのだから。

 私はあの日以降、妙に吹っ切れた気持ちになり、部室に戻ると、自分のファイルに保存されていた彼の撮影データや作業中の編集ソフトのデータをすべて削除した。彼自身のデータは、勝手に消してしまうのは悪いと思い、まだ残してある。

 しかし、私は知っている。きっと彼は二度と戻ってこないだろうということを。

 そして私は、それ以来彼の撮った映像を一度も見ていない。


                                      完

 わかりづらい作品かもしれません。去年書いたものですが、自分でも実験的というか、感覚的に書いていたと記憶しています。

 難しく考えずに読んで頂ければと思います。〝私〟は「意味」を求めない存在で、〝柊〟は「意味」を排除する存在と考えて読んでもらえるとなにかが見えてくるかもしれません。

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